作品タイトル不明
幕間 ???
戦(いくさ) は 佳境(かきょう) を迎えようとしていた。
赤錆(あかさび) 色の空の下、黒い甲冑を身につけた軍勢が、赤い甲冑をまとった敵軍を次々に打ち破っていく。その勢いはすさまじく、赤の軍勢が劣勢を挽回することはもう不可能だろう。
ただ、敗れた赤の軍勢も無様に逃げまわることはせず、敗勢の中でも懸命に踏みとどまって敵に出血を強いていた。
ここで敗走すれば故郷が敵に 蹂躪(じゅうりん) されてしまう。その恐れが赤の兵士たちに抗戦の気力を与えているのだろう。
黒の軍勢にも無視できない被害が発生しつつある。それと悟って、黒の軍を率いる年若い指揮官が鋭く舌打ちした。
「ち、さすがは 崋山(かざん) の精鋭。しぶといな」
灰色のざんばら髪に 赤銅(しゃくどう) 色の肌。額から鋭く突き出た一本の角。
顔に若さと英気をみなぎらせた鬼人の少年は、着ていた 戦袍(せんぽう) を捨てて 諸肌(もろはだ) 脱ぎになった。
鋼のように鍛え抜かれた上半身があらわになり、同時に、その胸に刻まれた無数の向こう傷もあらわになる。反面、背には毛一筋ほどの傷もない。
歴戦の戦士の体躯をさらした少年は、敵の指揮官を探した。赤の兵士たちは指揮官の命令がないかぎり抗戦をやめず、ついには全滅するだろう。一刻も早く、敵の指揮官に敗北を認めさせる必要があった。
――実のところ、少年自身に「早く戦を終わらせねば!」という焦燥があるわけではない。赤の兵士を皆殺しにすることに痛みを感じているわけでもない。
負けたら死ぬ。故郷は焼かれ、家族は殺される――戦とはそういうものだ。実際、少年の父は赤の軍に敗れて命も領土も失い、幼かった少年もそのときに生死の境をさまよっている。
この戦いは少年にとって復讐の総仕上げ。いよいよ復讐が成ると思えば、自然と唇の端が吊りあがった。
だが――
「それでは駄目だってのが 兄者(あにじゃ) の口癖だからな」
侵し侵され、奪い奪われ、殺し殺される。鬼人同士がそうやって争えば争うほど、人間たちを喜ばせる。
少年は戦場となっている 砂礫(されき) の大地を見渡した。
草の一本も生えていない、小川のひとつも流れていない、石と土だけの枯れ果てた大地。
赤錆色の空から降る雨は常に鉄臭く、大地に恵みではなく 淀(よど) みをもたらす。
この土では 麦(むぎ) はおろか 蕎麦(そば) さえまったく実らない。そして、この不毛さは今少年が戦っている地域にかぎった話ではなかった。
この世界において耕作可能な土地はごくわずかであり、そこから収穫される作物は鬼人の総数を養うにはとうてい足りない。自然、鬼人たちは徒党をつくり、数少ない農地をめぐって争うようになった。自分と家族、仲間が生きていくためにはそうするしかなかった。
時に、英雄と呼ばれる存在があらわれ、鬼人族をまとめあげて『外』へ打って出ようとすることもある。
だが、そういった企みは例外なく『門』の番人たちによって叩き潰された。かつて鬼人族を罠にはめ、この不毛の世界に縛りつけた卑劣な裏切り者たちは、しかし、その強さだけは疑いようがなく、この滅びた世界からの解放を願う鬼人族の悲願を蹂躪し続けている。
それを思うと、少年の拳は自然と震えた。
悔しさに? むろん、それもある。
だが、少年の拳に込められた力の多くは、過去ではなく未来に向けられていた。
――三百年の 煉獄(れんごく) を、自分たちの手で打ち破ってみせるという決意こそが少年の拳を震わせているのだ。
力強く地面を蹴って駆け出した少年が向かう先は、敗勢の中、いまだ一定の秩序を保っている赤の兵士の一団だった。
