軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

じゃらり、という重い音とともに鎖が動いた。

前脚を揃えるようにして腹這いになっていた白い毛並みの狼が、顔を上げて鼻をひくつかせる。

色素の薄い瞳が、近付いてくる黒髪の女子生徒を捉えた。

「……アルマーク」

やや離れたところから、レイラは小さな声で呼びかけた。

「あなた、アルマークなの」

放課後の太陽は、もう翳り始めていた。

植え込みの影が長く伸びる寮の裏手に、その狼はいた。

真っ白い綿毛のような柔らかな毛並みの狼は、鎖に繋がれ、まるでじっと何かを考え込んでいるかのような顔つきで佇んでいた。

呼びかけられると、腹這いで静かに顔を上げたまま、レイラをじっと見つめる。レイラはその顔から何かを読み取ろうとするが、精悍な狼の顔付きからは何の情報も得られなかった。

しばらくレイラの顔を見つめていた狼は、やがてふい、と顔を背けて、重ねた前脚の上に自分の顎を載せた。

そのまま目を閉じてしまう。

「アルマーク」

レイラはもう一度呼びかけて、狼に近付こうとした。

次の瞬間、狼が顔を上げた。

牙を剥き出し、低く唸る。

野性の凶暴さを剥き出しにしたその表情に、思わずレイラは足を止めた。

「……アルマーク?」

それでも、もう一歩近付こうとすると、狼は素早く立ち上がった。低い体勢。あからさまな敵意。

これ以上は危ない。

それはレイラにも分かった。

「レイラ、あまり近付かない方がいいわ」

狼に集中していたせいで、背後から不意にそう声をかけられて、レイラはびくりと身体を震わせ、振り返る。

「ウェンディ」

レイラの後ろで心配そうに顔を曇らせていたのは、ウェンディだった。

「その子にいたずらしようとして、噛み付かれて大怪我をした生徒もいるのよ」

「そうなの?」

レイラはなおも低く唸る狼を見つつ、ゆっくりと後退った。

「賢い狼だって聞いたわ」

「賢いんだけど、最近はちょっと様子が変なの」

ウェンディは狼を痛ましそうに見た。

「突然狂ったように吠えたり、ぐるぐる走り回ったり。なんだか落ち着かないみたいなの」

そう言ってから、ウェンディは不思議そうにレイラを見た。

「レイラはアルマークのこと、知らなかったっけ」

「ええと……なんて言えばいいのかしらね」

レイラは腕を組んだ。

察しのいいアインでも、レイラの話にはずいぶんと混乱していた。ウェンディも賢い子だが、果たしてどこまで話して良いものか。

そのとき、植え込みの陰からふらりと金髪のクラス委員が顔を見せた。

「やあ、君達。二人で何をしているんだ」

「あ、ええと……2組のウォリス」

ウェンディがほっとしたように表情を緩める。

「あのね、ここ数日アルマークの様子が」

ウェンディがそう言いかけた時、がちゃん、と大きな音がした。

レイラがそちらを振り返ると、狼が牙を剥き出して猛然と駆けてくるところだった。

「危ない、レイラ!」

ウェンディがレイラの腕を引いた。

があっ、という野獣のような唸り声とともにレイラたちの方に突進してきていた狼は、そこにたどり着く直前に何かにぶつかって遮られた。

「躾がなっていないな、この狼は」

ウォリスが鼻白んだように言った。

狼を遮ったのは、ウォリスの作った不可視の壁だった。

狼はなおも苛立ったように、見えない壁に体当たりでもするかのようにして、レイラに向かって激しく吠えた。

「……どうしちゃったんだろう、アルマーク」

ウェンディが不安そうに言う。

「前はもっとおとなしかったのに」

「そうだったかな」

ウォリスは肩をすくめた。

「僕に対しては、前からこんな感じだがね」

その言葉が聞こえたかのように、狼が大きく、長く吠えた。

「生徒に、こんなに吠えるなんて」

ウェンディは悲しそうに狼を見た後で、自分たちと狼とを隔てる見えない壁におそるおそる手を触れた。

「でもウォリス。これ、すごい魔法だね。あなたはこんな魔法まで使えるの」

「ああ、これか」

ウォリスはウェンディの驚いた顔に微笑み返してみせる。

