軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

透き通った湖と薄とスキヤキと魔女 18

十六回目になる「腰が」を終えた後、ロゼはしばらく口を閉ざした。

そして「わかりました」と呟くと身を起こして、ハリージュから一歩距離を取る。

「なんとなく、何が問題だったのか、わかりました。なるほど……私は何事も魔女の本分ゆえに、はっきりと口にすることを避ける癖があるようで……だから、ええ。だから少し、待ってください」

どう伝えるべきか悩むかのように、数秒経って、ロゼはもう一度口を開いた。

「あのお屋敷の居心地は、とてもいいです。とても、好ましいと感じています。許されるなら、こうしてずっとお世話になっていたいです。結婚のお話も、とても嬉しいと思っています。それと――」

手を上げたり下げたり、しゃがんだり立ったり、ひとしきりわたわたとした後に、ようやくハリージュを見た。

「わ、私もですね――」

濡れた瞳と、震える唇が紡ごうとしている言葉がなんなのか、ハリージュはわかった気がした。

期待して、背を正す。

「……す、す……」

まるで初孫が初めて立とうとしている場面を見守るかのような空気が流れる。ハリージュは、固唾を飲んで見守る。

「す、き……通った湖ですね……」

二人の間に、透き通った湖の上を抜けた、冷たい風が吹く。

「……」

「……」

「……そうだな」

「……もう、もうちょっと待ってください」

半泣きな声に、「わかった」以外の何が言えただろう。

「す……す…… 薄(すすき) ……は、年中生えていますね……」

「ああ」

「す……す、す、スキヤキという食べ物が遠いどこかの異国にあるようで……」

「そうか」

「す……す……」

覚悟を秘めた目が、ハリージュを見上げる。

だがハリージュが見返した瞬間、瞬時に眉がへにょりと下がった。

「すき……ま……がありますね……」

「埋めるか」

「まままっま待って、ちが待って、待っ――」

て、の言葉はハリージュの胸に吸い込まれた。隙間を埋めるために抱きしめられたロゼは、呼吸困難になりそうなほどに息を止めている。

「次はなんだ」

「ああああ遊びじゃないんですよ!?」

「当たり前だ」

遊びでたまるか。ハリージュはロゼを抱きしめる力を強める。

どれ程自分が、その言葉を切実に望んでいると思っているのだ。

ハリージュの本気が声に宿ってしまったようで、ロゼはまた黙り込んでしまった。しまったとほぞをかむ。できる限り自然な空気にしていてやらねば、この魔女は言うことが出来ないだろうと思っていたからだ。

だがロゼは、ハリージュの胸元をぎゅっと握り込むと、聞き耳をそばだてていなければ確実に聞き落とすほど小さな声で、鳴いた。

「――好き、です」

胸に幸福感が広がる。これまで感じたことが無いような喜びに突き動かされるがままに、ハリージュはロゼをきつく抱きしめた。

可愛くて仕方が無かった。

これほど可愛くて、愛しく思えるものがいるなんて、ハリージュはずっと知らなかった。

フードを脱がせ、薄紅色の前髪を撫で付ける。髪の生え際に唇を落とすとした。

指が勝手に頬を辿り、耳を髪にかける。こめかみに口付けながら、鼻先を髪に埋めた。ロゼの女性らしくも薬草の香りが染みこんだ、独特な匂いを吸い込む。

可愛くて、そして可愛がりたくって、たまらなかった。

耳の産毛を指の腹で弄び始めたハリージュを、ドンドンとか弱い力が二度叩く。しかしかまわず触れ続けようとしたハリージュを、ロゼが強く押した。

「なんだ」

「なななななんだとは、こちらこそ、なんだ!?」

まるで空から星が落ちてきたかのように動揺しているロゼの頬を、手の平で包む。

「もう気持ちが通い合っているのなら、触れてもいいだろう?」

自分の鼻の先とロゼの鼻の先をぶつけるだけで、じんと甘い痺れが伝わる。ハリージュは幸福の真っ只中にいるというのに、ロゼは顔を赤くしたまま、目を白黒とさせた。

「も、もしかして、ハリージュさん……私のことが、好き?」

「はあ?」

何度伝えたと思っているのだ。あまりにもあんまりなことを呟かれ、つい凄んでしまう。

「だだだって、そんな目で、こん、こんな手で」

どんな目で、どんな手だというのか。これまでもずっと同じ目、同じ手で生きてきた。ようやくハリージュの思いの丈を知ったとでも――実感したとでも言うのだろうか。

ハリージュは、馬鹿なことを言っているロゼの口を塞ごうと、これまた、生まれてからこれまでずっと付けてきた口を近づける。

「だ、だめ、待って! 待ってこれは、これは待つべきです!」

ハリージュの体を細い両手で突っぱねたロゼが「もう無理、死にそう」と小さな声でロゼがこぼした。

ハリージュから血の気が引く。なんと言ってもロゼは、嘘がつけないからだ。

「どうした。まさか魔女は、結婚前のキスが御法度とでも言うのか」

「違いますけど、違いますけど、も、もう無理……」

「だから、それは何故だ」

「覚悟が……!」

「何だ。そんなことか」

やかましい、と強硬手段に出ようとしたハリージュの頬を、今度は逆にロゼが掴んだ。そして絶対に唇が触れ合わないように、頬と頬を寄せ合わせる。

「――ハリージュさん、お願い。待って」

お願い、ともう一度泣きそうな声で言われ、ハリージュは拳を握り込んだ。

人生でこれほどの我慢を強いられたことは、きっとこれまでに無かっただろう。生死の境を彷徨った時でさえ、これほど辛くは無かった。

「くそっ……」

ギリギリと歯を食いしばりながら、ハリージュは何とか「わかった」と告げた。

ロゼが心底ほっとしたように、吐息をこぼす。その息さえ甘く、油断すれば柔らかな唇に吸い付きそうになる。

苦渋の決断で牙を収めたハリージュは、断固とした声で言った。

「結婚したら、覚悟を決めるんだな」

「……」

「結婚後は、我慢しないからな」

「……」

「わかったな?」

「……」

「わかったな?」

へい、と。

魔女から、かつかつの返事が零れた。