作品タイトル不明
第200話 ギルドマスターの不在 上
――アルベイン王国暦二千四年 乙女神の月 アルヴィナス王宮
ディック・シルバーとその娘である人工精霊スフィアが王都から姿を消したあと、一年が流れようとしていた。
アルベイン王国第一王女マナリナ・リラ・アルベインは、父であるクラウス王から請われ、政務の一部を担うようになっていた。
それはヴィンスブルクト、オルランドの二つの公爵家が権勢を弱め、シュトーレン家のプリミエールが台頭している今、アルベインでは女性君主待望論が出始めていた。
男性の施政者がこのところ問題を起こしているから、という論調なのだが、マナリナは父が暗君だとは思っていないし、『ゼビアスとの決闘に勝利して自分の運命を切り開いた』と貴族の女性たちが自分を持ち上げることにも、少々困惑していた。
「お父様まで、私に王位を譲りたがるなんて……私はまだ、国王陛下にはお元気でいていただきたいのに。隠居なんておっしゃるのは早いです」
「陛下はお姉様が、ディック様とご結婚されることを希望されていらっしゃるようですね……」
ティミスは今、近衛騎士として王宮の護衛を行っている。マナリナ直属というわけではないが、警護を兼ねてマナリナの私室に出入りする機会ができていた。
ディックの名前が出ると、マナリナはバルコニーに出て、外の風を浴びる。
ミラルカはディックの不在について『少し時間のかかる依頼を受けている』とマナリナに話した。マナリナはそれが長くても一ヶ月ほどだと考えていたが、待ち続けるうちに一年近くになり、ミラルカの横顔に少しずつ陰が感じられるようになった。
「……ディック様のお帰りを、私などよりずっと心待ちにしているのは、ミラルカです。寂しいと言ってはいけないと、分かっているのですが」
「お姉様……」
マナリナは振り返り、微風に揺れるブルネットの髪を押さえながら、儚げに微笑む。
姉がディックに思いを寄せていることを、ティミスはよく理解しているつもりだった。自分もまた、そうであるように。
それでもお互いに、はっきりと口にしたことはない。ディックに対する思いを口にすることで、ようやく二人で過ごせるようになった姉妹は、その関係を変化させてしまうことを案じていた。
「ティミス、槍の修行はどうです? 騎士団長に稽古をつけてもらっているのでしょう」
「はっ……学ぶことの多い日々です。ですがやはり、SSSランク……いえ、それ以上ともなられた方からすると、私の槍などいつまでも児戯に等しく……」
「私も同じ悩みを抱えています。ミラルカったら、本気を出すととても難しい魔法理論の研究をしているのに、私に教えるときは初歩の教科書を一緒に読んでくれるんです……こんなことでは、退屈をさせてしまうばかりです」
はぁ、と二人は同時にため息をつき――そして、互いに口元を隠して笑い合う。
「ふふっ……何を悩んでいるのでしょうね、私たちったら。ミラルカもコーディ騎士団長も、魔王を倒して世界を救ったような方たちなのに」
「交流を持つことができているだけでも、奇跡のように思います。これもディック様が、王都アルヴィナスに留まり、ギルドマスターという道を選ばれたから……」
「……あの方がいなければ、私たちは今こうしていることも無かったでしょう。毎日、感謝の念が堪えません」
マナリナがもう一度外を向く。姉が泣いているのかもしれない、そう察したティミスも、自分の目元を布で押さえてから、静かに席を立った。
テーブルの上にあるグラスに、ティミスは持参してきていた籠から二つの瓶を取り出し、グラスに注いで混ぜ合わせる。
マナリナは泣いていたことを悟られないように、気丈な表情で部屋に戻ってくる。そして、テーブルの上にあるものを見て目を見開いた。
「これは……」
「お姉様と一緒に……と思いまして。まだ日が高いうちですが、よろしいでしょうか」
ティミスが用意したものは『麒麟乳酒の千年桃割り』だった。