敵軍の真っ只中に躍りかかった少年は、得意の 勁(けい) 打(だ) ―― 勁(けい) を用いた素手の戦闘術で赤の兵士を蹴散らしつつ、高らかに名乗りをあげる。
「 中山(ちゅうざん) 王(おう) アズマが弟カガリとは俺のことだ! 雑兵に用はない! 我が名に臆さぬ 猛者(もさ) だけを 所望(しょもう) する!」
「中山四兄弟の末弟か! 若年ゆえに 逸(はや) ったな! 我は崋山十六槍の一人、イサギである。いざ尋常に勝負せよ!」
少年――カガリの前に、明らかに指揮官と思われる豪奢な甲冑を身につけた戦士が槍をしごきながらあらわれる。
熊のごとき敵の巨体に対し、カガリはどちらかといえば小柄である。まして、槍に対して素手。カガリの不利はまぬがれないものと思われた。
だが。
「がぁ!?」
開始早々、素早く相手の 懐(ふところ) にもぐりこんだカガリの拳が、敵将の顔面に炸裂する。 勁(けい) で強化したカガリの脚力に、敵はまったくついていけなかった。
鼻血を撒き散らしながら、もんどりうって倒れる敵将。望めば手刀で首を切ることもできたが、カガリはあえてそれをしなかった。わざわざ命を取らずとも、激しく頭蓋を揺さぶられた敵は当分のあいだ目を覚ますことはないだろう。
勝敗はあっけなくついたが、イサギと名乗った敵将は武名のある人物だったらしく、崋山兵の間に驚愕が駆け抜けた。
「イサギ様が一撃で、だと!?」
「『黒狼』カガリ……おのれ!」
味方を助けんとして、またカガリを討たんとして、崋山兵が一斉に動き出そうとする。
応じてカガリも拳を握り締めたが、そのとき、両者を制するように重々しい声がその場に響き渡った。
「――やめよ」
そういって崋山兵を割って姿をあらわしたのは、先のイサギが小柄に見えるほどの巨躯の人物だった。
傷だらけの甲冑をまとったその巨漢の名をカガリは知っている。 崋山(かざん) 王(おう) ギエン。カガリたち兄弟の父を殺した宿敵である。
「 中山(ちゅうざん) の小せがれか。あの 幼子(おさなご) が大きくなったものよな」
「そういうあんたはずいぶん老けたな、崋山王」
「ふ、子供が成長すれば、大人は老いる。自然の 理(ことわり) であろう」
崋山王が右手を伸ばすと、心得た配下がその手に巨大な戦斧を握らせる。
「貴様と、貴様の兄どもを父親共々殺しておかなかったのは、我が生涯の悔いとなっておる。ここで貴様を討つことで、悔いの一片なりと晴らすとしよう」
「……それはこっちも望むところだが、あんた、その身体で戦えるのか?」
カガリの視界に映る崋山王の姿は、傷ついていないところがない、というくらいに傷だらけだった。何度も切りつけられたのだろう、甲冑も戦袍もぼろぼろであり、肩には三本の矢が突き立ったままだ。
手足には包帯が幾重にも巻かれており、そのいずれもがどす黒く変色している。正直、よく立っていると感心するくらいである。
これでは心装も扱えまい、とカガリは思ったのだが、崋山王は意に介さず、腹を震わせるようにして大きく笑った。
「貴様のような青二才を相手にするにはちょうどいいハンデであろう――いくぞ!」
崋山王が地面を蹴った。戦斧が吼えるような音をたててカガリに襲いかかる。
この剛撃をとんぼ返りの要領でかわしたカガリは、地面に降り立つや、即座に反撃に移った。
小兵(こひょう) のカガリであるが、その信条は正面突破と真っ向勝負である。 大兵(だいひょう) の崋山王相手に一歩も引かず、息もつかせぬ激闘が繰り広げられた。
だが、やはりというべきか、深手を負っている崋山王の動きは鈍く、次第にカガリに押されはじめる。
