軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第149話 別邸の夜と勝負の結果

麒麟乳酒は強化魔法を使う媒介として使うものなので、在庫を切らすわけにはいかない。しかし清々しい酸味と癖の無さは他の酒ではなかなか代わりがきかないものだ。

そんなわけで、乳を発酵させて作るチーズなどを作る時にできる乳清を使うことにした。生産地では勿体無いことに捨てられていたものなのだが、味がよく身体にもいいものだと説明して、王都まで鮮度を保って運ぶルートを確立した。といっても、乳清を瓶に入れて密封し、魔道具で冷却して運べるようにしただけだが。

俺も好んでブレンドに使う『闇スグリ』のもう一つの種類、『青スグリ』から作ったリキュールを乳清で割る。そうすると底に至るまで、だんだん透明から青色が濃くなっていく美しい酒ができる――他の果物を添えてもよく合うので、アイリーンが好きな桃、ミラルカが好きな木苺、セレーネが好きな『竜果』を乗せて出した。

「そこまでもてなしてもらって、勝負には負けちゃうんだけどねー」

閉店したあと、別邸に移って勝負したのだが、賭け金のなくなったセレーネは魔王討伐隊の四人を代わりに立てて勝負し、それでも清々しいほどに負け続けた。

屋敷の居間にあるテーブルを挟んで、俺とセレーネは勝負していたのだが――最後にセレーネと一緒に挑んできたというか、言いくるめられて仲間に引き込まれたユマにも俺は勝ってしまった。アルベインの神に祝福されているユマでも、セレーネの不運は打ち消せなかったということだ。

「はぁ……やっぱり楽をしてお金を得ようなんて甘い考えだったわね。いいわ、弟くん。私もこの子たちも覚悟はできているから」

「っ……あ、あなたがどうしても参戦しろと言うから勝負はしてあげたけど……ディック、私たちからも本当に賭け金を取るというの? それもお金じゃなくて服だなんて……変態」

「あ、それは私から言い出したの。弟くんがお小遣いをくれるのはいいけど、私からお金を取るのはしのびないからって」

「それは……ディック、だからってセレーネさんの服をなんて、大胆なことを提案したものだね」

「あはは、ディックのことだからセレ―ネさんに言われちゃって仕方なくって感じでしょ? あたしもそういう無茶言うもんね、ときどき」

無茶ということはなく、アイリーンが言うのは風呂上がりに髪を乾かしてくれというくらいなので、セレーネと比べたら愛嬌があると思う。セレーネは俺に無茶を言っても押し切れると思っているわけだが、それは俺が甘いだけかもしれない。

「俺は貸しにしておいても構わないぞ。勝ち続けるのも悪い気はしなかったが、イカサマしてる気分になるから適度に負けたかったな」

「ディックが完全勝利っていう顔してる……うぅ、悔しい。あたしも賭け事って熱くなるほうなんだよね、これも勝負事だから」

「私はディックさんと、みなさんと一緒に賑やかにできて良かったです。負けてしまったのは、少し残念ですが……勝っていたら、ディックさんに一つくらい……」

いつも鎮魂のこと以外に関してユマは控えめなので、たまには我がままを言ってもらってもいいと思うのだが、彼女は律儀なので勝たないとそういったことは言わないだろう。

「ね、弟くん、どうしてみんなが勝負に参加してくれたか分かったでしょ」

「ん……?」

「セレーネさん、もう夜も遅いし、あなたもそろそろ休んだら?」

「またまたミラルカちゃん、そんなこと言っちゃって。せっかくのチャンスなのに、このまま寝ちゃうなんて……」

「……セレーネさん?」

「あっ……そ、そうね、だいぶ熱のこもった勝負だったから、ちょっと汗をかいちゃったわね。とりあえずみんなでお風呂に入りましょうか」

ミラルカの静かな圧力に屈したセレーネは、席を立つと俺に手を振って部屋を出ていった。館の主であるベアトリスが姿を現し、セレーネを浴室に案内してくれる。

「ディック、リムセさんたちもそろそろこっちに来るんだよね」

「ああ、ヴェルレーヌと一緒に来るって言ってたからな」

店じまいをしたあと、ヴェルレーヌは少し時間を置いてからこっちに来ると言っていた。何かやることがあるのかと聞くと言葉を濁していたので、少し気になるといえば気になる。