『銀の水瓶亭』にはディックの作ったレシピがあり、今も店主はその通りにブレンドを作り続けている。ティミスもまた自ら店に赴き、ヴェルレーヌに教えを受けたのだった。保温の魔法処理が施された袋には、今のような暑い季節に涼をもたらず氷が入っていて、それを削って雪のようにしてグラスに入れる。
マナリナは妹と共に席に着く。そして、何も言わないままにグラスを合わせ、一口飲んだ。
「……冷たくて美味しい。ありがとう、ティミス」
「……はい。でも、あの方の作るお酒の味には、及びませんね」
「このお酒も美味しいですが……でも、困ってしまいますね。ディック様に、目の前で作っていただきたくなってしまって……」
ディックが自らカウンターに入り、銀のシェイカーでブレンド酒を作るところは、マナリナとティミスにとってとても貴重な光景だった。
「また、一緒にお店に伺いましょう。ミラルカや、ティミスの近侍の方々も誘って」
「ライアとマッキンリーは『銀の水瓶亭』の冒険者としても登録していますから、私たちよりも行く機会は多いようです」
「そうなのですね……ティミスも参加したりすることはあるのですか?」
「っ……い、いえ。私も騎士団の任務がありますので、そのようなことは……」
目を泳がせる妹を見て、マナリナは微笑む。
マナリナもミラルカとともに『銀の水瓶亭』に赴くことはあるが、ディックの話は最近少なくなってきていた。あまり寂しがるのもディックに心配をかけてしまうという考えが、二人の中で暗黙の了解となっていたからだ。
それでもマナリナは何かに迷ったとき、第一王女としての責務に少し疲れたときなどは、十二番通りの酒場にお忍びで通っている。
ギルドマスターが不在の今でも、カウンターに座った客が仕事を持ち込むところを見ることがある。その時は、マナリナはいつも自分が初めて酒場を訪れたときのことを思い出すのだった。
「……『ミルク』か『この店でしか飲めないお酒』。どうしてディック様は、これを符丁にしたのだと思いますか?」
マナリナの質問に、ティミスは真剣に考えて答えを探す。
「好き嫌いはありますが、ミルクはほとんどの人が飲むことができます。ディック様は、どのようなお客様も、別け隔てなくお迎えしたいという気持ちだったのではないかと……」
「……やはりディック様のような方は、他に探しても見つかりません」
「は、はい、私もそう思いますが……姉様……?」
急にマナリナの様子が変わったように感じて、ティミスは戸惑う。
ティミスはマナリナと会うことができてから、姉が見る間に大人びていくように感じていた。
その理由がディックにあるのなら、ティミスもまた、姉の想いに野暮なことを言うつもりはなかった。
「……お互い苦労をいたしますね、お姉様」
「ええ、あなたも。でも、あなたは『銀の水瓶亭』の一員のようなものですから、羨ましいです……私も冒険者としてギルドに入りたくなってしまいます」
「それは……時には、臨時ということなら、許可をいただけるのではないでしょうか」
「そうですか……? あなたがそう言ってくれるのなら、姉妹でパーティを組んで……というのも、楽しそうね」
「私は騎士として、お姉様を守ります。この場合の騎士とは、冒険者の一員としてのものです」
「私も剣はそれなりに使えるから、足を引っ張らないように修練しておくわね」
――アルベインの第一王女と第二王女が、ささやかな密約を結ぶ。
その後二人の美人冒険者が臨時で『銀の水瓶亭』に加わり、仮面の姉妹としてその名を一部に知られることになるが、それはもう少し後になってからの話である。
◆◇◆
アルヴィナス王宮内の政務室で、プリミエール・シュトーレンは貴族の長として、国政の一翼を担う立場として日々執務に追われていた。
「ふぅ……」
「プリミエール様、少しご休憩をなさっては……朝の八時から詰めておりますし」
