作品タイトル不明
第136話 日傘の母娘と木漏れ日の聖女
サクヤさんとゼクトを副マスターに指名したあと、俺は情報部の皆とともに、『情報網』を使ったアルベイン全土の情報収集を開始した――王都にいる情報部員は、全ての通りに二人ずつ、貴族の居住区・大学区・教会区にも二名ずつが配置されている。
その二人というのは基本的に交代制になっているので、通常の業務時間を減らして、一日一人ずつに各配置場所から情報部本部に集まってもらい、収集した情報の解析に当たってもらうことになった。十六名いれば、アルベイン王都から十六方向の情報を常に捌き続けることができる。
中でも俺は、ある一方向の情報に関心を持っていた。アルベイン東部海岸――そこから面している、広大な海。東の果てには大陸があるというが、アルベイン王国は大陸とは貿易をしておらず、近隣の島国と貿易している。
東部海岸の南側には山脈が広がり、北側も同じだ。アルベインという国は版図こそ広いが、『閉じている』といえる。
だからこそ、平地を国境として隣接している西のベルベキア、北東のエルセインとの間にのみ、外交問題を抱えてきた。
現状のアルベインには脅威と呼べるものは存在しない――『クヴァリス』がこちらに向かってくる場合を除いては。
幸いにもと言うべきなのか、アルベインの全方位の国境から『クヴァリス』の姿が観測されることはなかった。
◆◇◆
ディックはギルドハウスに戻ってきたあと、執務室にこもったり、外に出ていることが多くなり、スフィアはその間の時間、自由にするようにと言われた。
リムセリットはディックの補佐を務めているが、スフィアと共に過ごす時間を大切にし、スフィアがまだ知らないギルドのこと、王都のことや生活のことなどの知識を教え、時には一緒に散歩に出て、娘に色々な風景を見せようとした。
「リムお母さん、天気が良くて気持ちいいね」
「うん、本当に。スフィアちゃん、暑くない? お母さんは少し暑いんだけど、日傘を持ってきたから差そうかな」
王都の女性は、傘を一つのアクセサリーとして重要視する。リムセリットはシュトーレン家の職人が作った、花をモチーフにした模様の縫い込まれた日傘を使っていた。
プリミエールからの贈り物として届けられたその傘は、『蛇』討伐に参加したメンバー一人一人に贈られている。シュトーレン家は織物などの手工業に力を入れており、その技術はアルベイン王国の伝統工芸としても認められていた。
「綺麗な傘……でもお母さん、私なら大丈夫だよ、日が当たっても」
「そうかもしれないけど、私が一緒に入りたいだけ。おいで、スフィアちゃん」
リムセリットが手招きをすると、スフィアは少しだけ恥じらう素振りを見せたが、傘の中に入って母親に寄り添う。
「……こうしてるとちっちゃい子みたいじゃないかな?」
「スフィアちゃんは大きいし、しっかりしてるけど、まだ生まれたばかりだから。お母さんも、お母さんらしいことがしたくて……」
「うん……分かった。ごめんなさい、恥ずかしがったりして」
スフィアがはにかみつつ言うと、リムセリットは微笑む。二人は七番通りまでの『横道』を抜けて、馬車の王都中央駅に向かって歩く。
駅に着いたところでちょうど到着した乗り合い馬車に乗り込み、リムセリットたちは王都の西側にある教会区に向かう。スフィアは幌つきの客室の窓際に座り、外を流れていく町の風景を見つめた。
「いっぱいお店があって、楽しそう……」
「今度、歩いて行ってみようか。お散歩に出られるときに、お弁当持って」
「うん! お母さんも一緒に来てくれるの?」
「そのつもりだよ。スフィアちゃんに、色々案内してあげられると思う……あ、私が知ってる頃とは全然違うのかも。最近はゆっくり町を見て歩いてないから」
スフィアはリムセリットが『白の山羊亭』とともに起こした事件については、詳しくは聞かされていない。
もし聞かれたときは、リムセリットは隠さずに話すつもりでいる。ディックのことを誰よりも慕っているスフィアは、ディックを傷つけようとした自分をどう思うのか――それを思うと、リムセリットは一つの感情を覚えずにはいられない。
(……後悔……してる。私は、ディー君を傷つけようとしたことを……)
「……お母さんは、もうしちゃだめって分かってるから。お父さんは、お母さんが笑ってたら、それでいいって思ってるはずだよ」
「スフィアちゃん……」
自分の考えていることが、伝わっている。精霊は、人間の精神に感応することができる――スフィアもまた、その能力を持っていた。
リムセリットはかつて『精神防御』の魔法をディックに教えた。人に気持ちを悟られないよう、意思を曲げられることのないよう、常に使うべき魔法だと考えていた――しかし、スフィアと二人でいるときは、そのことを忘れていた。
「……お母さんの心を読んじゃうなんて。スフィアちゃん、ディー君より大胆なことしてるよ?」
「お母さんが、私には見せてくれてると思ってたから……だから、全部分かってるの」
