軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

温泉と毒

そいつは前触れもなく現れた。

土のエリアの北部山脈。ガロンの洞窟から二時間ほど歩いた渓谷を抜けた先。見聞録に反応がなかった。エンカウント警告もなかった。なのに──いた。

【灼凍の毒蛇キメルガ Lv?? HP:???】

レベルもHPも表示されない。レイドボスクラスの隠しフィールドボス。三つの頭を持つ巨大な蛇。左の頭が炎を吐き、右の頭が冷気を吐き、中央の頭が毒の霧を撒く。

火と氷と毒の三属性同時攻撃。

回避できなかった。出会い頭の不意打ち。渓谷の壁に挟まれて逃げ場がない。

「散開!」

叫んだ時には遅かった。三つの頭が同時にブレスを放った。火炎。冷気。毒霧。三つが混ざり合って渓谷全体を覆った。

【トワが「灼凍毒」を受けました!】

【火傷(大)+凍結(小)+猛毒(中)が同時に付与されました】

【複合状態異常です。個別の解除薬では除去できません】

「複合デバフ──!? 個別に解除できない──!?」

パーティ全員が同じデバフを食らっていた。HPがじわじわ削れていく。火傷で赤く、凍結で青く、毒で紫に。キャラクターの身体が三色に点滅している。見た目がひどい。

「タマキ! 薬は!」

「解毒薬と解凍薬と火傷薬を同時に飲んでも──複合デバフには効きません! 個別に消しても残りが再発する仕組みです!」

タマキが必死に調合しているが、複合デバフを一括解除する薬のレシピを持っていない。三つの属性が絡み合って一つの状態異常になっている。解くには三つ同時に中和するしかない。