「はー、これだけはヴェルレーヌさんの特権っていうかね。あたしたちにはなかなか真似できないよね、ディックのベッドで……」

「アイリーン、それは言わないのが冒険者の情けというものじゃないかな」

「ヴェルレーヌさん、きっと魂がこれ以上無く充足されているのでしょうね……いえ、やはり本物のディックさんでなければ……」

アイリーン、コーディ、ユマも連れ立って部屋を出ていく。残ったミラルカは、何か言いたそうに俺を見ていた。

「ミラルカ、どうした?」

声をかけると、ミラルカはふっと笑って、勝負をするために使っていたサイコロを手に取った。

「私は負けるつもりはなかったのだけど、今日はあなたに運気が味方していたのかしらね」

「もう一回くらい勝負したら、さすがに負けるんじゃないか。これは完全に時の運だしな」

「あなたがこの種の賭け事に強いことは間違いないと思うのだけど。言う通り時の運というものがあるなら、さすがにセレーネさんも次は勝てるでしょうね」

「そうかもな。一度勝ったくらいじゃ、負けた分は取り返せないから、相当な大勝ちをしないと駄目だが」

「……ねえ、ディック。あなたは何か、私たちにして欲しいことはある?」

急に話題が変わった――というわけでもない。俺は勝った分だけ、何か頼みを聞いてもらえる状態にあるということだ。

しかしミラルカが自分からそんな申し出をしてくれると、逆に遠慮してしまう。

皆が俺に対して優しくなったというのは、ミラルカも例外ではない――こうして二人でいるだけでも、流れる空気が今までと変わっている。

「い、いや……今のところは、何もないが。今回のことは関係なく、俺はミラルカに感謝してるから……」

一人で『クヴァリス』の元に向かった俺を、いち早く追いかけようとしたのはミラルカだった。そう後から聞いて、申し訳ないと思うと同時に感謝していた。

「……あの時、私は……」

ミラルカは何かを言いかけて、途中で言葉を飲み込んでしまう。そして胸に手を当て、少しの間だけ俯いた。

顔を上げたとき、ミラルカは微笑んでいた。一瞬だけ見えた陰りは、もう感じられない。

「いえ、何でもないわ。勝負に負けたところで言うのも何だけれど、一つ相談したいことがあるの……良ければまた相談に乗ってくれるかしら」

「ああ、俺で良ければ。ここで話してもいいが……」

「自分で解決できるようなら、あなたの手は煩わせないわ。難しいようだったら、また魔法大学に来たときにでも協力しなさい」

ミラルカは俺に手を出させると、その手のひらの上にサイコロを置く――何気なく置いたように見えたが、二つのサイコロが一の目で揃っていた。

彼女もやろうと思えば、魔法でサイコロの目を操作できるということだ。それをせずに公正に勝負した結果、ミラルカも俺に五連敗して、ピアスと下着以外の全てを賭けてしまったわけだが――もちろん受け取れないし、勝負を白熱させるために言っていただけということにしておく。

「……あ、あの……ご主人様……」

戻ってきたベアトリスが何か言いたげにしている。魔力の供給がしたいのかと思ったが、彼女の左右色が違う瞳は、俺がテーブルに置いたサイコロに向けられていた。

「ベアトリスも勝負するか?」

「っ……は、はい、よろしければ一度だけ……いえ、賭けられる服が残っている限り何度でも……」

元々そういう勝負ではないと説明すると、ベアトリスはどこか残念そうにしていた。彼女は魔力供給のときにも垣間見えるのだが、基本的に俺を誘惑するような行為がお好みのようだ――と、無駄に達観しているのも自分でどうかと思う。

◆◇◆

順番が回ってきたので風呂に入り、存分にさっぱりさせてもらった。ベアトリスが魔力を回復させる薬湯に凝っており、湯の色が乳白色になっていたが、そういう風呂もたまには悪くないものだ。

