作品タイトル不明
第109話 ギルドマスターの帰還
カスミさんは自分のギルドがどんな状況かを案じていたが、『情報網』からは何も異常はないと報告が上がってきたので、その旨を説明した。
「そうか……それは良かった。レオンは、片目を奪った私を憎んでいた。そのために、この夜道で狙ってきたということじゃろう」
「……申し訳ありません。レオンの……兄のしたことは、決して許されることじゃない。このけじめは、僕がつけます」
「騎士団長殿が、レオンの……兄弟でも、似ても似つかぬな。どこでレオンは歪んでしまったのか……私にも、何かできることがあったのかもしれぬ」
カスミさんはコーディのことを男性だと思っている。容易に明かせることではないので、今はまだ伏せたままにさせてもらうことにした。
そして、もう一つ。責任を感じているカスミさんに、言っておくことがある。
「俺も、レオニードさんの考えが正しいと思います。嫌がる女性に対して何かを強いるっていうのは、決してすべきじゃない。カスミさんは何も悪くないですよ」
「……そう言ってもらえると、救われる。私がもう少し強ければ、片目を傷つけずともレオンを退けることができたかもしれぬ……そうやって、ないものねだりをするのは、女としても可愛げがないのじゃろうな」
カスミさんは少し寂しそうに笑う。そんなことはない、と言いたいが、それでは口説いているようなものになってしまう。
「カスミさんは、とても魅力的な女性です。僕は、強い女性に憧れますよ」
「ふふっ……ありがとう、騎士団長殿。しかし、魅力を感じて欲しい相手に限って何も言ってくれぬというのは、我ながら難儀なことじゃな」
「い、いや……俺も、魅力的だとは思ってますよ。でも俺が言うと、そんな目で見てたのかって話になりますし……」
我ながら、何をそんなに動揺しているのだと思う。コーディのようにサラリと言えればいいのだが、俺はどうもそういうのは苦手だ。
まあ、コーディは実は女性なのだから、衒いなく女性のことを褒められるというのはあるのだろうが――と思っていると、少し離れて歩いていたカスミさんが、俺の腕を取って寄り添ってきた。
「っ……カ、カスミさん、ちょっと近すぎませんか」
「それもお主の美点ではあるのじゃが。私ももう若くはないから、こういうことには勇気が必要なのじゃぞ。この格好についても、あまり無理をするものではない……今さらになって、恥ずかしくなってきてしまったではないか」
つまり、カスミさんは俺が戻ってきて会えた時のことを考えて、今のような服装をしているわけで。
大胆に開いた胸元から覗く、滑らかな白い肌。胸が大きいとカスミさんの着ているような東方の衣服は着こなしにくいというが、それはそれで別の魅力が生じてくる――盲目でありながら王都で五本の指に入る剣士が、こんな艶姿を惜しみなく見せてくれるなどと。
「……コ、コーディ。何か言ってくれ、ちょっと大胆すぎないかとか……」
「いや……カスミさんがそうしたくなるのも、分かる気がするからね。お礼だと思って、多少のことは受け入れるべきだと思うよ」
「本当に話が分かるのう……男性の友人などあえて作るものでもないと思っておったが、コーディ殿には親しみを感じる。さすがはディックの親友じゃな」
「ディックが何かつれないことを言うようなら、僕に言ってください。僕も、周りのみんなも、ディックにはほとほと困っているので」
「っ……ま、待て。いきなりそんなことを言われると、俺たちの関係に暗雲が垂れこめてる感じがして、心配になってくるだろうが」
もちろん冗談で、コーディにもそれが分かっている――彼は楽しそうに笑うと、月の浮かんだ空を見上げた。
「こんなに空は晴れているけれどね。僕は少しくらいのことでは、ディックとの関係は変わらないと思っているよ」
「……は、恥ずかしい方向に持っていくなよ。かなり照れるんだが」
