軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

白魔導師、と獣王祭 4日目!(下)

迫る毒矢に真っ先に気がついた魔将クラウディアが直様、無詠唱の風の魔法で矢を打ち払った。

今、まさにこれから、観客へ向けムラサキの勝利を高らかに語ろうとしていた進行役の獣人は、口を大きく開けたまま、唐突の出来事に動きを硬直させている。

数秒して、会場全体がパニックになる中、嫌な予感が俺を襲った。

この空気感はまるで……、

嫌な可能性に頭を支配される中、気がつけば試合場に黒い格好の獣人が乗り込み、刀を構えるムラサキの元へと駆け出していた。

軽やかで、それでいて素早く迫る黒衣の獣人の手には短刀が握られている。

次の瞬間、キンっ!という高い音が場内に響いた。

屈強な鎧を見に纏う五隊長、鎧将がムラサキに迫る刃を防ぎ、留めていたのだ。

「毒か」

男の握る担当に塗りたくられた液体に気がついたムラサキの口からそんな言葉が溢れる。

帝国軍の面々は、あるいは物知りな観客らは、毒がふんだんに塗られたナイフを両手に握るその男の顔に、見覚えがあった。

帝国が危険視する残虐非道な殺し屋。

腕が立つのはもちろんとして、手段を選ばない点が厄介な男だ。それでいて素がそれなりに強い。

男は掠っただけでも致命傷な猛毒をふんだんに塗ったナイフを容赦なく鎧将へと振るう。

おそらく、攻撃手段はその限りではなく、もっと非道な手も残しているだろう。

しかし、そんな猛毒も、鎧将には通用しない。それは鎧云々ではなく、もっと別な理由になるが……何はともあれ、鎧将に彼の攻撃が通ることは絶対にありえない。

それを良く知るムラサキとクラウディアの表情に焦りはない。

「上空に目を向ける戦法。悪くはないが、五隊長に通ずるとは思うな」

そう、怒りまじりに言い放ったのは、またしても鎧将ではなく、ムラサキだった。

彼女は激しく、酷く、憤慨していた。

サリーとの一戦は、確かに迫力には欠け、ムラサキが当初期待していたものとは違った。観客もどちらの試合が面白かったかと問われれば、ユイとガオンの次第だと答えただろう。

それでもなお、素晴らしい一戦には違いなく、サリーは準決勝に進出するに相応しい戦士だった。

そんな素晴らしい一戦を、台無しにするかのような横槍に、腹が立たないはずがない。

その一方で、

「予想通りの展開だ」

俺は魔杖を取り出しながら席を立った。隣に座るアイラは、状況を飲み込めていないようで、あたふたしている。

憤慨するムラサキには申し訳ないが、これはほぼ既定路線だ。こうなる未来は見えていた。

ムラサキが最も弱るタイミングは、おそらく決勝戦。ユイとの激戦の直後だろう。しかし、当然ながらそこでは厳しい警備体制が敷かれる。何より、決勝ともなれば、その時にはもう敗退したガオンがほぼ万全の状態で観客席に鎮座していることだろう。

そうでなくとも、あのガオンであれば帝都内にいる限り、一分足らずにここまで来れる。

暗殺者らにとって、ユイもガオンも戦闘不能な今は絶好のチャンス。

トーナメントがあの組み合わせに決まった瞬間、そう考え、舵を切ることは想定内だ。

そして、ムラサキへの直接攻撃。

これも魔将、鎧将、刀将三名の意識を、客席から逸らすための戦略に過ぎない。

だから、俺はあえてその渦中であるムラサキの元には駆け付けず、客席に注意を向ける。

現状、これといった異変がない。

今、いったいなにが起こっているのか、パニックこそ起こっているものの、困惑の声が上がるのみ。

帝国軍の兵士も、予め客席へと散って待機している。

俺も、帝国軍の面々も、警戒を怠っていたつもりはなかった。

想定外があったとすれば、

「ごめん、ちょっと借りるね」

『えっ、あ、きゃ!?』

進行役の獣人の拡声器を何者かが奪い取り、取り替えさんとする彼女を、その何者かは容赦なく突き飛ばした。

客席に近い高さにある解説席に姿を現したのは懐かしい……そして、出来れば二度と空いたくはない女だった。聖教国での嫌な記憶が脳裏に甦り、それだけで心苦しさを覚える。

『あー、あー。ゴホンっ! さてさて、帝都の皆々様〜、ご機嫌よう! 僕の名前はクラウン! 早速ですが今、この瞬間、この 帝(・) 都(・) の中から抽選でなんと百名ほど人質になっていただきました!』