ベアトリスには一階にある主人部屋を使うように勧められたが、彼女が普段使っている部屋なので、たまに泊まるだけの俺が使うのは気が引ける。そんなわけで、玄関ホールから階段を上がって二階に向かう。

「あ、お父さん!」

「ああ、よく来たな」

そのときちょうど玄関からスフィアとヴェルレーヌ、師匠が入ってきた。仕事が終わったということで、ヴェルレーヌも私服に着替えている――あまり目にしないので新鮮に映るが、俺のそんな反応を敏感に察して、彼女は頬を赤らめて微笑む。

「お父さん、もうお風呂に入っちゃったんだ……」

スフィアは残念そうにするが、一緒に風呂に入る歳でもない。人工精霊なので年齢はゼロ歳だが、見た目の年齢はユマと変わらないか少し下くらいだ。

「ここの広い浴場なら、皆で入ってもいいと思うのだがな。ご主人様さえ良ければ、家族で朝風呂というのも悪くはない」

「っ……あ、あの、それはちょっと大胆すぎない? 私が入るなんて言ったら、ディー君を困らせちゃうし……」

師匠がそういったこと――肌を見せるようなことを極力避けようとするのは、触れにくい理由がある。俺のトラウマというか、そういうものを刺激すると思っているのだ。

俺もいつまでも師匠に押し倒されてしまう少年というわけではないので、もう心配は必要ない。それを、ちゃんと言っておくべきだろうか。

「困るというのは、ご主人様がか? ふむ……今までは積極的にするのが年上としての流儀だと思っていたが、それが逆効果だということなら、私も清純な振る舞いを心がけるべきだろうか。浴室でも水着を着るべきか……?」

「それなら私もお父さんと入って大丈夫かな? お父さん、いつも遠慮するから……私はお父さんと一緒に入りたいのに」

「……あの、スフィアちゃん。お父さんっていうことで大丈夫? ディー君のこと、男の人として見たりしてない?」

「そんなわけないだろ、娘に何を聞いて……スフィア?」

スフィアにはよく意味がわからないのでは――というのは、さすがに考えが浅すぎた。スフィアの精神性は子供らしくもあるが、知識は大人も顔負けなほど持っているのだ。

「そ、それは……お父さんだけど、普通のお父さんとは違うから……ど、どうしたらいいのかな……?」

「リムセリット殿、このことについては保留とした方が、娘の情操教育にとって良いのではないだろうか」

「そ、それが良さそうだね……ごめんねスフィアちゃん、変なこと聞いちゃって。せっかくだから、三人でお風呂に入って来ようか」

「う、うん。お父さん、また後でね。先に寝ちゃったら駄目だよ」

「ああ、ゆっくり入ってきてくれ」

三人が連れ立って浴室に向かう。この人数でも大所帯だが、グラスゴールとシャロンが飛行戦艦にいるので、彼女たちも加わるとさらに賑やかになってしまう。

なってしまうというのも変だが、この屋敷はいっそ女子寮ということにして、俺はギルドハウスで静かに暮らすというのはどうだろう。その方が健全なのではないだろうか。

「……なんて、気にしすぎか」

独り言の趣味はないが、思わずぼやいてしまった。魔法で自制ができるといっても、この屋敷で一晩過ごすとなると何か起こりはしないだろうかと想像くらいはする。

戦艦の医術室で魔力の供給をしてもらったことを思い出す。魔力の供給という理由で、俺たちは仲間としての一線を越えてしまっているような気がしなくもない。ベアトリスに魔力を供給するのも、傍から見れば男女としての睦まじさを想像されるところだろう――眷属に魔力を供給するのは当然のことといってもだ。

今日は酒を魔法で中和していないので、身体が微妙に火照って感じる。二階の自室にはバルコニーがあるので、そこで夜風に当たってから寝るのがいいだろうか。

寝て起きればこの落ち着かない気持ちも消えていることだろう――と思ったのだが。自室のドアを開け、寝室を通ってバルコニーに出ようとしたところで、部屋の中に気配が生じた。

