軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

10.恋の終わり

わたしが思わず目を開くと、彼は困った顔をして「あなたの耳に入れたい話じゃなかったですし、今となってはどうでもいいことですからね」と、取りなすようにいった。

わたしは、なんといえばいいのか、言葉が見つからないまま、曖昧に頷いた。

「そんなことが、あったのですね……」

「あぁ、でも、べつに、それで女性が苦手になったとか、そういう話でもないですからね? 俺は、割り切った関係ならいいんですよ。お互いに楽しんで終わりならいいんです。双方に対価があるなら真っ当でしょう。ただ、下心丸出して、自分のものになってくれだとか、あるいは、俺のものにしてくれだとか、そういうのが気持ち悪くて、苦手なんですよ」

サイモンが、バーナードを見上げて、しみじみといった。

「隊長も苦労されてきたんですね……。モテ自慢にも聞こえますけど……」

「あのな、自分に何のメリットもないのに、愛だの情だのを持ち出して、あなたが欲しいだの迫られてみろ。普通に気持ち悪いぞ」

「えー、俺は嬉しいですよ。好きっていわれたら、好きになっちゃうかも。恋愛じゃなくても、自分の実力を認められて、雇いたいっていわれたら、悪い気はしないです。隊長は、そういうことないんですか?」

「俺は愛だとか恋だとかはわからん。雇いたいといわれても殺意しかわかない。お前がいうような情は、抱いたことがないから、ひたすらに気持ち悪いだけだ」

「そっ、そうなんですか、隊長!? ひええ、隊長が『間違えて人間に生まれてしまった』という噂は、本当だったんですね……」

「まあ、そうかもな」

そうなのか。知らなかった。

知らなかったから。

─── わたしも、今まさに、愛や恋を持ち出して、バーナードに迫ることを考えていた。

彼に何のメリットもないのに、わたしと結婚してほしいと望むことを、考えていた。

指先が震えてしまいそうになるのを、渾身の理性で抑えつける。

わたしは、にこにこと、笑みを保って、二人の会話を聞いていた。

全身全霊で、微笑み続けた。

バーナードに、何も気づかれてはいけない。

何一つ、この気持ちを悟られてはいけない。

知られたら、全部終わってしまう。わたしたちが培ってきた信頼関係は壊れて、今までの思い出にさえ、彼にとっては不快さが混じってしまうかもしれない。

よかったと、思った。

彼を口説こうなんて、愚かな行動に出る前に、彼の気持ちを知ることができて、本当によかった。

心から、そう思った。

バーナードは、わたしへ視線を戻すと、少し顔をしかめていった。

「お疲れですか、殿下?」

「いいえ。大丈夫ですよ」

「殿下の大丈夫は信用できません。少し休まれたらいかがですか」

「休憩なら、今しましたよ。そろそろ仕事に戻ります」

バーナードは、不満そうな顔をしたけれど、それ以上強くはいわなかった。いってもわたしが聞かないことは、彼もよくわかっている。

バーナードは、しばらく押し黙った末に、感情のこもらない、静かな口調でいった。

「結婚についてなら、チェスターに、直接聞いてみたらいかがですか?」

「チェスターに……? どうして?」

わたしが、うまく思考が回らないまま、ぼんやりと尋ねると、バーナードは、今度は眉間にしわを寄せて答えた。

「チェスターにも考えさせるべきでしょう。あなたが一人で抱え込むことはない」

その声には、なぜか、怒りがこもっているように聞こえた。

でも、実際はどうなのかは、わからない。今のわたしは、冷静になれていない。それは自分でも自覚している。

……チェスターに、何を考えさせろというのだろう? わたしの結婚について?

あぁ……、そうか。もしかして、バーナードは、彼がわたしの元を去った後のことについていっているのだろうか?

お兄様の事情も、わたしに縁談が来ないことも、バーナードは知っている。これを解決する方法は一つだ。それは間違っても、わたしが彼と無理やり結婚することじゃない。

バーナードが、わたしの傍からいなくなることだ。

皆が恐れているのは彼なのだから、彼が去れば、わたしの元へは、ありふれた政略結婚の縁談がやってくるのだろう。

バーナードがいなくなったら、チェスターが隊長になる。今後について、二人でよく話し合っておいた方がいいという意味なのかもしれない。

わたしは、頭の片隅でそう考えて、バーナードに頷いてみせた。

夜の帳が落ちて、空には、か細い三日月だけが輝いている。

一日の政務を終えて、侍女たちも皆下がらせた。

わたしは、寝室で一人、ベッドに腰かけていた。

睡魔はなかなか訪れなかった。

もう、誰も見ていないというのに、まだ、気が張り詰めているのだろうか。それとも、このショックを、受け止めきれていないせいだろうか。

「……馬鹿だわ、わたし」

ぽつりと、声が零れた。

馬鹿だった。こうやって突きつけられるまで、気づかなかった。

バーナードと、どうにかなりたいとは考えていないつもりだった。政治のための結婚をするつもりだった。覚悟していた。割り切っていた。

それは本心で ─── でも、本当に、それだけ?

