作品タイトル不明
第138話 可憐なる教授と師の憂い
さらに一日が過ぎる。これで、王都に戻ってから五日目――七日目に、皆でもう一度集まることになっている。
ミラルカは教授として魔法大学で授業を受け持っているが、魔王討伐隊としての立場もあり、彼女の講義は特別講義という扱いになっている。俺は学生としてマナリナと一緒に、『攻撃魔法から破壊魔法への発展 ~物質分解を基礎から学ぶ~』というテーマの授業を受けた。
ミラルカの陣魔法は、他の魔法使いに真似ができるものではないが、基礎的な攻撃魔法の延長線上にあるものだ。理論的には攻撃魔法を極めた先に破壊魔法がある。
しかし天才は、常人とは発想が全く異なる――上位互換の魔法が存在するなら、基礎魔法を使う必要がなく、戦闘において選択することはない。それがミラルカの理論であり、美学である。
「発火の魔法は基礎中の基礎であり、魔法の適性があるかどうかを確かめるためにも適しています。それを発展させることで――例えば、発火の魔法は周囲の気体を燃焼させる、あるいは魔力で炎を大きくするという『現象』を誘導することで『 火球(ファイアボール) 』あるいは『 火柱(バーンライズ) 』などの応用魔法に発展します。ここで注目すべきことは、魔法の『破壊力』が上がっているということです。燃焼などの現象を取り除き、『破壊力』のみを取り出して現象変換したとき、攻撃魔法は破壊魔法へと発展するのです」
俺にはミラルカの言っていることが全て分かるのだが、気合いを入れて出席した学生たちは、ついていけずに十五分ほどで半数ほどが寝ているという事態になってしまった。
マナリナもノートをしっかり取っているが、時折うつらうつらとしている。ミラルカはそれでも講義を進めているが、質問を求めても誰も手を挙げず、講義室の生徒たちはただ人気教授のミラルカをひと目見に来ただけという状態になってしまった。
いくらミラルカが精神的に強いといっても、この状況は堪えるだろう。彼女は俺の方を見ようとはしない――格好悪いところは見せたくなかった、そう思っているのだろうか。
「……少し、時間が早いですが。次回は、別の内容の講義を行います。それでは、今日の授業は……」
「ミラルカ先生。一点、質問させてもらってもいいですか」
いつもの黒い外套は着ておらず、俺は一般学生に溶け込めるように制服を着ている。挙手すると、隣に座っているマナリナが驚くのが分かった。
「……デューク・ソルバー君。質問というのは?」
「老朽化した建設物、古戦場の砦跡などを破壊して更地にするためにも、ミラルカ先生は破壊魔法を使われているということですが。この際に、精霊魔法や古代語魔法よりも、破壊魔法が有効であるというのは、どういった理由になるんでしょうか」
ミラルカは教授として仕事をしている時だけは、伊達眼鏡をしている――まだ16歳の彼女は生徒の方が年上という場合もあるため、威厳を出すために努力をしているのだ。
眼鏡の奥の瞳が、見る間に輝きを取り戻す。彼女は手袋をした手で白墨を持つと、黒板に俺の質問内容を端的に書き記した。
「良い質問ですね。精霊魔法は、使用後に周囲の天候などに影響を与えることがあります。老朽化した建設物を水の魔法で押し流すなどした場合は、周辺地域での降雨が増え、地盤が柔らかくなってしまうなどの問題があります。風の魔法で建物を風化させようとすると、周辺の環境によっては砂漠化する可能性が出てきます。強力な精霊魔法を使う際は、反属性によって中和することが推奨されます。破壊魔法にはそういった問題点はありません。もちろん天候に影響を与える破壊魔法もありますが、それは用途が異なっています」
精霊魔法を専攻している生徒には琴線に触れる内容だったのか、寝ていた生徒の何人かが目を覚ます。ミラルカは眼鏡をちゃっと整えて、俺を見やる――どやぁ、という顔をしているが、俺は思わず笑ってしまいそうになるのを堪え、礼を言って着席する。
「ディック……いえ、デューク様。ミラルカもそうですが、眼鏡がよく似合いですね」
「それに突っ込むのか……学生らしく偽装するためってだけなんだがな」
「ミラルカも、とても喜んでいると思います。デューク様が来てくれて良かったと」
マナリナは髪をかきあげながら、はにかみつつ言う――魔法大学の生徒たちの憧憬を集める女子生徒の一人である彼女は、その美貌を際立たせる笑顔で俺を見る。
