作品タイトル不明
第144話 グルグル回して蜂蜜を採ろう 7歳 晩夏
父ちゃんを見送った後に、急いで処理を始めないといけない仕事が残っている。
「トールちゃん、夏だけど社交場を開けるの?」
「いえ、燻製所だけ動かしたくて…」
西風炉で火を起こしていると、村の女衆から声をかけられた。
夏は塩作りも出来ないし社交場の暖房も必要がないので、燻製に使うとき以外の施設は止まっている。
やがて煙が螺旋のように渦巻いて上昇していくよう内部構造が工夫された石造りの燻製施設から、白い煙が上がっていく。
「ちょっと離れていてくださいね―」
しばらくは人が近づかないように声をかける。
やがて煙に混じり、何千匹という小さな虫が飛び去っていった。
冷燻の煙を山火事と勘違いして、丸太巣箱から逃げて行く蜜蜂だ。
普段よりも燻製施設の煙を逃がす口を広めにして、巣を煙で燻された蜜蜂が逃げ出す時間を稼げたとは思うのだけど、どうだろうか。
「女王蜂がうまいこと逃げて、また巣を作ってくれたらいいんだけど…」
今は丸太の巣箱を採用しているので、採蜜をしようとすれば全ての蜂を殺すしか方法がない。
重箱のような四角い巣箱を採用したいのだけれど、今は村の木工職人たちに労力の余裕が全くないんだよね。なにせ規格化した樽の大増産中なので。
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「じ、時間かかるね…」
「仕方ないじゃない。そういうものでしょ?」
以前、蜜蜂の採蜜には3種類の方法がある、と言ったのを覚えているかな。
3種類等より、3段階と言い換えたほうがいいかな。
1段階目は、蜜がたっぷり詰まった蜜蜂の巣から、自然に蜂蜜が落ちてくるのを待つ。滴下とか言われる方法だね。
目の粗い布に適度な大きさに切った巣を入れて、ひたすらに待つ。
こうして取り出された自然滴下の蜂蜜は透き通っていて、高い値で取引される。
2段階目は、蜂の巣から物理的に絞り出す、圧搾と言われる方法。丸太を蝶番で繋いでテコの原理と重りで蜂の巣を押しつぶし、布で濾して蜂蜜を取り出す。
長時間かけて圧力をかけることで、巣の隙間に貯まった蜂蜜なども取り出せる。
ただ、こうして取り出した蜂蜜には花粉や蜂の卵などの成分も混入するので透明度は落ちてしまうから、市場価値という面ではやや落ちる。
栄養面では一番良いと言われているんだけどね。
3段階目は、蜂の巣を温かいお湯で洗い流して、蜂蜜の巣の表面にこびりついた蜂蜜とお湯を煮詰めてから冷やす方法。
温度の調整をうまくしないと風味が飛んでしまうのだけれど、蜂蜜混じりのお湯を適度な温度で長時間似てから一晩冷ますと、表面を白い塊が覆うようになる。これが蜜蝋だ。重い蜂蜜の成分は、底に沈殿する。そして残りの蜂蜜混じりの水は、蜂蜜酒に使われるんだ。
「とりあえず、放っておきましょうね。3日ぐらい」
冷燻の施設から持ち帰ってきた燻された蜂の巣を取り出した後、第1段階の採蜜処理である滴下にかかる時間が、ひたすらに長い。
母ちゃんは3日ぐらい待つのは何でもない、と言うのだけれど僕は気が短いのだ。
北方特製大麦酒の製造と量産には大量の蜂蜜が必要であり、大量の蜂蜜を高速で処理する道具が必要不可欠なのである。
「蜂蜜用の遠心分離機をつくろう」
と、僕は決意した。
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遠心分離機、というと大仰な機械のように感じられるかもしれないけれど、僕の目指すところの志はごく低い。
通販で数千円で売っているような、サラダスピナーや手回し洗濯脱水機っぽいものが作れれば、試作品としては十分なのである。
なにより、以前とは違って僕は貴族。鍛冶職人にも木工職人にも顔が利く。
おまけにお願いを聞いてもらえる資産まである。
貴族になって良かった点だね。
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「シグリズ様。郎党の人を借りたいんですが」
「…今度は何をやらかすのですか?」
「いやだなあ。ちゃんと相談に来たじゃないですか」
村長婦人からの信頼の厚さで、こめかみが痛くなりそう。
