軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

一瞬の攻防での決着に、武術場では、ざわめきがなかなか収まらなかった。

観客席の先頭にいたノリシュやリルティたちは抱き合って歓声を上げていたし、見た目からして明らかに不利だったウェンディの劇的な勝利は観客の興奮を誘ったのだろう。

アルマークは単純にそう考えていた。

しかし、事はどうやらそう簡単な話ではなかったようだ。

レイドーの呟きを聞くまで、アルマークはそのことに気付かなかった。

「今の試合が、よっぽどお気に召したってことなのかな」

「え?」

聞き咎めたアルマークが振り返ると、レイドーは意外そうな顔をした。

「あれ、アルマークは気付かなかったのかい」

「アルマークはウェンディしか見ちゃいねえよ」

ネルソンが首を振る。

「何が?」

「立ち上がって、拍手したんだ」

レイドーが観客席の最上部を見上げる。

アルマークもつられてそちらを見る。

貴賓席の最上段。

そこにはフードを深くかぶったウォルフ王太子が座っていた。

「ウォルフ王子が?」

「うん」

レイドーは頷く。

「ウェンディの勝ちが決まった瞬間にね。さっきまでは、試合が終わってもちょっと拍手するだけだったのに」

「へえ、わざわざ立ち上がって拍手を」

今は既に、ウォルフ王太子は何事もなかったかのように座っていたが、どうやら客席のざわめきの半分くらいは王太子のこの反応に対する驚きのようだった。

「顔が見えたりしたかい」

「いや、残念ながら」

レイドーは首を振る。

「そうか……」

ウォルフ王太子から目を離し、何気なく観客席に目をやったアルマークは、そこに先ほどの少女の姿を認めた。

「あっ」

試合の区切りで席を立つ観客が多い中、あの少女が観客席の間を縫うようにして歩いている。

「アルマーク!」

不意に呼ばれて振り返ると、笑顔のウェンディと目が合った。

笑顔といっても勝者の満面の笑みではない。

少し翳のある微笑み。

「おめでとう、ウェンディ」

アルマークは言った。

「試合、すごかったよ。とてもきれいだった」

ウェンディはうつむいて小さく首を振る。

「きれいなんかじゃないよ」

それからアルマークの顔を見て、やるせなさそうに笑う。

「でも、ありがとう。勝てたのはアルマークのおかげ」

「僕のおかげ?」

ウェンディは小さく頷く。苦いものを噛んだような顔をした。

「相手の嫌がること、やってみたの」

「うん」

「そうしたら、勝てた。でもちょっと苦しいの」

アルマークはウェンディの少し潤んだ目を見る。

「君は相手のことを考えて、こうすれば勝てると思ってきちんと勝負したんだろ?」

その言葉にウェンディは戸惑った顔をする。

「僕には、君の気持ちが伝わった。だからこそ、すごくきれいだった」

アルマークの言葉にウェンディは、男の子の言うことはよくわかんないや、と言って困ったように笑った。

「でも、誉めてくれてありがとう」

それから、アルマークの背後に目を向ける。

「レイラ」

「見てたわよ」

アルマークの後ろにいたレイラがウェンディに歩み寄る。

「素晴らしかった」

「ありがとう」

ウェンディは微笑んだ。

「次はレイラの番だからね」

「私も勝つわ」

レイラは頷いて、微笑んだ。

学生の中ではおそらくウェンディにしか向けたことがないであろう、レイラの微笑み。

「あなたのことだから、エメリアに何か言われたことを気にしてるんでしょ」

レイラが穏やかに言う。ウェンディが目を伏せる。

「出会う人全員と仲良くなる必要なんてないのよ」

レイラはまるで妹に諭すかのように言った。

「あなたの価値を分かってくれる人と付き合えば、それでいい。あなたにはその資格がある」

「……ありがとう、レイラ。私の性格なんだろうね」

ウェンディは微かに口許を綻ばせた。

それから、振り向いてチームの仲間たちのところへ歩いていく。

ガレインたちが満面の笑顔でウェンディを出迎える。

トルクの、さすがだな、という声が聞こえた。

アルマークは、そのウェンディの背中を見送った後で、ふと思い出して観客席に目を戻した。

やはり、というべきか。先ほどの少女の姿はもうなかった。

でもまだそんなに時間は経っていない。

きっと武術場の中には、いるはずだ。

「ごめん、ちょっと出る」

隣のネルソンにそう声をかけ、アルマークは通路に向かって走り出した。