「ベアトリス……今日は急に来たりしてすまなかった。勝負なんてして騒がしかったか」

「いえ、そのようなことは。私はいつでも、皆様方をお待ちしておりますので」

左右色の違う瞳を細めて、ベアトリスは微笑む。エルセイン六魔公の一つ、ファリド家の血を引く令嬢らしく、その仕草は優美なものだった。

前にも見たことのある薄衣の寝間着の上にガウンを羽織っている。肌を合わせて魔力の交換をしやすくなっているその服は、こうして見るとほとんど下着に近い。

「ディック様、本当にご無事で何よりです。王都の危機というときにお力になれず、私は眷属として失格です……」

「留守を守ってくれてるだけで、日頃から感謝してる。俺の方こそ心配をかけてすまなかったな」

「……身に余るお言葉です。ディック様は、やはりお優しい……この冷たい不死の身体に、その温かさで熱が宿るようです」

冷たいということはないのだが、レイスクィーンである彼女は触れるだけで相手の生命力を吸う能力を持つ、文字通りの不死者の女王だ。その身体には本来熱がないが、生命力――つまりは生者の持つ熱を移すことはできる。

魔力と生命力は形が違うだけで、相互に変換できるものだ。しかしベアトリスは直接生命力を吸うよりは、魔力の形で分け与えられることを好んでいた。

「まだご入浴されている方がいるのに、お世話をせずに……ここにいることを、はしたないとお思いになりますか……?」

「待ちきれなかったっていうなら、我慢する方が身体に悪いからな」

「……ディック様の、そのようなときどき意地悪な言い方も、私は心より好ましく思います」

バルコニーに出ることは後にして、俺はベアトリスからガウンを受け取る。夜風に当たらなくても身体の火照りは冷ますことができるだろう――眷属に対する主人の務めを果たすことで。

◆◇◆

半刻ほど過ごしたあと、ベアトリスはそろそろスフィアたちが風呂から上がるということで部屋を辞した。

魔力を分け与えすぎたということはないが、俺は急激な眠気を感じて、早めの時間ではあるがベッドに入った。

急かされるようなことがなく、深く眠る日が続いている。そろそろ身体が鈍らないように、睡眠時間を元の短時間に戻して活動したいところだ。

夢を見るような眠りは浅く、そうではない眠りは深い。どちらの睡眠の質が良いというわけでもなく、両方が適度に必要だ。

しかし高速思考を行うことができる俺の場合は、睡眠を圧縮することができる。夢を見る時間と深い眠りを短時間にしても、長時間休んだ場合と同じ効果が得られるのである。

つまり、俺が本気で休むと一日で体感時間にして数日分の休息を取ることができる。それをしていると難点が一つあり、寝ることに集中しているので簡単に目が覚めなくなるのだ。

そしてもう一つ――もし『圧縮睡眠』の最中に起こされてしまうと、夢を見ている状態なので自分が何かしたとしても忘れてしまう。

別荘で過ごす貴重な機会に、完全回復しておきたい。みんなもゆっくり休んでいるだろうし、それで問題はない。そう思って、俺は深い眠りに落ちた。

◆◇◆

魔王討伐隊のディックを除く四人は、屋敷の客室で休んでいたが、消灯してしばらくしたあとにアイリーンがまずベッドから抜け出した。

しかし彼女が部屋から出る前に、他の三人もぱちりとベッドの中で目を開けて、そろそろと抜け出す。

「……アイリーン、どこに行こうというの? こんな夜更けに」

「あ、あたしはえーと……ちょっと夜の散歩にでも行こうと思って。みんなも行く?」

「え、ええと……その服装で外に出るのは、少し問題があるんじゃないかな」

「あっ……アイリーンさん、先程ベアトリスさんに持ってきていただいたものに着替えたのですね。私はまだ、決心がつかないのですが……」

四人は着替えを持たずにこの屋敷にやってきたので、ベアトリスが肌着を用意した。それは薄い生地でできており、ガウンを羽織らなければ少し肌の露出が多すぎるようなものだった。