「……それは何よりだ。差し入れを持ってくるだけのつもりだったんだがな」
「講義に一緒に出てくれて、ありがとうございます。わ、 私(わたくし) も……デューク様と一緒に学生になれたようで、とても嬉しく思っています」
ミラルカは精霊魔法、古代語魔法の攻撃魔法を研究している生徒から、次々と質問を受け始める。中には初歩中の初歩という質問もあったが、ミラルカはその全てに丁寧に答え、生徒たちが納得するような説明をしていた。
俺とマナリナは着席したまま、ミラルカの教授ぶりを見守る。講義室の外には、ミラルカの授業を一目見ようとして、定員から溢れてしまった生徒も集まっていた。
◆◇◆
魔法大学から帰る途中で、俺はレオニードさんと孫娘のティオに出会った。俺が魔法大学に行っているとヴェルレーヌから聞いて、わざわざ足を向けてくれたらしい。
「よう、ディック。また大きくなったようじゃねえか」
「そうですかね……全力で戦うと、身長が多少変動することはあるみたいですが」
「そんなに伸び縮みするほど激しい戦いをしてんのか。相変わらずだな、お前さんは」
レオニードさんは快活に笑う――その後ろに隠れていたティオが、おずおずと俺の前に出てきて頭を下げる。
「……マスター様……おひさしぶりです……お元気そうで、良かったです……」
「お、多少は慣れてきたみてえだな。うちのギルドでは困ったことにほとんど喋らねえんだが、やっぱりディックは一味違うな。がっはっはっ」
「レオニードさん、俺はまだ特に何も……」
「おじいちゃんから、マスター様のお話はたくさんうかがっています……それで……あ、あの……」
ティオは指を突き合わせて、前髪で目が隠れていてもはっきり分かるほどに頬を赤くしている。
これはまずいのでは――と思うものの、ティオの言葉を遮るわけにもいかない。
「……マスター様の、『銀の水瓶亭』に……研修生として、雇っていただけたら……が、頑張りますので……」
「おおっ……言えたじゃねえか。将来はうちのギルドの幹部にと期待しちゃいるんだが、なにしろこの引っ込み思案を何とかしなくちゃいけねえ。そこで、お前さんに白羽の矢が立ったっていうわけだ」
「そう言われてもですね……俺にも、他所様の子を預かるには心構えが必要というか」
「何言ってやんでえ、王都でも最強の甲斐性を持つ男がよ……いや、怖い顔するんじゃねえよ、別に言いふらしちゃいねえよ。俺の中でアルベイン最高の伊達男は、まずお前さんだろうと思っていてだな……」
「な、何を言ってるんですか。そんな意味で有名になったら、俺はちょっとレオニードさんとの付き合いを考え直しますよ」
こんな調子のいいことを言われて踊らされる俺ではないのだが、レオニードさんは結構常日頃からこの調子なので、本気か冗談か分からなかったりする。
「いやいや、冗談だ。怒るなよディック、会えて嬉しいって気持ちの表れと思って大目に見てくれや」
「……おじいちゃん、ちゃんとお願いしなきゃ、マスター様に断られちゃう……」
「そうだそうだ、可愛い孫娘のためだ、俺もこうして頭を下げる。しばらく銀の水瓶亭で、ティオを働かせてやってくれ」
――ティオが俺のギルドに入っても、しばらく直接指導をすることはできない。
だからといって、断るという選択はない。ティオが有望な冒険者であるなら、希望する先で研修できるようにするのが、王都のギルドマスターの務めだ――と、固いことを言うのも俺らしくないか。
「分かりました。準備ができたら、ティオを俺のギルドの宿舎で受け入れます」
「おう、そうだな。家からの通いもできるが、うちのある街区から通うには時間がかかる。まあ、週に何度かはうちに顔を出してくれると有り難いもんだが……」
「……分かった。おじいちゃん、ありがとう。私、頑張るから」
ティオがこちらにやってくる――レオニードさんの娘さんを母親に持つ彼女だが、レオニードさんにはそれほど似ていない。片側で一つに束ねた髪と、顔を隠すような長い前髪が特徴的な少女だ。
「……ティオ・バランシュです。得意な武器は、双剣……です。よろしくお願いします」
双剣使い――うちのギルドで、双剣を専門に使う人は他にいないが、俺が場合によって二本同時に剣を使うことはある。ライアも昔は双剣使いだったそうなので、指導を頼めるかもしれない。