「ここまで言ってくれる友人がいるというのは、得難いことじゃ。ディックはこれからもコーディ殿を大事にした方が良さそうじゃな」
大事にするという言い方も変で、俺はコーディの力を、これからも必要な時に遠慮なく頼っていく。最後の駒なんて言い方をしたこともあったが、俺の考える最高の戦力において、コーディは不動の中核を担っている。
――しかしそのコーディの光剣で、一度で破ることのできない相手が現れた。
「大事にしてもらえるのは嬉しいけど、僕は戦いの中でしか価値を認められない人間だ。だから、もっと強くならなければいけない。ディック、協力してくれるかい?」
「ああ。勿論そのつもりだ」
「私もディックに教えを請いたいが、実力が離れすぎているかのう……しかし、私がSSSランクにたどり着くことはまずあるまい。何度か生まれ変わったら、ディックと肩を並べられるようになったりはせぬかの」
「いや、武器と戦い方のバリエーション次第でまだカスミさんは強くなりますよ。コーディとは別の機会になりますが、良かったら一緒に特訓しますか」
「……そなたは、まことに……」
「え……う、うわっ、カスミさん……っ」
カスミさんは俺の腕を、自分の胸で挟み込むようにする――さしものコーディも、こういうことに耐性が全くないので、まばらな街灯の明かりでも分かるほどに赤面する。
「……そなたは人を感激させるのが、本当に上手くて腹が立つ。しばらくこうされておるがよい。案ずるな、私の胸など減るものではないからの」
「い、いや、減らないですが、俺が精神的にすり減るというか……」
女性の方にペースを握られると、どうも総崩れになってしまう――これは何とかしなくてはと思うのだが、歩くたびに胸の弾力が伝わってどうにもならない。これ以上、カスミさんの服が着崩れないことを祈るばかりだ。
「……昔から思っていたけど、ディックは年上の女性に特に弱いね。年下の中でも、ミラルカは特に例外なのかな……ああ、そうか、そういうことか」
「お、おい。胸が大きい女性に弱いとか、変な噂を広めてくれるなよ」
「私も物凄く大きいというわけではないが、形には自信がある。しかしミラルカ殿にはかなわぬのう……破壊的な力が胸に集まっておるとしか思えぬ」
ひどい言われようだが、コーディも俺も思わず笑ってしまっていた。しかしカスミさんは、五年前にミラルカがアイリーンに『武闘家になれば胸が大きくなるのか』と真剣に聞いていたことを知らない。
「魔王討伐から帰ってきたあと、ミラルカには心境の変化があったみたいだね。誰かさんが原因なんじゃないのかな?」
「っ……ディ、ディック。もしや、ミラルカ殿のそこまでの関係を結んでいたのか? それは、旅路と恋路は同義となることも無きにしもあらずじゃからな……」
「い、いや……凄い勘違いをしてるみたいですが、俺は誓って何もしてないですよ……な、なんだよコーディ。何かに気づいたって顔だな」
コーディは何を思ったのか、カスミさんの逆側から俺に近づくと、小さな声で囁きかけてきた。
「ディックの『強化魔法』は、長く使っていると成長にも影響が出るみたいなんだ。もちろん、成長期だけの話だけどね」
「なっ……」
「やはり仲が良いのう……殿方同士の友情というのは、なぜこうも心をくすぐるのじゃろうな。私のギルドの娘たちも、時々そのようなことを言っておるが、今気持ちが分かってしまったようじゃ」
カスミさんは頬を染めて俺たちを見ている。勘違いをされたコーディは照れて頬をかいているが、コーデリアとしての彼女は、そんなふうに見られることをどう思っているのだろう、と少し気になってしまった。
◆◇◆
ギルドの裏口から戻ってくると、もう閉店時間を少し過ぎているので、明かりが落ちている。二階にも明かりが点いていない。
「みんなもう休んでるのか……?」
「ふむ……これは……」
「ディック、とりあえず中に入ってみようか」
