軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

16.恋も愛もわからず、この感情に名前はなく

姫様は、外見だけなら、箱入りのお姫様のように見えた。

長い金色の髪は、陽の光を反射して、きらきらと輝いていた。空と同じ色をした瞳は、優しくて温かかった。姫様は、きれいで、か弱くて、繊細で、お城に住んでいるお姫様がいるなら、まさにこの人だろうと思うような姿をしていた。

まあ、見かけはそうだったんだが……。

「……なるほど、危うい均衡状態なのですね。では、わたしが参ります!」

「 ─── はっ? えっ? 参りますってどこへ!? 姫様、あんたまさか、一触即発の状況になってる国境へ、自分から乗り込もうなんて考えてないだろうな!? いくら俺がついてるからって、馬鹿なこと考えるなよ!?」

「大丈夫です、バーナード」

「だ、だよな、いくら姫様でもそんな無茶な」

「わたしは一人でも行くと決めています!」

「なにも大丈夫じゃねえだろバカ!!」

姫様は……、なんていうか……、弱っちいくせに、駆け出す足だけは異様に早かった。度胸があって、行動力の塊だった。勇敢で、誇り高かった。ちっとも大人しくしていなくて、七回転んでも八回目に立ち上がれたら勝利だと考えているような人だった。臆病なくせに覚悟が決まっていて、決まりすぎていた。

そして、信じられないくらい、美しかった。

一年の大半を、国内を飛び回っているような姫様だったから、高そうな服を着たり、高そうな宝石を身につけていることは少なかった。姫様のことを、王女らしくないと、馬鹿にするような連中もいた。

だが、たとえドレスがボロボロになっていようとも。

朝も夜もなく馬を駆けさせて、汗と埃にまみれていようとも。

そんなことは関係ない。

姫様はいつだって、誰かのために駆けていく。

その姿より美しいものが、この世のどこにあるというんだろう。

姫様ほどきれいな人を、俺は知らない。

……一度、姫様に聞いたことがあった。

俺は、お姫様というのは、城の中にいて、ぜいたくな暮らしをしているもんだと思っていた。でも、姫様は、ほとんど城にいないよな? 本当は、世の中のお姫様というのは、みんな、姫様みたいに、一直線に飛び出していくもんなのか?

俺がそう、首を傾げながら聞くと、姫様は少し考えこんでから答えた。

「一般的なお姫様というのが、どういうものなのかは、わたしにもわかりませんが……。わたしが飛び出していくのは、お兄様よりは、まだ、わたしのほうが、身動きが取れるからですよ。お兄様は、しがらみや足かせが、たくさんあって、簡単には動けないのです。……お父様も、お兄様の動きには、過敏に反応しますからね……。その点、わたしは身軽ですから!」

ふうんと、俺は頷いた。

その『身軽』っていうのは、姫様が、王女様だってだけで馬鹿にする奴らを含んでいるんだろうな、とか。

姫様も、その『お兄様』とやらに比べたら、自分のほうが死んでも大丈夫な人間だと思ってるよな、とか。

俺は、姫様を見下す屑どもも、その『お兄様』ってやつも、まとめて首を飛ばしてやりてえな、とか。

いろいろと思ったことはあったが、口には出さなかった。

家族の話をするとき、姫様はいつも、少し悲しそうな瞳をしていた。

きっと、姫様自身は笑っているつもりだったのだろう。いつも通りの微笑みを浮かべているつもりだったんだろう。だけど、姫様の空色の瞳は、わずかに曇っていた。

俺は、その悲しみをどうにかしたかったが、俺にできることといえば、剣を振るうくらいなものだった。

俺は、姫様の命を守ることはできても、その『心』というものを前にすると、手も足も出なかった。俺に殺せない人間はいなかったが、俺に姫様の悲しみを消すことはできなかった。俺は無力だった。