「どこ行くんだよ、すぐにピルマンの試合が始まるぜ」

「すぐに戻る!」

アルマークは背中でそう答え、薄暗い通路に飛び込んだ。

悪い力が来る。

あの言葉がずっと引っ掛かっていた。

彼女に会って、どういう意味なのかはっきりと確かめたかった。

アルマークは観客席に上がる階段や通路、休憩室などあらゆるところを見て回った。

しかし、どこにも少女の姿はなかった。

探しあぐねて、階段の上を見上げながら通路を歩いている時だった。

アルマークは角を曲がってきた白いローブの男性に危うくぶつかりそうになった。

「あ、すみません」

とっさに謝る。

「いや、こちらこそ」

ローブの男性は快活に答えてから、不意にアルマークの顔をじっと見つめてきた。

どこかで会ったことのある人だろうか。

アルマークもその男性の顔を見て、自分の記憶と照合する。

だが、その彫りの深い柔和な顔立ちは、アルマークの記憶にはない。

「君は、この学院の生徒さんだね」

男性は、アルマークの目を覗き込むようにしながら尋ねてくる。

「はい、初等部の三年生です」

アルマークが答えると、男性は、ふむ、と頷き、さらに質問してくる。

「魔術実践の授業は誰に教わっているのかな」

「イルミス先生です」

アルマークの答えに、男性は破顔した。

「イルミス!」

天を仰ぐようにして笑ってから、アルマークに向き直る。

「懐かしい名前を聞いた。私の同級生だ」

「え、イルミス先生の同級生」

「先生。そうか、ふふ、あのイルミスがいまや先生か」

男性はアルマークの言葉に実に楽しそうに笑う。

それから思い出したように、自分の名を名乗る。

「言い忘れたね、私の名前はライヌル。ガライ王国の宮廷魔術師の一人だ」

「宮廷魔術師」

アルマークは目を丸くした。

「すごいですね」

その反応に、ライヌルは満足そうに笑う。

「うっふっふ。そういう素直な反応は嬉しいね。今日はウォルフ殿下のお供で来ているんだよ。こういう時でもないとなかなか母校に顔も出せない」

「ライヌルさんもここの卒業生なんですね」

「そのとおり。おお、我が青春のノルク魔法学院!」

ライヌルは芝居がかった仕草で両手を広げた。

「この武術場を含めて、ここにある何もかもが懐かしいよ」

そう言って、優しい目で周りを見回す。

少し変わっているが、悪い人ではなさそうだ。

「君は……ええと」

「アルマークです」

「アルマーク。いい名だ」

ライヌルはアルマークに向けて片目をつぶってみせる。

「古い文献でよくその名を見かけた。君のご両親はきっと教養のある人なのだろう」

「そうなんですか」

今までそんなことを言われたことがなかった。

アルマークは戸惑った。

しかしライヌルは、アルマークの表情などお構いなしに質問してくる。

「アルマーク君は、今日の試合には?」

「あ、はい。これから出ます」

「そうか。これも何かの縁だ。ぜひ応援させてもらおう」

ライヌルが右手を差し出す。

その中指に金色の指輪が光っていた。

「ありがとうございます」

アルマークはその手を握り返しながら、見るとはなしにその指輪を見た。

極めて簡略化されてはいるが、このデザインは……。

蛇、かな。

「頑張ってくれよ。イルミスの教え子の、アルマーク君」

「はい」

ライヌルの笑顔に自分も笑顔で頷き返したとき、アルマークの鋭敏な鼻が、ごく微かに、異質な匂いを嗅ぎとっていた。

いや、かつて嗅ぎなれた匂い、と言うべきか。

腐臭。

北の戦場に、その翌日からもう漂い始める匂い。

あるいは、森の奥から闇と共に漂ってくる匂い。

常人ではおそらく気付きもしないであろう、ごくごくわずかな腐臭。

アルマークだからこそ嗅ぎとることができた。

なぜ、こんな身なりのいい人からこの匂いが。

アルマークが疑問に思ったその時、試合場の方から、わっと歓声が上がった。

それでアルマークは、自分がもうだいぶ長いこと応援席を空けてしまっていることを思い出した。

試合が始まった、いや、もう終わってしまったのか。

「行かないと」

アルマークの言葉にライヌルが手を離す。

「またぜひどこかで会おう、アルマーク君」

ライヌルはそう言っておどけた仕草で手を振ってみせた。

蛇の指輪が揺れる。

「はい」

アルマークはぺこりと頭を下げた。

確かにこの人とはどこかで会う気がする。

それもごく近い将来に。

それは、アルマークが戦場と旅で培った、野生の勘のようなものだった。