軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第八十九話 ランとヤマト

「……姉上、皆は大丈夫でしょうか?」

大興山の砦に鳴り響く警鐘を聞きながら、ヤマトが心配そうに姉に問いかける。

ランは弟を力づけるように大きくうなずいた。

「大丈夫ですよ。崋山の強兵が魔物ごときにやられるわけはありません」

ランはいかにも自信たっぷりという風に言い切ったが、注意深く聞けば、語尾がわずかに震えていることに気づいただろう。

一年前であったなら、ランの声が震えることはなかったはずだ。

当時の崋山は鬼界随一の大国であり、父王ギエンの下に猛将名将が列をなし、一兵卒に至るまで勇猛果敢だった。崋山軍に守られた 西都(せいと) で育ったランとヤマトは、生まれてこのかた魔物の脅威を感じたことなど一度もなかったのである。

それが中山に敗れ、父王は戦死し、ランとヤマトは家臣たちに守られて城外に逃れ出た。身体の弱い母は、自分が子供たちの足かせになることを恐れて西都に残ったが、姉弟がそれを知ったのは西都を離れた後であった。

その後、ランたちは追手から逃れるべく領内を東奔西走し、ついには辺境の大興山へとたどりつく。

崋山軍はそこに砦を築いて立てこもった――といえば聞こえはいいが、実際には他に行くべき場所もなく、中山軍の影におびえて居すくまっているにすぎない。

ランは政治や戦略といった分野には と(・) ん(・) と(・) 疎かったが、それでも自分たちの置かれた状況が八方ふさがりであることは理解していた。

崋山の姫として何不自由なく育った身が、生木を組み立てただけのあばら家で幾日も幾日も寝泊まりさせられていれば、世間知らずの姫にも洞察力が芽吹こうというものである。おまけに出てくる食事はひどく塩辛いスープと、石のように硬い 蕎麦(そば) がきだけ。これでは前途に希望を見出せるはずもない。

それでもランが周囲の者たちに不満をもらさなかったのは、地位を笠に着た振る舞いをしてはならない、と母からうるさいくらいに教え込まれていたからである。

どれだけ粗末でも屋根がある場所で寝られ、日々の食事ができるランたちは、他の将兵にくらべればめぐまれている。なにより、自分よりも幼いヤマトがまったく不平不満を口にしていないのに、姉であるランが弱音を吐くわけにはいかなかった。

今もヤマトは自分の身ではなく、外で戦っている将兵の身を心配している。ランは弟をはげましながら、なんとかこの子だけでも中山の魔手から逃がさなければ、とあらためて心に誓う。

ふたりがいる部屋の壁が、轟音と共に吹き飛んだのはそのときだった。

「ヤマト!!」

とっさに弟を抱きよせたランの身体に、砕け散った壁木の破片がいくつも降り注いだ。とがった破片のひとつが顔をかすめ、ランの額から一筋の血が流れ落ちる。

ランはそのことに気づいたが、血をぬぐっている暇はなかった。崩れた壁から一体の魔物が姿をあらわしたからである。

長く伸びた二本の触覚、ぎょろりとうごめく二つの複眼、血に濡れた巨大な 顎(あご) 。左右の腕は鎌をおもわせる造りをしており、膨れあがった胴体からは四本の脚が伸びている。

一言でいえば、それはカマキリだった。ただし、ランが宮中の庭で見たことのある虫とは比べ物にならないくらい大きい。この大きさならば鬼人をエサとして捕食することもできるだろう――いや、実際に捕食した後なのかもしれない。

不気味な音をたてて左右に開閉する魔物の 顎(あご) は、血に濡れたようにてらてらと赤く光っていた。

「姉上!」

「ヤマト、私の後ろに!」

弟の身体を離したランは、素早く懐中から短剣を取り出して魔物と対峙する。

だが、その顔は蒼白であり、短剣を握りしめた手は細かく震えていた。ランは魔物と正面きって戦えるような武術や魔術は修めていない。習ったのは護身術がせいぜいで、それも鬼人を相手にすることを想定したものだ。むろん、魔物と戦った経験などあるはずもない。

くわえていえば、ランは虫が大嫌いだった。ましてやこれほどのサイズとなると、恐怖以上に嫌悪感が大きい。しっかりしなければ、とランは内心で己を叱咤していたが、どうしても手足が震えてしまう。

弟を守らなければ、という意識がなかったらこの場で卒倒していたに違いない。

反射的に入口を見たのは、異変を察した兵士が助けに来ることを期待したからである。ここが西都の宮中であれば、即座に護衛の兵が飛び込んできて姉弟を守ってくれただろう。

だが、今の崋山軍にはランたちの護衛のために兵士を張りつけておく余裕はなかった。反乱の旗頭であるヤマトに護衛さえつけられない。それが大興山の現状なのである。

光神教がつけてくれたクルトという護衛が席を外していたのも不運だった。

もっとも、仮にあの青年がこの場にいても、自分たちを守ってくれるとはかぎらないが、とランは思う。クルトは明らかに護衛の役割に不満を持っていたし、ランたちに向ける言動にも 圭角(けいかく) が目立つ。