高らかに、楽しげに、最低を告げる道化師。

魔王軍四天王……クラウン。最も悪名高き魔族。

彼女の悪名は、一般にも広く知られており、伝承の特徴とも一致するその魔族を見て、今度ははっきりと悲鳴が上がった。

「まさか、闘技場内でも皇帝の近辺でもなく、帝都全域を人質に取るか!」

クラウディアの叫びに、クラウンはゲスな笑いを返す。

先日のテラが引き起こした一件がある。だから、警戒していなかったわけではない。帝都全域、厳しい警備体制にあった。

それでも無差別に、かつ、それが獣人の犯行ともなると防ぎきれない。

『あ、そうそう……当然ながら、この会場にいる皆々様も、人質です!』

そう言うと、一部客が立ち上がり、近くにいた観客を人質にとった。一瞬、帝国軍の兵士の意識を、会場外に移した瞬間に、暗殺者らは近くの観客を人質にとっていた。

流石に、クラウンがあからかじめ育て、用意していた私兵だけでは足りなかったのか、あるいはここで多くの私兵を使うのは勿体無いと考えたのか。

客席にいる暗殺者だけでも、結構な数が見える。

暗殺者集団からすれば、雇い主が魔族だろうがなんだろうが、報酬が良ければそれでいい。

まさか、そこまで振り切った集団とは。

魔族が三大国を滅ぼすなんて事態が起これば、困るのは彼らもだろうに。

この展開には、流石の五隊長も苦い顔を浮かべる。

『さ、ムラサキの首を差し出せば皆様を助けるつもりですが……どうでしょう?』

ムラサキ一人か、あるいは帝都の大勢の民か。

ここで断れば、五隊長は大きくその信頼を失いかねない。

俺なんかよりも、よっぽどそのことを理解している五隊長の三人は、目に見えて迷いが感じられた。

そんな中、俺は視線を感じ、そしてその意図を理解するや否や、魔法を発動した。

俺の唯一の武器とも言える支援魔法を。

強化魔法を受け取った シ(・) リ(・) カ(・) は、杖を握りしめ、詠唱を始める。

風が吹き荒れ、客席に座る人々の隙間を駆け抜け、明確に武器を手に持つ獣人らの手足の筋のみを、切り裂いていく。

僅か数秒でシリカは、これだけ広い会場に潜む外敵を、静かに無力化して見せた。

暗殺者らは、何が起こったのかさえ理解できたいない。一部、魔法に造詣が深い人のみが、シリカの見せた離れ業に感服している。

シリカもそんな視線を感じ取ったのか、少し照れた後、はっきりこちらを見て笑った。

「まさか、強くなったのがユイだけだと思いましたか?」

シリカのその言葉は、非常に心強いものだった。

同刻、ユイとガオンが運ばれた医務室にて。

二人の命を奪えと命を受け仕向けられた、屈強な獣人の刺客四名は、たった一人のこれまた屈強な男の前に倒れ伏していた。

「全く、随分と無粋な奴らだな。まぁ、命の取り合いに綺麗事なんて求めるほど、俺は子供じゃないが」

雇った暗殺者ではなく、クラウンが手がけた選りすぐりの猛者四名を、ダッガスは盾の一つも使わずに倒して見せた。

「やるじゃない、ダッガス!」

ユイはベッドから上半身を起こしつつも、まったりと、武器を手に取る様子もなく、随分と呑気に構えていた。

ガオンの方は多少ダッガスの力量が不安だったのか、すぐに戦闘に入れるよう身構えていたが、結果、彼女らの立ち入る隙も、その必要性も一切なかった。

「あんたも、ロイドの仲間か?」

「あぁ、そうだ」

はっきりと、迷いなくす返すダッガスを見て、ガオンは少し羨ましさを覚える。ロイドは恵まれているのだな、と。

「ガオンだったか? なかなか凄かったぞ。今のユイと渡り合うなんて」

「負けたけどな……って、それより」

自分も力になろうと、ベッドから起き上がらんとするガオンを、ダッガスは手で制す。ガオンの負った傷は、回復魔法の集中的な治療により、ほぼ完治している。

しかし、まだ疲労は抜けきらず、確かに残っているはずだ。

そんな状態でなお、彼女がこの状況を挽回する上で、大きな戦力になるには違いない。

それでも、

「仲間がすでに動いてる」

「でも、」

それでもまだ不安なのか、強引に起き上がらんとするガオンをダッガスが力でねじ伏せ、ベッドへと押し倒す。

「っ!」

「気持ちはわかるが、ダメだ。敵の狙いが、本当にムラサキだけかどうかは分からん。そんな状況で、俺に組み伏せられる程に弱った今のガオンを行かせるわけにはいかない」

ダッガスはロイドの話を聞いて以降、長らくある違和感を覚えていた。

何故、ムラサキをここまで執拗に狙うのか。剣の名家のプライドと言われればそれまでだが、いくらそこにプライドがあろうと、今回の行動は度を越している。

何か、別の意図があるようにさえ思えた。

だから、ダッガスはムラサキの試合が始まるや否や、ユイの元へと向かったし、今ガオンを行かせるわけにはいかないと、そう判断したのだ。

そんな一連の様を笑みを堪え、いな、堪えきれずに漏らしながら、それはそれは楽しそうに眺めるユイ。ガオンの背丈は高く、そこらの男性よりずっと筋肉質だ。しかし、ダッガスの側では、そんなガオンも多少、小柄に映る。

まるで、ダッガスがガオンを押し倒しているかのような光景に、笑みが止まらない。

「本当に、お前な」

あまりにも能天気なユイを見て、ダッガスは大きなため息をこぼした。

また、一番の問題とも言える帝都では。

「あーもう全く! 私一人じゃ無理すぎるって!」

買い出しに出ていたルシカは嫌な予感を覚えると、すぐに弓を握り、行動に移っていた。街のあちこちで獣人を人質にとる同族を、ルシカは帝都の街中を飛び回りながら、矢で射抜いて回っていた。

彼女の技量は凄まじく、暗殺者やクラウンの育てた手下らを殺すことなく、かつ、動けないほどの致命傷になり得る場所に刺さっている。

「これで、二十九……さっきの言葉が本当ならあと七十一!? 本当、冗談きついって」

そんな愚痴をこぼしながら射抜こうと目を向けた先で、ルシカは飛来する矢をその目に捉えた。しかも、驚くべきことに彼は、ルシカとやっているのと同じ方法で、彼らの犯行を的確に防いでいた。

動き回りながら、可能な限り早く、一点を狙う。

自分で言うのもアレだが、これには相当な技量が必要だ。

ルシカが知る限り、自分と同等か、それ以上の力量の弓使いは知らない。

「人間?」

真剣な面持ちで、目を見開き、弓を打って回る彼は人間だった。

綺麗な動きで、全くルシカと同じように、次々と矢を放つ彼の存在は気にはなるものの、そこにばかりに目を取られるわけにもいかない。

「任せたよ、なも知らない人間さん」

彼のいる方向は任せ、ルシカは自らの仕事に戻る。

結果として、クラウンの作戦はダッガス、クロス、シリカによりことごとく封じられ、肝心のムラサキも仕留めきれていない始末。

だが、それでも、こんな状況であるにも関わらず、クラウンは道化師らしく平然と薄ら笑みを浮かべ続けている。

その姿には、五隊長や帝国軍の猛者たちの瞳にさえ、不気味に映る。

そんな平然そうなクラウンだが、それでも流石に気にはなるのか、視線だけが動く。

「ふむ。全く、上手くいかないも……」

突如、クラウンの胸に激痛が走る。

クラウンが視線を会場の外へと向けたわずか一瞬の隙に、ムラサキは壁を駆け上がり、その胸を刀で突き出していた。

貫からた胸からは鮮血が吹き出す。

明らかに致命傷となる位置を、容赦無く貫かれて、

「これで終わりだ、魔王軍四天王、クラウン……」

その名を呼ばれ、胸を貫かれたクラウン……のような何かはニタァと、嫌な笑みを浮かべた。

「違う!」

俺は自分が出せる最大の声量でそう叫んだ!