カスミさんが何か言いかけたが、コーディは俺の肩に手を置くと、店の中に入るように促す。
そして、ドアを開ける――やはり中は静まり返っている、と思ったのだが。
「「「マスター、お帰りなさい!」」」
いきなり、店の中の全ての照明が灯る――そして、店じまいしたはずのフロアには、ヴェルレーヌを初めとしたギルド員たちが集まっていた。
ミラルカ、アイリーン、ユマ、シェリーとロッテもいる。ベアトリス、そしてレオニードさんも来てくれていた。ゼクトとミヅハの兄妹、サクヤさんとリーザ、リゲルとライア、マッキンリーに、王都の各地で情報網を張ってくれているギルド員たち。彼らは全員が集合するというわけにはいかないので一部だけだが、それでも総勢三十名以上が揃っていた。
「……俺に知らせずに集合してたのか? みんなもなかなかやるもんだな」
「私が何も言わずとも、マスターが王都に入った時点で、『銀の水瓶亭』の全員が歓迎すると決めていたのです。それほど、皆さん心待ちにしていたのですよ」
皆の前では店主として振る舞うヴェルレーヌ。彼女の後ろで、ギルド員たちが何かを期待するように俺を見ている。
「そんなに見られても、俺もいい大人だから感動して泣いたりはしないぞ」
「そんなこと言って、本当は嬉しいと思ってくれてるんじゃないですか? 思ってくれてないなら、私たちはもっと頑張るだけですけどね。そうだよね、みんな」
「リーザさんの言うとおりです! 俺はマスターのためなら何でもしますよ!」
「俺もリゲルほど前のめりじゃないですが、いつもマスターには感謝してます。今回も、大きなことをやってきたっていう話じゃないですか。やっぱりあなたは、俺達の誇りだ」
「『銀の水瓶亭』に入ってくる仕事も増えています。建物の規模は小さいですが、このギルドはすでに王都随一となりつつあります」
ライアは俺に対する敬意を隠しもしない。マッキンリーもデューク・ソルバーを尊敬していたはずだが、俺に対しても同じか、それ以上の存在として見ているようだ。
こうして全員が集まる機会はそうない。常にある程度情報を共有している情報網を構成するメンバーも、久しぶりに直接顔を合わせる面々がいる――それなら、改めてこれからについて話しておくべきだろう。
「俺は、このギルドを王都で第一の存在にしたいと思っているわけじゃない。今はまだ、今まで通りのやり方でいいんだ。今のギルドなら変わるべきときに、迅速に変わることができるとも思ってる。それも、皆がそれぞれに考えて、このギルドのために働いてくれてるからだ」
こうやって皆を集めて話すことは少ないが、全員が俺の一言一句に耳を傾けてくれている。
一人も容易に欠けてはならないが、ギルドなので入れ替わりは常にある。それでも俺のギルドは、人員が増えはしても、抜けることはほとんどなかった。
レオニードさんとカスミさん、そしてハーティス姉妹のギルドも、古参と新人のバランスが取れていると聞く。それは、俺達が互いにギルドの在り方を話し、方向性を模索してきたからというのもあるだろう。
「ディックはこう言ってるが、お前たちも薄々分かってはいるだろう。この男が、冒険者ギルドの歴史に名を刻むほど優秀なマスターだっていうことに。五十を超えて老境に差し掛かった俺にも、まだ見えていないものが見えている。そういうマスターの下で冒険者がやれるってのは、幸せなことだぜ」
「レ、レオニードさん……褒め殺しは程々で頼めますか。それと、一緒に来てるその人は……確か、お孫さんでしたか」
「っ……」
レオニードさんの隣に、彼と同じく黒い服を着た女性がいる。彼女は俺の問いかけを肯定するように、恥ずかしそうに頷いてみせた。
確か十五歳と聞いていたが、祖父のレオニードさんに似て比較的背が高い。槍術をレオニードさんに護身用として教えられたそうで、Aランク相当の腕前を持つ実力者だ。しかし引っ込み思案な性格を示すように、長い前髪で目が隠れていて見えない。
