軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

覚悟

「アルマーク」

教室に入ってすぐにアルマークに話しかけてきたのは、セラハだった。

「私とアルマークの場面なんだけど、ちょっと変えてみたいところがあるの」

「えっ、今からかい」

アルマークは驚く。

もう今日は本番直前の最後のリハーサルだ。

「うん。変えたいの」

セラハは真剣な顔で頷いた。

セラハの役は、王妃から笑顔を奪う魔女だ。

劇中最大の悪役と言ってもよく、それだけに王妃のレイラに負けない迫力を備えている必要があった。

脚本のキュリメも、以前そっとアルマークに、

「セラハの役だけはね、ちょっとセラハに無理させちゃうなって思ってるの」

と打ち明けたことがある。

王妃役が決まってから笑顔を封印して日増しに美しさと迫力を増すレイラに対抗するために、セラハもずいぶん苦労したらしい。

図書館で魔女の本を借りて研究したり、フィーア先生に“氷のフィーア”と呼ばれていた頃の話を聞いたりして、自分なりの魔女を作り上げようとしていたようだ。

富裕な商人の娘で、貴族ほどではないにしても育ちのいいセラハは、明るく健康的で、一緒にいる人を楽しくさせてくれる女の子だが、レイラ同様この劇に向けてずいぶんとイメージを変えていた。

「剣士アルマークよ」

そう言ってアルマークに向かって手を伸ばすセラハの表情には、魔女としての禍々しさとともに何か不思議な色気のようなものまで漂って、アルマークは思わずどぎまぎしてしまったほどだ。

