作品タイトル不明
アイン
試合場に出ると、普段と全く違う光景にみんなが息を呑んだ。
観客席が全て埋まっている。
ただ、それだけのことなのだが、いつも練習で使っている武術場とは全く別の建物のように感じる。
たくさんの人間に見下ろされる圧、とでもいうのだろうか。
観客の着ている色とりどりの服が、まるで一つのモザイク画のように見える。
観客一人一人のざわめきが合わさって、巨大などよめきのようになってアルマークたちの頭上に降ってくる。
指定された場所へ並ぶだけで、モーゲンなどは既にぎくしゃくとした動きになっている。
「モーゲン」
アルマークは小声でモーゲンの背中に呼び掛ける。
「いつもどおり」
「う、うん」
モーゲンはぎこちなく頷く。
「心配しなくても、モーゲン」
レイドーが存外にのんびりとした口調で言う。
「この人たちの百人に九十九人は、君の今後の人生に何の関係もない人たちだよ。二度と会うことはないから」
モーゲンは驚いた顔でレイドーを見る。
「よくそんな考え方ができるね、レイドーは。僕には無理だ」
そう言って苦笑いして首を振る。
それでも話すことで緊張が多少緩んだのか、さっきまでよりはましな動きになっている。
アルマークたち2組の右に、1組。左に3組の生徒がそれぞれ並ぶ。
「アルマーク。先頭はお前だ」
トルクがぶっきらぼうに言い、アルマークは2組の列の先頭に並ぶ。
すぐに式が始まるのかと思ったが、観客席は相変わらずざわざわとしている。
まだ始まるまでに少し間がありそうだ。
アルマークが黙って前を向いて立っていると、
「ウォリスが出ないってのは本当なんだな」
右隣にいた1組の先頭の男子学生が、アルマーク同様に前を向いたままでそう声をかけてきた。
「ああ。怪我をしてるし、体調も悪い」
アルマークは、それが誰なのかも分からないままで答える。
「そうか、残念だよ。彼とはこういう場で試合してみたかった」
アルマークはそれに答えず、観客席の最上部にある貴賓席を見た。
まだ、誰の姿もない。
ウォルフ王子を含めた貴賓たちが来るにはまだもう少しかかりそうだ。
「ウォリスがいないなら、トルクが先頭に並ぶと思っていた」
右隣の学生がまた話しかけてくる。
「トルクが自分から譲るってことは、君はよほど強いんだな」
アルマークは、そこで初めて相手の顔を見た。
背はさして高くない。アルマークとほとんど同じくらいだ。
しかし、トルクやエストンたちのような恵まれた体格ではないのに、アルマークにはこの少年が強いのだろうということがすぐに分かった。
纏っている雰囲気が違う。
細面の聡明そうな少年だった。その勝ち気な二つの瞳が、好奇心を湛えてじっとアルマークを見ていた。
「アルマークだ。この春に転入してきたんだ」
アルマークは自分から名乗った。
知っているさ、とその少年は微かに笑った。
「北から来た変わり種が2組に入ったって、ずいぶん噂になったからね」
それから、自分でも名前を名乗る。
「1組のアインだ。一応、クラス委員をしている」
アルマークを上から下まで測るように見て、笑う。
「ウォリスがいないなら、ぜひ君とやりたいところだけど……トルクには昔勝ってるからね。君は1組との試合に出るんだろ?」
「いや、僕は3組とだ」
アルマークは首を振った。
「それは残念だ」
アインは本当に残念そうに言った。
「まあまだチャンスは来年以降もあるからね。いつかお手合わせ願いたい」
「ということは、君は2組との試合に出るんだね」
アルマークは確認した。
こいつが相手だとすると、今のトルクでも危ないかもしれない。
そう思ったからだ。
しかし、アインはにこりと笑って、こう答えた。
「いや、僕は3組との試合に出るよ」
「え?」
アルマークは眉をひそめる。
「さっきの口ぶりじゃ、2組との試合に出るみたいだったじゃないか」
思わず、責めるような口調になったのが自分でも分かる。
こいつは僕をからかってるのか。
「ごめんごめん」
アインは軽く笑ってそれを受け流した。
「2組との試合に出るつもりだったけどさ。ウォリスも君も出ないんじゃつまらないからね。まだ3組のコルエンあたりとやった方が面白そうだ」
「今から変える気かい」
他のクラスメイトは怒ったりしないのだろうか。
「ああ、大丈夫。1組は僕のクラスだから」
アインはさらりと言った。
アルマークがその言葉に疑問を挟もうとした時、観客席のざわめきが大きくなった。
「ほら、来賓の入場だ」
アインは笑いを含んだ声でそう言うと、真面目腐った顔で前に向き直った。
クラス委員というのは、優等生がやるもんじゃないのか。
アルマークも前に向き直りながら、そう考える。
ウォリスといい、このアインといい、曲者ばかりじゃないか。
観客席のざわめきが一層大きくなり、しずしずと豪華な身なりの男女が入ってくる。
案内の学院関係者を除けば、全部で十名ほど。
ゆっくりとした動作で貴賓席のそれぞれの席の前に来ると、そのまま座ることなく立っている。
続いて、武術教官のボーエンが良く通る声で観客に起立を促す。
全員が立ち上がり、会場全体が静まり返ったところで、案内役の女性に先導されて、一人の少年が入ってきた。
ガライ王家の紋章の入った、いかにも質の良さそうなローブを纏っている。一瞬、観客席にざわめきが広がるが、すぐにそれは大きな拍手に取って代わった。
貴賓席の来賓を含めた観客たちは皆立ったまま、この少年に大きな拍手を送る。
アルマークたち学生も、ボーエンに促されて拍手をする。
今、入場してきたのがガライ王国のウォルフ王太子に違いなかった。
アルマークには、なぜ観客席が一瞬ざわめいたのか、その理由はすぐに分かった。
王太子がローブのフードをすっぽりとかぶってしまっていたからだ。
あれでは王太子の顔どころか髪の毛すらも見えはしない。
本当に王太子その人なのかどうかも怪しいではないか。
「噂は本当だったんだな」
隣のアインの呟きに、アルマークは目だけをそちらに向ける。
「君は南の出身ではないから、知らないかい? 噂では、ウォルフ王太子は初めて魔法を行使した時、あまりにも幼かったので制御が利かず……」
アインは前を向いて生真面目に拍手をしながら、口だけを動かした。
「顔にひどい怪我を負ったそうだ。それ以来、人前に出るときはああして……」
アインの口許には皮肉な笑みが浮かんでいた。
「フードなりマスクなりで顔を隠すのだそうだ」
「気の毒な話だ」
アルマークが、アイン同様前を向いたままでそう言うと、アインは冷たく、一言だけで応じた。
「それで王が務まるのか」
やがて、王太子は貴賓席の最上段に到着し、右手を軽く挙げて拍手への謝意を示し、着席した。
アルマークは目を凝らして王太子の顔を見つめたが、いかんせん遠すぎる。
王太子の素顔はフードの影に隠れて、やはり見ることはできなかった。
その後、来賓の紹介や試合の進行、規則の説明など一通りの式次第を経て、開会式は終わった。