俺は知っている。そして覚えている。あの時の強烈なまでの歪な気配を。

だから、分かる。俺でなくとも、あの場でクラウンと対峙した者……例えばユイでも相対すれば気がつけたかもしれない。

目の前のそれはクラウンじゃないと。

格好こそ良く似ているが、別人だと。

クラウンによく似た何者かは、ムラサキの刀を最後の力を振り絞り掴む。クラウンの使い捨ての身代わりとなった彼女がどんな心情だったかは分からない。

火事場の馬鹿力、とでも言うのか、妙に強く握られた刀はクラウンの胸から抜けない。

ただ、強く引き抜こうとすれば、何者かの刃を握った手から血がこぼれ落ちるのみ。

「魔導国に、栄光あれ……」

それに続くように、小声の詠唱が溢れる。ムラサキにはそれがなんの魔法のトリガーかは判断しかねるが、一つ……このままでは不味いことを察する。

だが、それでは遅かった。

詠唱を始める前から、俺の叫びを聞いた時点で、刀なんて諦めて距離を取るべきだった。

会場に響き渡る爆音と、舞い上がる黒煙。

爆発に巻き込まれたムラサキが黒煙から飛び出し、地面を勢いよく転がった。

爆発直前に俺は急ぎ、ムラサキに強化魔法を施したが、あまり効果は見えない。

致命傷ではないが、全体的に大きく怪我を負った彼女に、客席に隠れていた剣士が十数名ほど襲いかかる。

「剣の名家の奴らか!」

クラウディアにも刺客は向けられており、ムラサキから意識を逸らされる。クラウディアは刺客を殺さんとし、しかし彼らがまだあまりにも若いことを知るや否や、その手を止めてしまった。