「俺の孫娘のティオだ……今回ばかりは連れて行けって言うもんだからよ。だが、来たら来たで、あこがれのお前さんの前に出たら借りてきた猫みたいになっちまって」
「……このたびは……よく、お帰りになられました……謹んで、およろこび申し上げます……」
「ああ、ありがとう。俺はディック・シルバー、君のお祖父さんにはいつも世話になってる」
「世話になってるのは俺の方だ。全くすげえよ、お前さんは」
「本当にのう。皆の者、ディックは今後も変わらぬと言っておったが、それは正しくもあり、一部は間違っておる。私たちギルドマスターは、彼にグランド・ギルドマスターに就任してもらうよう頼んでおるが、彼はそれを正式な肩書とするのには乗り気でない。しかしそなたたちには分かっていてもらいたい、ディックがそれだけの器だということを」
そこで皆驚くかと思えば、そうでもない――おお、という顔をしているメンバーは多いが、俺にふさわしくないと思っている人は、見事に一人もいない。
それはそれで、どれだけ自分のギルドに愛着を持ってくれているのかと嬉しく思うが――今後も粛々とやっていくために、腰を据えてギルドにいるための仕事を終わらせなくてはならない。
「まあ、それはさておき……ディック、今夜はどうするのじゃ?」
店じまいした後で、俺が今日はもうお開きだと言いはしないかと、ギルド員たちがそわそわとし始める――そんなに無粋な男だと思われていたのなら、その認識は是非とも改めてもらいたい。
「せっかく集まってくれたんだ。明日の営業は通常通り行うが……今日は日が変わるまで、大いに飲んで、楽しんでいってくれ」
そう言った途端に、フロアのあちこちで歓声が上がる。いつも真面目に仕事をしている冒険部、店舗運営部、情報部の各部門のギルド員たちだが、酒好きは多く、日頃接触しない他の部のメンバーと飲むのは彼らの楽しみになっていた。
ヴェルレ―ヌが指示を出して、厨房から最初の一杯――キンキンに冷えたエールを運んでくる。スフィアとミヅハ、そしてレオニードさんのお孫さんのティオには、旬の 水蜜瓜(アクアメロウ) の炭酸水割りが渡された。
「じゃあ、ここはせっかくだからスフィアに頼むか」
「えっ……お、お父さん、何をすればいいの?」
師匠や他の母親たちと一緒に居たスフィアを手招きする。ミラルカとアイリーンは自分のことのように緊張していたが、ユマは落ち着いていて、まさに教母の貫禄というやつだった。
「こうやってこのグラスを持って、『乾杯!』って言うんだ」
「う、うん……分かった。お父さんがそう言うなら……」
「……カスミ、今、あの子がディックのことをお父さんって言わなかったか?」
「私にもはっきりと聞こえたが……何かわけありのようじゃな。やはり器の大きい男は、娘の一人や二人は居ても普通ということかの」
「そ、そうか、わけありか。まあそうだな、俺もたまに、親類の子供を世話したりはするからな」
あの二人が『わけあり』という説明で落ち着けてくれたので、ギルドに混乱は広がらなかった――というか、なぜ逆に尊敬が深まっているのだろう。
「ご主人様なら、隠し子の一人くらい出てきてもおかしくないどころか、むしろ女性に関心があったということで、皆さん安心したのでしょう」
「俺は尊敬されてるどころか、変人と思われていたのか……」
「今さら気がついたの? あなたは相当に変わっているわよ」
「あはは、ミラルカには言われたくないよねー。でも私も、ディックはなかなか他に見つからないくらい、変わってる人かなって」
「この世の果てまで探しても見つかることのない、唯一無二の魂です……ああ、切実にお鎮めしたい……今までで最も活力に満ちて、元気いっぱいのディックさんの魂……」
元の身体に戻るだけで、以前より強くなった――というのは、おそらく気のせいではない。53万なんて冒険者強度は皆の力を借りて出せる瞬間的な最高値だが、俺個人でも10万よりは大きく上がっているように感じる。
