軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

魔女と騎士と惚れ薬 29

「と、とりあえず、離れてください」

物理的に離れれば落ち着くのでは無いかと、ロゼが提案するが、無情にもハリージュは首を横に振った。

「さっきから幾度となく試みているが、離れられないんだ」

飲んだ薬は、接着剤ではなかったはずですが??

沈痛な面持ちのハリージュに、ロゼはすぐさま心で突っ込む。

未だ状況に追いつけていないロゼを抱きしめたまま、ハリージュが掠れた声で囁く。

「それよりも、ハリージュと」

「無理、無理です」

「なら薬が効いている間だけでいい」

そりゃあ名前を呼んで欲しいのは、薬が効いている間だけに決まっている。

とんでもなく譲歩してやっているとでも言いたげだ。惚れ薬を誤飲してもなお、上から目線は消えないらしい。

心の中ではいくらでも言い募れるのに、ロゼは何一つ口に出すことは出来なかった。ハリージュに抱きしめられている温もりと、彼に心底慈しまれている事実が、ロゼの心をはちゃめちゃに掻き回してしまっている。

「頼む」

吐息をふんだんに含んだ声は、信じられないほどに弱々しい。

ロゼが名前を呼ばなければ、ハリージュは切なさのあまり死んでしまうのではないかと思わせるような声だった。

ロゼを抱きしめているハリージュの指先が、緊張するかのように強張っている。背中に当たる感触に、ロゼが折れた。

「では、ハリージュ様と……」

「ロゼ……」

ぎゅっと抱きしめられたかと思うと、額と額を合わせられる。触れ合う場所から、じんじんと電気が走るような感覚がした。

一瞬で、ロゼは頬を赤らめる。ハリージュのまなじりが、とろけていく。

鼻先が触れ合うほどの距離にある、ハリージュのどアップに耐えきれずに、ロゼはぎゅっと目を閉じた。

「――ロゼ、それはまずい」

何がまずいのか、よくわからなかったロゼは、そっと片目を開けて、ハリージュを覗き見た。

熱で瞳を潤ませたハリージュが、目を細めてロゼを見つめていた。

その目だけで、彼が今、どれほどロゼを求めているのかが伝わる。

ロゼにぽかんと見つめられたハリージュは、苦痛を耐えるような呻き声をあげた。そして、喉の渇きを誤魔化すように、己の唇を舐める。

全身の毛が逆立ちそうなほど、色気を含んだ舌舐めずりだった。

「どうか目は、開けておいてくれ」

なるほど、わかった。ロゼはこくこくと頷いた。

首がもげるほどに頷いた。

だがやはり、まだ顔が近い。ロゼは渾身の力で目線を逸らす。

「逃げられると、追いたくなる」

「そんな殺生な!」

ならばどうしろと言うんです、そう叫びながらロゼはできる限りハリージュから離れよう、腕を伸ばす。

しかしどれほどもがいても、両頬をがっちりと掴まれているせいで、微かにしか離れない。

涙目でハリージュの拘束から抜け出そうとしていると、ロゼは窓の向こうに誰かいることに気づいた。

バッチリと、目が合う。

そこには、三人の子供がいた。

以前ロゼに泥玉を投げ付け、焼き芋を持って帰った子供達だ。

小舟に乗って、ここまでやって来たのだろう。

サフィーナ達が乗って帰った舟が、森にあったはずだ。きっと魔女が一人でいると思い、近づいてきたに違いない。

背伸びをしているのか、木枠に指を載せ、窓からこちらを覗いている。

六つの目は、穴が空きそうなほど凝視していた。

ロゼに見られたことがばれると、子供達は一目散に逃げていった。

動きという動きを止めていたロゼは、ばたばたと暴れ出した。

「な……なんて事をしてくれてるんですか! クソ虫! ウンコ! 馬鹿! 馬鹿!!」

「かわいい」

「かわいいじゃない! くそったれ! 子供達に見られた! 言いふらされちゃいますよ!」

「責任を取らせてほしい」

「本当馬鹿ー!! 貴方みたいな身分の人から、そういう言葉を奪うための薬なんですよ! これは! それを! まんまと! まんまと使われて!!」

動揺のあまり、口の悪い本心が思いっきり出てしまった。

片思い相手に口付けられそうになり、可愛いと言われ、抱きしめられ、それを他人に見られ、暴言を吐いてしまったロゼは、もう、手綱を手放した。

「う、うっ……うああああん……」

気付けば、泣き声をあげ、子供のように泣いてしまっていた。

深い森の色をした目から、ぽろぽろと止めどなく涙がこぼれる。

「うっ、うえっ……うえぁ……」

「頼む、俺が出来ることなら何でもする。頼むから、泣かないでくれ」

泣いているロゼを見て、彼は心底困り果てている。ロゼの両肩に手を置くと、ハリージュが顔を覗き込む。

鼻水まで垂れそうな勢いで泣きながら、ロゼはしゃくり上げた。

「いっ、今すぐっ、正気に、戻ってくださ、い」

「俺は正気だ」

ロゼは両袖のローブに顔を埋めて泣いた。

こんなの正気なわけがない。酔っ払いが「酔っ払ってない」と言う方が、まだ信じられるというものだ。

「じゃあ、離れ、て、ください……」

嗚咽混じりにロゼが言う。ハリージュは眉間に深い皺を刻み、大きな息を吐き出すと、ゆっくりと肩から手を離し――瞬時に腕の中にロゼを囲った。

