作品タイトル不明
第八話
ラルフから最初の手紙が届いたのは、サロンでお茶をした翌週のことだった。
リハビリの進捗、屋敷の庭の様子、オルガの近況。他愛のない内容だったが、丁寧な筆跡で綴られていた。
それからは自然と手紙のやり取りが続いた。週に一度、時に二度。ラルフの文章は簡潔だったが読むほどに温かみがあった。アイリーンの手紙は毎回少し長くなった。書きたいことが止まらなかったのだ。
そしてある朝、一通の手紙が届いた。
杖なしでも長い時間歩けるようになった。約束を果たせそうだ。
アイリーンは嬉しさに包まれた。
当日の朝。
アイリーンは衣装部屋の前で仁王立ちしていた。
「こっちかしら……でもこっちも捨てがたい……」
侍女が三着目を提示した。淡い青のドレスだ。
「どれもとてもお似合いですよ」
侍女が苦笑混じりに言った。
「そうじゃないの!」
アイリーンは唇を尖らせた。
似合う似合わないの話ではない。ラルフがどんな色を好むかの話だ。
(こんなことなら手紙で聞いておけばよかった……!)
「お嬢様、そろそろお時間が」
「わかってる! ……じゃあこれ」
結局、淡い青を選んだ。
待ち合わせ場所に着くと、ラルフは既にいた。
杖なしで立っていて、アイリーンは少し感動してしまった。
「お待たせ、ラルフ様!」
ラルフが振り向いた。
「マーガレット嬢……よく似合っている」
「えへへ、嬉しいわ」
やった、褒められた。
「ラルフ様、今日の調子は?」
「今日は特に調子がいいんだ。楽しみだったから」
「よかったぁ! でもゆっくり歩きましょうね!」
「……わかった」
ラルフが少し目を細めた。
城下は賑やかだった。
石畳の通りに色とりどりの店が並んでいる。花屋、菓子屋、雑貨屋、そして……
ブティック。
油断していた。
ショーウィンドウに飾られた薄紫のリボンが目に入った瞬間、足が止まっていた。
「ちょっとだけ見ていい?」
本当にちょっとだけのつもりだったのだ。
でもリボンを見ていたら隣のブローチが目に入って、ブローチを見ていたら向かいのドレス地が気になって、ドレス地の店に入ったら小物が並んでいて……
気がついたら、両手に紙袋が三つあった。
(……やってしまった)
アイリーンは我に返った。
そうだった。前世の記憶があっても自分の本質は変わっていない。
令嬢教育を受けていても、ゲームと違って好成績をおさめてグランツローゼに入っていても、好きなものを前にしたら手が動く。自由で我儘なお嬢様。それがアイリーン・マーガレットだ。
(強欲だと思われた……絶対に思われた……!)
せっかくのデートだというのに自分は一体何をしているのか。
恐る恐る隣を見ると、ラルフは笑っていた。
「ら、ラルフ様……その、ごめんなさい。あたし一人で勝手に……」
「ふふ、構わないよ」
ラルフはそう言い、アイリーンから紙袋をひょいと受け取った。
「え、荷物……」
「リハビリの成果が見せられるいい機会になったよ」
アイリーンは少し目を丸くした。
ラルフが紙袋を提げたまま、また歩き出す。
しばらく歩いたところで、広場に出た。
中央に噴水があって、周りにベンチが並んでいる。
二人でベンチに腰を下ろした。
「……マーガレット嬢」
ラルフが口を開いた。
「なあに?」
アイリーンは噴水を見たまま返した。
「少し真面目な話をしても?」
声のトーンが変わった。
アイリーンはゆっくりと顔を向けた。
ラルフが正面を向いたまま、静かに言った。
「私は、君と出会ってから、変わったんだ」
「……」
「手紙を書くのが楽しくなって。外に出たいと思うようになって。リハビリを重ねて、ようやく今日ここに来られた」
そこで少し間を置いた。
「全部、君のおかげだよ」
「ラルフ様……」
「最初に君が来てくれた日のこと、覚えてる?」
ラルフがようやくアイリーンを見た。
「支えると言ってくれた。初対面なのに、あんなに真っ直ぐに……」
「っあ……あれは! その、勢いで……!」
「わかってる」
ラルフが小さく笑った。
「でも、あの言葉が……ずっと残っているんだ」
風が吹いて噴水の水面が揺れた。
「君のことが、好きだ」
「っ!!」
「君の天真爛漫な明るさは、私にとって癒しだ」
「……」
「迷惑でなければ……君との時間を、もっと重ねていきたい」
アイリーンは固まっていた。
頭の中が真っ白だった。
ラルフが。ラルフ様が。
ゲームで名前しか出てこなかった人が。スチルの隅に小さく映っていたあの人が。
自分に、今、告白したのだ。
瞳から涙が落ちた。
「! マーガレット嬢……! 済まない。な、泣かせてしまって……」
「アイリーンって呼んで……!」
「!」
「あたしだってラルフ様が好き! ずっと大好き! ラルフ様と一緒に居る!! ずっと一緒に居たい!」
「っ……」
「支えるって言ったの、勢いだったけど本心だもん! 今も変わらない!」
「ほ……本当に……?」
「本当よ!」
「……私にも、支えさせてほしい」
「え……?」
ラルフはそっとアイリーンの涙を指で拭った。
「君が支えると言ってくれるなら……私も、君の隣で支えたい」
低くて、穏やかな声だった。
「支えてほしいときは支えてもらう。でも君が疲れた時は、私が支える番だ」
「……ラルフ様……」
「……ありがとう、アイリーン。愛してる」
城下は相変わらず賑やかで、春の陽は暖かくて、ベンチの上の時間だけがゆっくりと流れていた。
悪役令嬢アイリーン・マーガレット。
ラルフルート、攻略完了。