作品タイトル不明
音楽
ノリシュたちが事前に話をつけてくれていたようで、アルマークたちはほとんどチケットの確認もされずに音楽堂の中に通された。
通路を抜けて客席に入ると、みんなが思い思いの席に座り始める。
来客数はかなりのものだったが、きちんと座れるだけの椅子があるようだ。
アルマークは高く設計された天井を珍しそうに眺めながら客席に入り、客席の向こうに見える舞台に目を輝かせた。
「やっぱり舞台に近い方がいいのかな」
勢い込んで前に行こうとするのを、ウェンディが止める。
「あんまり前に行ってしまうと、かえってよく聞こえないよ」
「そうなのかい」
「うん」
ウェンディは頷き、客席の真ん中やや後ろ辺りを指差す。
「ほら。ちゃんと分かる人はあの辺に座るのよ」
そこにはもうリルティがちょこんと座っていた。
「なるほど」
アルマークは神妙に頷くと、ウェンディと一緒にリルティの方へと歩く。
「隣いいかい」
そう断ってアルマークはリルティの隣に腰を下ろす。
「あ、うん」
リルティが頷く。
「さすがリルティだね。座るところが分かってる」
そう言って、ウェンディがさらにその隣に座る。
「一番いいところで聴きたいから」
リルティはそう答えてはにかむように微笑んだ。
アルマークは音楽堂の中のものがいろいろと珍しくて、きょろきょろと辺りを見回す。
集中して音楽を聴く、という行為自体、学院に来る旅の途中で旅芸人の一座に加わって剣の見世物をしていた時以来だろうか。
その時の音楽も、せいぜい弦楽器か笛に打楽器を一つか二つ組み合わせた程度の素朴なものだ。
今、目の前の舞台に置かれている様々な楽器がそれぞれ一体どんな音を出すのか、そしてそれが合わさるとどんな音になるのか、アルマークには想像もつかなかった。
ウォリスとアイン、ルクスのクラス委員トリオはアルマークたちよりやや後ろに陣取った。
カラーとロズフィリアもそこにいて、美男美女グループといった風情で一番華やかな雰囲気だ。
カラーは、アルマークと目が合うと、こっそりアインを指差して顔をしかめて見せた。
ロズフィリアもアルマークの顔を見て、興味ありげにその大きな瞳を煌めかせた。
ノリシュとネルソンは、レイドーやキュリメたちと一緒に前の方に座っている。人数も多く、一番中心のグループだ。
モーゲンはバイヤーと一緒に一番後ろの席にいる。明らかにやる気がない。
やがて観客が全て座り終えると、ほどなくして楽団員たちが舞台の袖から現れた。
観客の拍手を受けて、指揮棒を持った初老の男性が優雅にお辞儀する。
そして、演奏が始まった。
たくさんの楽器が奏でる複雑な音に、アルマークは最初から衝撃を受けた。
「すごい」
思わず呟く。
ウェンディが口に指を当てて注意するが、その目は笑っていた。
ごめん、と口の動きだけでウェンディに伝え、アルマークは音楽に集中する。
一曲目は、音の複雑さに圧倒されただけで終わってしまった。
二曲目は、楽団員たちの演奏する楽器の不思議な形状や、その滑らかな指の動きを見ているうちに終わってしまった。
曲と曲の合間にそれをウェンディに伝えると、ウェンディは、それなら目を閉じて聴いてみたら、と提案してくれる。
「そうしたら、音だけに集中できるでしょ」
「そうだね」
アルマークは頷く。
リルティは、もう隣にアルマークたちがいるのも忘れてしまったかのように、舞台に見入っている。
三曲目が始まった。
アルマークは、ウェンディに言われた通り、目を閉じて音楽に集中してみる。
力強い曲調。硬い、無機質な感じ。
だがそこに時折、繊細な優しいメロディが混じる。
これは、レイラみたいだ。
岩肌に咲く小さな花のようなその優しいメロディが、アルマークには、昼間レイラが洞穴で示した不器用な優しさを連想させた。
次の曲は、うって変わって可憐な曲だった。まるで色とりどりの美しい花の咲く小道を歩いているような。
けれど、メロディの底には常に一定の力強いリズムが流れている。
これはウェンディみたいだな。
アルマークは目を少し開けて、隣のウェンディを見る。
ウェンディも、アルマークと同じように目を閉じて音楽に聞き入っていた。
優しくて、可愛くて。
でも、底には強いものを秘めている。
それは、危機に際して自分の身を挺して使用人全員の命を救ってしまうほどの強さだ。
そんなことを思っていると、ウェンディが急に薄目を開けて、アルマークの顔を見た。
思わず目が合い、二人で笑いあって、また目を閉じる。
それから数曲。
アルマークは、モーゲンみたいだとか、アインとフィッケの掛け合いみたいだなどと想像しながら音楽を楽しんだ。
