軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

魔女と騎士と惚れ薬 28

駆けつけてくれたサフィーナは目尻の皺を深くして、涙を浮かべ、ロゼの無事を喜んでくれた。

一人で大丈夫だと言い張っていたのに、一人では何も出来なかった自分に悶々としていたロゼは、サフィーナの涙を見て、ただ自分が無事だったことに感謝することを許した。

サフィーナに手伝って貰い、窃盗犯が壊したものを片付けていく。

掃除も一段落つくと、柔らかい日が差すテーブルで、二人は紅茶を飲んだ。

穏やかな時間が流れている中、来客を告げる鐘が鳴る。

「まさか、来たんじゃ……」

さっと顔を青ざめたロゼは、再びの窃盗犯を心配したのでは無い。

ゆっくり休んでくれと心から願っていた男を案じたのだ。

窓から覗くと、想像した通りの男が立っていた。

しかし、端から見てもわかるほどに、様子がおかしい。

「……旦那様? それに、うちの下僕も……。失礼、魔女殿。迎えに行って参ります」

「は、はい」

ロゼの隣から窓を覗いたサフィーナも、顔色を変えて外に飛び出した。

桟橋にいたハリージュは、まるで病人のように肩を担がれていた。同行しているのは使用人だ。よほど慌てていたのか、 外出しているというのに、使用人はお仕着せのままだ。

サフィーナが舟を漕いでハリージュを迎えに行っている間に、ロゼも棚の小瓶を漁った。どのような症状が出ているのか、何故ロゼを頼ってきたのか、想像しながら慎重に小瓶を選んでいく。

