軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

96. 祖父母の馴れ初め

丸々ひと月は雪に閉ざされるヴァレーの冬。

この時期は執務もほとんどない。だから、ゆっくりできるかと思いきやそんなことはなかった。

僕とリュカは家族の談話室で、ここぞとばかりにおばあちゃんからマナーのレッスンを受ける。

「みすたー、るい・ゔぁれー。おあい、できて、うれしい、ですっ」

「こんにちは。ヴァレー男爵夫人。初めまして」

たどたどしく差し出されたリュカの右手を、僕も右手で軽く握る。前世では手の甲にキスをするのがマナーと記憶していたけれど、今世では違うようだった。

(いくらするフリでも、元日本人男子にキスは恥ずかしいから良かったけど)

「ルイ、リュカ。良くできていますわ。そうね。ルイ、目線はもう少しきちんと合わせるようにしましょう」

「はい」

リュカを相手役に、僕は色々な場面を想定して受け応えを練習する。

敬称は相手の身分によって決まりがあり、挨拶一つとっても簡単なことではない。とっさのことでも慌てないように、体にしっかりと覚えさせるのだ。

「挨拶は目上の方からお声がかかります。紹介をされた訳でもないのに、自分から寄って行ってはいけませんわ。くれぐれも気をつけるのよ」

「「はい」」

「いいわ。今日はここまでにして、お茶にしましょう」

おばあちゃんのその言葉に、知らず知らず力が入っていた肩から力が抜ける。この年でマナーを覚えるのは、堅苦しく感じてしまってどうにも苦手だった。

ソファに座り、おばあちゃんの侍女が淹れてくれた紅茶を受け取る。

カップに口をつけようとして、仕草や姿勢におばあちゃんの目が向いていることに気がついた。慌てて、僕は居住まいを正す。

「……よろしいですわ」

満足そうに頷くおばあちゃん。いつもは上品でおっとりとしているけれど、マナーには厳しい。

せっかく美味しそうなサンドイッチや焼き菓子なのに、僕は緊張で味がわからなかった。

「さんどいっち、おいしい〜」

「あらあら」

リュカも、以前に比べれば格段にお行儀が良くなった。けれど、まだ五歳だ。

ゆっくり時間をかけて食べるということができず、みるみる空になっていくお皿をおばあちゃんも苦笑しながら見ていた。

「そういえば、おばあちゃんはマナーはどこで習ったの?」

おしゃべりの話題として、僕は前々から疑問に思っていたことを尋ねる。

ヴァレーは言ってしまえば片田舎だ。

王都でも通用するようなマナーを身につけ、ましてや人に教えることができるおばあちゃんは何者なのだろうか。

「まあまあ。そういえば言ってなかったかしら? わたくし、元は貴族の娘なのよ」

「えっ!? 貴族?」

ほほほとお 淑(しと) やかに笑うおばあちゃんは、楽しそうだ。

「わたくしと旦那様は政略結婚ですもの」

「えええ!? あんなに仲が良いのに!? てっきり恋愛結婚だと思ってた!」

まさかのおばあちゃんの言葉に、僕は驚いてばかりだった。

おじいちゃんが若い頃、葡萄樹喰いが流行ってだいぶ樹を荒らされたと聞いた。他の土地では全滅したところもあったと。

その余波で、おじいちゃんの結婚相手を見つけるのは、当時相当大変なことだったらしい。

「誰も傾きかけたお 家(いえ) には嫁ぎたくないもの。商家にも下級貴族にも、軒並みお断りされたらしいわ。かといって、その頃にはすでにヴァレー家といえばワインで有名だっただけに、下手なお 家(いえ) から嫁を取ることも難しかったそうよ」

「そうだったんだ……」

「そこで実家……わたくしの父は、娘を嫁がせることを決めたのよ。潰れたなら潰れたで仕方ない。盛り返したのなら、恩が売れる。……そういう父だったわ」

紅茶を飲みながら穏やかに語るおばあちゃんの顔は、懐かしげだった。そこに、 翳(かげ) りは一切ない。

「それでおばあちゃんは、ヴァレーに嫁いできたんだね」

「ふふふ。そうね。でも、そう簡単なものではなかったのよ」

おばあちゃんはそういって、右足を軽く撫でる。

「本当はヴァレーに嫁ぐのは、わたくしの妹のはずだったわ。長女のわたくしは婿を取り、家を継ぐはずだった……。けれど、婚約者と妹は不適切な関係を持って……」

「そんな、まさか」

「元より父も元婚約者も、生まれつき足の悪いわたくしを疎んじていたもの。これ幸いとわたくしは追い出されるように馬車に乗せられて、ヴァレーに来たのよ」

信じられる? と明るく笑っているおばあちゃんに悲壮さはないものの、あんまりの 所業(しょぎょう) に僕は絶句してしまった。

(どこかの三文小説みたいなことが、実際にあるなんて……)