シリカが慌てて詠唱して放った魔法は、一人の刺客を吹っ飛ばすも、ムラサキを守り切るには足りず。

「不味い……このままでは」

俺は俺でこの状況を打開する術を見出せずにいる。

「はぁ……はぁ……」

ムラサキはボロボロになりながら、それでも力強い、鋭い瞳で刺客らを睨んだ。

彼らの大半は、幼少期からへ激しい鍛錬を強要されながら、才がないと見捨てられた者。彼ら、彼女らは見捨てられた事実を理解しつつも、家のために動く。

そう、教育されてきたから。

あるいは、ここで斬られることでそんなあり方を終わらせてかったのかもしれない。

その真意は不明だが、爆発による怪我を負った上、刀まで無くしたムラサキが、剣士らを打倒するのは不可能だった。

「くっ」

ムラサキは戦闘を避けようとするも、右足首を強打したせいか、上手く立てない。

それを好奇と捉え、容赦無く迫る刺客たち。

絶体絶命のムラサキを救ったのは、顔に特徴的な傷を持つ黒髪の暗殺者……否、剣士だった。

俺の知る彼女なはずなのに、その剣を握る手には震えはなく、その瞳からは力強い覚悟が感じられた。

「バイオレット」

思わず、彼女の本名が口から溢れる。

帝国の住人であれば、バイオレットの顔を凶悪犯として認知している者も多い。それを承知でバイオレットは大衆の面前に降り立った。

仮面はつけない。つける余裕がない。

名家の中では落ちこぼれとされ、見捨てられたとは言え、彼ら、彼女らは弱くない。

「バイオレット……お前」

目の前の光景をまじまじと確認でもするかのように、目を見開くムラサキ。

バイオレットは彼女を一瞥するも、直様、視線を目の前の敵に戻す。目の前に迫る剣士らも、バイオレットをよく知るからだろうか、幸運にも彼らの足は一瞬、止まってしまう。

その隙に俺はバイオレットとムラサキの間に降り立った。

「ロイド」

「任せてくれ、盾くらいにならなれる」

守り切る、なんて無責任なことは言わない。

あくまでも自身の力量で叶うことを宣言しながら、俺はムラサキの回復に努める。

そんな俺の返答を受け、バイオレットは一瞬笑みをこぼした後、彼らと剣を交えた。

帝国軍の基地地下にある牢獄にて。

その中でも一層警備が厳しく、一般の兵士には近寄ることさえ許されない堅牢な檻に、何者かがコツコツと、優雅な足取りで歩み寄る音が響く。

俯いていた魔王軍四天王、テラはその音を聞き、顔を上げた。

「やっぱりか……」

「やっぱり?」

暗闇から女の声が返ってくる。

彼女の絵を聞いた瞬間、その正体を確信し、テラは言葉を続けた。

「剣の名家が何故急遽、こんな暴挙に出たのか。疑問だったが、納得です。人の心の弱さも醜さも、知りつくした……お前が裏で糸引いてたなら」

暗闇の中から姿を現したのは、身を潜める気など一ミリも感じさせない派手な格好の、無駄に堂々たる道化師だった。

本物の四天王クラウン。

「ねぇ……なんで、僕がこんな馬鹿馬鹿しく、派手な格好をしていると思う?」

ただの趣味、それもまた一つの解だ。

しかし、何より、派手さは隠し事に好都合だから。これがもっともな理由である。それは服装やメイクに限った話ではない。

話し方。

立ち振る舞い。

これらも派手であればあるほど、隠し事に都合がいい。

特徴を活かせば、偽物が用意しやすく、また特徴を消せばあっという間に隠れられる。

それがクラウンの考えだった。

実際、あの場にいるほぼ全員は、その特徴的な格好で、話し方で、立ち振る舞いで、目の前の彼女こそ噂のクラウンであろうと誤認してしまった。

元より、大した魔力を持たないクラウンを見分けるのは難しい。

「流石は僕、やっぱり時期魔王は僕がなるべきだったんじゃないかな?」

「それはないでしょう」

「えー、生意気。そんなこと言うと助けてあげないよ? ふふ、冗談だけど」