リムセリットは隣で笑っている娘を見る。ぞくり、と鳥肌が立つような感覚――隠しごとを知っていて、その上で、スフィアはリムセリットを恐れずに傍にいる。
心を読まれたことに驚いたわけではない。リムセリットは感嘆していた――目の前にいるスフィアが、すでに自分の感情を読み解くほどに、その心を成長させていることに。
「……ディー君に迷惑かけちゃったけど、お母さん、本当に反省してるの。でもね、やっぱりまた弱音は言っちゃうかもしれない。ディー君に甘えちゃ駄目だって、分かってるんだけどね。私、何千年生きても、駄目駄目なままなの。スフィアちゃんの方がずっと立派だよ」
「お母さん、いいよ。私はいつもお母さんの味方だから、何でも言ってくれた方が嬉しいよ」
(この子は……きっと、私よりずっと先を生きている。そして私よりも、ディー君に近いところにいる。それは、彼の魔力を継いだ子だから)
「え、えっと……私は、お母さんたちとは違って、お父さんの娘だから。お母さんたちみたいに、お父さんにはできないよ?」
考えが伝わってしまっても、リムセリットは今さら『精神防御』の魔法を使うことはしなかった。
『近くにいる』ということを、スフィアはリムセリットとは違う意味として受け取っている。そしてリムセリットは気がつく――スフィアは自分たちの娘で、それが間違いのない事実であっても、彼女はただ『娘』というだけではない。
それは、ディックに対する感情も。淡いものでしかなくても、それはリムセリットから見れば、一つの言葉で言い表せるものだった。
「スフィアちゃんは大きくなったら、ディー君にお嫁さんにしてほしい?」
「っ……そ、そんなこと……私、精霊なのに……」
「私だって、ディー君と同じ『人間』じゃないかもしれない。アイリーンちゃんも、ヴェルレーヌちゃんも。ディー君はそのことで私たちを、分けて考えたりしてないよ?」
リムセリットは娘の髪を指で優しく梳かしながら話しかける。手癖で髪を編み始められて、スフィアはじっとしていなければならなくなる。
「大人になったら……私、大人になれるのかな……?」
「ちょっとずつ大きくなってるから。精霊は、心が成長すると身体も成長するみたい。だから、何年もかからなくて、急に大人になっちゃったりするかもね」
「……そうだといいな。でも、私はお父さんの娘がいい。誰かのお嫁さんになったりしないで、ずっとお父さんの娘でいる。そうするために生まれてきたんだから」
「そっか……うん。ディー君、それ聞いたら泣いちゃうかも。滅多に泣かないんだけど、そういう可愛いところもあるから」
「お父さんが……? そ、それなら、私、何も言わない方がいいのかな……?」
スフィアも常に、リムセリットの心情を読み取ろうとしているわけではない。戸惑う娘を見て、リムセリットは彼女の髪を一房編む――しかし、馬車が教会区の着く前に、もう一度ほどき始める。
「スフィアちゃん、早く大人になるのもいいけど、少しでも長くお母さんたちに甘えてね」
リムセリットは娘の頭を撫でる。そして髪を整え直す――スフィアは、彼女が少しでも自分に触れたいと思っているのだと感じていた。
だからこそ、馬車を降りてからも、スフィアはリムセリットの差す日傘を分け合い、二人寄り添って歩いていく――のどかな草地の中を通る道を、ユフィールの待つ教会へと。
◆◇◆
リムセリットはスフィアをユフィールの元に送り届けたあと、近くまで来ているということで、ベアトリスの屋敷に足を向けた。
「お母さん、お屋敷に行くついでに、お風呂に入りに行ったみたいです。お湯じゃなくて、広いお風呂でお水を浴びるのが好きって言っていました」
「それは気持ちよさそうですね。私たちも子どもたちを連れて、王都の外にある小川で水遊びをすることはあります。今の季節は涼しくて、喜んでもらえています」
ユフィールとスフィアは、孤児院の庭で遊んでいる子どもたちを木陰から見ていた。まだ小さな子どもが多く、ユフィールの同僚の三人の 女性僧侶(シスター) を囲んで遊んでいる。
「小さい子って、すごく元気ですね……見ていると、私まで楽しくなります」
「……スフィアさん、私が丁寧な言葉なので、スフィアさんもそうしてくれているのですか?」
「あ……え、えっと……ユマお母さんといると、自然にそうしてたので、丁寧にしなきゃ、って思ってたわけじゃないです」
「良かった。他のお母さん方よりもスフィアさんが緊張していたら、申し訳ないなと心配していたんです」
十三歳のユフィールと、スフィアは同じくらいの年頃に見える。教会のシスターたちは、まるで姉妹のように可愛らしいと口を揃えて言う――ユフィールはそのことを嬉しく思いながら、スフィアの自分に対する丁寧な言葉を気にかけていた。
「……ユマお母さんにも、みんなと同じようにした方がいいかな?」
「はい。私はお母さんですが、姉妹のようと言われるのも嬉しいんです。スフィアさんと仲良く見えるのなら……いえ、見えるだけではいけません。いっぱいお話をして、いっぱい遊んで、魂の双子と呼ばれるくらいまでにならないと」