実のところ、ランはクルトが中山軍の回し者ではないのか、とこっそり疑っていた。

「……ヤマト、これから私が合図を出します。そうしたら、あなたは走って外に逃げて、カササギ殿のもとへ向かいなさい」

「で、ですが、それでは姉上が……!」

「私もすぐに後を追います。わかりましたね?」

押しかぶせるように姉にいわれてしまえば、ヤマトはうなずくしかない。

震える声で、はい、とうなずく弟に申し訳なさをおぼえつつ、ランが「走りなさい!」と叫ぼうとしたときだった。

入口から新たな個体がぬっと室内に入り込んできた。最初と同じカマキリ型の魔物。ヤマトが小さな悲鳴をもらしたことで、ランも新たな個体に気がついて表情に絶望をひらめかせる。

それを隙とみてとったのか、あるいはもう一体に獲物をとられまいと考えたのか、最初に入り込んできた方の魔物が両の鎌をふりかざしてランに襲いかかった。

緑色にぬめる鎌が視界いっぱいに広がり、ランはひっと悲鳴をもらして目をつぶってしまう。

次の瞬間、鎌のごとき魔物の腕が自分を捕らえ、引き裂くであろうとランは覚悟した。

だが――

「…………?」

衝撃はいつまでたっても襲ってこなかった。

かわりに聞こえてきたのは喜びに弾む弟の声。

「クルト!」

その声に促されるように慌てて目をひらいたランが見たのは、自分を守るように背中を向けて立っている 白髪(はくはつ) の青年の姿だった。

直後、がたごとと音をたてて何かが床に落ちる。それが、何者かによって斬り落とされた魔物の左右の腕であるとランが気づいたとき、クルトの口から鋭い気合の声が発された。

「 喝(カァ) ッ!!」

鞭打つようなクルトの声は、まるでそれ自体が一個の武器であるかのように魔物を吹き飛ばした。両腕を失った魔物は、自らがあけた壁面の穴を通って外へと押し出される。

いや、押し出されるだけではない。ランの視線の先で、カマキリの姿をした魔物の 頸(くび) はへしおれ、脚はちぎれ飛び、膨れあがった腹は破れて中の臓物をさらけだしている。

クルトは気合の声だけで魔物を倒してしまったのだ

思わず安堵の息を吐こうとしたランは、ここでもう一体の存在を思い出して、慌ててクルトに警告を発しようとする。だが、入口を振り返ったランはそれが必要ないことを悟った。

そこには 頸(くび) と胴を切断された瀕死の魔物が横たわっており、手足をのたのたと動かしている。まだかろうじて生きているようだが、長くないことは明白だった。そして、魔物を斬ったのが駆けつけたクルトであることもまた明白だった。

「無事か?」

「はい! ありがとうございます、クルト!」

振り返ったクルトがたずね、ヤマトが嬉しそうに応じる。

ランも慌てて礼を述べようとしたが、言葉がうまく出てこない。一瞬とはいえ、魔物相手に死を覚悟した反動だろう、身体が小刻みに震えて止まらなかった。

クルトはランの異常に気づいたようだったが、命に別状はないと判断したのか、それ以上言葉を重ねようとはしない。

崋山軍がすべての魔物の撃退に成功したのは、それから間もなくのことであった。

「クルト殿には幾重にも礼を申さねばならぬな。貴殿がおらねば、ヤマト様とラン様は魔物のエサになっていたかもしれぬ。そのようなことになっていたら、冥府のギエン様に何とお詫びしてよいものやらわからぬわい!」

そういってガハハと大笑したのはカササギという壮年の武人だった。今回の反乱の首謀者であり、崋山軍の事実上の指揮官でもある。

かつては崋山十六槍に数えられた歴戦の戦士であり、猛将としての武名も高いが、反乱軍の指導者としてはいささか緻密さに欠ける面は否めなかった。そして、それは言動にもあらわれている。

今の言葉も、主筋にあたるランとヤマトを前に発してよいものではないだろう。そもそもヤマトたちが危険にさらされたのは指揮官であるカササギの責任なのだ。

だが、カササギはそのことに気づかずに哄笑している――いや、もしかしたら気づいてはいるのかもしれない。普段はヤマトたちを軍議に呼ばないカササギが、今日にかぎって軍議に呼んだのは、そのあたりの心理が関係している可能性はある。

そのカササギに名前を呼ばれたクルトは、冷めた目で相手を見返しただけで言葉を返そうともしなかった。

その後、カササギは集まった将兵の前でいくつかの話題を持ち出したが、いずれも現状の改善に結びつくものはなく、軍議はこれまで同様に何の成果もないまま終わるかにみえた。

だが、カササギが閉会を告げる前にヤマトが口をひらく。

形ばかりの首座に座らされたヤマトは、カササギに向けて、そして軍議に集まった者たちに向けてひとつの提案を口にする。

――それは中山に降伏し、自分の命と引き換えに将兵の助命を願う、という案だった。