「……以前ベアトリスに服の寸法を測られたけれど、こんな用意をするためだったなんてね」

「ま、まあそうだね……僕は恥ずかしかったから、いつも着ている服から寸法を出してもらったんだけど」

「ディックの服も、街の仕立て屋さんに頼んでるって言ってたけど……寸法はベアちゃんが測ってたりして」

「ディックさんの寸法を……それは、二人きりでされるのでしょうか。ああ、私も魂の形をお測りすることができたら……」

恍惚としているユマだが、彼女は用意されたものを身に着けず、素朴なネグリジェを身に着けていた。

「ユマちゃんは教会の司祭さんだから、こういうのって着るだけでも駄目なの?」

「そ、そのようなことはないのですが……私はこういったものを着るには、まだ色々と足りないのではないかと……」

ユマが自分と三人を見比べるような仕草をする。その意図に気がつくと、三人は揃って顔を赤らめた。

「ディックはそういうことはあまり気にしないように見えるけど……僕がこれを着ているところを見せたら、やっぱり驚かせてしまうかな……」

「それは色々な意味で、無理もないと思うけれど……私だって、着ることに勇気が必要なことに変わりはないわね……絶対に着なくてはいけないわけじゃないし……」

「あ、あたしたち、ディックとの勝負に負けちゃったし……こんなことでディックが喜ぶなんて思ってないけど、やっぱり男の人だし、ちょっとくらいは……って思っちゃったりなんかして。よ、夜這いとかじゃなくてね?」

「そういうことだったのですね……私などがこれを着てディックさんを訪ねて、喜んでもらえるのでしょうか。もうお休みになっていたら、わずらわせてしまうかも……」

いつもディックに鎮魂したいと訴えているユマが、いざとなると四人の中で一番遠慮している。最年少のユマのそんな姿を見て、三人は表情を和らげた。

「……アイリーンだけを行かせてあげてもいいのだけど。今から寝たふりをするわけにもいかないものね」

「ご、ごめんなさい……でも、みんな起きちゃったっていうか、もともと起きてたんじゃない? って思ったりなんかして」

「ディックのことだから、また多忙になるだろうしね……先送りにすると、いつこういう機会があるか分からない。だから、これを逃す手はないんじゃないかな」

「コーディさん……ふふっ。お気づきですか? お顔が凄く赤くなっていますよ」

「っ……ユマにはかなわないな。隠し事なんてできないね、やっぱり」

四人は笑い合い、アイリーンはベッドの上に座って、三人が着替えるまで待つ。そして着替え終えると、そろそろと部屋を出て、二階の端にあるディックの居室に向かった。

アイリーンはドアをノックしようとして手を止める。そして三人が見守る中で、静かにドアを開けて部屋の中に入った。

忍び込むという選択をしたのは、今の姿をディックに見られることにまだ覚悟ができていないからだった。彼との賭け勝負に負けたからというのは表向きの理由で、今こうしていることは自分たちが望んでいるからだというのは、言葉にする必要はなかった。

部屋の明かりは消えていて、窓が開いており、カーテンが微風に揺れている。アイリーンは足音を完全に消しているつもりでいたが、自分の呼吸すら音が大きく感じてしまうほどに緊張していた。

「……ディック……?」

寝室を覗き込んだアイリーンは、眠っているディックの寝顔を見て小さな声で囁く。寝顔を見てしまうことへの遠慮と、ディックならいつ目が覚めてもおかしくない、もう起きているかもしれないという感情が入り交じる。

「……ん……」

寝相良く眠っていたディックが、毛布の中で身じろぎをして横を向く。ちょうどアイリーンがいる方向を向いて、彼女は驚いて声を出しそうになり、自分で口を押さえた。

三人はもう、冷静になることができていない。それはアイリーンも同じだった――こちらを見て眠っているディックの口が少し開いている。唇がわずかに動くだけで、何か寝言を言っているのだろうかと、頭が全力で回転をする。