そして、俺が、姫様の傍で、何もできずに、でくの坊みたいに突っ立っている間に、姫様は、自分の力で、すっと前を向いていた。

それから、俺を振り返って、晴れやかに笑ってみせるのだ。

「行きましょう、バーナード!」

蒼天の笑みだった。

姫様はいつだって、折れることを知らない花のように、しなやかだった。

姫様を、その服装だけで嘲笑う屑どももいた。姫様を、生意気な小娘として見下す馬鹿どももいた。

俺は、そいつらの首をまとめて刎ねてやりたかったし、俺にはそれが簡単にできた。

だけど、姫様はいった。

「わたしの身に、危険が迫っているときは、あなたの判断に任せます。わたしが戦いを命じたときも、どう動くかは、あなたの判断に任せます。ですが、そのどちらでもない場合は、剣を抜いてはいけません」

「あの屑どもは姫様を悪くいって、姫様を傷つけた。だから俺は剣を抜いていい」

「いけません。わたしの身体に危害を加えるのでなければ、あなたが動く必要はありません。……わたしはですね、バーナード」

姫様は、ふふっと得意げに笑った。

「こう見えても、舌戦は得意なのです。わたしを悪くいう者には、わたしが自分で反撃します。あなたが悪くいわれたときも、わたしがやり込めてみせます」

「それはべつにしなくていい」

「大船に乗ったつもりで、わたしに任せてください。言葉での戦いならば、わたしが見事に勝利を掴んで見せましょう!」

姫様は、そういって胸を張った。

……だけど俺は知っていた。彼女が、本当は傷ついていることも、悲しんでいることも。彼女が、それでもなお、強くあろうとしていることも。

姫様はいつもそうだった。

姫様は泥にまみれていた。姫様は美しかった。姫様は弱かった。姫様は強かった。

─── それらすべてをひっくるめて、彼女はただ一人のうつくしいひとだった。

俺の世界の中心には、いつも彼女がいて、微笑んでいた。

それは、俺のこの空っぽな内側を満たす、ただ一つの光景だった。

─── だが、だからといって、殿下とどうにかなりたいなど、俺は考えたこともなかった。

俺が護衛になった当初は、国王と王太子は不仲で有名だったが、徐々に国王の勢力が削られて行き、王太子の即位が決定的になると、殿下の周囲にも、途端に人が増えた。

戦場で俺と一緒になったことのある連中は、俺を見るだけで青ざめて、そそくさと逃げていったが、ほかの貴族たちは、殿下の歓心を得ようと熱心にすり寄ってきていた。

俺はべつに、それをどうとも思わなかった。

殿下の立場を考えたら、ダンスに誘う男たちが現れることも、縁談の話が舞い込むことも、当たり前だ。

もちろん、その男が殿下に危害を加えるようなことがあれば、俺は剣を抜いたが、無害である限りは、俺が動く理由はなかった。

……その頃、俺が一番頭を悩ませていたことといえば、国内が落ち着いてきたために、殿下が俺に休みを取らせようとしてくることだった。

俺が傍を離れている間に、殿下に何かあったらどうするのか。休日なんて必要ない。

俺は何度もそう訴えたが、殿下は聞き入れなかった。あの人は、他者の話によく耳を傾ける一方で、非常に頑固な一面もあるので、ああいうときは、俺がなにをいっても、てこでも動かない。

かくして、休日を過ごす羽目になった俺は、あまりの虚無感に、一気に百歳も歳を取ったような心地になった。時間が経つのは、これほど遅かっただろうかと、頭を抱えた。殿下に出会う前に、どうやって時間を潰していたのかも、思い出せなかった。

隊舎にいるとボケそうだったので、俺は街へ降りてウロウロと歩き回った。

自分でいうのもなんだが、落ち着きのない猛獣になったような気分だった。

酒場でひたすらに酒を煽ってもみたが、俺は毒すら効かない体質だ。酒で酔えたためしがなかった。女の誘いに乗ったこともあったが、快感よりも虚無感のほうが大きかった。快楽に溺れる女を眺めながら、これほど夢中になれることが心底羨ましいとすら思った。