片手で口を抑える。嗚咽が零れてしまいそうだったから、強く、強く抑えた。

……本当は、どこかで、期待していた。彼がいつもわたしを助けてくれるから。いつだって守ってくれるから。わたしを見る瞳が優しいから。わたしを特別に扱ってくれるから。だから……。

─── わたしが好きだと伝えたら、あなたも、わたしとのことを考えてくれるかもしれない。女性として意識してくれるかもしれない。いつかは、振り向いてくれるかもしれない。いつか、あなたが、わたしを好きだといってくれるかもしれない。

そんな、浅ましい期待をしていた。望んでいないといいながら、割り切っているといいながら、心の片隅には、ずっと、愚かな夢を見てしまうわたしがいたのだ。殺しきれなかった“わたし”が。

震える呼吸を押し殺して、ベッドの中に潜り込んだ。

早く眠ってしまおう。明日も忙しいのだから、寝たほうがいい。こんなことばかり考えていては駄目だ。引きずらないで、忘れるべきだ。

─── だって、そうでしょう? これはもう、終わった恋なのだから。

……眠りが浅かったせいだろうか。

その夜は、夢を見た。

懐かしい夢だ。

バーナードと、初めて会ったときの夢。

わたしが、和平交渉のために訪れたはずの塔は、すでに反乱軍に囲まれていた。

罠だったのだ。チェスターも、サーシャも、必死に、わたしを逃がそうとしてくれたけれど、逃げ道がないことは、誰の目にも明らかだった。

こんなところで死ぬわけにはいかない。わたしが死んだらお兄様が一人になってしまう。わたしはまだ死ねない。何が何でも生きなくては。……そう、思いながらも、状況が絶望的であることは理解していた。

せめて時間を稼ぐと、チェスターは、わたしを塔の最上階へ連れていった。けれど、敵が最上階へ駆け登るまでのわずかな時間で、援軍が到着すると考えるほど、わたしも楽観的ではいられなかった。

サーシャは、わたしに、守り刀を渡した。それが意味するところは、明らかだった。

わたしは、サーシャがくれた短剣を握りしめたまま、じっと扉を見つめていた。

敵が、あの扉を蹴破ってきたら、それが最後だ。

お兄様に、心の中で謝った。これ以上、お兄様の力になれないのだということだけが、申し訳なく、悔しかった。

……そして、そのまま、どれほどの時間が過ぎたことだろう。

わたしは、やがて、困惑とともに、サーシャを見つめた。

サーシャもまた、怪訝な顔をして、扉の向こうを窺っていた。

戦は間違いなく始まったはずだった。兵士たちの雄叫びも、怒号も、駆けていく足音も、まるで地響きのように塔に反響していた。わたしたちは、その音が、この最上階へ到着する瞬間を、じっと待ち構えていたはずだった。

けれど……、今や、すべての音が遠い。少しずつ、戦の騒乱は遠ざかっていった。今では、ひどく静かだ。しんとしている。いったい何が起こっているのか。

わたしは、短剣を握りしめたまま、意を決して立ち上がった。

「姫様!」

サーシャは咎める声を上げる。

けれど、わたしは扉を開けた。

「ここで待っていても、状況はわからないでしょう。サーシャ、わたしは行きます」

塔を降りていく。味方の兵士たちの亡骸や、負傷者のうめき声の間を縫って、ひたすらに駆け降りていく。サーシャは悲鳴を上げながら、わたしの後をついてきた。

わたしが地上へ足を降ろし、塔を出ると、そこには、剣を構えたままのチェスターがいた。

彼は、いつになく、青ざめた顔をして、震える手で剣を握っていた。まるで、その先に、なにか恐ろしい存在でもあるかのように。

チェスターは、わたしを見つけると、ぎょっとした顔になって叫んだ。

「出てきてはいけません! 戻ってください! ─── っ、いえ、今すぐここを離れて! サーシャ、行け! その方を連れて逃げろ!」

わたしは、チェスターが、何をそれほど恐れ、案じているのか、すぐに気づいた。

チェスターが剣を向ける先、彼からやや離れた場所には、一人の少年がいた。

少年は、反乱軍たちの亡骸の中に立っていた。

わたしは、戦の音が聞こえなくなった理由を理解した。わたしに同行していた兵たちの被害も大きいが、反乱軍に至っては、もはや、息をしている者は一人もいないかもしれない。そう思うほどに、見渡す限りの、死体の群れだった。おびただしい血が流れていた。あまりに凄惨な光景に、わたしは、息を吸うだけで、えずきそうになっていた。

少年は、全身を、真っ赤に染めていた。その手に握った剣からも、生々しい血が滴り落ちていた。

少年のがらんどうのような、感情のない瞳が、こちらを向く。

それは確かに、膝が震えそうになるほど、恐ろしかった。

─── そして、わたしは、一歩踏み出した。