冒険者強度は、この年齢では群を抜いて高いと見てとれる。簡単に後輩に追い抜かれないようにと、うちのギルド員たちにも刺激を与えて欲しいところだ。
◆◇◆
ギルドハウスに戻ったあと、夜営業が始まるまで時間があるので、俺は二階に上がって執務部屋にこもった。
ゼクトに二つの部門を任せている状態では、やはり俺の指示出しが必要になる場面もある。ゼクトはギルド員全員の個性を理解しているわけではないので、依頼に応じた適役を選ぶときは悩むこともあるようだった。
しかし、それも時間が解決する問題ではある。探索部と依頼遂行部で別の副マスターを立てることも視野に入れ、Sランク以上の冒険者を一人加入させるか、育成することも考える。
(ゼクトはよくやってくれてる。ミヅハもゆくゆくは……強さという意味では、もう少し鍛える必要はあるか)
ミヅハの『氷狐』としての能力はSランク以上だが、獣化していない状態の彼女はAランクというところだ。しかし俺の見立てでは、経験を積めば一年もかけずにAAランクには上がれると見ている――潜在的な資質の高さでは、ギルド内でもトップを争う。
俺はゼクトに、ミヅハを冒険者として育成したい旨を書き、検討を頼むことにする。もちろん進路はミヅハが決めることなので、彼女自身の意志次第ではある。
育成を含めた今後のギルド運営計画は、黒い革表紙の鍵付きノートに書き留めてある。表題は『自省録』と書いてあるのだが、中身は全く違う――俺にはどうも、あらゆるものの正体を隠そうとする癖がある。
「ディー君、ちょっといい? スフィアちゃん、そろそろ迎えにいってきた方がいいかな?」
「ああ、散歩に出てるそうだな。まあ、スフィアなら心配いらないんじゃないか」
「スフィアちゃんは強いけど、そういうことじゃなくて、ちゃんとお目付けをしてなきゃ……私がついて行った方が良かったのかな」
「師匠のほうが、スフィアを構いたいってことか。ずっと一緒にいるからな」
師匠は何も答えず、傍にやってくる。彼女は机に手を突いて身を乗り出す――俺は『自省録』を閉じるが、師匠は指を差し込んでページを開いてしまう。
「こんなノートがあったんだ……ディー君、なんでも秘密にしちゃうんだから」
「秘密というよりは、まだ実行してない計画とか、俺の考えのメモ書きだからな」
「そんなこと言って、人に見られてもいいように書いてるでしょ? 綺麗な文字で、内容が付箋で整理されてる」
「俺が自分で見返すにも、そうした方がいいからな……何か気になるのか?」
開いたページに書かれているのは、『他ギルドとの連携』についてだった。
レオニードさんは、エトナと共に王都のギルドのまとめ役をしてくれている。カスミさんやシェリー、ロッテも協力して、ギルド間の情報交換、仕事の紹介などは潤滑にできるようになっていた。
「……グランド・マスターは、私がいいなんて。そんなこと、思いつきでも書いちゃだめだよ? 私は大昔に引退しちゃったんだから。ディー君のお師匠様だけど、ギルド員としては現役じゃないからね」
思いつきで書いたわけじゃない。一つの可能性として考えたことだ――師匠に、かつてそうだったように、王都のギルドをまとめてもらうことは。
彼女が乗り気ではないとは分かっている。人に任せようとしてばかりだ、と思われても無理はない。俺はこのところ、人を何かの役職に任命することばかりをしている。
ギルドマスターが最もギルドのために動くべきだという思いはある。それは、今も変わってはいない。
「俺は……やっぱり、師匠を頼りにしてるんだろうな」
「……そんなこと。ディー君が本当に思ってくれてるんだとしても、言わない方がディー君らしいよ」
「それもそうだな。すまない……スフィアのことだったな。俺が探しに行ってみるか」
常に居場所を探知するようなことはしたくないので、俺とスフィアの間にある魔力的な繋がりは、必要な時でもなければ遮断している。
どこにいるかは、その気になればすぐに分かる――しかし、師匠は思い直したように首を振った。銀色のさらりとした髪が揺れて、昼下がりの涼しげな陽光の中で、彼女の白い頬に長い睫毛が影を落とす。
「ううん、もう少しだけ待ってみる。それもお母さんの役目だと思うから」
「……そうか」
「ごめんね、心配かけて。私、ディー君よりずっと大人じゃなきゃいけないのに……いつまでも、子供みたいで。笑っちゃうよね……」
「笑ったりはしない。師匠は、そういうところも含めて師匠だと思うからな」