「僕がみんなの誤解に一役買っているんだとしたら、やっぱり……」
「ん……コーディ、何か言ったか?」
「いや、何でもないよ。スフィア、僕も見ているから、元気に挨拶してくれるかな」
「はい、おか……お兄さん! 今夜はお父さんが帰ってきてくれたので、みんなでいっぱいお祝いして、楽しいことをお話ししましょう! かんぱーい!」
「「「乾杯!!」」」
店全体を揺るがすような声――けれど近隣に迷惑をかけたりはしない、このホールには防音結界が敷いてあるため、俺の意思次第で建物内の音が外に出ないよう、封じ込めることができる。
俺は次々にやってくるギルド員たちと一人ずつグラスを合わせていく。なぜかリゲルを初めとした男連中が、そのたびに一杯飲み干していく――皆いい飲みっぷりだ。
「マスター、久しぶりに顔を合わせるようだが、健在で何よりだ」
ゼクトも皆に倣い、最初の一杯目のエールをぐいっと飲み干す。彼も意外と、その場の空気というか流れを読んで行動するところがある――それで、まだ入ったばかりでも周囲の信頼は厚いわけだ。
「ディック様、うちも自分でココノビの飲み物を作れるようになりました! 一度味見してもらえますか?」
「ああ、ぜひ。ココノビはどんなふうに飲んでも旨いからな。菓子作りにも使えるし、万能の食材だ」
「ミヅハ、わざと間違えてラムの方を飲むなよ。前に大変なことになっただろう」
「そ、そんなことあらへんよ? ココノビシェイクと、ラムで漬けたやつを間違えるわけあらへんやんか」
ミヅハはココノビラムに浸かっている実を食べてしまい、かなり酔っ払ったことがある。ゼクトはそれを知らないが、妹が俺と一緒に風呂に入ったと知ったら、どんな反応をするのだろう――さすがに戦いを挑んでくることはないと思うが。
次にやってきたのはベアトリスだ。彼女はヴェルレーヌによって騎竜戦の観戦所に呼び出されたわけだが、帰りもヴェルレーヌやミラルカたちと一緒に王都まで戻ってきた。
「ディック様、イリーナさんとメルメアさんは、少し疲労があるので屋敷で休まれています」
「ああ、ご苦労様……今日は色々あったが、来てくれて助かった。アシュトル公爵は、アルベインに対して敵意を持っていたからな」
「お祖父様には、私から事情を説明しました。最後には分かってくださり、アルベインの方々に対して謝罪を述べておられました。今後は、アルベインとの融和政策を支えるために尽力するとおっしゃって……」
「公爵はベアトリスを凄く可愛がってたんだな。あの場で会えて、本当に良かった」
ベアトリスは涙を拭う――そこで気づいたが、彼女の身体が本当にごくわずかだが、少し透けかかっている。
「近いうちにまた、屋敷の様子を見に行く。それまで大丈夫か?」
「は、はい……少しだけで大丈夫ですので、お近くにいて魔力を吸収させていただけると、当分は大丈夫です。ご主人様から、とても多くの魔力が溢れていて、近くにいるだけで……こんなに温かい……」
俺の魔力が溢れてしまっているということでもなく、レイスクィーンのベアトリスは、俺が同じ空間にいると言うだけでも多少の魔力は吸収できるということらしい。
そうこうしているうちに、ミラルカが師匠と一緒にこちらにやってくる。ミラルカはちょっと不機嫌そうで、師匠はいつも通り楽しそうだ。
「全く……ちょっと目を離すとこれだから。また、魔力の補給にかこつけて一緒のベッドで……ちゃんとけじめをつけるつもりはあるの?」
「ミラルカちゃんが分けてあげるのは駄目なんだっけ。それだと、ディー君しかいないから仕方ないかな」
「仕方ないで済ませられる範囲のことならいいのだけど……」
ミラルカはじっとこちらを睨めつけてくる。その視線が痛くて針の 筵(むしろ) になった気分だ――と、ふと視線を動かして、ミラルカが見覚えのある色の酒が入ったグラスを持っていることに気づく。