「どういうことです。一体、何があったのですか!」

「申し訳ございません! 眠気覚ましの薬と間違い、違うものを渡してしまって……!」

「そのことは許している! もういい、触るな! 帰っていろ!」

外がにわかに騒がしくなってきた。

内容まではロゼには聞き取れなかったが、ハリージュの切迫した怒鳴り声に驚く。彼のそんな声を聞いたのは、初めてだったからだ。

慌ただしくロゼは玄関を開けた。ハリージュを支えていたサフィーナごと、倒れ込むようにして室内に入ってくる。

「どうしたんですか。何があって……薬師を!」

しゃがみ込み、ロゼはハリージュを観察した。冷たい水に入ったから風邪を引いたのかもしれない。ハリージュの顔は、どす黒いほどに赤くなっていた。

肘に力を入れたハリージュが、立ち上がろうとするが、それ以上持ち上げることが出来ないようだ。ハリージュはきつく歯を食いしばる。

「必要ない。サフィーナ、帰っていろ」

「そんな、このような状態の旦那様を置いて――!」

「いいから! 解毒は、魔女殿ができる!」

えっ、とロゼとサフィーナは顔を見合わせた。

「……私が、ですか?」

となれば、魔女の秘薬に関連することだろう。

ロゼは頭を切り替えた。

「毒を盛られたのですね? 見た目でも味でも匂いでも、何でもかまいません。毒薬の特徴を覚えていますか?」

ハリージュが首を振ると、額から流れ出ていた尋常で無い汗が飛び散る。

「守秘義務に関わる。サフィーナ、頼むから彼を連れて帰ってくれ」

主人が一歩も引かない理由が仕事に関することだとわかると、サフィーナも引き下がるしかなかった。ハリージュが決して意志を曲げないと、知っているからだ。

この場は一秒でも早く、魔女に任せるしかないと思ったのか、サフィーナは素早く立ち上がる。

「……わかりました。魔女殿、よろしくお願い致します」

「はい。命をかけて」

サフィーナの目を見て、ロゼはしっかりと頷いた。たとえどんな毒かわからなくても、ロゼがハリージュを見捨てることは、絶対に無い。

サフィーナが出て行き、外で待っていた使用人と帰って行くと、ハリージュは床に崩れ落ちた。

よほど苦しいのだろう。口で浅い呼吸を繰り返している。

「触りますよ」

ロゼはハリージュの肌に触れた。信じられないほどに熱い。

引こうとしたロゼの手を、ハリージュが掴んだ。

あまりにも早かったため、反応も出来ないほどだった。

大きな手の平はじっとりと汗で濡れている。握りつぶされそうなほど力が入っているのに、全く痛くない。

ロゼを握りつぶさないように、これほど極限の中、気をつけているのだとわかる。

「気が、狂いそうだ……解毒剤は、無いのか」

息も絶え絶えの掠れた声は、ぞくりと背筋が震えるほどの色気を纏っていた。

ハリージュの顎から、汗が滴る。

「何の薬を飲んだのか、わかっているんですね?」

「ああ」

ゴクリと、生唾を飲んだ音がする。

「あんたお手製の、惚れ薬だ」

たっぷり五秒は固まった。

「――はい?」

「以前買った物を、間違えて飲んでしまった」

間違えて、って……ロゼは言葉を失った。間違えて飲むには向いていない薬だ。

「解毒剤は存在しますが、作る材料が足りません。飲んだ量は?」

「わからない。いつもの味と違うと思って、すぐに捨てたが―― 一口は確実に飲んだ」

「万が一全量でも、半日ほど誰かに恋をしているだけで、落ち着いていくと思いますが……」

「このままで半日待てと? 絶対に無理だ! それに、誰にも惚れていない。体液を摂取していない」

魔法が不完全だから、これほどに苦しんでいるのか。行き場を失った魔法が、ハリージュの中で暴れているに違いない。

ハリージュが立ち上がろうとして、体勢を崩した。

「危ない!」

ハリージュが倒れた拍子に、テーブルにぶつかってしまった。テーブルの上に置いてあったカップが落ちる。

――パリンッ

大きな音を立てて、陶器のカップが割れた。

「大丈夫ですか?!」

ロゼは顔を青くして、ハリージュが怪我をしていないかくまなく観察した。

多少紅茶で濡れてしまったが、拭けばどうにかなるくらいしか、かかっていないようだ。どこにも怪我を負っていないようで、安心する。

「よかった。お客様に……」

「ハリージュだ」

立ち上がったハリージュが、すっとロゼの頬を手で包んだ。

「……へ?」

ロゼを見つめる瞳は潤み、堪えきれない熱を孕んでいる。

真っ直ぐに見返す勇気など無いのに、視線を逸らすことは許されなかった。

「……おきゃ」

「ハリージュと、そう呼ぶんだ」

彼の手の平が触れている頬が、じんじんと痺れる。

呆けているロゼを見つめていたハリージュが、そっと首を傾けた。

瞬き一つ、自分の意思で出来なくなっていた。

見開いた目で、美しい顔が近づいてくるのを見る。

ぽかんと開いた柔らかいロゼの唇が、塞がれた。

それはハリージュの、もう片方の手だった。

「……」

なんだか、このパターンに覚えがある気がする。

ロゼが沈黙していると、最後の自制心でもあった硬い手が、そっと外された。

「……まずいことになった」

「……それは、あの、わかりました」

低い声を出したハリージュは、ロゼの肩に顔を埋めて唸った。

先ほど零れた紅茶は、ロゼが飲んでいたものだった。床に落ちる時に、ハリージュの目や口に入ってしまったのだろう。

現状を理解したロゼは、心で悲鳴をあげる。

なんてことになったのだ。冷や汗が止まらない。

「くそっ……あんたは、こんなものを耐えてたっていうのか」

騒ぎ立てる胸を鎮めようとしているのか、胸を押さえながら、ハリージュが苦しそうに唸った。

彼が話す度に、ロゼの肩が揺れる。熱い吐息が、服を通してロゼの肌に吹きかかる。

かなりの力を、ハリージュは全身に込めているようだった。なのに、ロゼに触れる手は、相変わらずに優しい。

食いしばった歯の隙間から、呻き声が聞こえる。ロゼは突っ立ったまま、何も出来ない。小さな刺激を与えることも恐かった。

「すまない、少しだけ」

「す、少しだけ」

「そう、少しだけ」

少しだけ。

もう一度意味も無くロゼは繰り返した。

ハリージュが、ロゼの頭を抱き寄せる。フードはいつの間にか脱がされていた。

ロゼの耳を、ハリージュの手が掠める。

髪に埋もれた指が、地肌に触れる。地肌の感触を楽しむかのように、指の腹で撫でられる。

ハリージュの小指の先が、うなじに微かに触れる。瞬時に、感じたことのある感覚がロゼを襲った。以前、惚れ薬を飲んだ時に感じたものと、同じだった。

頭を這う手からも生まれる快感に、ロゼが唖然としていると、髪が乱れるほどきつく抱き込まれた。

ハリージュの唇が僅かに、ロゼの耳を擦り、もう一度感触を味わうように撫でた。

ハリージュが長い息を吐いて、呼吸を整える。

「……ロゼ」

口付けを強請っているような、色に塗れた吐息が、首にかかる。

麻薬のような声がロゼの耳を溶かした。

顔が熱い。魔法が正常に作用して、顔色の戻ったハリージュとは反対に、ロゼの顔は真っ赤に染まり上がっていた。

ハリージュが、慎重にロゼから離れる。

顔を真っ赤にし、わなわなと震えている涙目のロゼを見て、ハリージュがもう一度ロゼを抱きしめた。

「駄目だ、可愛い」

ぎゃー! とロゼは心で悲鳴を上げる。

「駄目くない!」

「駄目だ……可愛い……」

「わああああああ!!」

失神できるものなら、してしまいたかった。

やはり神は、魔女の家まで見守ってはくださらない。