軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第142話 運命の娘

『地を這う者が我が上に昇る。それは許されることではない』

無機質な言葉だが、絶対的に人間を、『地を這う者』を小さな存在として見ている。師匠の言う通りだ――俺達と戦ってなお、クヴァリスの認識は変わっていない。

だが俺たちが、容易に排除できる存在に過ぎないというのなら。

「人間を甘く見るなよ……!」

放たれる滅びの 息(ブレス) ――視認した瞬間に全てを破壊するその力。

しかしそれは、俺が空中で動くことができなければの話だ。

―― 転移瞬足(ワープブースト) ・ 残影空歩(エリアルシャドウ) ――

加速による擬似空間転移――それは今までなら、一度ずつ使うやり方しかできず、方向転換などてきなかった。

しかし『並列思考』を働かせながらの場合、連続で転移を発動することができる。加速と摩擦熱の軽減、速度の減殺、身体への負荷の軽減。その全てを並行して行うことができれば、魔力が尽きない限りは連続で転移し続けられることになる。

俺がいた場所に向けて放たれたブレスは、空に向けて空打ちされる――月を穿ちかねないようなその威力も、当たりさえしなければ意味はない。

「――ガァアァァァッ!!!」

三頭竜が咆哮する。頭の一つが俺を視認して腕を繰り出すが、通常なら避けきれないその攻撃も、転移による加速なら見てから避けることができる。

空を裂く尻尾が、伸縮する首による目にも留まらぬ噛みつきが、翼による打撃が――次々と繰り出される攻撃を回避し続け、もう一度ブレスを吐こうとした瞬間に、俺は反撃に転じる。

それは三頭竜には、残った残像の全てが攻撃してくるように見えただろう――それはそうだ。俺はアイリーンの『修羅残影』を発展させ、魔力によって時間差で質量を持つ分身を生み出したのだから。

――修羅残影剣・八連瞬烈――

「――ガァァァアァッ……ォ……ォォ……」

(効いた……だが、まだ……っ!)