「これは……『虹の雫』?」
「え、ええ。貴方が帰ってくる前に、用意しておこうという話になって、協力して作ってみたのだけど……」
「ディックが色んな意味で帰ってきたお祝いだよ。ほんとは『神酒』も隠し味に使えたりすると良かったんだけどね、それはまた今度にしようかな」
「ディックさんのお作りになった『虹の雫』というお酒とは、少しだけ違うんです。おわかりになりますか?」
虹の七色が入った酒の上に載せてあるのは――あまり客には出さないが、俺の好きな果実である『闇スグリ』だった。
その名の通り、洞窟の奥で光苔の明かりだけで育つスグリの木から採れる珍しい果実だ。
どこかの洞窟に植え替えをして自家栽培を試みたいのだが、まだ試験中で上手くいっておらず、天然のものを入荷するしかない。今は、在庫も切らしていたはずなのだが。
「カルディナ食料品店から、ご主人様が不在のうちに届けられておりました。料理長が預かっていたので、ご主人様のおもてなしにうってつけかと思いまして」
虹の雫に浮かべられた黒い実。思ったより色合いは悪くなく、ブレンドの具合も俺が作ったものと遜色ない。
「じゃあ、遠慮なく……味が濁らないように、エールより先に飲ませてもらうか」
ミラルカは緊張した面持ちで俺にグラスを渡す。まずは混ぜずに口をつけてみると、グラスを傾けたときにほどよく七種の酒が混じり合い、口の中で色とりどりの風味が花開くようだった――素晴らしい出来だとしか言えない。
闇スグリの果実が載せてあるだけでなく、全体の色を壊さずに風味を添えられるように、蒸留酒に風味だけを移したものも入れてある。俺が酒を作るところをよく見ているヴェルレーヌでなければ、こんなやり方は思いつかないだろう――後味に清涼感が加わり、『虹の雫』がさらに一段階上の酒へと変わる。
「ああ、旨いな。闇スグリをこんなふうに使う発想はなかった」
「あなたはそのままつまむのが好きみたいだから、お酒に使う前に無くなってしまっていた……と、ヴェルレーヌさんが言っていたけど。そんな好物があるなんて、今まで一度も言ったことはなかったじゃない」
「お父さんの好きなもの、おか……お姉ちゃんたちが沢山知りたいって。ねえ、他に好きなものは何があるの?」
それに応えるなら、実はありすぎて困るというくらいなのだが――希少な食材を幾つも仕入れて、メニューの研究をする中で、これに耽溺してしまうと常時手に入るわけではないので困るというものが幾つもあった。
「……ディックの好きな物……できれば、教えてもらえたら嬉しい」
「ああ……お姉さまはちゃんと赤の色を入れていただいているのに、私は……」
ロッテはもう少しエールの酒精が回ってきているのか、酔っていつもと様子が変わってきている。酔わせると大変なことになるというのは、実は以前色々とあって学習しているので、あまり飲ませすぎないように見ていないといけない。
しかしやはり、ロッテは姉のシェリーと違い、スフィアの母になれなかったことを気にしているようだ。そんな妹の頭を優しく撫でながら、シェリーは『虹の雫』の赤色の部分を指差して言う。
「私とロッテは、二人で一つだから。ここのところに、ロッテも入ってる」
「本当ですか? それなら私は、お姉さまと同じ気持ちでいてもいいんですか……?」
「もちろん。ディックが迷惑でなかったら……」
シェリーも酔っていないと思っていたのだが、その目がとろんとしてきている――彼女たちからも目が離せなくなってしまった。
「ああっ、もう……そんなところでいつまでも立ち話をしていないで、こっちの席に来て座りなさい。お酌くらいしてあげるし、あなたは今日くらい動かなくていいわ」
「い、いや、自分が動かないっていうのは落ち着かないんだが……」
ミラルカが優しいというのも珍しいのでお言葉に甘えたいのは山々だが、俺はもてなされるより、もてなす側の方が性に合っている。しかし厨房からハレ姐さんが出てきて、俺の言い分をシャットアウトしてしまった。
