作品タイトル不明
覚悟
イルミスは、今度は肩を回し始めたアルマークを見て、呆れたようにため息をついた。
「そんな身体で試合になるのかね」
「やってみないと何とも言えませんが」
アルマークは、イルミスに笑顔を向ける。
「別に負けても死ぬわけではないので」
これが本当の戦場であれば、退却も当然に選択の一つだ。
別に逃げることができない状況ではないのに、無理をして戦っても、負けてしまえばそれは人生の終わりを意味する。
戦うと決めたのならば、何があろうと絶対に勝たなければならないのだ。
それならば、退却した方がいいことも往々にしてある。
だが、武術大会は命のやり取りのない真剣勝負だ。
負けたとしても、それはまた取り返すことのできる敗北だ。
そして、何よりも。
「仲間が待っていますし」
ネルソン、モーゲン、レイドー、そしてレイラ。
アルマークは四人の顔を思い浮かべた。
一緒に勝とうと誓った仲間たち。
1組対3組の試合はもう終わってしまっただろうか。
時間的に微妙なところだ。
きっとみんな、やきもきしているに違いない。
「僕が、リーダーなんです。行かないわけにはいかない」
「参加だけでも、するかね」
イルミスが呆れ顔で言うと、アルマークは頷いた。
「はい。参加だけでも」
笑顔で続ける。
「でも、僕が勝つと思います」
そう言ってのけたアルマークの顔には、早くもわずかだが赤みが戻ってきている。
「君の回復力は認める。だが、さすがにその魔力の尽きかけた身体で無理をするのは危険だ。教師として、そのままでは許可は出せんね」
そう言って、イルミスはローブの袖から、小さな壜を取り出す。
どろりとした緑色の液体が入っている。
「治癒術のセリア先生の薬湯を煮詰めたものだ。これを飲む勇気があるのなら」
イルミスは、壜をアルマークの目の前で揺らす。
「参加を認めよう」
「それを飲めばいいんですか」
拍子抜けしたアルマークが壜を受け取る。
だが、その蓋を開けた瞬間だった。
「かふっ」
アルマークがえずく。
イルミスはいつの間にか、離れたところでローブの袖で鼻を覆っている。
「なんですか、これ。嗅いだことのないひどい臭いだ。さっきの奴らの臭いが全然まともに思えるくらい」
「薬湯だと言ったろう」
イルミスが答える。
「セリア先生の薬湯を、何十倍にも凝縮したものだ。私とてよほどの事態でなければ飲む気にはなれん」
鼻を覆っているせいで、くぐもった声でイルミスは言う。
「だが、効果は抜群だ。即効性はないが、魔力の回復はずいぶん早まるだろう。仲間のためにそれを飲む覚悟が、君にはあるかね?」
「飲みます!」
アルマークは即答した。
鼻で息をしたらダメだ。
覚悟を決めて、息を止めてそれを飲もうとする。
「飲んでも吐いたら無効だぞ」
「わ、わかってます」
答えた拍子に臭気を吸い込んで、むせてしまう。
「先生、飲む前に、話しかけないで、ください」
咳き込みながら抗議すると、イルミスは真面目くさった顔で、始める前に条件はきちんと確認しておかないとな、と答える。
「飲みます。もう声かけないでくださいよ」
「分かっている」
アルマークは、息を止めて一息に液体を飲み下した。
凄まじい、形容しがたい味と臭い。
胃が受け取りを拒否しようと痙攣を起こして抵抗するが、アルマークは目に涙をためてそれを押さえ込み、何とか吐かずに堪えきった。
「見事」
イルミスが手を叩く。
「それでこそリーダーだ」
「いえ……」
「ああ、もちろんその薬湯は武術には何の効果もないのでおかしな期待はしないように」
「分かってます」
アルマークはしばらく胃の辺りを撫でてから、イルミスに頭を下げる。
「先生、ありがとうございました。これを預かっていただいてもいいですか」
イルミスは、アルマークから差し出された木の棒を受け取った。
「では、一旦預かろう。だが、おそらく私のところに長くは居たがらないだろう」
イルミスは、まるで木の棒自体に意思があるかのように言う。
「一人で行けるかね」
「はい。セリア先生の薬湯もいただきましたし、大丈夫です。ウォリスのことをお願いします」
そう言ってアルマークが歩き出そうとしたとき、後ろから声がかかった。
「アルマーク」
振り向くと、ウォリスが辛そうな顔で上体を起こしていた。
「気がついたのか、ウォリス」
アルマークの言葉には応えず、ウォリスは自分のローブと上衣を脱ぐ。
「それで行くのは、あまりに見映えが悪いだろう」
ウォリスに指摘され、アルマークは自分の服の背中がざっくりと切れていて、その上、血にまみれていることを思い出す。
「君に僕の服を貸す。僕はローブももう一枚持っているから、後で返してくれればいい」
上半身裸になったウォリスは、いつものクラス委員の口調でそう言うと、ローブと上衣を丸めてアルマークに投げてよこす。
「ありがとう」
礼を言ってそれを両手で受け取りながら、アルマークはウォリスの右腕にやはり組分けの日同様、包帯が巻かれているのに気付いた。
先ほどのウォリスの戦いぶりを思い出す。
おそらく、あの闇はあそこから出ていた。
「じゃあ、借りるよ。ウォリス、君の分まで戦ってくる」
アルマークは言った。
「前に、何故武術大会に出たくないのか、なんて聞いてごめん」
その言葉に、ウォリスがアルマークの顔を見る。
「君も本当は出たかったんだろ。でも、今日分かった。きっと僕には分からない事情があるんだね」
ごめん、とアルマークはもう一度言った。
「君が謝ることじゃない」
ウォリスは辛そうな顔のまま、吐き捨てるように言った。
「そう思うなら、立派に勝ってきてくれ」
「分かった」
アルマークは、ウォリスの上衣とローブを身に纏う。
「行ってくるよ。イルミス先生、行ってきます」
アルマークは二人に背を向けて歩き出した。
ゆっくりとした歩みだが、その足取りはしっかりとしている。
「……タフな子だ。君もそうは思わないか、ウォリス」
イルミスがウォリスを見る。
「……おっしゃりたいことが分かりません」
ウォリスはイルミスの顔を見ずに、そう答えた。