軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第139話 月下の親子と静かな流星

シェリーとロッテ、そしてカスミさんはスフィアと午後のお茶と軽食をともにしたあと、近いうちにまた来ると言って帰っていった。

酒場の夜の部が始まり、俺はいつものごとくカウンターの隅で酒を飲んでいたが、ふと席を立ったとき、スフィアが裏口のドアを開けて、出ていこうとするところを見かけた。

「スフィア、どうした?」

呼び止めると、スフィアは振り返る――開いた扉から差し込む月明かりを浴びて、その立ち姿が、いつもよりも大人びて見える。

「一人で外に行くって行ったら、お父さんは怒る?」

「いや、怒らないが。昼も外に出てたようだったし……だが、外はもう暗いからな。スフィアが強いのは分かってるが、それでも心配はする」

「……お父さんも一緒に行きたい?」

そう尋ねてくるスフィアの表情は、やはり師匠によく似ていた。他の皆は、こんなふうに俺を試すような聞き方はしない。

「なんて……本当は私の方がお父さんといたいのに、そんなこと言ってごめんね」

そう言って笑う姿に、アイリーンの面影が重なる。俺はスフィアの言葉に右往左往しすぎだ、と反省しつつも、娘に翻弄される父親で何が悪いとも思う。

スフィアは俺たちの中心にいる。彼女が中心になって回り始めて、色々なことが変わった――俺が今まで見えていなかったこと、知らなかったことを、スフィアが教えてくれている。そうして、俺の娘として振る舞っているだけで。

「お父さんと一緒に、外を歩きたいな。お月様が、綺麗だから」

「ああ、分かった。少し外を見てくるか……夜の町歩きも、たまには悪くない」

俺はスフィアに続いて店の裏に出る。しばらく歩いたところで、スフィアが俺の様子をうかがってくる――手を差し出すと、ぱっと笑顔になって握り返してくる。

十二番通りの風景自体は、俺がギルドマスターになってからも大きく変わったわけではない。しかし昔はガラの悪い連中をいくらでも見たが、今は見ない――夜間の 警邏(けいら) をする自治組織ができて、『銀の水瓶亭』と連携して治安の維持に努めている。

十一番通りに出て、俺は最寄りの公園にやってきた。全ての通りに公園はあるが、十二番通りのものは小さく、市民の憩いの場というには心もとない。十一番通りも大きく変わるわけではないが、ここには水路が流れていて、その上を通る小さな石橋が名所となっている。

「わあ……お魚さんが泳いでる」

「もっと景色のいいところもあるが、結構歩くからな。ひとっ飛び、連れて行こうか」

「ううん、ここがいい。お父さんと一緒に歩けるなら、どこでも……」

スフィアはそう言いかけて、俺の顔を見て――どうしてか、目を逸らしてしまった。

「……何か、一人で悩んでたりはしないか?」

尋ねても、スフィアはしばらく答えない。何を思ったのか、彼女は軽やかに飛び上がると、石橋の欄干の上に立つ。

そうすると、俺はスフィアを見上げるほかはない。夜空を背にしたスフィアは、笑っていた――ふと表情が陰ったように見えたのは、気のせいだったと思えるほどに。

「お父さんが好きなこの街が、私も大好き。どこに行っても楽しくて、お母さんたちは優しくて、みんな元気で、笑ってる」

「……スフィアも、この街が気に入ったのか。俺も、いい街だと思ってる。人が集まる場所っていうのは、常に問題が起きるものなんだけどな」

俺は空を見上げる――遠く浮かんだ月、深い暗紫に塗られた空に、幾つもの星が瞬く。スフィアも同じように空を見上げた。

スフィアの名前の由来ともなった月。彼女の首の後ろにある精霊章――俺は精霊魔法が専門でないので知識としては詳しくないが、『月』が意味するものがただならぬものであるというのは分かる。

月は絶大な力を持ち、地上を見守る女神の化身だという、おとぎ話のような言い伝えがある。その言い伝えとスフィアに直接関係があるとは思わないが、スフィアの持つ力の大きさと精霊章の形には、密接な関係があるだろう。

「お父さんは、色んなことがあっても、ずっとこの街が好きでいたんだね」

「……そうだな。ここで俺は、仲間たちと会った。ミラルカと、アイリーンと、ユマ……コーディ。四人は今もここにいて、暮らしてる。だったら、好きにならないわけがないだろ」