『――敵対者と認識。神級兵装を解放、付近の敵対者を全て抹殺する』

決定的な一撃を狙い、コーディの光剣を借りようとした瞬間だった――脳裏に響いた声に、俺は凶兆を覚える。

この感覚を、前にも一度味わった。霊装竜が放った、周囲の全てを薙ぎ払う攻撃――接近された場合に、無差別に反撃する手段。

「「「――ゴォォォァァァァアァッ!!」」」

三頭竜の三つ首全てが咆哮する――その巨体を覆うように発生したのは、ブレスと同質の全てを破壊する力だった。

触れるだけで俺は消え去る。分かっていたのに、俺はこのまま詰めまで持っていけると、勝機を見出したのだと思ってしまった。

『地を這う者は、我に抗うことはできない。約束された滅びの天柱に消えよ』

――『 天地神滅柱(ジャッジメント・バベル) 』――

三頭竜の遥か眼下の大地から天までを、滅びの力が貫く――まるで、神の下した罰のように。

全ての音が聞こえなくなる。視界は白の一緒に染まり、俺の意識は薄れ――消える。

俺はいつしか、花畑の中に立っていた。

この風景は覚えている。師匠と一緒に、『蛇』を倒したあとに訪れた。

在りし日のディアーヌと師匠が、共に過ごしただろう場所。遺跡迷宮の深層にして、浮遊島の民が暮らしていた場所の一部。

俺だけしかいない。静かで、風は流れていて、全ての色が褪せて、薄れている。

――俺以外の誰かの気配が、不意に生じる。

「……そこに誰かいるのか?」

問いかけても返事はない。

それでも、分かるような気がした。俺は何を見ているのか、誰によってこの風景を見せられているのか。

『これから始まることを、あなたは呪うかもしれない。絶望することも、あるかもしれない』

「……絶望……」

それはもう、俺が死んでしまったことを示しているのか。

死んだあとの世界のことを、考えたことはあった。しかしこれほど鮮明に、俺が俺としての自我を残したままでいられるものなのか。

分からない――しかし、このまま死んでしまっていいという諦念は、俺を満たしてはいない。

『……けれど、覚えていてほしい。私が……あなたに名前を貰った私の半身が、失われるわけではない。私と彼女は、違うものなのだから』

「何を……言ってる……?」

『私はもう、同じことを繰り返したくはない。後悔という気持ちを知って流れていく長い時間は、もう、二度と……』

眼前の世界が遠のく。聞きたいことを何も聞けないままで――突き放されるかのように。

「――ッ!!」

眼の前にある光景――それは、三頭竜にバニングが体当たりをして、せめぎ合っている姿だった。

生きている。身体の感覚が全て蘇る――俺はいつの間にか、光の装甲のようなものを身に付けていた。

「 鎧精(リーヴァ) ……!」

『――防ぎきれるかどうかは、賭けだった。しかし命中する前に、敵の攻撃の性質を見極めることができた。相殺するために必要な魔力を考えれば、二度は難しい』

「――ガァァァアアアアッ!!」

バニングが弾き飛ばされ、落下していく――だがそれでも闘志を失わず、『閃火の息』で反撃し、三頭竜が下方向に防壁を展開する。

あれほどの攻撃を放った直後では、三頭竜といえど、限定した方向しか防御することができないのだ。

バニングが命を賭けて作ってくれた好機を、決して逃しはしない。それは、仲間たちも同じだった――師匠が黒竜を擬似転移で加速させて、三頭竜に迫る。

ユマの歌が響き、竜翼兵たちの動きが鈍る。ミラルカの陣魔法が展開し、三頭竜の表面装甲を破壊する――コーディは光弾で三頭竜を射抜き、俺に光剣を託してくれる。

「――行くよ、ディック! はぁぁぁぁあっ!」

アイリーンが飛ぶ――赤い鬼神の闘気に覆われた彼女と交錯するようにして、俺たちはコーディの作ってくれた三頭竜の首元の傷を狙う。

「来い、ラグナ……うぉぉぉぉぉっ!」

――零式・鬼神紅天脚・光刃一閃――

蹴りと共に放たれた鬼神の闘気と、実体化したラグナの力を込めた斬撃が、夜空に十字を描く。

空気が断ち割られ、三頭竜の首が、斬撃と共に撃ち込まれたミラルカの破壊魔法で弾け飛ぶ――ブレスを吐く首によって統率されていた三頭竜が、動きを止める。

旋回して戻ってきたバニングの上に、俺はアイリーンと共に降り立つ。そして、空中で動きを停止した三頭竜を見る。

「――ディー君、だめっ! まだ……っ!」

「っ……な、なに……っ、あれ……ディック……ッ」

アイリーンが恐れている――俺も同じように、何が起きているのかを理解できずに、ただ見ていることしかできない。

三頭竜が、再びブレスと同質の力に包まれている。俺に対して反撃した時と違い、球状の結界のように展開され、外界からの干渉を遮断している。

『――ディック、クヴァリスの速度が上がっている! フレイが感知してこちらに伝えてきた……このままでは、クヴァリスが王都に墜ちる……!』

『っ……そんなこと……絶対に、させない……っ!』

シェリーとヴェルレーヌが魔晶圧縮砲を放ち、三頭竜に撃ち込む――しかし命中することなくかき消されてしまう。

竜翼兵たちが次々に力を失い、落下していく。三頭竜からの命令が途絶え、行動理由を無くした――もしくは、三頭竜に切り捨てられたのか。

「止めなきゃ……ディック、あの島を止めなきゃ、みんながっ……!」

アイリーンにもヴェルレーヌたちの声は聞こえている。ミラルカたちが三頭竜に攻撃を仕掛けるが、内部に全く届かせることができない。

『……ベルサリス……完全に、破壊する……クヴァリスのみが、唯一の……』

「――ふざけるなっ!」

「ディック……ッ!」

あらゆる手を尽くして止める――クヴァリスに指令を与え、動かしている三頭竜さえ止めることができれば。

しかしコーディから借り受けた光剣も、繰り出した技も、三頭竜に致命的な打撃を与えることができない。全て減殺されて、かき消される――。

王都にいる皆の姿が頭を過ぎる。ギルドの仲間たち、他のギルドの面々、ベアトリス、馴染みの店の店主、町ですれ違う人々、ティミス、マナリナ、クラウス王――。

「――どうしてそこまでして、ベルサリスを壊したいの!? 二千年前に私たちを滅ぼしても、まだ足りないの……っ、どうしてっ……!?」

師匠が声を絞って叫んでいる。ミラルカも、ユマも、コーディも――俺は絶え間なく攻撃を続け、それでも微塵も状況を変えられない。

必ず止められるはずだ――そう思うことすら、驕りでしかなかったのか。クヴァリスが来ると分かったときに、全員で逃げるしかなかったのか。

自分が住む場所を失いたくない、誰もがそう思っている。それでも、クヴァリスを一つの天災のようなものだと諦めるしかなかったのか。

「――いやぁぁぁっ! だめっ、だめぇっ! 私たちの大切なっ……大切な場所なの……お願い、やめてっ、お願いだからっ……!!」

アイリーンが悲痛な声を上げる。どうすることもできない現実を前にして、俺たちはあまりにも無力だった。

どんな苦難でも乗り越えられる。俺たちなら何にでも勝てる――そう思っていた。

神のごとき存在すら超えて、この地上に敵はない。そんな俺たちを奈落に突き落とすように、三頭竜はクヴァリスもろともベルサリスを――その上にある王都アルヴィナスを滅ぼそうとしている。