「しかも、嫁の 来手(きて) があるだけましだろうと、約束していたはずの持参金を勝手に減らされてしまって。わたくし、ずいぶんと肩身が狭かったわ。旦那様も妻の持参金を復興にあてる算段でいらしたはずだから、当時は頭を抱えたはずよ」

「うわあ……。実の娘によくそんな酷いことを……」

満腹になったらしいリュカは僕たちの話に飽きて、おばあちゃんの足元で文字札を並べ始める。おばあちゃんは時折リュカにお題を出してあげながら、話を続けた。

「でも、旦那様は恨み言一つ言わなかったわ。若い頃は輪をかけて仏頂面な人だったけれど、わたくしの立場や、足のことをよく気にかけてくださったものよ」

「へえ〜。おじいちゃんが……」

正直、祖父母の馴れ初めなんて、 小恥(こは) ずかしくて全身が 痒(かゆ) くなりそうだ。けれど、時間に余裕がある時にしか聞けないことだと思って我慢する。

「少しずつわたくしたちはお互いを知っていって、夫婦になったわ。ふふ。懐かしいわね。昔は口喧嘩をしたこともあったのよ」

頬をうっすらと染めたおばあちゃんに、僕は口から砂を吐きそうだった。

(はあ……。ごちそうさまです……)

僕が死んだ魚の目をしていることにやっと気づいたおばあちゃんが、こほんと咳払いをする。

そして、テーブルに置いていた僕の手の甲を握って、まっすぐ視線を合わせた。

「王都に行けば、もしかしたらわたくしの元実家の人間と会うかもしれないわ。嫁いで以来、疎遠になってしまったけれど、確かいまは元婚約者と妹の間にできた息子が代を継いでいるはずよ」

「もし会った場合はどうすれば良い?」

「良いこと、言質を取られないようにのらりくらりと交わすのよ。家督や持参金の件で、元実家は醜聞が立って評判を落としたわ。対してヴァレー家は盛り返し、名を挙げた。今になって話を蒸し返すことも、恩を返せと擦り寄ってくる可能性もあるわ」

「わかったよ。僕、難しいことはわかりませんって顔しておく」

話に聞く限り、おばあちゃんの元実家は厚顔無恥な印象だ。

今の当主もそうとは限らないけれど、朱に交われば赤くなるとも言う。警戒は必要だろう。

「それと……」

「それと?」

僕は口ごもり、微妙な顔をするおばあちゃんを見やる。

「王都に行くことなんて、そうそうないことだわ。だから、その……ルイの婚約者を探すにはぴったりの機会なのよ」

「婚約者……」

思っても見なかった言葉に、一瞬「こんにゃくしゃ?」と頭の中で誤変換されてしまった。

僕はまだ十五歳……もうすぐ十六歳。今世では成人とはいえ、いくらなんでもまだ早い気がする。

「もちろん、政略結婚でも幸せになれないわけではないわ。現に、わたくしは幸せですもの。……けれど、もし王都で気心の合う良いお嬢さんに出会えたのなら、それに越したことはないと思うのよ」

「それはそうかもしれないけれど、正直まだ全然考えられなくて……」

困惑するしかない僕の手を、おばあちゃんはぎゅっと握る。その皺が目立つ手は、少し震えていた。

「……可愛い孫のあなたたちには、幸せになってもらいたい。結婚だって、身分に関係なくルイが気に入った女性なら、本当は誰でも良いと思うのよ」

「おばあちゃん……」

「けれど、わたくしも旦那様も年をとったわ。いつまで元気で生きていられるかも、わからない。もしわたくしたちに何かあった時、年若いあなたを支える妻が、守られるだけの人では一緒に潰れてしまうかもしれないのよ」

おばあちゃんの言わんとしていることは、わかる気がした。

きっと、僕の婚約者ひいては奥さんになる人は、僕の後ろ盾もしくは助けになるくらいの家柄でないと許されないのだろう。

だから、まだ僕に選べる余地があるうちに、決めてしまいなさいと。

(きっと、言いづらかっただろうに……)

おばあちゃんの手をぎゅっと握り返す。

手段はどうあれ、おばあちゃんもおじいちゃんも、願いの行き着くところは僕とリュカの幸せなのだ。

「……正直、僕、そういうの疎くて、王都では誰にも相手にされないかも」

「ふふ。あらあら。まあ、なんてことを言うのかしら。旦那様によく似て、ルイも意思の強そうな、良い面差しをしているわ。良さがわからない方がおかしいのよ」

安心させるように僕が冗談めかして言うと、おばあちゃんもほっと息を吐いて笑った。

(ただおじいちゃんとおばあちゃんを安心させたいがために婚約する、って言うのは相手にも失礼だからなしだけど。最初から断固拒否の姿勢も、取れないな……)

気が重いのは否めないけれど、僕だっていつかは可愛いお嫁さんを迎えたい気持ちはある。

そして、そんな僕とお嫁さんを見て、おじいちゃんとおばあちゃんが喜んでくれるのなら、僕だって嬉しいと思うのだ。