軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

父の声

レイラの振り下ろした杖は、闇の穴から突き出された父の腕をしたたかに打った。

……はずだった。

だが、叩いた瞬間、腕だったものは四散して消えた。

黒っぽい何かが床に飛び散る。

いけない。

その不吉な予感に我に返ったレイラが、とっさにソファから立ち上がろうと腰を浮かせかけたときだった。

レイラの耳元で、また父の声がした。

「何を得た、その学院とやらで」

憐れむような、蔑むような声。

レイラは振り返った。

背後の闇の中に溶け込むようにして、男が立っていた。

「父上……」

……なのだろうか?

暗すぎて、判別は付かなかった。

だが、まとっている長衣は父のものによく似ているように思えた。

「くだらぬ魔術のほかに、クーガン家のためになる何を」

男の鼻から上は、まるで闇色のフードをかぶってでもいるかのように全く見えなかった。ひげの奥の唇を動かして、それは父の声を発した。

「フォレッタの大貴族の知己でも得たか」

「あなたには、関係ない」

思わずそう言い返していた。

「くだらぬ魔術ですって? あなたに魔術の何が分かるというの」

「魔術師などという賤職、せいぜい貴族に仕える家臣の一人にでもなれたならば重畳であろう」

父の声は言った。

「貴族の家に生まれたとて、継ぐべき領地のない厄介者が行くべきところだ、そんなところは」

「古い」

レイラは言下に否定した。

「父上の考えは、古すぎる」

「お前は中原の貴族なのだぞ。享楽的な南の女ではない」

父は淡々と言葉を継いだ。

「魔術を修めるというのであれば、せめて成人までにフォレッタの高位魔術師試験くらいは受かってもらわねば先祖に申し訳が立たぬ」

フォレッタの高位魔術師試験。

レイラは奥歯を噛み締めた。

「中原でも権威のある試験だ。最大限譲歩して、あれならば、まあ」

「受かるわよ」

父の言葉を遮るように、レイラは叫んだ。

「受かってみせるわ」

息を吐くように父が笑い、また何か言おうとしたが、レイラはその隙を与えなかった。

「そうすればもう、あなたには何も言わせない。私は私の考える方法で、クーガン家を再興する」

「受かるものか」

父の声が、はっきりとレイラをせせら笑った。

「レイラ。お前、本気であの試験に受かると思っているのか。たかが学院で五、六年勉強した程度で」

「受かると思っているわ」

レイラは答えた。

「自分に分かりもしないことだろうと、とにかく何でも口を挟まないと気が済まないのは、父上の悪い癖だわ」

「私はクーガン家の家長だぞ、当然であろう」

「家のことなら何でも自分の思い通りになると思わないで」

レイラは己の声に冷たい刃を乗せた。

「残念だったわね。私はあなたの思い通りにはならない」

「不肖の娘よ」

レイラの背後の男が、不意に口調を改める。

「その美しさだけは、ソシアによく似ておるが、性格はまるで正反対だな。誰に似たのか」

「母上をそんな性格にしたのは、父上、あなたでしょう」

「まあよい。レイラ」

男がゆっくりと両腕を広げる。まるで、駆け寄ってくる幼子を抱きとめようとする優しい父親のように。

「ならば、私を倒してみよ。お前が学院で必死に学んできた、魔法とやらの力で」

望むところだった。

レイラは勢いよく立ち上がり、その男と向かい合った。

杖に、力強い魔力が渦巻く。

火を。

レイラの怒りを表すかのように、杖から巨大な炎がほとばしった。

こんな屋内で炎の魔法を使えばどうなるか。それを考えられないレイラではなかった。

だが、燃え広がる前に、消す方法なんていくつでもある。今はただ、目の前の父の姿をした不快な何かを、焼き尽くしてしまいたかった。

しかしその瞬間、目の前の男が両手を胸の前で合わせた。

レイラの放った炎は、そこに凝縮されるように吸い込まれていく。

「いかんな、レイラ」

低く笑いながら、男は父の声で言った。

「場所も考えずに、こんな大きな炎を出しては」

そのときには、レイラは次の魔法を放っていた。

それ一つで燃やせるなんて、私だって思ってはいない。

風切りの術。

だが、ただの風切りの術ではない。レイラはそこに魔力の渦を乗せてみせた。

鋭い風の刃が、渦を描くように男の腕を切り裂いた。

「おお」

胸の前に集められた男の力が破れ、凝縮されていた炎が再び一気に広がって、男の身体に燃え移る。

「なるほど、これは確かにいい腕をしている」

炎の中で、男はあくまで悠然と言った。