言ってしまってから、俺は思った。何を恥ずかしいことを、娘に真顔で言っているのかと。

しかし、スフィアに対しては、遠回しな言葉で誤魔化すべきではないとも思う。きっと曖昧に濁した部分まで汲み取って、スフィアはそれ以上を聞かないのだろうから。

――と、そんなふうに娘の優しさに全幅の信頼を寄せていると、足元をあっさりと掬われることになる。

「お父さんが言ってる『好き』は、お母さんたちに対しての『好き』とは違うの?」

「……そう来たか。それは、違うって言わなきゃならないな」

「良かった。同じだったら、お母さんたちが悲しくなっちゃうから……お父さんのこと、お母さんたちはみんな大好きだから」

ミラルカがここにいたら、慌ててスフィアを止めるだろう。俺が代わりに、そうするべきだと思いもする。

「そうやってお母さんの気持ちを代わりに言うのは、本当は駄目なことなんだよね」

「……駄目じゃない。俺も嬉しいと思ってはいるんだ。でも、誰かを異性として見たら、それは今までと同じじゃなくなる」

「お母さんたちも、同じ気持ちだと思う。でも、お父さんと仲良くしたいと思ってるから。ちょっとだけ気づいてくれるようになったけど、これからはもっと気づいてあげてね」

「ああ。そうしたいと思ってる……すまないな、そういうことを言わせて」

スフィアは微笑む――その笑顔を見ると、どちらが子供扱いなのかと思ってしまう。

「うん、いい子。お父さんは、みんなを幸せにできるから。それはお父さんにしか、できないから……」

それを、驕りだと思うこともある。俺が人を幸せにできるだとか、そんなことを考える自体が――。

一人で森を彷徨っていた。悪魔の子と呼ばれて、誰にも理解されないで、魔獣ならば理解してくれると期待して――師匠に、拾われた。

「……夢を見てるみたいなんだ、本当は。俺を必要としてくれる人たちがいて、皆がいて。スフィアが来てくれて……全部、あまりにもよくできすぎていて」

「それは、お父さんが頑張ったからだよ。お父さんがこれまで頑張ってきた全部が、今につながってるんだよ」

――その言葉を、どれほど。

多くを望みすぎてはいけないと思った。魔王討伐を終えて、隠棲して、そのまま静かに閉じていく。俺が生まれた国に、多少なりと恩返しをできればいいと思っていた。

しかし俺はまだ、今も歩いている。皆がいてくれて、開いた世界に繋がっている。

「お父さんと、お母さんたちのところに来られて良かった。いつもそう思ってる」

「……俺もそう思うよ。しかし、スフィア……あまりそういうことばかり言ってると、お父さんも心配になるぞ」

「……私だって、お父さんを心配してるよ。だって私は、お父さんの娘だもん。似たもの同士なんだよ」

少しずつ大人になってくれればいいと、そう願っていた。だが、もう追いつかれてしまっているのかもしれない。

スフィアはふわりと欄干から降りる。実体化を薄くすると、質量が軽くなり――俺に抱きついたところで、その重みが戻る。

「……ずっと、ここに……」

小さな声は、最後までは聞こえなかった。俺はスフィアの背中をあやすように叩いて、しばらく抱きかかえたままでいた。

やがてスフィアを下ろすと、俺を見上げた彼女の顔が徐々に赤くなっていく。今さら恥ずかしくなってきてしまったとか、そういうことだろうか。

「……もう少し散歩したら、家に帰るか」

「お父さん、さっきひとっ飛びって言ってたけど、どんなふうにするの?」

「ん? ご希望なら、これからでもやってみるか。『軽量化』の魔法をかけて、人様に迷惑をかけないように、屋根の上を飛んで移動するんだ」

「わぁ……楽しそう。お父さん、私も一緒にできる?」

スフィアに頼まれれば、断る理由はない。俺は彼女を抱き上げる――そして、魔法を制御して一気に高く飛び、近くで一番高い建物の屋根に上がった。

「……上から見ると、もっと綺麗……明かりがまだいっぱいついてる。お城の明かりも……マナリナお姉さんやティミスお姉さんも、まだ起きてるのかな?」

「起きてるかもな。王宮だと就寝時間は決まってるみたいだが……」

「お父さんが急に来たら、びっくりするかな?」

「い、いや……王宮に怪盗でも忍び込んで、お姫様をさらいに来たのかと思われでもしたら、少々面倒なことになるな」

「……お父さんだったら、二人ともさらってほしいんじゃないかな?」

それを実行に移すことはないが、我が娘ながら、大胆なことを考えるものだ。

俺は建物の屋根を渡り、王都を縦断していく。月を背にして飛びながら、スフィアはずっと、目に映るもの全てに感激して歓声を上げていた。

◆◇◆

スフィアを師匠とヴェルレーヌに預け、俺は自室でずっと起きていた。

頭の中に残っているのは、サクヤさんからの念話だった。その声には、サクヤさんの感情が反映されている――それは、迷い。

『東方諸島付近を通り過ぎた黒い雲の塊が、再びアルベイン東部海岸より東の方向に姿を現したとのことです』

『その進路上には地図に載っている集落などはなく、東部海岸北部の山脈上空を通過し、沼の広がる地帯を進行すると予測され――』