「何言ってんのさ、ダンナ。料理はあたいに任せて、どっかり座ってなって。ほら、厨房でラムサスも頑張ってくれてるからさ……それにしても相変わらず可愛いねえ、スフィアちゃん。何が食べたい? お姉ちゃんが作ってあげようか」
「私より、お父さんの食べたいものを作ってあげてください。それを私は、お母さんと一緒に、あーんってしますから」
さらりととんでもないことを言う我が娘――みんなの無言の目配せと、順番決めがすでに始まっている。
「ディー君、日が変わるまでって言ってたけど、今日くらいは朝まででもいいかもね。大丈夫だよ、私も付き合うから」
「あー、やっぱりリムセさんが一番っていう雰囲気出してる。でもね、あーんってするのはあたしが一番めだから。ディック、何食べたい?」
「分かった、選ぶから無造作にくっつくな、適切な間合いを……」
俺をテーブル席に引っ張っていこうとするアイリーンに注意するが、彼女の目が猫のようにきらりと輝いたかと思うと、さらに間合いを狭められる――その瞬間、俺は八方から痛いほど視線を受けていることを否応なく自覚する。
「くぅ~、マスターってばどれだけ人気者なんですか!」
「まさに男の中の男……どうすれば俺もその境地に達することができるのか。今夜は語り合いましょう、ゼクトさん」
「……そうだな。マスターとは戦闘技術についても語り合いたいところではあるが……ミヅハ、あまりはしゃぐなよ」
「はしゃいでるんとちゃうもん、うちはウェイトレスさんの仕事してるだけやから。マスター、お料理お持ちいたしました♪ アルベイン豚ほほ肉のハーブ煮でございます」
俺の身内で満席になった店内は、大いに盛り上がっている。四人がけのテーブルを3つ組み合わせても席が足りず、入れ替わり立ち替わりで話し、酒を飲み、旨いものを食べる。
夜が明けるまでのひとときの宴を、今は楽しむ。そのうちに俺の隣に座ったコーディは、既にエールを三杯飲んで顔が赤くなっていたが、酔って性格が変わるということもなく、俺と二度目の乾杯をして、『清爽のレモンエード』を口にしながら言った。
「……ありがとう。君のおかげで、ようやく兄のことに向き合える勇気が持てたよ」
「そうか……済まないな。戦う以外の選択ができなくて」
「いいんだ。君が戦ってくれたことが、僕は嬉しかった。僕は兄がどれだけ酷いことをしても、戦う勇気すら持てなかった……でも、今日は君と一緒に戦えた」
「レオンのしたことは、償わせないといけない。でもそうすることで、コーディが苦しむのなら……」
俺の言葉を遮り、コーディは何を思ったのか、フォークの上に肉を載せて、自分の手を添えて俺の口元へと差し出す。
――その顔は、他の誰が見たとしても、コーディが女性だと気づいてしまうくらいに、初々しい恥じらいで赤く染まっている。
「あの兄を倒す……心を折る。そして、牢獄にでも入ってもらう。僕は騎士として、国に仇なした彼を放ってはおかない。それは義務でもあるけど、僕の意思でもある」
「……そんな顔で言うことじゃないけどな。覚悟は伝わったよ」
「……どちらも僕にとっては、重大な決断だよ」
俺はできるだけさりげなく、コーディの差し出した肉を口に運ぶ。男同士だったらどう考えてもやらないことなので、一部のギルド員――そしてカスミさんが敏感に反応している。ミラルカたちはコーディのことをにやにやと見ているが、それはからかっているわけではなくて、純粋に祝福しているのだろう。俺とのことを、と言われれば照れることこの上ないが。
「忘却のディックさん、騎士団長に食べさせてもらうお肉は美味しいかしら?」
「……味が違うかどうか、ミラルカも俺に食べさせてみるか?」
「っ……わ、私はそういうつもりで言ったわけじゃ……」
「えー、さっき向こうで順番決めてたときは、ミラルカ嬉しそうにしてたのにー」