師匠――リムセリットは、俺をいつもと違う瞳で見つめた。
彼女には常に自分の感情をはぐらかすようなところがあるのに、今は、本当の感情を見せてくれているように思えた。
「……やっぱり私は、ディー君と一緒に死にたい。ディー君が先に死んじゃうのなら、私が死ぬ方法を見つけてからにして……約束して」
もう、彼女のそんな言葉を聞くことはないのかもしれないと思っていた。
――しかし師匠が長く抱えた孤独を、俺の至らなさが、ふとした拍子に思い出させてしまうのかもしれなかった。
俺が何かを答える前に、師匠は俺の背中に縋り付くようにして抱きついてきた。
その身体の柔らかさも、体温も、俺がまだ子供だった頃と何も変わってはいない。
「……なんて。こんなこと言ってたら、また皆に怒られちゃう。ディックに我が儘を押し付けないでって……ミラルカちゃんに、殲滅されちゃったりして」
「あいつは人を傷つけるためには魔法を使わない。そのために、魔法をあの領域まで高めてる……だから『可憐なる災厄』と呼ばれても、誰もミラルカを怖がらない。強さに畏怖を抱くことはあるだろうけどな」
「うん……ミラルカちゃんは優しい子。ディー君が大切にしてるのは、そういうところをよく知ってるからだよね」
その『大切』という意味を、日頃の俺なら、別の言葉に置き換えようとしただろう。
魔王討伐隊のメンバーは、俺より前を歩く存在だ。人々に認められ、光を浴びる舞台に立つ――それがふさわしく、それを舞台の袖で見ているくらいが俺の役割だと思っていた。
『大切にする』というのは、庇護の意味が込められている。皆は、俺に守られるような立場じゃない――そんな感情を一方的に持つのは、俺たちの根本に関わる問題だ。
「……ディー君、難しいこと考えてる? 私が弱音を言っちゃったから……?」
「それが弱音だって自分で言ってくれるだけでも、昔の師匠とは違うと分かって安心するよ」
「うん……昔の私に戻ったりはしない。だけど、ディー君のことをどう思ってるかは、一度離れてからずっと変わってないの」
殺してくれないなら、師匠が俺を殺す。
その約束が、どのように変化したのか。俺が生きるなら、師匠も生きる――それは単純で、当たり前のことで、これからも続いていく。
「……言えてよかった。本当は、言っちゃいけないのに。ディー君の重荷にならないようにって、口だけそんなこと言って、本当は一番……」
「スフィアもいるし、皆もいる。それに……」
俺も同じだと、そう口にする前に、一階からヴェルレーヌが俺を呼ぶ声が聞こえた。
階段を降りると、そこにはシェリーとロッテの姉妹と、カスミさんの姿があった。冒険者としての装いではなく、私服で顔を合わせるのは珍しい――シェリーとロッテは色がお揃いの服を着ているが、姉妹の好みの差ということか、形が異なっている。カスミさんは普段から東方風の服らしく、通りを歩くと目立ちそうな装いをしていた。
「ディック、早速忙しそうにしておるのじゃな。なかなか顔を出してくれぬから、シェリーたちと相談して赴かせてもらった」
「…………」
「……ね、 姉様(ねえさま) 。姉様が話してくださらないと、私よりも姉様の方が、ディック様のことはご存知なので……っ」
シェリーは俺を見て、口を動かそうとはするものの、声がかすれて出ていない。
肩にかかる黒髪に触れて、憂いを帯びた瞳を伏せ、なかなか話そうとしない――しかし待っていると、シェリーは胸に手を当てて息を整え、ようやく声を絞り出した。
「……お帰りなさい……ディック。少し、大きくなった……?」
「レオニードさんにも言われたが、そうそう背丈が変わるような歳じゃないからな」
「そう……それなら、ディックの雰囲気が大きくなったのかも……」
シェリーの緊張が少しほぐれたようで、表情が和らぐ。しかし見れば分かるほど、首から上がほんのり赤くなっていた。ロッテもそれに気づいているようで、自分のことのように慌てている。
「これもディック様が、姉様を置いていってしまうからです。姉様ったら、お仕事をしているときはいいのですが、家に帰ってくるとため息が多くて、休日は南の空を見てばかりだったんですよ」
「っ……そ、そんなことない……そんなことしてたら、ディックに呆れられるから……」
「え、えーと……心配してくれたってことだな。ありがとう、シェリー」
「……うん」
