軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

《分かれた日》

三本目の柱の心臓。深淵から見た分離の記憶。

手を触れた。

暗闇の中にいた。

上に世界がある。光が差し込んでいる。大地が裂けて、光と一緒に「もの」が降ってくる。

記憶、名前、足跡……二人の旅人が歩いた場所の残骸が、雪のように降り注いでいく。

降ってきたものが暗闇の底に積もっていく。積もって、沈んで、溶けて、忘れられていく。

これが、深淵の始まりだった。世界が分かれた時に、上の世界から振り落とされたものが、全部ここに沈んだ。記憶の層――深淵とは、忘れられたものの場所ではなく、落ちてきたものの受け皿だったのか。

そしてその中に——光が一つ、沈んでいく。他のものとは違う、強い金色の光。人の形をしている。

一人目の旅人が降りてきた。自分の意志で、落ちたのではなく、降りた。

暗闘の中を歩いていく。杖をついて。全てを見ながら。落ちてきた記憶の残骸を、一つ一つ拾い上げるように見ていく。

そしてある場所で——立ち止まった。座った。見始めた。

上を、下を、全方向を、全てを、ずっと。

手を離した。

「一人目は……自分で降りたんですね。落ちたんじゃなくて」タマキが静かに言った。

「ああ。深淵に落ちたものを見に行った。忘れられたものを見捨てられなかったのかもしれない」

「見捨てられなかった、か。……優しい人だったんですかね」

「優しいかどうかはわからない。でも——見たかったんだろう。全部」

四本目の通路に入った。

ここは、精霊たちから見た分離の記憶。

セレスの角がざわざわと光り始めた。

「トワ。この通路、セレスのからだが、さわぐ」

「騒ぐ?」

「びりびりする。なかに、セレスのきおくがある。すごくふるい、きおく」

ルーナも影の中で揺れていた。

「わたしも。影が震えてる。この先に——わたしたちが生まれた瞬間の記憶がある」

柱の心臓に着いた。四本目の結晶は他の三つと色が違った。金色ではなく、銀と紫。月と夜の色。精霊の色。

「この心臓、セレスとルーナの色ですね」

「精霊の記憶を保存している心臓だから、精霊の色になったのだろう」

手を触れた。

世界が分かれる瞬間を、泉の中から見ていた。

精霊はまだ生まれていなかった。泉の水の中に、精霊になる前の「力」が漂っていた。月の力と夜の力。まだ分かれていない。一つの水の中に、二つの力が溶けている。

世界が裂けた。大地が三枚に分かれた。

泉の水が揺れた。激しく。水が二つに分かれた。月の力を含んだ水と、夜の力を含んだ水。

月の水から——光が生まれた。小さな光。銀色の光。それがセレスになった。

夜の水から——影が生まれた。小さな影。紫色の影。それがルーナになった。

世界が分かれたから、精霊も分かれた。一つだった力が二つになった。月と夜。光と影。

生まれたばかりのセレスが、水面から顔を出した。初めて見たのは——石に座っている人の顔。笑っている顔。グラン。

生まれたばかりのルーナが、水の影の中から手を伸ばした。水面の上に、光がある。怖い。でも——水の匂いがする。飲みたい。水面に口をつけた。冷たい。でも温かい。

二人の精霊が、世界が分かれた日に生まれた。

手を離した。

「セレス」

「みた。セレスがうまれたとこ。ぜんぶみた」

「……ああ」

「セレスとルーナは、もともとひとつだった。せかいがわかれたから、ふたつになった」

ルーナが影の中から手を伸ばすと、セレスの手を握った。

「わたしたちは——もともと一つだったんだ。分かれたから、二つになった」

「ふたつになって……でも、またいっしょにいる。いま」

「うん。今は一緒にいる」

「じゃあ、だいじょうぶ。わかれても、またいっしょになれるから」

セレスがルーナの手をぎゅっと握った。ルーナが影の中で微笑んだ。

タマキが目を拭いていた。

「……すみません。なんか、もらい泣きしちゃって」

「泣くな」

「トワさんも目が赤いですよ」

「赤くない」

「赤いです」

「……風のせいだ」

「地下に風は吹きませんよ」

「じゃあ、雨のせいだ」

「地下に雨は降りませんよ」

「じゃあ……何でもいい、何かのせいだ」

「そうですね……何かのせいです」