プリミエールの補佐を行っているのは、キルシュである――オルランド家の爵位が格下げとなり、、シュトーレン家は優秀な人員を集めるためにオルランド家で持て余している人材を引き抜くことにした。キルシュはその一人で、プリミエールに見いだされて秘書として抜擢されたのである。
しかし、プリミエールがそれだけの理由で自分を傍に置いたわけではないことを、キルシュは薄々と感じ取っていた。
「……キルシュ、例の件ですが」
「『銀の水瓶亭』に、ギルドマスターは戻られていないようです」
「そう……ですか」
顔を隠す薄布のヴェールの向こうで、プリミエールは憂いの吐息をつく。
プリミエールは極力質問の回数を減らしていると自分では思っているが、キルシュがそれを聞かれるのは、ここ数日で十回目ほどだった。
このままでは、主人が臥せってしまうのではないか。キルシュにはそれほどの事態に見えて、いつも気が気でない部分があった。
「……あの方がいらっしゃったから、私はここにいられるのです。それなのに、私はあの方が旅立つことも告げていただけず……きっと、忘れられてしまっていたのですね」
「そ、そのようなことは決して……ディック殿は、今まで関わった人々のことを忘れるような方ではありません。私もお話をした時間はそれほど長くありませんが……」
プリミエールは自身でも、そのような弱音は八つ当たりでしかないと分かっていた。
キルシュはプリミエールが沈むたびに励ましてくれるが、いつまでも彼女に心配をかけていてはいけないと自分を律する。
「アルベインの経済は、騎竜運送のおかげで大きく発達しています。これもディック様が、王都の商人に騎竜運送の利用を解放してくださったから……彼の功績は、商業大臣すら及ばないものです」
「大臣殿もディック殿と面談をしたいと希望されていますが、『銀の水瓶亭』の依頼窓口にはたどり着けていないようですね」
「本当に困っている方、危急を要する依頼のために開いている窓口なのでしょうね。キルシュがたどり着けたのも、あなたが資格を持っていたからでしょう」
「……プリミエール様も、今まさに『危急を要する』のではないかと思うのですが」
キルシュの言葉に、プリミエールは微笑む。そして、目の前に積まれた書類に目を通し、サインを記し、捺印する。
「彼が戻ってきたとき、この国が良い方向に向かっていると報告できるように、私は私にできることをしようと思います」
「素晴らしいお考えです。私も出来る限り尽力させていただきます」
一礼し、キルシュはプリミエールの補佐として彼女の傍らに控える。
横から見るとヴェールの隙間から、プリミエールの表情が見える――その瞳は輝いていて、誰かに恋をしていることを隠していなかった。
◆◇◆
王都地下の遺跡迷宮は、一年をかけて三十二階層まで攻略が進んでいた。
現在も攻略の中心となっているのは、『黒の獅子亭』のレオニードと、『銀の水瓶亭』のゼクトである。他のギルドの猛者も参加することはあるが、王都の人々からの依頼についても件数が増えてきているため、各ギルドの冒険者は日々自分に適した仕事を選んで活動している。
迷宮にはまだ強力な魔物が残っているが、倒すことができずに進めなくなるという事態は無くなっている。それは、一年近く前から、迷宮探索に新しく四人の冒険者が参加するようになったことが理由だった。
「しかし、あんたたちみたいなSSSランク超えの冒険者が、四人もよく来てくれたもんだ」
スオウとミカド、そしてカインとアストルテ。彼らは『覇者の列席』の目的がディックたちによって果たされたあと、その恩義を返すために王都アルヴィナスにやってきた。
ディックが不在のうちの王都を守るという意図が最初はあったのだが、国を揺るがすような事件は起こらず、彼らは王都に滞在する時間を無駄にしないために、遺跡迷宮の攻略を始めたのだった。
「後からやってきたのに好きに潜らせてもらって、こちらこそありがたいと思っているよ。帰る国も元々ないものでね」
「……カイン、お前は俺よりも強い。『銀の水瓶亭』で役職に就く気はないか?」