ちなみに、この休日問題は、今でも現在進行形で悩んでいる。

殿下、俺は休みなんていらないんですよ……。

王太子の即位後の夜会で、俺が殺し屋の首を飛ばして以来、殿下に舞い込む縁談は激減した……というか、ゼロになった話を聞いたときは、多少は申し訳ない気分になった。

しかし、まあ、チェスターがいるんだから大丈夫だろうとも思った。

副隊長のチェスターは、公爵家の三男で、殿下の近衛隊の中では最古参だ。

俺が殿下と出会ったときに、俺に剣を向けてきた男が、チェスターだった。

姫様が、俺を護衛として雇うといい出したときに、顔面蒼白で反対したのもチェスターだったし、姫様に押し切られて、頭を抱えていたのもチェスターだった。

俺と同じくらい姫様に振り回されていたのもチェスターだったし、俺が隊長として、あいつより上の立場になったときに、腹を立てるそぶりもなく「あんたを部下にするくらいなら、あんたの部下になった方が百倍マシです」としみじみといっていたのもチェスターだった。

俺は、人間の善し悪しというのは、ほとんどわからないのだが(俺の中の基準は、殿下に対して有害であるか否かだ。有害なら首を飛ばすし、無害なら放置する)、そんな俺からみても、チェスターは『いいやつ』だった。

聞くところによれば、殿下の近衛隊に、チェスターのような家柄の男がいるというのは、将来を約束されたも同然であるらしい。

俺は貴族のその手の遠回しなやり方についてはよく知らなかったが、チェスターが殿下の夫候補だというのは納得だった。家柄も、人柄もいい。剣の腕も、まあまあいい方だろう。チェスターなら、殿下の夫として、問題はなかった。

俺は、俺自身が殿下とどうこうなることなど、考えてもみなかった。

俺は、俺がまともでないことを知っていた。

俺は『人の皮を被った呪いの魔剣』という言葉がぴったりな人間で、剣を振るうことしか能のない男だった。首を飛ばすことに躊躇はなく、死体を見ても何も感じなかった。俺は間違えて人間に生まれてきてしまったような存在だった。

その俺が、あの殿下に触れることなんて、どうして考えられるものか。

殿下はどこまでも真っ当だ。美しく、清廉で、輝きに満ちている。殿下には光がよく似合う。

殿下だけは、幸せでいてほしい。殿下だけは、微笑んでいてほしい。あなたが幸福でいてくれるなら、俺は、世界中を殺しつくしたってかまわないんだ。

……まあ、自分でも、最後の発想に問題があるんだろうとは思う。これだから、殺すしか能のない人間は駄目だ。いざとなれば殿下以外の全員を殺して済ませようと思ってしまう。たぶん俺の前世は呪われた魔剣だったのだと思う。

チェスターに、一度聞かれたことがあった。

殿下のことをどう思っているのかと、あいつは、真剣な顔をして、正面切って聞いてきた。

だから、俺も真面目に答えた。

「俺は、殿下も、殿下の夫君も、殿下の御子も、生涯かけてお守りするつもりだ」

チェスターは、何ともいえない顔をした。だが、それ以上は、何も聞きだせないと理解していたのだろう。おとなしく引き下がった。

……たしかに。まあ、たしかに。

殿下への恋情だとか、独占欲だとかは、探せば、この身体のどこかには潜んでいたのかもしれない。

だが、俺はそんなもの、見つけるつもりはなかったし、認めるつもりもなかった。そんなものは俺にとっては有害でしかなかった。護衛ならば、殿下の身の安全だけを考えるべきだ。

俺は恋も愛もわからない男だ。それでいい。

俺の世界の中心には、殿下がいる。殿下だけがいて、微笑んでくれている。それは俺の虚ろを満たす、永遠の光景だ。

だが、この感情に名前をつけるつもりはない。

俺は、一生、殿下の傍で、殿下をお守りする。殿下に家族ができたなら、家族も含めてお守りする。

それだけが、俺の望みだった。

─── ……だから、まあ、なんというか、殿下が俺の心を望むなんていうのは、俺にとって想定外の事態であって、俺は、先ほどから、タオルに顔を埋めたまま、耳まで赤くしている殿下に、なんと声をかけていいのか、わからないでいる。