アイリーンの頬は紅潮し、瞳は甘く蕩けている。気持ちを隠しもしなくなった彼女を見て、三人もじっとしていることはできなかった。

「……ディックが起きないように……する?」

「……いいのでしょうか、こんなに気持ちよさそうに眠っているのに、お邪魔を……」

「するっていうのは……その、添い寝……ということかな」

アイリーンはコーディの指摘に、さらに顔を赤くする。耳まで赤くなって声も出さずに慌てたあと、こくこくと激しく頭を上下に振った。

「あ、あたしもこういうとき、どうすればいいかわかんないし……」

「……いつも彼が眠っている時にばかり、大胆にしているけれど。その方が、今の私たちにはちょうどいいのかもしれないわね……」

ディックが彼女たちから『治療』や『魔力の調整』を受けているとき、実は起きていることがあるというのは、まだミラルカは気づいていなかった。

そのことで焦れた気持ちになることもあるが、ミラルカは今の魔王討伐隊の関係性は、均衡が取れていると思っていた。

昔なら「ディックをあまり甘やかしてはいけない」と常日頃から言っていたのに、いつの間にかそうすることがなくなっている。

「……起きてしまったら、連帯責任だね」

コーディはそう言いながら、ディックの顔を見つめて動けなくなっているアイリーンの代わりに、そっと毛布を手に取る。

ミラルカとユマがガウンを脱いでベッドに上がる。アイリーンは自分だけ出遅れたことに慌てるが、意を決してガウンを脱ぎ、ベッドに上がる――ディックの使っているベッドは大きく、彼の頭の上からヘッドボードまでは余裕があった。

アイリーンは添い寝ではなく、膝枕をしようとしていた。しかし寝ぼけたディックが移動してくれなければ、そんなことには絶対になりえない。

――しかし横を向いたときに枕から落ちそうになっていたディックは、手探りですぐ近くに座っているアイリーンの膝に触れると、彼女が驚いて動けなくなっているうちに、膝の上に頭を乗せてしまった。

「……っ、……」

素足の膝の上に、ディックが仰向けになって頭を預けている。寝相が悪いということはないとコーディは知っているつもりだったが、時々大胆に動くことがあったことも思い返していた――誰でも寝返りは打つものだ。

「……ど、どうしよう……あたし、これじゃ動けない……」

想定外の事態で声が出せずに、アイリーンは小声で三人に助けを求める。初めに微笑み、動き出したのはユマだった。

「では……アイリーンさんが、膝枕をされているなら。私たちは……」

ユマはディックに触れてしまわないように気をつけながらそっと寝そべり、眠っている彼の横顔を見つめる。

ミラルカは今の皆の姿を見たら、ディックがどんな顔をするだろうと想像する。それだけで胸が熱くなり、どうしてこんな大胆なことができたのかと思う。

そんなミラルカが遠慮していると思ったのか、コーディが目配せをする。ミラルカは極度に緊張していることを悟られないようにしながら、ユマの反対側からディックに添い寝をしようとして――不意に動いた彼の手に引き寄せられ、腕枕の位置に収まってしまった。

「っ……ね、寝ているの……?」

「……ん……」

ミラルカが小声で問いかけるとディックはわずかに反応するが、またすぐに寝息を立て始める。

「あっ……ディックさん……」

今度はディックの左手が動いて、ユマの頭を優しく撫でている。それを見て、アイリーンは熱を帯びた瞳でディックを見つめたあと、仕方ないというように微笑み、黒い髪を優しく撫で始めた。

「……眠っていても、今日のディックは強敵みたいだね」

ユマはディックの手に身を委ねて、心地よさそうにしている。ミラルカもディックの腕から抜け出すつもりにはなれず、緊張しながらも、ディックの胸に手を乗せる。

「……コーディ、もう少ししたら交代する?」

「ううん、僕は見ているだけでも大丈夫だよ。彼の寝顔を見るのは好きだからね」

ディックが目覚めないでいてくれればという願いは、言葉にせずとも四人の中で共有されている。彼が起きるまでには部屋から出ようという暗黙の了解は、守ることはできなくなりつつあった。