グランが柱の心臓を見ていた。

銀と紫の結晶……四つ目の心臓だ。

「セレスとルーナが生まれた日は、世界が分かれた日でもあった。悲しい日と、嬉しい日が同じだった」

「グランさんも覚えてるんですか。その日のこと」

「覚えている。あの人が行ってしまった日に、セレスが生まれた。一番悲しい日に、一番嬉しいことが起きた。……だから、わたしは待てた。セレスがいたから」

「グランは、セレスがいたから、まてた?」

「ああ。お前がいなかったら、わたしはとっくに壊れていた。何千年も一人で待つのは、普通は無理だ」

「セレスがいて、よかった?」

「よかった。……お前が生まれてくれて、よかった」

セレスが泣きながら笑った。泣き笑い。角がきらきら光っている。

「セレスも、グランがいて、よかった。グランがわらってくれたから、セレスは、さいしょからうれしかった」

広場に戻ると、プレイヤーが増えていた。二十人ほどが新しく来ている。合計三十人近い。

根脈共鳴のボーナスを見て、全員が大騒ぎしていた。

「俺の歩行距離、千二百キロだって。移動速度プラス12%」

「俺は千五百。プラス15%」

「トワさんは二万八千キロだぞ」

「二万八千……俺たちの二十倍じゃん」

「レベルの差より行動の差の方がえげつないな……」

プレイヤーの一人がトワに近づいてきた。

「トワさん。ちょっと聞いていいですか」

「何だ」

「原初の歩法ってスキル、俺も解放されたんですけど、歩いても全然ステータスが上がらなくて。百メートル歩いてATKプラス1なんですけど」

「百メートルでプラス1なら正しい」

「トワさんはいくつですか、今」

【原初の歩法:世界の根での累計歩行距離 11.8km → ATK+118 / DEF+118】

「プラス118だ」

「百十八——!? まだ二日目ですよね!?」

「心臓を巡って歩き回ったからな」

「二日で十一キロ歩いてるんですか。……いや、トワさんなら普通か」

「普通だ」

「普通じゃないです」タマキが通りすがりに言った。

「タマキも六キロ歩いてるだろう」

「わたしは調合しながらなので……歩くのが目的のトワさんとは違います」

レクトが壁面で釣りをしていた。もう五本目だ。脈動石を三つ、記憶の結晶を二つ釣り上げている。ドロップ率ボーナスが異常すぎて、レア素材がぼろぼろ出ている。

「レクトさん、また何か釣れてますね」

「釣れるんだよ。入れるたびに。こんなに釣れたの初めてだ。深淵で半年かけて集めた素材より、ここで一日で釣った方が多い」

「根脈共鳴の恩恵ですね。四万二千回の積み重ね」

「四万二千回って改めて聞くとヤバいな……三年間毎日三十回以上釣ってた計算だ」

「すごい持続力ですね」

「釣りは忍耐だからな。魚が来るまで待つ。待つのは得意だ」

グランが少し離れた場所でレクトを見ていた。

「待つのが得意、か。わたしと気が合いそうだな」

「グランさん、俺なんかと比べたら桁が違いますよ。何千年待ったんでしょう」

「数は違うが、待つ心は同じだ。何かが来ると信じて、その場にいる。釣りも、待つことも」

レクトが少し照れた顔をした。

夜になった。根の寝床で横になった。

セレスが胸の上で丸くなっている。今日は顔の上ではない。学習したらしい。

「トワ」

「何だ」

「あしたは、ごほんめのしんぞう?」

「ああ。五本目は《根守》から見た分離の記憶だそうだ」

「こんしゅさんたちのきおく」

「そうだ」

「そのつぎが、ろくほんめ。ひとりめのたびびとからみたやつ」

「ああ」

「ろくほんめ、こわい?」

「怖くはない。でも……重いだろうな」

「おもくても、セレスがいるから。トワひとりじゃないから」

「ああ。一人じゃない」

「じゃあ、だいじょうぶ」

セレスが目を閉じた。三秒で寝た。精霊の即寝は、毎回すごい。

渡空魚は寝床の周りをゆらゆら泳いでいる。

トワはこれで四つの心臓を見た。

あと二つ……根守の記憶と、一人目の旅人の記憶。

六つ全部見たら、一人目のことが全部わかる。全部わかったその先に、観測点がある。

まだ少し遠い。でも確実に近づいている。歩いているから。

原初の歩法のATKボーナスが、眠っている間にもじわじわ上がっている気がした。寝返りも歩行に含まれるのだろうか。含まれないだろう、たぶん。