「俺にはフリーが性に合っている。それにゼクト、君の伸びしろも限界に達しているわけじゃない。SSSランクが見えてきているんじゃないか?」
「む……そうか。そうだとしたら、マスターに近づくことができて何よりだがな。お前たち四人を見て、世界の広さを思い知らされたことに変わりない」
カインは本来の人格を取り戻し、現在王都にいる冒険者の中で最高峰の実力を持ちながら、日々の冒険を少年のように楽しんでいた。
ゼクトはディックと戦ったというカインを最初は警戒したが、妹のミヅハに取りなされて、冒険者として活動したいというカインに幾つか仕事を紹介した。その中でカインが選んだものが迷宮探索だった。
「まあ、特に急ぎの用があるわけでもないんでな。世界を放浪する前に、ここでディノ……ディックを待ってやるってのも一興ってやつだ」
「スオウ……そんな言い間違えをしても、君の思いは届かないよ。彼女はなにせ、彼そのものなのだから」
「おお? 何かとんでもねえことが耳に入ったような、入ってねえような。あんたら、ディックとはよっぽど面白え経験をしたらしいな。がっはっはっ!」
「おう、人生が変わる経験ってやつだ。おっさんにも気が向いたら話してやるよ」
スオウは少年のままの姿だが、彼の本当の年齢を知っているミカドは呆れたように嘆息する。それを見てアストルテは楽しそうに微笑んでいた。
「あなたたちと冒険をすることになるとは思っていませんでしたが……パーティを組むというのも賑やかで良いものですね」
「ふむ……アストルテも変われば変わるものだね。同じ組織に属していても、私やスオウに興味を持ってくれたりはしなかったのに」
「それは……ディックさんに会ったからでしょうか。彼はパーティの力を最大限に引き出す、稀有な資質を持っていました。そして……」
「……そして?」
カインが問いかけると、アストルテは少し照れながら言う。
「彼と一緒にいるパーティの人たちは、心から楽しそうだったんです。それを少し、羨ましいと思ってしまいました」
「……そうか。俺は、あまり女性を楽しませることは得意じゃないからな」
「い、いえ、そういう意味ではなくて……カインにはカインの良いところがあります、強さを求めることに禁欲的なところとか……」
「真面目なのもいいが、それだけじゃ人生を損してるからな。冒険者やってるからには、遊びもほどほどに楽しむことを勧めるぜ」
「レオニードは少々楽しみすぎだと思うが……孫娘が心配しているぞ」
「おお、ゼクトが俺に注意してくれるとは珍しいな。ちょっとディックに言い方が似てたぜ」
レオニードが悪びれずに笑うと、ゼクトは鼻の頭を掻く――そんな兄を見て、今日は冒険に参加しているミヅハは嬉しそうに笑った。
「あはは、兄上が照れてる。ほんと兄上はマスターのことが好きなんやから」
「……ミヅハ、遊びではないから気を引き締めるようにな」
「青狐族の勇士も、妹にはかたなしということか」
「妹とディック以外には結構怖いけどな」
「お前たち……いや、そんなことはいい。今日は三十三階層から探索を再開する。別行動を取ってもいいが規定の時間には所定の場所に集合すること。以上だ」
そう――ゼクトは現在、このメンバーにおいてはリーダーの役割を果たしていた。
迷宮探索は、高ランクの冒険者にとっても決して退屈なものではない。
魔物を倒し、宝を見つけ、持ち帰って報酬を手にし、酒場で労い合う。そのことで得られる充足は、ランクを問わずに価値のあるものだった。
「さて……今日もお宝探しと行きますか!」
「スオウ、前のように見つけたものを燃やしてしまわないようにね」
「何度も同じミスは犯さねえよ……おっ、『水瓶亭』の坊主も来やがったぞ」
「皆さーん、俺たちもついて行っていいっすか!?」
『銀の水瓶亭』において中堅冒険者の域に入ったリゲルと、数人の仲間たちが近づいてくる。ランクの差は大きいが、彼らには彼らにできる仕事がある――ゼクトはリゲルたちを迎えると、今日の行動について説明を始めた。