そして――
「ぐッ!」
ついにカガリの拳が崋山王の肩をとらえた。カガリの 勁(けい) 打(だ) は攻撃の威力を相手の体内に 浸透(しんとう) させる。鎧越しの一撃でも威力が衰えることはなく、崋山王の肩は一瞬で砕かれた。
たまらず顔を歪める崋山王の胸に、追撃の回し蹴りが叩き込まれる。
声もなく吹き飛ぶ崋山王。このとき、カガリは追撃をしかけようと思えばできただろう。しかし、あえてそれをしなかった。する必要がない、と判断したからである。
「……くははは! 見事だ。その 齢(よわい) で、よくぞここまでの武を身につけたもの。すでに戦才は父を超えたな」
苦しげな声で、それでも笑いながら崋山王がカガリを称賛する。
カガリが無言でいると、崋山王の顔に純粋な疑問が浮かんだ。
「解せぬな。それだけの腕を持っていながら、貴様、何故に唯々諾々とアズマに従う? 貴様だけではない。貴様の兄たちもだ。貴様らが望めば 一山(いちざん) の支配などたやすかろうに」
「ふん。たしかに俺とアズマ 兄(にい) が戦えば、百回のうち九十五回は俺が勝つだろうさ。ドーガ 兄(にい) なら百回中百回かな。だけど、それだけだ。俺やドーガ 兄(にい) では、 五山(ござん) 最弱だった中山を立て直すことはできなかった。他の三山を取り込んで、こうしてあんたを倒すこともできなかっただろう」
「わからんなあ……強き者が上に立つ。それがこの地のすべてではないか」
「そのとおり。だからこそ、中山の王はアズマ 兄(にい) なんだ。俺やあんたの強さと、アズマ 兄(にい) の強さは違うんだよ」
「ふん、やはりわからん。が、負けは負けだ。さあ、我ら崋山を 屠(ほふ) って五山統一を果たすがいい、中山の王弟よ。そして、あの 忌々(いまいま) しき門を打ち壊し、裏切り者どもから我らの故郷を取り戻せ」
それが勝ち残った者の義務だ、と崋山王は苦しげに笑う。
カガリは唇を引き結んでうなずいた。
「いわれるまでもない。俺たちは必ず故郷を取り戻す」
「良き顔だ。あるいは、貴様がもっとも父親に似ているのかもしれぬな」
いうや、崋山王はおもむろに自分の角を握り締めた。それをみた周囲の崋山兵が悲鳴にも似た声をあげるが、崋山王が 一瞥(いちべつ) すると、皆がその意を悟って一斉にうなだれる。
そして、次の瞬間――
「ぬんッ!!」
崋山王は気合と共にみずからの角をへしおった。角の破片が水晶のように輝きながら宙を舞う。
さらに一瞬の間をおいて、傷口からあふれるように血がほとばしった。
鬼人にとって角は魔力の源であると同時に命の源。それをみずからの手で折る行為は、鬼ヶ島でいう切腹と同義であった。
潮が引くように崋山王の目から光が失われていく。その光が消えぬうちに、と思ったのか、崋山王がかすれる声でいった。
「……願わくば、我が兵……我が民には、慈悲を…………」
「降伏した者に手は出さない。それが中山の軍規だ」
「ふ……そうか……」
崋山王はカガリに向けてゆっくりと己の角を差し出す。
カガリがそれを受け取った瞬間、崋山王の目から光が完全に失われ、手ががたりと地面に落ちた。
それを見ていた周囲の崋山兵の口から悲痛な声がわきあがる。
主君の死を嘆き、崋山の滅亡を嘆くその悲鳴は、同時に、五十年ぶりに誕生した統一鬼人王朝の 産声(うぶごえ) でもあった。
この戦いの勝利によって崋山を 併呑(へいどん) した中山軍は、統一の余勢を駆って悲願たる『門』の攻略にとりかかる。
待ち構えているのは、三百年にわたる難攻不落の歴史。
次なる戦いは、もうすぐそこまで迫っていた。