作品タイトル不明
100. 出発の朝
麗(うら) らかな春。今年も、二週間ほどで葡萄の涙は止んだ。
事前に準備をしていたこともあって、今年はごく普通の葡萄の涙は 一荷(いっか) 入りの水瓶に百個分、古樹の涙は十個分ほど採取できたそうだ。
これは、去年の採取量の五倍相当にあたる。
この量が採れたのも、女性を中心とした小作人たち二十数人が冬休みを早めに切り上げ、広い葡萄畑を歩き回って作業してくれたおかげだった。
(給金は普段よりも少し良いし、何より葡萄の涙を一本無料で貰えるとなれば、そりゃあ張り切るよね……)
ごく普通の葡萄の涙は、美肌水として今年から大々的に販売する。
地元価格は、牛乳瓶サイズの安物の陶器瓶一本で、一銀貨と八銅貨の予定だ。
小作人たちの平均日給が一〜二銀貨なので、美肌水一本で一日分の稼ぎのほとんどが吹き飛ぶ計算になる。
(女性の美にかける情熱、怖すぎ……)
口が裂けても言えないけれど、僕は最終日の終わりに、陶器瓶を受け取ろうとレミーに詰め寄った女性陣たちの 狂喜乱舞(きょうきらんぶ) を思い出して、ぶるると身を震わせた。
あれは、さながらバーゲンセールに群がり、獲物を奪い合うのと一緒だった。
そうして、葡萄の涙の採取も無事に終わり、今日はいよいよ王都へと出発する日だ。
まだ空がうっすらと暗い早朝にも関わらず、ヴァレー家邸の前はたくさんの人や馬でがやがやと騒々しかった。
「わあ! にいに〜! おうまさん、いっぱーい!」
「クククー!」
「リュカ、お馬さんはお仕事中だから、遠くから見ようね」
「え〜~~!」
寝起きで眠くて、僕と手を繋ぎながらふらふら歩いていたリュカだけど、二十頭近い馬がずらっと並ぶ様子にさすがに目を覚ましたようだ。
二頭立ての馬車が三台に、護衛の騎士が十数人。大所帯での王都行きだから、リュカとメロディアがはしゃぐのも無理はなかった。
(こんな豪華な馬車、前世の映画でしか観たことないよ。貴族が乗ってますって、丸わかりだ……)
当主のおじいちゃんや紋章官さまたちが乗る、前列の馬車の 豪華絢爛(ごうかけんらん) ぶりときたら、もうすごかった。
赤を基調とした車体は、側面すべてに金箔が貼られている。ほんのりと差してきた朝日を受けて、まばゆく光輝いた。
さらに、左右の三つの窓をぐるっと囲うように、葡萄の蔦と果実が見事に彫刻されている。極め付けには、ヴァレー家の紋章が織られた旗が荷台の後ろではためいていた。
中央と後方の馬車も、黒を基調とした上品な仕立てで、事情を知らなければ何かの記念パレードかと思うくらいに豪華な一団だった。
「坊っちゃん方も、早く中央の馬車に乗ってくだせえ」
「その声はドニ! ドニも王都に行くんだね」
「へえ。俺だけじゃねえですぜ。ブノワやチボーもいますでさあ」
ひらっと馬から飛び降り、脱いだ 兜(かぶと) を手に抱えたドニが、気取った仕草で馬車の扉を開けてくれる。
僕たちが乗り込むと、後に続いてテオドアさまの従者であるラウフと、調理長のグルマンドもすかさず馬車に乗り込んできた。
「むふんっ。ぼっちゃま方、たいっへん恐れ多いのですが、後ろの使用人馬車はもういっぱいでして。わたくしどもも、こちらの馬車に乗せさせていただいても? むふっ」
「多少なりとも、お二方と面識のある私どもが一緒の方が良いと言われまして……」
「しぇふと、らうだー!」
「リュカもこの通り大歓迎だし、構わないよ」
内装はふかふかのソファ仕立てで座り心地が良く、ゆったりとした造りになっている。
だけど、グルマンドの隣に座るラウフは、物理的に肩身が狭そうだった。
(……僕はリュカと隣合わせで助かった)
今回、テオドアさまは王都ニュシャの学者に会うために、グルマンドはヴァレー家主催のパーティーの総料理長を務めるために、一緒に同行することになっていた。
それに、採取したばかりの古樹の涙も、半分をついでに王都に持っていく。今回のために、わざわざ商会ギルドから大容量の 収納(ストレージ) スキル持ちを高額で雇ったのだ。
ただ、一つ。レミーも一緒に王都に行くものと思っていたけれど、今年から美肌水や新芽茶などの販売が始まるので、執務代理としてヴァレーに残って切り盛りしてくれるらしい。それだけは、少し残念だった。