アルマークも自分の中に、呪われた剣士アルマークというもう一人の人格のようなものを作り上げてはいた。

それは、セラハやネルソンとの演技ではうまく機能して、劇に自分がしっかりと入り込めているのを感じる。

しかし、ウェンディとの最後の場面では、北の傭兵の息子にして南の魔法学院の生徒たる現実のアルマークが顔を出し、いつも不甲斐ない終わり方をしてしまうのだった。

「どう変えるんだい」

アルマークが尋ねると、セラハは少し声をひそめる。

「魔女セラハはね、 アモル王(レイドー) を自分に振り向かせたいの」

「レイドーを?」

「うん」

セラハは頷く。

「だから、王妃から笑顔を奪うの」

魔女セラハが王妃レイラから笑顔を奪う理由は、台本によれば、単に王妃の美貌に嫉妬したからだ。

高貴な身分とそれに見合う美貌を兼ね備えた王妃から、魔女は笑う術を奪う。

「恵まれたそなたはきっとこれから素晴らしい、人の羨む人生を送るのであろう。ただし、ひとかけらの笑顔も無しでな」

そう言ってレイラに笑いかけるセラハの演技は迫力があって、アルマークも感心したものだが。

「そうすると、台詞も変わってくるってことかな」

「笑顔を奪う場面では変えないの」

セラハは答えた。

「だって、屈辱でしょ。あんたの旦那……あ、この時はまだ婚約者か……が欲しいから呪いをかけてやる、なんて王妃に言うの」

「あー、うん、そう……かな」

アルマークは曖昧に頷く。

それと美貌に嫉妬することとの違いが、アルマークにはよく分からない。

「だから、王妃にはあくまであんたの美貌に嫉妬したんだって思わせるの」

「うん」

「でも、本当はアモル王に振り向いて欲しいの。その気持ちを、アルマークにだけそっとこぼすの」

「なるほど」

アルマークにもようやくセラハの言わんとすることが分かってきた。

「可愛いな」

アルマークは言った。

「その言い方で合っているのか分からないけれど」

「可愛いって言うのかな」

セラハは首を捻る。

「でも、少し人格を立体的にしたいのよ。ただ美貌に嫉妬するだけじゃ、レイラの演技に見劣りしてしまうもの」

「分かった」

アルマークは頷いた。

最後の最後まで完成度を追求しようとするセラハの姿勢に、感動すら覚えていた。

「それじゃあ台詞はどこをどう変える?」

最後のリハーサルで、セラハの土壇場での変更は、ウォリスに絶賛された。

「セラハ。その変更は良かったぞ」

ウォリスが手を叩く。

「魔女が単純な悪ではなく、複雑な人格を持った一人の女性として浮かび上がってきた。本番もそれでいこう」

「うん」

セラハは嬉しそうに頷いて、アルマークを振り向く。

「付き合ってくれてありがとう、アルマーク」

「いや、うまくいってよかったよ。僕も本番で間違えないように気を付けないと」

アルマークは笑顔で頷いた。

「うん、頑張ろうね。……レイラ!」

セラハが笑顔でレイラの方へと駆けていく。

その背中を見送りながら、アルマークは考えていた。

セラハの提案で変更したアルマークの台詞の中に、心に響くものがあった。

だからこそ、分かった。

このままじゃダメだ。

バイヤーやトルク、レイラの助言の一つ一つが頭をよぎる。

そして今日、目にしたシシリーの勇気。

ネルソンやノリシュ、セラハたちの劇に懸ける思い。

何よりも。

ウェンディの悲しそうな瞳。

こんな宙ぶらりんな気持ちで、本番に挑むことはできない。

結局今日も、言えたのはたった一言。

「ありがとう、ウェンディ」

それに、ウェンディは無言で頷いただけだ。

こんな演技を僕たちだけが続けるのは、仲間たちへの裏切りだ。

劇を成功させたいと願うみんなのためにも。

助言をくれた仲間たちのためにも。

何よりも、ウェンディにこれ以上悲しい思いをさせないためにも。

僕たちには、言葉が必要だ。

アルマークははっきりと思った。

たとえウェンディに許嫁がいたとしても。

ウェンディが将来、その人と一緒になるのだとしても。

僕たちの、この学院で築いた信頼は、嘘ではないはずだ。

ウェンディとこの先どうすればいいのかなんてまるで分からないけれど。

今のウェンディを笑顔にすることは、今の僕にしかできない。

ウェンディは他の生徒から離れて、客席の暗がりに一人で立っていた。

その姿を見て、アルマークの気持ちは決まった。

アルマークは、ゆっくりとウェンディに歩み寄った。

「ウェンディ」

その声に、ウェンディがはっと顔を上げる。

アルマークを見るその瞳が、悲しそうに揺れる。

もう、こんな目をさせちゃいけない。

大事なのは、ウェンディが笑顔になることだ。

その笑顔が僕に向けられるかどうかは。

問題じゃない。

そう、問題じゃないんだ。

アルマークは自分に言い聞かせた。

「大事な話があるんだ」

アルマークは言った。

「君に話さなきゃいけないことが」

ウェンディは息を止めたようにアルマークを見つめていた。

「僕に時間をくれないか。今日の放課後」

言いかけたアルマークの言葉を、ウェンディが遮るように言った。

「私も、アルマークに言わなきゃならないことがあるの」

ひどく慌てた口調だった。

けれど、まっすぐにアルマークを見つめてくるその瞳に、アルマークの胸は締め付けられる。

「今日一日、待ってほしいの」

ウェンディは言った。

声が震えていた。

「それで、私も覚悟を決めるから。お願い」

「分かった」

アルマークは頷いた。

どんな言葉を聞かされようとも、僕のウェンディを大事に思う気持ちは変わらない。

けれど、受け止める覚悟は僕にも必要かもしれない。

「それじゃあ、明日。1組の劇が終わった後でいいかな」

アルマークの言葉に、ウェンディが頷く。

「うん」

「それじゃ、場所は……」

「あの石のところがいい」

ウェンディが言った。

アルマークにはすぐに分かった。

夏期休暇のとき、アルマークがよく瞑想していた、森へ行く途中の石。

ガルエントルから帰ってきたウェンディと、アルマークはそこで再会したのだ。

魔術祭の間は、森に入る生徒もいない。

きっと人に邪魔されずに話せるだろう。

「分かった」

アルマークは頷いた。

「あそこで待ってるよ」

ウェンディは頷いた。

「必ず行くね」

それだけ言うと、ウェンディは堪えきれなくなったように身を翻してアルマークから離れていく。

アルマークはその背中を見送り、深い息を吐いた。

明日。

魔術祭の初日。

僕たちの関係は、どうなってしまうんだろう。

「アルマーク」

不意に、小さな声がアルマークを呼んだ。

聞き覚えのある声。

顔を上げると、暗がりの中、闇に紛れるように、あの少女が立っていた。

黒い髪に、透き通るような白い肌。

武術大会で、アルマークに警告をしてくれた少女。

「マルスの杖を、離さないでね」

アルマークをじっと見つめて、少女はそれだけ言った。

アルマークが口を開こうとすると、その姿は、闇の中に溶け込むようにたちまち消えてなくなった。