『――アルヴィナスに接近するまで、あと一日と目されます』

俺がサクヤさんに厳命したことは、他の誰にも何も伝えるなということだった。

グラスゴールに頼み、俺は飛行戦艦に集積されていた情報から、クヴァリスの戦力について調べてもらうように頼んだ。

事前にできていれば、すでに調査を済ませているはずだ。つまり、あの戦艦にはクヴァリスの情報は残されていない――その予測は幸運にもと言えるのか、外れていた。

飛行戦艦は浮上したのちに、一部休眠していた部分を目覚めさせた。その部分に残されていたものこそが、クヴァリスについての断片的な記録だった。

クヴァリスの搭載している竜と人の融合したような魔物――『 竜翼兵(ドラグロス) 』は、一体ごとに戦闘評価にして八万五千、SSランクに相当する力を持つ。

それが、二百体。記録の誤りではなく、ベルサリスは竜翼兵二百五十体のうち、たった五十体しか落とすことができなかった。浮遊島の民を守るために結界を発動した『蛇』は、その消耗により休眠に追い込まれた。『蛇』の犠牲によって、浮遊島の民は竜翼兵の追撃から逃れたのだ。

SSランクが六体で完全な連携を果たせば、SSSランクに対抗することができる。SSランクとはいえ、竜翼兵が本当に二百体いて、出撃できる状態にあるとしたら――俺の仲間たちですら、その猛攻を防ぐことは難しい。

初めから、分かっていたことだ。

本当は分かっていた――飛行戦艦で見た幻燈晶。映し出されたクヴァリスの映像の中で、飛び回る竜翼兵を見た時には。

俺はベッドを降り、着慣れた戦闘用の黒い 外套(コート) に袖を通し、無銘の剣を手に取る。

敵は竜翼兵だけではない。あの『蛇』と同格か、それ以上の存在が、クヴァリスに居るとしたら。

一度は敗れた『蛇』を超える相手と戦えるのは――皆の力を分けてもらい、『蛇』をこの手で斬った俺しかいない。

明日は王都に戻ってきて六日目。俺たちがもう一度全員で集まる約束をしたのは、七日目。

『六日目』で終わらせてしまえば。俺が全てを終わらせて帰ってくれば。

王都の人々も、仲間たちも、何も知らないままで、ようやく本当に日常に戻ることができる。誰も、危険に近づけることなく。

――「『53万6664』。それが、 霊装竜(レギオンドラゴン) の 核(コア) を使い、魔王討伐隊の4名、蛇の分霊を宿したシェリー、師匠殿、そして私の魔力を集約したご主人様の冒険者強度だ」

ヴェルレーヌの言葉は、初めは現実味がなかった。冒険者強度十万を超えてからも徐々に上がり続けたが、二十万なんて数字すら、生涯をかけても辿り着けないと思っていた。

しかし一度限界を超えると、違う世界が見えた。行き止まりだった扉が開き、その先を歩き始めて理解した――『53万』という数値は一瞬だけ叩き出せたものでもあったが、一度きりしか到達できない領域ではない。

霊装竜(レギオンドラゴン) の 核(コア) の力は一度引き出したあと、俺の中に親和し、溶け込んだ――七人の力を分けてもらったまま、俺は再度の『魔力調整』を受けたことで、もう一度『53万』の世界を見ることができている。

一瞬だけならば、肉体の負担は限界を超えない。全力で戦えるのは、あらゆる手を尽くしてもごく短い時間だけだ。たった数秒ということもありうるだろう。

だが、全力を出して肉体が持たないのならば――『53万』という理論的な最高値より、ずっと下ならば、何の問題もない。

SSSランク一人の力では、クヴァリスは止められない。ならば、俺一人であっても、『一人』でなければいい――矛盾しているようだが、それだけのことだ。

これから起きることは、誰にも知られてはならない。影の薄さから付けられただけの名前――『忘却』が、今の俺にとっては満たすべき条件となっている。

(皆が俺を強くしてくれた。その力を、使うべきところで使う。だが皆は、俺がそんなことを考えていると知ったら止めるだろう)

初めに思い描いていた理想。子供じみていて、しかし俺の中では、それが何よりも正しいあり方だった。

酒場で飲んだくれている男。そいつはいつも酒を過ごしてぼんやりしているが、その実は、依頼者の言うことに耳を傾けていて、問題を解決するために裏方として尽力する。

俺は今でもそうありたいと思っている。だから何事も無かったようにこの酒場に帰って、ヴェルレーヌに酒を頼み、冷たいエールを喉に流し込む。

―― 絶対(アブソリュート) ・ 隠密(ハイディング) ――

この王都から、俺の存在を消し去る。正確には、俺がここにいると誤認する状態にしたまま、ギルドハウスを離れる。

一人で仕事をするのは久しぶりだ。音もなく窓から飛び、加速魔法で超高度まで到達すると、飛んできたバニングの背に降り立つ。

「……付き合わせて悪いな、バニング。今回の敵は手強い。決して無理はするなよ」

バニングはクルル、と小さく喉を鳴らすのみで答える。俺はその首元を撫でて、東の空へと飛んでいく――加速によって赤熱した閃火竜の鱗は、夜空の中で流星のような軌跡を残した。