僕の隣のリュカはブーツをぽいっと脱ぎ捨て、窓にへばりついて外を眺めている。
窓の外には、騎馬のチボーが配置されていた。視線は前を向いているけれど、手はひらひらっと明らかに僕たちへと振られている。
そうこうしているうちに、準備や確認が終わったのだろう、ドニの号令が大きく響いた。
「ヴァレー家および白の盾騎士団、準備良し! 出発!」
「「「「「おう!」」」」」
「しゅっぱーつっ!」
「クク!」
出発の号令に、騎士や御者たちが力強く答える声が聞こえてくる。リュカとメロディアも 意気揚々(いきようよう) と真似をして、右の拳を突き上げた。
しばらくして、ゆっくりと馬車が動き出す。外からは馬の 蹄(ひずめ) の音と、かちゃかちゃと騎士団の防具だろう金属の 擦(こす) れる音がした。
「ぱっからぱっから、ぶるるるん」
「クククク〜ン」
「にいに〜。おうまさんのまね、ぼく、じょうず?」
「くくく。二人ともあんまりにも上手で、本当のお馬さんかと思ったよ」
「やった〜!」
「ククク〜!」
リュカは褒められたと無邪気に喜び、何度も「ぶるる」「ひひん」と真似していたが、少しするとさすがに飽きたのだろう。
食い入るように見ていた窓からやっと離れて座席に座り、足をぶらぶらさせながら僕に聞いてきた。
「にいに〜。おうまさんのって、どこいくの?」
「アグリ国の王都ニュシャに行くんだ。五日〜七日の旅だよ。にいにだけじゃなく、じいじとばあば、それにテオじいも一緒にね」
「にしゃ?」
「ククー?」
こてんと首を傾げたリュカとメロディアに、苦笑が漏れる。
どう説明しようかなと思っていると、外から声が聞こえてきた。どうやら早起きの町人たちが、見送ってくれているらしい。
「旦那様ー! 行ってらっしゃーい!」
「お帰りをお待ちしてまーす!」
働き盛りの男たちや主婦が通りの脇にぽつぽつと立って、手や手拭いを振ったり、帽子を持ち上げて挨拶してくれる。
僕とリュカも手を振り返しているうちに、馬車は町を抜け、両脇に葡萄畑が広がる道を進んでいった。
「ささっ。朝も早かったですから、お腹が空いているでしょう。馬車の中でも、簡単につまめるものを用意しておいたのですっ! むふふっ」
「え〜、しぇふ、すごい!」
「そうでしょう。そうでしょう。むふふっ。もっと褒めてくださってもいいのですよっ!」
人通りがなくなった頃に、鼻高々のグルマンドが大事に抱えていた荷物のナプキンをほどく。
すると、お重のような三段重ねの弁当箱が現れた。
ぱっかーんと擬音付きで蓋を開けると、弁当箱の上段にはロールサンド、中段にはキッシュやロールチキンなどのおかず、下段はチーズとりんごの盛り合わせが美しく詰められている。
しかも、どれも食べやすいように小さめの一口サイズだ。
「わああ〜! おいしそ〜! いたっきまーすっ!」
「クククー!」
怪獣のようなお腹の音を鳴らしたリュカは勢い良く手を合わせて、さっそくロールサンドをぱくりと頬張る。メロディアもちゃっかりとりんごを 齧(かじ) っていた。
「ん〜! おいしー! しぇふ、てんさい!」
「クククー!」
どこで覚えたのか、ぐっと親指を立ててグルマンドを 讃(たた) えるリュカとメロディア。
おかしくて、我慢できずに僕もラウフさんも声をあげて笑ってしまった。
がたがたと揺れながら馬車は丘を登り切り、下りに差し掛かっている。このまま真っ直ぐ進めば、お昼ごろにはきっと大きな街道にたどり着くだろう。
街道の左方面は北西のソル王国に、右方面は北東の王都ニュシャに続く分岐点なのだ。
(ヴァレーに来た頃は、また旅をするなんて思ってもみなかったな)
王都ニュシャまでは、順調に行けば五日〜七日ほどで着くと聞いた。
あまりゆっくりはしていられないけれど、道中はほかの貴族の屋敷に泊まったり、アグリ国一、大きな湖にも立ち寄るらしい。さらには、なんと温泉にも入れるのだとか!
「にいに〜、たび、たのしいねえ〜」
「ははは、そうだね。きっと、も〜っと楽しくなるよ」
まだ旅は始まったばかりなのに、にっこにこご機嫌なリュカに笑い返して、僕もお弁当を摘む。
今世では初めての家族旅行だ。そう思うと、僕の胸は期待で膨らんでいくのだった。