「蜂蜜をですね、ささっと絞り出す道具を考えたのです。こう…ああ、ちょっと籠と桶を借りますね」
長屋敷の中で、水や野菜などの保管に使っているであろう深めの桶と少しサイズの小さな籠を見つけたので、説明のために借りる。
そうして桶の中に籠を入れ、ぐるぐると籠だけを回してみせる。
「…これが?」
「蓋をしてから、真ん中の籠を外から回せるように工夫して、グルグルグルっ、と凄い速さで回すんです。そうすると、蜂の巣の中の蜂蜜がビチビチッと飛び出して桶の壁に張り付いて下に流れてきます。桶の底に穴を開けておけば、蜂蜜が流れてくる、という仕掛けです」
シグリズ様は、桶の中で回る籠、という単純な道具にそんな劇的な効果があるものか何度も触りながら想像してみたようだけれど、機械に関する素養がないせいか、どうにも上手く行かないようで。
やがて諦めたように、ため息混じりに効果を聞いてきた。
「…それができたら、どうなりますか?」
「3日かかる蜂蜜の滴下が四半日で終わります!圧搾の必要がなくなりますから最高の品質の蜂蜜の量が倍になります!」
僕が拙い知識を使って遠心分離機を作ろうとしている理由が、これである。
時短の成果も劇的だが、それ以上に圧搾の工程を無くせるのが大きい。
時間あたり生産性において12倍。成果は2倍となる…はずなのだ。
「それが出来たら、本当に凄いことですが。郎党は貸しましょう」
「はい!」
シグリズ様から郎党の人を借りて、籠と桶を抱え意気揚々と僕は長屋敷を出た。
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「たのもーっ!」
「げえっ!」
勢いよく木工職人の工房を訪ねると、挨拶でなく野太い悲鳴を上げられた。
「こ、これはトール様…今日はどのような御用でございましょう?」
郎党の人がいるお陰で木工職人頭の腰が低い。
「ちょっと試作して欲しいものがあってね?」
「いえ、ですが工房の方はもう作業が詰まっておりまして…」
知ってる。なにせ木工製造業を管轄するのも仕事を詰め込んだのも僕の仕業だもの。
「大丈夫。もうすぐ人も増やせるから。それでね、お願いがあるんだ。この桶と籠を見てほしいんだけど…」
しれっと木工職人の懇願を無視して話を続ける。
いや本当に大麦酒の生産性に関わる大事な仕事なんだってば。
だからそんな恨みがましい目で見ないで欲しいよ。
「つまり籠を桶の中で回転させたいんだな?」
「そうそう。中の蜜が飛び散らないように上から蓋をして、蓋の真ん中に穴を開けてまっすぐ下まで棒が入るようにして、棒には回転させやすいようにハンドルと取っ手をつけて…」
「ふうん。形は難しかねえな。籠が中で飛んじまわないように縛るとか工夫がいるかもしれねえが」
ときに船大工も兼ねる木工職人の腕は確かだ。
敬語が抜けて郎党の人が顔をしかめているけれど、僕は別にこだわらない。
仕事さえしっかりとやってくれればいいのだ。
僕が作りたいもののイメージをハッキリと持っていたせいか、試作には協力してくれることになった。
「こいつは、横倒しになった水車とか車輪みたいなものだろう?」
「あ、言われてみればそうかもしれないね」
北方社会にも牛が牽く荷車もあれば、原始的な水車もある。
回転する道具という意味では、経験も技術もあるのだ。
「どれぐらいの速さで回すか知らねえが、繋ぎは鉄の方が良くねえか?」
「繋ぎというと蓋と底の接触面か。それはそうかもしれないね」
蜂蜜遠心分離機の回転軸となる蓋から桶の底までを貫く棒。その棒が接する蓋と底の2つの面はできれば鉄で保護したい。
棒の接触面も金属で覆えば摩擦も減るし耐久性も上がる。
いわゆる滑り軸受、と呼ばれるものに近い仕組みになるはずだ。
「そいつの鉄部分はうちじゃ無理だ。鍛冶屋に相談してきな」
と、中心回転軸になる予定の棒だけを渡されて、鍛冶工房へと向こう事になったのだ。
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「おーう!トール様じゃねえか!いやあ、今日は何の御用ですかい!」
「すごい歓迎のされ方だ…」
木工職人の工房では 疫病神(ロキ) 扱いされていたというのに、鍛冶職人の工房では熱烈な歓迎を受けた。
「いやあ、トール様のお陰で鉄が山ほど手に入りましたからなあ!当分は武器にも農具にも船の釘にも困りませんわ!」
