作品タイトル不明
58. 当主の風格
次の日から、慌ただしく葡萄の涙の採取が始まった。
レミーは朝から、商人ギルドと打ち合わせをしたり、農園でヌーヌおばさんと一緒に小作人たちに採取の指示をしたりと、忙しそうに動き回っている。
昼頃に届いた容器は、やっぱり広大な葡萄畑すべてから採取するには足りなかったけれど、レミーは「仕方がありません」と肩をすくめていた。
来年に向けて、どのくらい容器が必要なのか把握ができただけ、良いのだそうだ。
小作人たちが、さっそく容器を設置していく。
日に何度か回収し、 醸造所(ワイナリー) に置かれた大きな水瓶に移すという地道なものだ。
詳細は小作人たちには明かされていないが、それでも真面目に作業に徹してくれていた。
僕も、朝から葡萄畑を歩き回り、鑑定をかけて回った。
予想に反して、品種や植えられている土壌によって違いは見られなかったのだが……。
唯一、古樹だけは、効能が他よりも1つだけ多かった。
その1つの効能が、段違い……いや、全てを 凌駕(りょうが) すると言っても良いほどで。
鑑定結果を初めて見た時に、僕は一瞬目がおかしくなったのかと思った。
そして何度か鑑定をして、間違いではないと理解すると、だんだんと怖くなってきた。
『肌の再生を促進する』
そう、鑑定の末尾には記されていた。
その日の夜、再び書斎に集まって僕が古樹の鑑定結果を話すと、おじいちゃんもレミーも一様に怖い顔をして、黙り込んだ。
おもむろに、おじいちゃんは、手のひらに収まるくらいの香水瓶を手に取る。
その中には、僕が持ち帰った古樹の涙が、ひたひたに詰められていた。
瓶の蓋を開けると、きんっと甲高いガラスの音が微かに響く。
おじいちゃんは、自分の手のひらに少量取ると、レミーと僕の手にも無言で注いだ。
そして、両方の手のひらを合わせたあと、自分の頬に馴染ませたのだ。
それを見て、レミーも僕も、同じように顔につけてみる。
(うわあ、これは……)
不思議な感覚だった。
ただ、手のひらで古樹の涙を頬に押し付けているだけなのに、乾いた肌にぐんぐんと染み込んでいるのがわかる。
そのまま、ぺたぺたと自分の顔を触ってみた。
農作業や寒さで荒れ、カサついていたはずの肌の手触りが良くなり、心なしかしっとりとしているようだった。
(これ、毎日使ったらどうなるんだろう)
そう思わずにはいられない、使い心地だ。
しばらくして、おじいちゃんが呻くように、言葉を絞り出す。
「……レミー、ひとまず販売は取りやめだ。しばらく秘匿する。特に古樹の涙は、厳重に保管をするように」
「はい」
レミーも実際に使ってみたからこそ、おじいちゃんの決定に異論はないようだ。神妙に頷いている。
おじいちゃんは、隣に座った僕の肩を叩いた。
「ルイ、でかしたぞ。……だが、これは正直ヴァレーの手に余る」
「そうだよね……僕、鑑定して後悔したの、初めてだよ。……でもなんで、古樹だけ違ったんだろう?」
「ああ。古い葡萄の樹は、根が相当深いのだ。おそらく地下の神聖な水脈から、直接、多くの水を吸い上げているからこそ、効能も違ったのだろう」
「なるほど……!」
葡萄にそんな特性があったのかと、僕は目を見張り、納得した。
「それにしても、世の美容家がこぞって欲しがるのは目に見えておったのに、肌の再生を促すとは……。肌の病気や火傷、怪我。悩むものはたくさんおる。医術にも使える可能性があるとなれば、下手をすれば略奪や戦の憂き目にあうぞ」
おじいちゃんが危惧する未来を想像して、さあと血の気が引く。
もし、そんなことが本当に起きてしまったら、どうすればいいのだろう。
やっと落ち着いて、リュカとこのヴァレーで暮らせていけると思ったのに……。
僕の様子に気づいたのか、おじいちゃんは僕を軽く抱きしめる。
「……古樹の涙を王家に献上する。私が王都に赴こう。王族のどなたかに、後見についていただけるよう、交渉する。なに、強力な外交の武器としても使えるのだ。そう悪いようにはならないだろう」
「……おじいちゃん」
「レミー、献上品として体裁を整えてくれ」
「はい。わかりました」
抱擁を解いて、そうレミーに指示するおじいちゃんの真剣な表情に、僕はヴァレー家の当主としての風格をみたような気がした──。