だが、俺はまだ手を尽くしてはいない。

――魂から生み出される魔力を引き出せば。三頭竜さえ、倒すことができれば。

俺の命に代えても止めてみせる。そう決めていたはずだ、ギルドハウスを出るあの瞬間から。

『――お父さん、大丈夫だよ。私が守るから』

覚悟したそのとき、声が聞こえた。

シェリーは言っていた――スフィアも待っていると。

飛行戦艦の中に同乗している。あるいは、王都で待っているものだと思っていた。

そのスフィアが、いつの間にか、三頭竜の前にいた。

「――スフィアッ!」

叫んでも、スフィアはこちらを向かない。彼女より遥かに大きな三頭竜の前にいて、逃げようともしない。

「スフィア、だめっ! 戻りなさい、スフィア!」

「スフィアさん、いけませんっ……スフィアさん、私の声を聞いてください……っ!」

ミラルカとユマの声に、スフィアが微笑んだように見えた。

その頬に涙が伝う――怖くないはずがない、だから泣いている。

それなら戻ってくればいい。スフィアはそんなことはしなくていい。

『ううん……私は、皆を守りたいから。そのために生まれたんだって、今は分かるから』

「違うっ……! スフィアはそんなことのために生まれたんじゃない……俺たちがお前を守る、それが俺たちの役目だっ!」

何をしてでも止める。スフィアが拒んでも――全員が、同じ想いだった。

スフィアがいるところに向かう。少しでも早く、彼女を止めなければならない。

止めなければ、大事なものを失ってしまう。そうすれば、俺達は二度と――。

「――スフィアがいなければ、俺たちは俺たちじゃない……だから……っ!」

空中を駆ける。もう少しでスフィアに手が届く――しかし、その瞬間に。

銀色と、八人分の面影を持つ俺たちの娘は、泣きながら微笑み、そして言った。

『――ありがとう。お父さんのことが、大好き』

連続する意識が、強制的に途絶える。

一瞬の欠落の後に、俺は――一度着陸した、古い砦のあとに立っていた。

バニングも、アイリーンも、そして師匠たちも。

強制転移――俺も、師匠でも可能ではないことを、スフィアが行った。

空を、見上げた。見たくはないと恐れながら。

――空にいたはずの、三頭竜。そして、スフィアの姿が、どこにも失われていた。

残っているのは、確かに彼女がそこにいたという証。彼女に受け継がれた、俺達の魔力の残滓が、認めたくなくてもその事実を示していた。

「……嘘だ……」

魂を魔力に変換する。それは俺が、試みようとしたこと。

命を捧げることで生み出される莫大な魔力で、スフィアは俺たちが触れることさえできなかった三頭竜を消し去った。

――俺が死ぬならばそれで良かった。しかし俺は生きていて、スフィアがいない。

「嘘だ……そんなことは……」

認められなかった。認めたくはなかった。

悪い夢だと言ってほしかった。目が覚めればスフィアが隣に眠っていて、いつものように俺の話を聞きたいと言って、困らせてくれる。

しかし夢は覚めない。割れるような胸の痛みも、消えてはくれない。

「もう少しで勝てた……誰も失わずに、俺たちは……っ、なあ、嘘だよな……みんな……」

誰も答えてはくれなかった。ミラルカは自分の身体を抱くようにして、アイリーンはユマに取りすがって泣きじゃくり、コーディは俺と目を合わせてはくれない。

師匠は空を見上げている。そして、何も言わないままで一筋の涙を流す。

「ヴェルレーヌ……シェリー……スフィアはどこにいるんだ? なあ、教えてくれよ……スフィアはきっとどこかで迷ってるんだ。早く教えてくれ……教えてくれよ……っ!」

『……スフィアの姿は……消えた。この空の、どこにもいない』

『ディック……ごめんなさい。私たちが、スフィアをちゃんと見ていれば良かった……スフィアがどこにも行かないように、手を繋いでたら……っ』

ヴェルレーヌとシェリーが泣いていた。しゃくりあげるような泣き声が聞こえてきて、俺はそれ以上の言葉を無くす。

『……敵の姿が消えて、クヴァリスは減速し、進行方向が変化した。アルベインの国外に向かっている』

それを聞いても、何も喜ぶことはできなかった。

守ることができなかった。決して失いたくなかった大切なものを、失った。

「……スフィア」

――お父さんと、お母さんたちのところに来られて良かった。いつもそう思ってる。

――私だって、お父さんを心配してるよ。だって私は、お父さんの娘だもん。似たもの同士なんだよ。

「スフィア……ッ」

夜の散歩に出かけたとき、すでにスフィアは予感していたのか。だから、あんなことを言ったのか――。

聞こえなかったはずの声が、今さらになって脳裏に蘇ってくる。

本当は、聞こえなかったのではない。俺はスフィアがそんなことを言ったとは、思いたくなかっただけだ。

思いたくなくて、目をそらした。スフィアの決意から、目を背けた。

――ずっと、ここにいたかった。

「うぁぁぁぁぁぁぁっ……!」

俺は、何の覚悟もしていなかった。

この手で全てを守れると思った。握り締めた拳から落ちる砂粒さえ、戻らないことも知らずに。