ああ。なるほど。
北方というか、この時代はとにかく鉄が貴重品なのだ。
例えば、北方で鉄を得ようと思えば、沼地の泥から鉄を作る必要がある。
沼鉄鉱(ボグ・アイアン) と呼ばれるもので、地下水に含まれる鉄分が、湿地の酸素や鉄細菌の働きによって酸化して沈殿し堆積した泥を、木炭を使い泥を炉で焼いて取り出し、鍛えて鉄にする、という大変な手間を経て得る代物だ。
ところが、今の村には襲撃者が持ち込んだ武器や盾の鉄が倉庫に山と積まれている。鉄だから溶かすだけで道具が造れる。
鍛冶職人が上機嫌になるのも当然だろう。
「実はね、車輪の軸受みたいなことをしたいんだけど…」
僕は村長婦人や木工職人にしたのと同じ説明を繰り返した。
「なるほど、そいつは少し難しいと言うか、腕が要りますな」
「あれ?そうなの?」
車輪の軸受よりも小さくて軽い部品だし、簡単に作れると思ってた。
「穴が小せえですからね。部品も小さくなる。そこを完全に滑らかな円にしねえと、ガタつきますわな。それと熱くならねえように脂を塗らねえと。だが獣の脂や魚油を塗ったら蜂蜜の風味が変わっちまいますでしょう?」
「うーん…蜜蝋はどう?」
「なるほど!蜜蝋と脂を混ぜれば何とかなりそうですな!」
食品を扱う道具特有の難しさ、というやつだね。
幸い蜜蝋は蜂蜜製造の副産物として山ほど在庫がある。
木工職人から預かってきた回転軸に使う棒の接触面を薄い金属の板でぐるりと覆い、蓋部分の内側との接触面が滑らかになるよう、細かくヤスリで調整してくれた。
「ありがとう!これで何とかやってみるよ!」
「こちらこそ勉強になりやした。また何かあれば知らせて下せえ!」
そうして木工職人と鍛冶職人の間を何度か往復し、僕は第一号試作蜂蜜遠心分離機を完成させることができたのだった。
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「…これが?」
「そうです!ここから蜂蜜の歴史が変わるのです!」
シグリズ様は、なんとも評価に困る、という声で応じた。
デモンストレーションとして村長婦人のところに持ち込んだ試作機の見た目がいまいちなのは認めよう。蓋をした桶の上から手回しハンドルが出ているだけものね。
論より証拠。説明は適当に切り上げて、僕は早速実践テストに移った。
「回します!……回します!…回しています…!はあはあ。交代お願いします!」
すぐに息が切れて限界に達したので、筋肉ムキムキな郎党の人にお願いして回してもらう。
なんだかシグリズ様や侍女の人の視線が生暖かい。
歯車で高速回転する仕組みとかは組み込んでないからしんどいんだよね。
いずれは改良したいところだけれど。
「…ああ、そのくらいで結構です。では、栓を抜きますよ」
大人の戦士の力は、やはりすごいね。
ある程度の時間回してもらった後、桶の底の栓を抜いて木の杯で受けた。
とろり、と黄金色の綺麗な蜂蜜が流れ出してくる。
「どうぞ」
シグリズ様は、差し出された木の杯の蜂蜜を銀の匙で掬うと、少しの間、舌の上で転がすように味わってから。
「…良い味です」
と合格点を出してくれた。
この原始的な仕組みの試作遠心分離機は回転の速度が遅いことが幸いしたのか、花粉や巣の中の不純物が混じらない綺麗な蜂蜜が採れるんだよね。
速く回せれば良い、というものではないらしい。
今後も改良を続ける予定だけれど、そうした点は気をつけないとね。
こうして僕の村では、たくさんの蜂蜜の巣から大量に効率よく蜂蜜を絞り出すことができるようになり、蜂蜜を加えた北方特製大麦種の量産へと漕ぎ着けることができた…のだけれど。
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「…面白えなあ…実に面白え」
滑り軸受の高精度と高回転に魅せられてしまった鍛冶職人は、蜂蜜遠心分離機のみに留まらず部品や素材の改良を続け…やがて小麦を挽く水車や、馬車、長船の舵や帆を操る縄の滑車などへと技術が派生していくこととなる。
「あまーい!これはいい蜂蜜です!」
期せずして北方の寒村から後世でいう「精密機械工業」が芽吹き始めたことなど、その時の僕はまったく知らずに、蜂蜜を舐めていたのだった。