軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

透き通った湖と薄とスキヤキと魔女 17

反射的に生み出された沈黙が、ロゼの答えだと知っているハリージュは、そっと目を閉じた。

ロゼが、アズム邸以外に行く場所は無いのだと言ってから――ハリージュはずっと彼女の事を考えていた。

魔女の抱える秘密故に、生まれてからこれまでずっと、人里離れた場所でひっそりと生きてきたロゼ。

人との交流を避け、表情を隠して生きていた彼女が、毎日人と接っせねばならない苦労は、想像することしかできない。

だからといって、物音がするたびに怯えて、地下室に籠もる生活には戻って欲しくなかった。ロゼがよくても、彼女がそんな日々を送ることを、ハリージュがもう耐えることが出来ない。

ターラ達とは上手くやっているようだったから気付かなかったが、新人のモナがロゼと接している姿を見て、ハリージュは危惧した。

万が一、自分がいなくなった場合、彼女はどうなるのだろうかと。

何も無いのが一番だが、騎士という職業上、未来をまるっと保証することは出来ない。

有事は事前に予測できないし、予測できたからと回避することが出来るとも限らない。

ハリージュの身近なものですら、ロゼが魔女と知った時には奇異の目で見たのだ。自分という盾が無くなった後、どれほどロゼを守ってやれるかがわからなかった。

ならばいっそ、早くロゼに法的に身分を与えてやりたかった。

結婚しアズムの家に入ってしまえば、最悪自分がいなくなっても、世間はロゼを蔑ろに出来ないだろう。世間体を気にして、自分の身内も未亡人となった彼女を放ってはおかないはずだ。

幸い、最初は結婚に戸惑っていたロゼだったが、ティエンの持ってきた持参金を拒絶しなかったことから、結婚に対して前向きに考えていると思っていた。

思っていた――と過去形なのは、ハリージュ自身時期尚早だったことを認めざるを得なかったからだ。

結婚の話題を振っても、ロゼは全く嬉しそうでは無かったのだ。

『それで、ひとまず結婚してしまおうと?』

『結婚さえしてしまえば、後は好きになってもらうのを待つだけだ――顔以外も』

愚かな男と大笑いされても、ハリージュはかまわなかった。

ロゼの心が育つのは、結婚してから待てばいい。

その間に何かが自分にあっても、彼女を守ることは出来るだろう。

ロゼは表情の変化も、言葉の応酬も少ない。たまに、慌てていたり、照れていたり、喜んでいたりということは、なんとなくわかるようになってきてはいたが、彼女が隠そうとしている感情については、全くといっていいほど読み取れている自信が無かった。

彼女の「嘘がつけない」という性質もあり、ロゼが言葉にしていないこと、誤魔化すことは、本心を隠しているのでは無いかと疑ってしまう時もある。

これまで一人で生きてきた彼女が、結婚を軽率に判断したとは思ってはいない。だが、判断を後悔していないかどうかまでは、断言できない。

更には今後、ハリージュのそばにいることで、今回のヤシュムのように値踏みする輩もまた現れるかもしれない。

後悔していないかと、尋ねることは無情に思えた。

ロゼが――魔女が嘘をつけないと知っているのだ。

真実の言葉を欲するのは、心臓をそのまま差し出せと強要することに近いと、ハリージュは感じていた。

是にしろ否にしろ、彼女の剥き出しの本心であるに違いない。

望んだ言葉をくれるかもしれないし、くれないかもしれない。

それはハリージュも――そしてハリージュを傷つけることになったロゼ自身をも、傷つける結果になるだろう。

だが、とハリージュは瞼を開けた。

目の前のロゼは、無表情だ。けれど決して、視線を逸らすこと無くハリージュを見つめている。

きっとひどく、心の内で動転しているに違いなかった。

ふっと笑みが漏れた。

ロゼの枯れ枝のように細い指先をとり、そっと片膝を突く。

跪いたハリージュに、ロゼは深緑色の瞳を大きく見開いた。

「ロゼ」

時に人は、傷つくことを――そして傷つけることを覚悟しながらも、進まねばならないのだろう。

「ずっと、言えなかったことがある」

「……出て行って欲しいという話ですか?」

「違う。冗談でも止めてくれ、笑えない」

即答するハリージュを、ロゼは無表情で見つめる。

「では、結婚後の恋愛について価値観を共有しておきたいとか、そういう?」

いつもは人の話を遮らないロゼにしては珍しく、更にたたみかけるように口を開いた。

まるで言われるぐらいなら、自分で言った方が楽だとでも言うかのように。

「なんだ。聞いていたのか」

何の気なしにハリージュが応じると、握っていた手先が僅かに硬直した。

見つめていた瞳を縁取る睫毛が震え、途端に暗い影を帯びる。

暗い表情をされ、心が折れそうにもなったが、ハリージュはきっぱりと告げた。

「俺は、あんたを好いている」

まず告げた己の思いは、初夏のじっとりとした空気のせいか、ひどく耳にまとわりついた。

握っているロゼの手が、ハリージュの手の中でびくんと震える。

「あんたにはこれからもずっと、あの家で暮らして欲しい」

ロゼの大きな丸い目が、ポロリと零れそうなほどに見開かれていた。

心配になりそうな程青白い肌が、うっすらと桃色に染まっていく。わなわなと口を震わせ、頬を真っ赤に染め上げたロゼが、絞り出すように口にした。

「ま、魔女は、約束を違えません」

「ああ」

ロゼは『住むと言ったことを反故にするつもりはない』と言いたかったのだろう。

回りくどい話し方は、これまで培ってきた彼女の武器だ。捨てさせることは出来ない。

「俺は人間だから、嘘をつくこともあるだろう。俺の言葉を、あんたが疑う日が来るかもしれない。変わらない約束は、結婚しか与えてやれない」

なぁ、とハリージュは掠れた音を舌にのせた。

「あんたがうちに来たってことは、あの庵を出たってことは……あんたも少なからず、俺のことが好きなはずだ」

ロゼが『こいつは何を言っているんだ』とばかりに、ギョッとしたように目を剥くので、ハリージュは眉間に皺を寄せて凄んだ。

「そうだろう?」

こくこくこく、と小刻みにロゼの小さな頭が縦に震える。

「だから、まずはこのまま結婚しよう。法だ身分だとごちゃごちゃ考えもしたが――結局は、俺はあんたと結婚したい。あんたが俺を好きになるのは、その後でいい」

カクン、とロゼの体から力が抜けた。ロゼが地面にしゃがみ込む前に、ハリージュは掴んでいた腕を引き、身を抱き寄せる。

「どうした」

「腰、腰が、腰が……」

うわごとのように「腰が」とロゼが繰り返す。ハリージュの肩に額を押しつけ、ロゼは顔を埋めた。

フードを被っているために顔が見えない。