「実は僕はこの学院に来る前から、少し魔法の勉強は始めていたんだ。だからまあ、このくらいはね」

その言葉をレイラは黙って聞いた。

ウォリスは確かに優秀だ。

だが、入学したての一年生のこの時期に、もう不可視の壁のような高度な魔法が使えたのだろうか。

先ほどレイラも紫の花を守るために使ったこの魔法は、範囲の広さと持続性の高さから、初等部三年生のよく使う不可視の盾よりもさらに高い技術が要求される。

少し魔法の勉強を始めていた、くらいで習得できる魔法ではない。

レイラは涼しい笑顔のウォリスをちらりと見た。

「ん? どうしたんだ、レイラ」

「いいえ、別に」

レイラは首を振った。

「あなたの魔法、すごいのね」

「君もずいぶん使えると聞いているよ、レイラ・クーガン」

ウォリスはそう言って穏やかに微笑む。

「いい刺激がもらえそうだ」

「それはどうかしらね」

二人がそんな会話をする間も、狼は吠え猛っていた。

「ねえ、二人とも。ここにいると、アルマークがずっと興奮してしまって、かわいそう」

ウェンディがそう言って、犬小屋から離れるように二人を促す。

「見えないところに行ってあげようよ」

「そうだな。この鳴き声はさすがに耳障りだ」

ウォリスが同意して歩き始める。

レイラはそれについていきながら、ちらりと狼の方を振り返った。

三人がある程度離れたので吠えることはやめたものの、狼は牙を剥いて低く唸りながら、ずっとレイラたちの方を見ていた。

「最近は変わったことばかり起こるね」

ウェンディの言葉に、レイラは彼女に向き直る。

「アルマークのこともそうだけど、おかしな囁き声のこととか」

「ああ、あれか」

ウォリスが頷く。

「噂は噂だろうが、ずいぶん広まっているみたいだな」

「囁き声?」

レイラは二人の会話に割って入った。

「何の話?」

「あ、ええと」

ウェンディが少し戸惑ったように口にする。

「寮の、三階のソファに夜中、一人で座るとおかしな声が聞こえるっていう噂なんだけど……」

レイラには初耳だった。

一年生の当時、そんな噂があったのだろうか。

当時から他の生徒とほとんど交流を持たなかったレイラにはよく分からなかった。

「それって、三階の廊下の奥まったところにあるソファのことかしら」

「うん、それだと思う」

「どんな声がするの?」

「それが、噂だといろいろで」

ウェンディは困った顔でウォリスを見た。

「ああ」

ウォリスも頷く。

「聞こえた人間によって様々らしいな。誰かが自分の悪口を言っている声が聞こえたとか、実家の親の怒鳴り声が聞こえたとか、森で昔聞いた狼の遠吠えがしたとか、ああ、それからヴィルマリー先生の説教が聞こえたなんて話もあったな」

そう言って薄く笑う。

「いずれにしても、あまり愉快な話は聞こえてこないようだ」

「ふうん」

レイラは頷き、頭を巡らせる。

聞き覚えのない噂。

これは、何か手がかりに繋がっているような気がする。

アルマークはすっかり野性に戻っているのか何なのか知らないが、敵意を剥き出しにして吠え猛っている以上、まるで話にならない。

そちらを当たってみるほうが建設的なようだ。

三階の奥のソファ。

それって、何だったかしら。

レイラは何か引っかかりを感じたのだが、うまく記憶が繋がってこなかった。

まるで何かに思考を邪魔をされているような。

ウーベの魔法かもしれないわ。

レイラは考えた。

そこに何かがあることに私が気付くのを、阻害しようとしているのかもしれない。

「夜中って、いつ頃なのかしら」

レイラの言葉に、ウェンディは顔を曇らせる。

「詳しくは分からないけど……見つかったらマイアさんにすごく怒られるくらい遅くだって」

「そう」

「レイラ、もしかして行くつもりなの?」

「分からないわ」

レイラは努めてそっけなく答えた。

「ちょっと興味があっただけ」

「大体はろくなことにならないんだ、そういう噂は」

ウォリスが笑顔のままで言う。

「あまりお勧めはしないぞ、レイラ」

「ご忠告ありがとう」

レイラは答えた。