不意に、レイラは横から腕を掴まれた。

目の前にいた男が、ばさりと床に崩れ落ちる。

「だが、足りぬ」

父の声。

崩れ落ちたはずの男が、レイラの横に立っていた。

「こんな手品でクーガン家を再興できると、お前は本当に思っているのか」

舐めるな。

レイラは光の矢を横の男に叩きつける。

吹き飛んだ男の身体が、床に転がったと思った瞬間、レイラはまた反対側から腕を引かれた。

「どうした、レイラ」

平然とした父の声。レイラはまたそちらに魔法を叩き込む。

だがやはりまた反対から腕を引かれる。

奇妙な一人芝居のようになった。

出現した男は、レイラの魔法によって苦も無く倒されるが、同時に次の男がレイラの横に出現する。

父の声を発するそれを、何度打ち倒しただろうか。

きりがない。

父の声に激高したレイラの頭に、ようやく冷静な思考が戻ってきた。

こんなものに、流されてはいけない。たかが、父の声を真似ただけの紛い物に。

「ウーベ」

何度目になるか分からない、再び現れた自分の腕を引っ張る男に目を向けて、レイラは言った。

「かくれんぼは終わりよ。あなたが、ウーベね」

男がレイラから手を離した。

鼻から上の見えない、男の髭に包まれた口元。それが嬉しそうに、にい、と歪んだ。

「違う」

その声は、レイラの四方から同時に聞こえた。

いつの間にか、レイラは囲まれていた。

父の声を発する何かに。

それらが、同時にレイラに腕を伸ばす。

レイラは悲鳴を押し殺した。

負けてたまるか。

光の車輪の術。

中等部で習う高等魔法を、レイラは発動しようとした。

だが、杖は反応しなかった。

まだ魔力はあるのに。

どうして。

驚愕に目を見開いたレイラの両腕を、左右の男が掴む。それと同時に、背後の男がレイラの肩を掴んだ。

「外した者に、魔法は使えん」

前に立つ男が、いやらしく口を歪める。

「レイラ。お仕置きの時間だ」

ふざけるな。

レイラは身をよじった。

だが、一年生の小さな身体に男たちの腕を振りほどく力はない。

男たちの手に、先ほどまでとは違う魔力が込められていた。

背筋が凍る。

魂に触られている感覚。

「レイラ。さあ」

父の声が、嗜虐的にひび割れる。

そのとき、空気が揺れた。

音はしなかった。だが、確かにその場の空気が振動していた。

腕を掴む男たちの力が弱まった気がした。

それが何かは分からない。だがレイラには、まるで、その振動が自分に力を与えているかのように感じた。

「おお。我が娘は運がいい」

前に立つ男が皮肉めいた口調で言った。

「いいところで邪魔が入ったわ」

レイラの両腕と肩から、男たちの手が離れる。

男たちの姿が、沈み込むように闇に紛れていく。

レイラは前方の男に向けて杖を振るったが、まだ魔法は出なかった。

「レイラ。今からでも遅くはない」

父の声が最後に言った。

「くだらぬことはやめて、帰ってこい」

それとともに、男たちの姿は消えた。

「外れたわね、レイラ」

ウーベの声。

「ああ、おいしそう」

まるで舌なめずりするかのような、楽しそうな口調だった。

「魂が傷ついているのね。あと少し。あと少しで本当に素晴らしい味になるわ」

レイラは目を覚ました。

朝の光が、廊下の窓から差し込んできている。

レイラは、ソファに座ったまま眠っていた。

微かな頭痛。

右手に握りしめたままの杖を持ち上げ、魔力を込めてみる。

小さな炎が杖の先に灯った。

あいつらは、ウーベではなかった。

それを間違えたから、魔法を一時的に封じられた。

レイラにも、そのルールが呑み込めた。

あいつらは、ウーベ本体ではなかったけれど、あの魔女の仕掛けた罠なのだろう。

その証拠に、ソファの周りには無数の紫色の花が散っていた。

ジャクレンノヒトヒラ。

ウーベは、魂の味がどうとか言っていた。

私を追い詰めるつもりで、父の幻影を出してきたのだろう。

レイラは深く息を吸って、ソファからゆっくりと立ち上がった。

身体が震える。

自分が今、どんな凶悪な表情をしているのか、自分でも分からなかった。

父を使ったわね。私を攻撃するのに。

他の何を使われても構わなかった。そう、たとえウェンディの命を盾に取られたとしても、こんな気持ちにはならなかっただろう。

きっと、自分は今笑っている。

レイラは床の紫の花を静かに踏みつけると、そのまま靴底で磨り潰した。

紫の魔女ウーベ。

あなたは、触れてはならないものに触れた。

私を、本当の意味で本気にさせた。

人の心に土足で踏み込むその行為がどういう結果を生むか、思い知るといい。