次の曲では、すらりとした美しい女性が舞台の中央に立った。
「あっ」
それまで黙って音楽に聞き入っていたリルティが、小さい声をあげる。
「リルティ、あの人は誰?」
アルマークは小声で尋ねる。
「有名な歌手なの。今回の公演にも来ているなんて」
リルティが興奮した口調で囁き返す。
「歌手?」
アルマークは眉をひそめる。
「歌を歌うの?」
リルティは頷く。
「次の曲、独唱があるの」
「へえ」
曲が始まった。
静かな曲だった。
メロディが単調で、アルマークには少し退屈に感じられた。
しかし、やがて中央の女性が口を開くと、曲の印象が一変した。
女性の声量は圧倒的だった。
あんな細い身体のどこから、と不思議になるほど、よく通る声。
静かなはずだった曲が、女性の歌声が重なるだけで、全く別の曲のように聞こえる。
きっと、これは恋の歌なんじゃないか。
さっきネルソンやレイドーとそんな話をしたからだろうか。アルマークはなんとなくそう思う。
静かで単調なように見えて、心の中ではこんなにも熱い思いを歌い上げている。
多分、恋ってそんな感じなんじゃないか。
ウェンディをちらりと見ると、ウェンディも舞台の歌手にじっと見入っていた。
きっとこちらも熱心に見ているのだろう、とアルマークはリルティを見て、その唇が女性歌手の歌に合わせて小さく動いているのに気付いた。
とても複雑で難しい歌だったが、リルティの口は淀まずにきちんと歌手の口の動きをなぞる。
いつものリルティの、下ばかり見てしまう目と、か細い頼りない声を思い出す。
今、その目は歌手の姿をまっすぐ見つめていた。
今はただ口を動かしているだけだが、もしも声を出したら。
この歌を歌ったら。
その時は全く違う声が聞けるのではないか。
アルマークは不思議な気持ちでその口許を見つめた。
「次の曲は」
指揮者の男性が客席に向かって語りかける。
「皆様にはあまり馴染みのない曲調かもしれません」
穏やかな笑みを浮かべ、指揮者は紹介する。
「遠く、中原のさらに北、メノーバー海峡を隔てた北の地から届いた音楽です」
「えっ」
アルマークは思わず身を乗り出す。
指揮者が楽団に向き直り、指揮棒を構える。
演奏が始まった。
最初は分からなかった。
そもそも北でこんなにたくさんの楽器を見たことなど一度もないのだ。北の音楽と言われてもぴんと来なかった。
確かに先程までの音楽とは違う気もするが、聞き覚えのないメロディだった。
しかし、笛の鋭い音が、まるで風の音のようだ、と思った瞬間、胸に響くものがあった。
北の音楽を南の楽器で代用して演奏しているんだ。違って聞こえて当たり前だ。
アルマークは気付く。
音に集中しよう。
ウェンディの助言を思いだし、アルマークは目を閉じた。
目の前の映像が消え、音が素直に心に入ってくる。
笛の音だけではない。打楽器の軽やかな音が、馬の蹄を連想させた。
ああ、これは北の草原だ。
アルマークの脳裏で、音楽と共に北の風景が鮮やかに甦る。
騎馬の一団が、短い夏が終わり早くも冷たい風が吹き始めた草原を走っている。
鈍色の鎧をまとった、傭兵たちだ。
アルマークには、その男たちの顔に刻まれたしわの一本一本までがはっきりと見える気がした。
馬上で、一人が大声で何か下卑た冗談を言い、それを聞いた他の傭兵たちも遠慮のない大声で笑う。
傭兵たちの、穏やかな日常の風景。
不意に曲調が変わる。
激しいものに。
騎馬の一団が走るのは、血の匂い立つ戦場だ。
鈍い金属音。飛び交う怒声。
傭兵の一人が血飛沫をあげて地面に倒れる。
果てしなく続く戦乱の中で、傭兵たちは当たり前のように命を散らしていく。
それもまた、傭兵たちの日常の風景。
再び曲調が変わる。
騎馬の一団が、草原を走っている。
本格的な冬も間近な草原。風は身を切るように冷たい。
数多の戦いを経て、鈍色の鎧の傭兵たちはその数を減らしている。
馬上で、一人が大声で何か下卑た冗談を言い、それを聞いた他の傭兵たちが遠慮のない大声で笑う。
仲間が死に、数が減り、何も得ぬまま冬が来て、それでも傭兵たちは変わらずに笑う。
次の戦場までの、許されたごくわずかな平穏の時を、傭兵たちは笑って過ごす。
天の神々も照覧あれ。
それが、傭兵の日常の風景だ。
気付くと、アルマークの頬を涙が伝っていた。
学院での生活で忘れかけていた、北の人間としての、傭兵としての哀歓のようなものを、いつの間にか思い出していた。
アルマークにもそれが何なのか言葉では説明できなかったが、その感情には、胸を締め付けられるような懐かしさが伴っていた。
父さん。
アルマークは、別れの日以来、初めてはっきりと思った。
父さん。
会いたいよ。