熱っぽく言うユフィールを見て、スフィアは思わず照れてしまう――ディックがいつもユフィールの情熱にどう応じているかを見ていたスフィアは、彼の気持ちを今ようやく理解することができた。
「ユフィール様、子供たちが一緒に遊びたいと言うのですが、よろしいでしょうか?」
「はい、もちろんです。スフィアさんはどうしますか?」
ユフィールはスフィアの意思を尊重する。それは、スフィアが遠くから子どもたちを見ている間、少し緊張していることが分かっていたからだ。
それはまだ、彼女が生まれて間もないから――子供たちと接することが、スフィアにとっては初めての経験だからだった。
そうこうしているうちに、遊んでいた少女のうちの一人が小走りでこちらにやってきて、スフィアのことに気がつく。
「ユフィールさま、そのかたはあたらしいシスターさまですか……?」
「いいえ、彼女は……私の娘です」
「えっ……お、お母さん、言ってもいいの……?」
シスターはスフィアがユフィールの娘だと聞いても驚いていない。ユフィールは事前に、彼女のことについて自分なりに説明していた。
「ユフィール様のお嬢様でいらっしゃいますね。お話はかねがね……ぜひ、一度お会いしたいと皆でお話していましたのよ」
「本当に可愛らしい方ですね……まるで、神様がお使わせになったかのよう……」
「お会いできて光栄です、スフィア様」
シスターたちが三人ともあまりに好意的で、スフィアは戸惑うばかりだった――アルベイン神教会の大司祭となるべく修行しているユフィールは、男性との関わりは表向きには固く禁じられているのである。
ディックとユフィールは魔王討伐隊という縁があるので、特別に交流を許されている。しかし、二人が夫婦となってスフィアが生まれたというように思われてしまうと、騒ぎになってしまう。
スフィアはそう考えているのに、シスターたちは三人とも優しく笑っている。ユフィールはスフィアに近づくと、耳元で囁いた。
「スフィアさんについて、神の教えを説かせていただきました。スフィアさんが私の娘であることを、彼女たちはありのままに受け入れています。お父様とお母様にはしばらくの間秘密ですが、ここにいる間は隠さなくても大丈夫です」
ユフィールが『説得』をすると、それはほとんど催眠のように働いてしまう。しかしそれも、スフィアが娘ということを隠したくないというユフィールの気持ちの表れだと、スフィアはそう思った。
「……ユマお母さんのこと、みんなが凄いっていうの、どうしてなのか分かったかも」
「くすっ……スフィアさん、シェリーさんのような話し方になっていますよ。しっかり受け継がれているのですね、皆さんのことが少しずつ……」
「ユフィールさまー、あそぼー」
「遊んでー、遊んでー」
まだ幼い子供たちが、ユフィールの袖を引く――そして、スフィアもまた、同じように他の子供に袖を引かれる。
「あらあら、二人とも子どもたちにそんなに慕われて……」
「スフィア様、どんな遊びをいたしましょうか」
「あ、あの……みんなで、何か投げ合ったりしてましたけど……あれはどういう遊びですか?」
「鞠投げですね。子供たちが好きな遊びです。柔らかい鞠ですから、危なくないですよ」
スフィアは子供に混じって遊ぶのは初めてで、まだ少し戸惑っている――ユフィールはそんなスフィアの手を取り、子どもたちの輪に入っていく。
初めは子供たちに鞠を投げられ、それを受けて優しく投げ返していたスフィアだったが、急に飛んできた鞠に驚いて風精霊の魔法を使う――それを見た子供たちは、スフィアを『魔法使いのお姉ちゃん』と呼んで、鞠で遊ぶよりも魔法を見たがった。
「じゃ、じゃあ……次は……こうやって、手から水が出たりします。はいっ……!」
「わー、お姉ちゃんすごーい!」
「もっとやって、もっとやって!」
最初は困り顔だったスフィアだが、子供たちの笑顔を見ているうちにその気になって、初歩の精霊魔法を次々と披露する。
やがて教会から、賛美歌の伴奏を練習する楽器の音が聞こえてくる。するとスフィアはユフィールから受け継いだ才能を発揮して、子供たちと一緒に歌い始める。
「なんて素晴らしい歌声……それに、魔法の才能もおありになるなんて」
「はい。スフィアさんは凄いんです、私などよりずっと」
そう言ってユフィールは、スフィアと一緒に歌に加わる。
その日教会区に響いた歌声は、各教会の僧侶やシスターたち、礼拝に訪れていた市民たちを、大いに感嘆させることとなった。
子供たちと遊んだあと、ユフィールとスフィアは孤児院の庭にある大樹の下で、肩を寄せ合って眠った。
「すぅ……すぅ……スフィアさん、お母さんが下のほうを歌います……」
「……ううん……ユマお母さんが、上のほう……くー……」
大樹の葉の間をこぼれる陽射しの中、二人は夢の中でも聖歌を歌っているようだった。
そんな二人を見ていたシスターたちは、今しばらくは彼女たちを起こさないようにと、定刻を告げる礼拝堂の鐘を鳴らすことはせずにおいた。