クラウンの目的は、剣の名家に協力しつつ、自身は帝国の目を忍び、彼女を奪還すること。剣の名家に接触し、怒りを煽り、策を授けた。

クラウンからすればどう転んでも帝国の戦力、あるいは士気の低下に繋がるこの事態は好ましく、こうして四天王という貴重な戦力を取り戻す隙を作れる。

聖教国に続き、帝国までもが彼女の策にハマった。

ロイドも、ユイたちも、帝国も、マキナも、防げなかった。

檻に触れそうなほど近づいたクラウンは、迫る別の足音を機器、咄嗟に銃を抜いた。

「誰だ!?」

突如クラウンの目の前に現れたそれは、ローブを纏う人だった。種族も、性別も不明。

そして特殊なローブなのか、恐ろしいほど気配を感じない。

それなのに、どうしてか。

彼女と目があったその瞬間に、クラウンは敗北を確信した。

「なるほど……失敗か」

クラウンはそう言うと、どこからか煙幕を取り出し、地面へと投げつけた。

煙幕の立ち込める空間を、その記憶だけを頼りに進むクラウンのすぐ近くで、何かが空を斬る音が生まれ、とっさに体を逸らした。

一瞬、煙幕の中から大剣が見え、かつてクラウンの頭があった場所を通過する。

「っ!」

この煙幕は探知魔法を妨害するために、魔力がこもっている。だから、ロイドがよくやるような手法でクラウンの位置を割り出したわけじゃない。

おそらくは足音。

だが、何より恐ろしいのはその情報だけで正確にクラウンの頭を狙ったという事実……否、

――違う!

クラウンは自分の考えの浅はかさを後悔する。

呼吸音。クラウンが呼吸をする僅かな音だけで、彼女は位置を割り出している。

ならば、足を止めるのはむしろ悪手。

「なら……」

だから今度は音響弾を放り投げる。この狭い空間で、いきなり投げれば自分もその被害に遭うが、今はそんなことを入っていられる場合ではない。

そう思い、投げた音響弾が、炸裂する。

それはこの場にいるテラを含む三人の耳を甲高い音で痛めつけ、聴覚を奪う。

視覚、聴覚が奪われた矢先、クラウンを襲ったのは、激痛だった。

「がはっ!」

何かが、クラウンの肩をざっくりと斬りつける。

五感のいくつかを封じてしまったがゆえに、余計に触覚に過敏になっているクラウンは、肩から全身を駆ける激痛に、顔を歪めながら、それでも頭を働かせ必死に逃げる。

「はぁ、はぁ……」

煙幕と音響弾の合わせ技は、流石に対応しきれなかったのか、あるいはそこまで追う気がないのか、ローブに身を包んだ剣士は、必死に息を切らし逃げるクラウンを深追いすることはなかった。

その場にとどまり、煙幕が晴れた後、テラの存在を確認した剣士は大剣をしまう。

「あのピエロ、逃げるのが上手いな」

「……あなた、何者?」

檻の向こうから、テラはそう問いかける。

どう見ても帝国軍の人じゃない。

長らく帝都に身を置き、様々な人と繋がってきた、彼女でさえ心当たりさえない。

考えられる有力な線は部外者だが、それはそれで理解に苦しむ。なぜ、こんな厳重区域に部外者がいるのか。

「さぁ、誰でしょう?」

そう言うと当然、正体を明かすこともなく、彼女は去っていった。

平然と基地内を闊歩する黒ローブの女。

彼女が帝都の兵士とすれ違うと、当然、その不審な格好ゆえ不思議そうに見つめるものの、止めることはしない。

一人、事情を知らぬ女性兵士が声をかけようとするも、それを先輩である別の女性兵士が慌てて止める。

「な、どうかしたんですか?」

「あれはムラサキ隊長の母君の友人だ」

ムラサキの母、スミレもまた帝国では有名人であり、帝国軍の中ではなお有名だった。何せ、あの刀将を育て上げた獣人なのだから。そして信頼もある。

そんな人物が太鼓場を押す人物。

「いやぁ、ユイの成長が見たくて帝都にいたんだけど、結果的に良かったかな」

その黒衣のローブから覗かせるのは、剣聖と呼ばれる伝説の冒険者……リリィだった。