「駄目だ、これが限界だ」

「なんでも! なんでもするって! 言ったのに!」

祖母にだって、こんな物の言い方をしたことは無い。

けれどハリージュは、そんなロゼさえも愛しそうだ。

極限状態でポロポロと泣き続けるロゼの頬に、指を這わせる。

「本当に駄目か?」

ハリージュが膝を曲げ、ロゼを見上げた。長い睫のかかった群青色の瞳が、不安げに揺れる。

自分の顔の使い方を心得ているハリージュを、ロゼは睨み付けることしか出来ない。

「泣き止んだか?」

「お客様が」

「ハリージュ」

「ハ、ハリージュ様が我慢してくれないから、泣き止めません」

ずずっと鼻を啜りながらロゼが反論する。

しかしハリージュは、心底不服そうに眉を顰めた。

「馬鹿を言うな。百人いたら百人に褒められてもいいほど、俺は我慢している」

「どこがですか!?」

「あんたを、自分の思うままに触れることを、死ぬ思いで堪えてる」

ハリージュは触れれば切れそうなほど真剣な表情で、ロゼを見つめている。

その眼差しは、冷たいわけではないのに、酷く鋭く、神妙なほど静かだった。

燃えたぎるマグマを懸命に抑え込んでいるような表情を見て、ロゼは息を止めた。

かくん、と体の力が抜けたロゼを、ハリージュが抱き留める。

「どうした」

「……腰が、抜けました」

心の中に嵐が起こっていた。

こんな目で、彼に見つめられる日が来るなんて、ロゼは想像したことさえ無かった。

例え薬のせいであっても、それは、ハリージュに四年も片思いをしていたロゼにとって、あまりにも刺激の強い言葉だった。

「は? ……いや、すまない。凄んだように見えたか? 支えるから、座っていろ」

力の入らないロゼを支えたまま、ハリージュは壁際に座った。

自身の太股にロゼを座らせたハリージュが、そっとロゼを引き寄せる。ロゼは促されるまま、ハリージュに寄りかかった。

「大丈夫か?」

ロゼはこくんと頷いた。ハリージュは、自分の胸元にあるロゼの頭を、ゆっくりと何度も撫でる。

先ほど、ハリージュが我慢していると言ったのは、きっとこういう触れ方ではない。

たったの二滴飲んだだけの自分が、彼にどんな劣情を抱いたのか、ロゼは鮮明に思い出せた。

あの時疼いた子宮に、そっと手を当てる。

ハリージュはロゼが怯えないように、惚れ薬に抗い、堪えてくれている。わざと、ロゼが叫んで泣いて怒れるほど、馬鹿馬鹿しい空気にしてくれている。

幸せが全身に巡る。

こんな幸福を、ロゼは知らなかった。

驚いたり、混乱したり、それこそ怒ったりもしたが、ロゼだってハリージュが好きなのだ。

薬で一時的に、ロゼの事を好きになっているハリージュなんかとは、段違いなほどに。

嬉しくない、わけが無い。

この一時だけというのなら、身に余るような幸せに、浸っていたい。

ロゼが俯いたまま黙っていると、ハリージュの喉仏がこくりと動いた。

「ロゼ。頼むから、絶対に俺の前では、寝ないで欲しい」

ハリージュの囁くような声は、隠しきれない甘さが滲んでいた。

ロゼはカッと勢いよく目を開くと、こくこくと頷いた。

あまりにも高速でロゼが首を振るものだから、ハリージュが苦笑する。

「話でもするか。じっとしているよりも、気が紛れる」

「そうしましょう」

ロゼは全力で賛同した。

少し気を取り直したロゼは、無意識に座り心地を直そうと身を捩る。すると、何故か慌てたハリージュが瞬時にロゼの身を、両腕で拘束した。

「……あの?」

「座り心地が悪いことは謝罪しよう。だが、頼むからじっとしていてくれないか」

何故謝罪されなければならないのか、と首を傾げそうになり、ロゼは自分が何処に座っているのかを理解した。座り心地が悪いはずだ。ここは、筋張ったハリージュの太股の上だったのだから。

「な、なっ……」

また暴れ出そうとするロゼを一旦抱えたハリージュは、あぐらを組んだ。そしてロゼの抗議の声が上がる前に、再び膝に座らせる。

「先ほどよりは座りやすいだろう」

そういうことではないのだが、もう何を言っても無駄なんだろう。ロゼは賢くも沈黙を選んだ。

「この際だ。気になっていたことを聞いてもいいか」

「……どうぞ」

ロゼはもう、疲れ切って答えた。

「四年前から、俺を知っていると言ったな。何故知っていたんだ?」

「何故そんなことを知りたいんですか?」

「興味本位だ。あんたが、侮蔑の対象として俺を知っていたのか、無関心だったのか、少しでも好感を持ってくれていたのか、知りたい」

頭上からするハリージュの声は、いつも通りの落ち着きを取り戻している。

だが、ロゼが顔を寄せているハリージュの胸からは、彼の心臓がものすごい速さで脈打っているのを感じた。

ロゼの一語一句に耳を澄ませているのがわかる。

真っ赤な顔を隠すために、ロゼはハリージュの胸に顔を 埋(うず) める。

「街で見かけたんです。青い服を着ていましたし、騎士のお方だというのはわかっていました。お名前も、その時」

「何か話したのか?」

「いいえ、お話は何も」

「そんなので、よく覚えていたな」

呆れ口調だが、ハリージュの鼓動が早まった。

ロゼは更に深く俯いて「へい」と答えた。