「あ、あなたって人は……っ、待ちなさい、アイリーンッ!」
「きゃーっ、怒らないで! ディック、お腹いっぱいまで食べちゃダメだからね、あたしの順番だってあるんだからね!」
二階へと逃げていくアイリーンをミラルカが追いかけていく。いったん休憩と言うことになるのだろうが――今の二人なら、喧嘩にはならないだろう。
「すー……」
「あ、スフィアちゃん寝ちゃってる。ディー君、二階に運んであげて」
人工精霊でも普通に寝落ちをする。師匠と一緒に酒場の制服を着てフロアを動き回っていたので、少し魔力を消耗してしまったようだ。
「……ヴェルちゃんよりも、私の方が似合うって思ってくれてる?」
「うーん……甲乙つけがたいな。でも、よく似合うよ」
「えっ……あ、あの、ディー君、気に入ってくれてるなら、私もヴェルちゃんみたいに毎日着るけど……」
「何を言う、これは店主とウェイトレスの特権だぞ。師匠殿には別の方面から、ご主人様の籠絡に挑戦してもらおう」
「う、うん……じゃあ、頑張ろうかな。私、男の子を喜ばせる方法ってよくわからないけど……年長者らしさを見せないと、愛想をつかされちゃうよね……」
師匠が本気で考えたら、俺などそこまで難しい壁ではない気がするのだが――と考えたところで、ヴェルレーヌがハッとした顔で師匠を見た。
「一人では難攻不落のご主人様も、二人なら……師匠殿、少し意見を聞かせてもらってもいいだろうか。ひとまず、帰ってきた後のご主人様に酌をしながら、ご主人様の幼少期についての話を聞かせてもらいたい」
「うん、いいよ。ディー君がどれくらい可愛かったか教えてあげる」
「あ、あまり根こそぎ話すなよ……恥ずかしいことこの上ないからな」
俺はスフィアを抱き上げて、二階まで一旦運んでいくことにする。触れることのできる肉体を持つスフィアだが、見た目よりもずっと軽い。
――そのスフィアが、階段を上がる途中で、俺の首に腕を回して抱きついてきた。
「お父さん、お疲れ様」
「あ、ああ……ごめん、起こさないようにしようと思ったんだが」
「ううん、大丈夫。あのね、お父さんのことをみんな好きでいてくれるから、すごく嬉しかった」
「そう……だな。それは、俺も素直に感謝してる」
他人の厚意を否定することばかり言うのは、謙遜とは違う。だから俺は、スフィアの言葉を素直に受け入れた。
そんな俺を見て目を潤ませるスフィア。人工精霊の定義とは何なのだろうと思う――これほど感情が豊かで、一個の意志を確立していて、人間と変わらぬ振る舞いができるのなら、それは人間と変わりないのではないだろうか。
「私もお父さんのことが大好きだよ。助けてくれて、ありがとう」
そう言ってスフィアが動き、頬にかすかな感触が残る。
娘からのキス。そんなふうに愛されるような親には、正直自分がなれるのかどうか疑問だったが――現実にそうなってみると、何があろうとこの子を守らなくてはという気持ちが強くなる。
「……あ。お母さんたちに見られちゃった」
「何だとっ……!?」
階段を上がった先の扉が開いていて、ミラルカとアイリーンが顔を出している。
このまま二階に上がったら、俺はどうなってしまうのだろう――と言っても、それほどの心配はなさそうだった。
「いいなー、あたしもディックに抱っこしてもらいたい……」
「……スフィアの気持ちが高まってしまうのも、無理のないことね。あなたは、そういうことを自覚なしにしすぎるのよ」
「す、すまない……って、俺が謝るところなのか」
「お父さん、『家庭円満』の秘訣は、お父さんがお母さんに優しくすることなんだって♪」
娘の容赦ない提案により、俺はミラルカとアイリーンの要望を一つずつ聞くことになるのだが――それより先に、やらなければならないことがある。
魔王討伐隊の第二次遠征、ラトクリス解放。それを無事に終えたとき、俺はようやく、カウンターの隅で依頼者の話を聞いていた日々に戻ることができると思った。