ごく小さい返事だったが、その笑顔はあまりにも印象的だった――喜んでくれているのはわかるが、ここまでとなると、こちらも心を動かされるものがある。
「全く……今や、王都ギルドの筆頭マスターの一人と言えるシェリーが、ディックが帰ってきただけで子猫のようになついているのじゃからな。ギルド員が見たら、ディックはシェリーに何をしているのかと思うところじゃぞ」
「……そんなことない。みんな、真面目に仕事をしてるから……ロッテとみんなのおかげで、私もマスターができてる」
「姉様……私をちゃんと視界に入れていただけるんですね。ずっと話しかけても上の空なので、どうなってしまうかと心配しました」
「……ごめんなさい。やっぱり……ディックのことで、頭がいっぱいだったかも……」
やはり距離を置くと気持ちが動くということなのか、シェリーが今までよりはっきりと好意を口にしてくれている。「頭がいっぱい」というのを、そのまま捉えていいものかと思うが。心配で頭がいっぱい、とも解釈できるからだ。
「ディック、スフィアの姿が見えぬが……どうしたのじゃ?」
「今はあいにく、外に出てる。散歩してるのか、買い物してるか……そこまでは分からないけどな。もうすぐ帰ってくると思うよ」
「……よかった。スフィアにも、会いたかったから……お母さんらしいこと、何もしてあげられてないし……」
「姉様……やはりディック様には、一言物申さないといけません。姉様はスフィアさんのことも心配で、ご飯が喉を通らなかったんです。ですから責任を取ってください」
「っ……そ、そんなことない。ちゃんと食べてる……お水と、果物……」
「これは……少し痩せておると思ったら、そういうことじゃったのか。恋煩いとは、ディックもまた罪なことを……」
「……そ、そうじゃない……ディックは悪くない。私が冒険に出てないから、あまりお腹が減らないだけ」
一度言われると、確かにシェリーがほっそりとしているように見えてくる。ロッテと比べるとその差は――と、そこまで違いはなかった。
「ディックには申し訳ないが、少し軽食でも頼めるかのう。サクヤからも聞いたぞ、お主が久しぶりに差し入れをしてくれたと」
「それは構わないですが……カスミさんは東方風の料理がいいですか。少し仕入れをしてきたので、簡単なものならすぐに出せますよ」
「……ディック、私も手伝う。ディックは帰ってきたばかりで、疲れてるから……」
「そ、それなら私も……厨房に入る許可をくださいますか、ディック様」
俺一人でも問題ないが、二人はすでに手伝うつもりなので、その言葉に甘えることにする。
――そのとき、裏口の扉が開く音がした。見なくても魔力を感じ取るだけで分かる、スフィアが帰ってきたのだ。
「お帰り、スフィア。シェリーたちが来てくれてるぞ」
「あ……う、うん。シェリーお母さん、ロッテお姉さん、カスミお姉さんも、こんにちは」
シェリーがしずしずと歩いていって、屈み込んでスフィアを抱きしめる。ロッテとカスミさんは初めは見ているだけだったが、俺に目配せをしてから、二人してスフィアを愛でに行く――うちのお姫様は、今日も皆に大人気だ。
「……スフィア、元気そうで良かった。もっと早く会いにくるつもりだったんだけど……」
「ううん、シェリーお母さんはお仕事を頑張ってるってお父さんが言ってたから。私の方から会いに行きたかったけど、邪魔になったらいけないし……」
「スフィアちゃんならいつでも大歓迎ですよ。姉様の娘さんだっていうことは、ギルド員の方には内緒にしないといけませんが……」
ロッテが俺を見る――本当は俺から説明すべきだと、そう言いたいのだろう。しかし彼女もまた、事情については理解してくれていた。
「ギルドの皆に紹介したい気持ちもありますが、色々な準備が整うまでは、スフィアちゃんはギルドハウスではなくて私達のお家に招きたいところですね。まずはお茶会でもして、姉様と私と三人でお話を……」
「はい、シェリーお母さんとロッテお姉さんの家に一度お邪魔したいです」
「……いい子」
「まことに、なかなか本心を出さぬディックの娘とは思えぬほど素直じゃな……それとも、ディックも幼い頃はこうだったのかの」
カスミさんが何やら想像しつつ、スフィアを抱きすくめる。師匠やアイリーンもよくそうしているが、どうも抱き心地が良いようだ――スフィアも照れてはいるが、皆に可愛がられることは嬉しいようだった。