軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第74話 霜の巨人の到来する季節 6歳 冬

秋が去り、長く厳しい冬がフィヨルドにやって来た。

秋の間、山肌を彩っていたナナカマドの燃えるような赤や、シラカバの眩しい黄金色は、冷たい北風に浚われて姿を消し、白銀の雪へと塗り替えられる。

太陽は水平線から高く登らないようになり、夕暮れは青く染まる。

霜の巨人がその冷たい手でフィヨルドを覆い隠した

秋の恵みに満ちた賑やかな匂いは去って、雪と煙の匂いだけの世界となる。

「うー…さぶさぶ」

冬の家であっても、朝は寒い。

壁際に設けられたベンチ共用の子供寝台からエリン姉を引き剥がして起きると、家の石炉から火種を貰って海岸の塩製造所へと向かう。

「雪は…これぐらいなら大丈夫かな」

積雪はそれほどでもないし、空は灰色だけれど今のところ雪は降っていないから、社交場を開く準備もしておいた方が良いだろう。

「今のうちに、泥炭を使っちゃわないとね」

まずは西風炉に泥炭を積んでから火をつける。

今は秋に山程捕れた鯨肉と塩鰊の在庫も豊富だし鱈漁の季節でもないから、頑張って冷燻魚を作る必要はない。第一、作っても干す場所がない。

だから、今は冬の家に社交場の使用料として山程積み上がっているけれど、燻製燃料に使うと臭いが移って不評な泥炭を使用するチャンスなのだ。

「結構、いい匂いだと思うんだけどなあ」

残念ながら、泥炭の匂いはこの辺りでは貧乏の臭いとして評判が悪い。

火種が移り、焦げた藁のような独特の匂いを発して赤く燃え上がる炎を見ていると、凍えていなくても、ついつい手をかざしてしまうのは本能というやつなのだろうか。

炎にかざした手は、相変わらず小さいままだ。

「早く大人になりたいなあ」

大人になったら、やりたいことが沢山ある。

長船を駆って、海の向こうの村や地域にも行ってみたい。

「さて、今日も海水は凍っているかな、と」

少し体が暖まったら、昨夜のうちに桶で汲んである海水の氷を木槌でガンガン叩いて割って、氷は氷箱に移し、残った海水はさらに別の桶に移す。

凍結濃縮と名づけた方法で、海水を凍らせると氷から塩分が抜けて残った海水の塩分が濃縮される性質を利用して、塩分の濃い海水を作ることで塩作りの燃料を節約できるのだ。

「あとは生石灰を入れて…と」

慎重に木匙で量った生石灰を海水に投入する。濃縮された海水に生石灰を混ぜると、海水中の苦みの元であるマグネシウムと反応して水酸化マグネシウムとなって沈殿するので、塩の味が良くなるのだ。

ただし、生石灰を大量に入れすぎると海水のPHがアルカリになってしまうし、熱を発するから簡単に見えて危険な作業でもある。

「この手順さえなければ、他の人に任せてもいいんだけどなあ」

なんとなくだけれど、昨年に村長から取り付けた村中の貝塚を掘る許可が僕だけに降りているので、遠慮されている気もする。そこまで大仰な利権にするつもりはなかったんだけどなあ。

沈殿物を取り除いた海水を西風炉の鍋にかける頃、髪の毛が寝癖でボサボサのエリン姉が僕を朝食だと呼びに来る。

僕の冬の一日は、こんな感じで始まる。

◯ ◯ ◯ ◯ ◯

「今年の冬も社交場は人気あるなあ」

塩製造の西風炉の熱は、熱い煙道トンネルを通り、傍らの4メートル四方程度の広さの床暖房のエリアと、3つのコの字型のベンチへと熱気が送り込まれる。

宿泊所にも床暖房が建設されたから、宿泊所を利用するという方向もあるのだろうけれど、晴れた日は社交場に集まることをご婦人方は好むようだ。

不思議だったので、屋内よりも屋外を好む理由を母ちゃん経由で聞いてみたら。

「外の方が明るくて糸を紡ぎやすいし、小さな子供はできるだけ冬の綺麗な外気を吸わせたいじゃない」

とのこと。小さい子に厚着をさせて暖かい場所に置ける床暖房のエリアは、すっかり人気の託児所になっている。

「ううー」

「はいはい。お仕事の邪魔しないでね―」

「うんちー」

「うんち!?おかーさーん!この子のおかーさんはいませんかー!」

僕は、その隅に陣取ってべちべちと頬を小さな手で叩かれたり、乳臭い幼児達に背中登山を許しつつ、西風炉の火の番をしている。

「それに、使用料が決まっているから気楽だもの」

「そういう見方もあるんだね」

社交場は女性達の自然利用から始まったから、父ちゃんたちの場所を奪ったとも言うが、自然発生的に利用のルールが定まっている。

1日の使用料の目安が、薪一本、泥炭二本、魚一匹、貝一皿。

例え貧しくとも泥炭をスコップで掬って持ってきたり、海岸の岩陰の貝をナイフで剥がして持ってくることぐらいはできるし、利用料は社交場の暖房と提供されるスープとして還元されるから、不平を漏らす人もフリーライダーもいない。

一方で宿泊所は来客施設として村が主導して整備したために、そのあたりの運用ルールが定まっていない。窓は小さく屋内は暗いので蝋燭をつける必要もある。

「利用料とかの周知から始めたほうがいいのかもね…」

もちろん、そうした掟を決めるのは村長や有力者で僕には何の権限もないんだけど。

箱物が利用されていないと、効率の悪さになんだかムズムズしてくるのだ。

◯ ◯ ◯ ◯ ◯

「トール、お父さんに昼食を届けてくれない?」

「はーい」

母ちゃんが西風路の熱を利用した蒸し料理を、父ちゃんに届けて欲しいという。

「あたしも行く―!」

エリン姉も手を上げた。それには理由がある。

「じゃあ、競争だね!」

僕とエリン姉は、父ちゃんが作ってくれたスキー板を、いそいそと靴に縄で結びつけた。

この冬から練習を始めたスキーが、僕とエリン姉の間ではブームなのだ。

普段は億劫な距離のお使いも、雪原をスキーで駆ければ、それは楽しいスポーツに変わる。

「はい、スタート!」

「あー!トールずるーい!」

雪を蹴立て、小さな棒をストック代わりにして懸命に滑るり先行する。

登坂では懸命に左右の足を動かし、下り坂では出来るだけ姿勢を低くして滑降だ。

「お先にー!」

「あー抜かれた―!」

スタートでハンデをつけたのに、もう抜かれた。

エリン姉は、同年代の子と遊んでいる様子を見てもかなり運動能力が高い気がする。

僕はどうだって?運動神経が鈍いわけじゃないと思うよ。

まだ小さいだけだから。

「待って―!」

僕は懸命に足を動かし、滑り、これ以上距離を離されまいと姉を追う。

小さなスキーの跡が、雪原に真っ直ぐな線を引いた。