「残り時間は」

【灼凍毒の持続時間:29分47秒】

【毎秒HP-50。回復効果無効。残りHPで計算すると──全滅まで残り7分】

「七分。──タマキ、ヒールか回復役で延命できるか」

「ダメです、回復効果無効のデバフがついてます!」

「なら、他の手を考えるしか無い。――見聞録、周囲をスキャン」

渓谷の周辺をスキャンした。キメルガは一撃を放った後、地中に潜って消えていた。隠しボスらしい。現れて、殴って、消える。厄介な奴だ。

スキャン結果。渓谷の北東五百メートルに──温水の反応。地熱由来の天然温泉。

「温泉がある。五百メートル先」

「温泉──!? 今それどころじゃ──」

「違う。温泉の『全デバフ解除効果』……複合デバフも、解除できる可能性がある」

前回の剛山の秘湯は『全状態異常解除』だった。あの効果が複合デバフにも適用されるなら、温泉に入れば助かる。

「可能性、ですか。確定……じゃないですよね」

「そうだな、確定ではないが他に手がない。──走るぞ」

毎秒HP-50のデバフを食らいながら、全員で走った。ゼクスが先頭を走り、ルートを切り開いている。アストレアが鎧をガチャガチャ鳴らしながら最後尾を走っている。

「アストレア、鎧が重くて遅れてるぞ!」

「聖騎士の鎧は──」

「脱げ!」全員が叫んだ。

「脱ぎません!」

「デバフで死ぬぞ!」

「矜持と共に死にます!」

「死ぬな! いや、もう死ね!!」

「ゼクスさん、それはあんまりじゃないですかぁ!?」

セレスがアストレアの背中を月光で押した。ほんの少しだけ加速、精霊の優しさだ。

「アストレア、おせ。がんばれ」

「ありがとう──セレスちゃん!」

五百メートルを三分で走り抜けた。渓谷を抜けた先に、岩の割れ目があった。白い湯気が立ち上っている。

【新発見:「星湯の泉」──土のエリア北部に出現】

「あった──!」

「入るぞ。全員。今すぐ」

「待ってください。男女で──」

「分ける余裕がない、HPの残りももう僅かだ!」

タマキが一瞬躊躇した。だが自分のHPバーを見て、覚悟を決めた。

「──了解です。緊急事態ですからね」

「VRの温泉だ。装備を外しても、下着表示になるだろう。恥ずかしがる要素はない」

「理屈では、そうですけど……でも、気持ちの問題があるんですよ──!」

「気持ちは後だ。命が先だ」

「ううぅっ……薬師として反論できない──!」

全員が装備を解除して温泉に飛び込んだ。流石にアストレアも空気を読んで、鎧を外す。

「──入りました!」

「よし、どうだ!?」

【星湯の泉の効果が適用されます】

【全状態異常解除──灼凍毒を除去しました】

【HP・MP全回復】

「解除された──!」

「全員のデバフが消えましたね! 温泉、複合デバフにも効きます!」

全員が生還した。温泉の全デバフ解除が複合状態異常にも有効だった。

そして──温泉に入った瞬間、全員が気づいた。

この温泉、気持ちいい。

「VRでも、温泉はすごく気持ちいいですね……」ハルが声を漏らした。

「走って走って、毒で死にかけて、飛び込んだ温泉……これ、人生で一番気持ちいいお湯かもしれません──」

タマキが気持ちよさそうに目を閉じた。

「人生ではない、VRだ」

「VRでも、気持ちいいものは気持ちいいんです──!」

セレスが湯の上をぷかぷか浮いていた。手のひらサイズの精霊が、温泉でぷかぷか。

「きもちいい~おゆ、とける~~」

「大丈夫か、溺れないのかセレス」

「だいじょーぶ、まえもうかんだ。セレスはうく、かるいから」

ルーナが温泉の端で立ち止まっていた。お湯の中に影はない、あまり好ましくない環境だ。

「ルーナは、入れないか?」

「……前と同じなら、入れない」

セレスがぷかぷか浮きながら、ルーナの方を見た。

「ルーナ。セレスが、かげつくる」

「セレスが?」

「げっこうで、おゆのなかにかげのみちをつくる。ルーナはそのかげのなかにいればいい。セレスのげっこうが、あたらしいかげをつくりつづける」

「できるの?」

「できる。やったことないけど」

「おい、やったことないのかよ」

「やったことないからやる。──トワが、いつもいってる」

「……確かに」

セレスが月光を放った。温かい銀色の光が湯の表面を照らす。光が当たった場所に──影が生まれた。岩の影。湯気の影。セレスの光が作り出す、人工の影。

ルーナがその影に手を伸ばした。触れた。影の感触がある。

「──ある。影がある」

「はいって、ルーナ」

「あっ……あったかい」

ルーナが目を閉じた。

「あったかい。温泉──前は入れなくて、みんなが気持ちいいって言ってるのを、影の中で聞いてた。──やっと、わかった。あったかい」

「ルーナ。おゆ、きもちいい?」

「きもちいいよ、セレスのおかげ」

「おそろい。いっしょにおんせん」

二人の精霊が温泉に浮いていると、ハルが泣きそうな顔をしていた。

「この二人を見てると……なんだか、いつも風が目に……」

「ハル、温泉に風はないぞ」

「いえ、師匠。あるんですよ、こう……ほっとするような嬉しい風が」

アストレアが鎧なしの自分に落ち着かない様子で、両腕で身体を抱えていた。

「……鎧がないと、軽すぎて不安です」

「それは鎧依存症じゃないか」ゼクスが目を閉じたまま言った。

「依存症ではありません。矜持です」

「矜持依存症だ」

「それは──否定できません」

「遂に認めたな」

トワは温泉に浸かりながら、空を見上げた。渓谷の上に空が見える。昼間なのにオーロラが見える。エルシオンの空。六十秒の鼓動で脈打つ光。

温泉の底に七色の鉱石が沈んでいる。光っている。エルシオンの体温で温められた水。大陸獣が背中の上の生き物たちに用意してくれた、天然の湯治場。

「エルシオン。お前、温泉まで用意してくれたのか」

足の裏に……微かな振動。

──くすぐったい。おゆのなかのあしおとは、いつもとちがう。ぽちゃぽちゃいう。おもしろい。

大陸獣の言葉だ。彼もまた、温泉の中の足音を楽しんでいるのだろう。

「……ぽちゃぽちゃ、か」

テンがブーツの──脱いだブーツの上で、温泉の湯気を浴びていた。入浴はしない、虫だから。だが、湯気は嫌いではないらしい。甲殻に水滴がついている。

「テン。お前は入らないのか」

一回。断固拒否の光。

「前回と同じ答えだな」

一回。虫には虫の矜持がある、の光。

「おい、矜持がテンにまで伝染したぞ……」

フォーラムに温泉の発見が報告された翌日、プレイヤーが殺到した。ハルがまた書き込んだのだろう。

全員が「デバフなしで入っても超気持ちいい」と絶賛し、星湯の泉はエルシオンの人気スポットになった。

──「エルシオンの温泉、複合デバフにも効くぞ!」

──「キメルガの灼凍毒を温泉で解除できるのか。覚えておこう」

──「むしろキメルガにわざと殴られてから温泉に入るのが最高って説がある」

──「毒を食らってから入る温泉が、なんで気持ちいいんだよ」

──「サウナと水風呂みたいなもんだろ。極限の後の開放感」

──「アストレアが鎧を脱いだらしい。BCO史上初だな」

──「矜持が折れた瞬間を見逃した」

──「折れてないぞ。緊急事態だっただけだ。翌日には鎧に戻ってる」

──「セレスちゃんがルーナちゃんのために影を作って、一緒に入浴したらしい」

──「尊いな」