軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

《アルヴァの手記》

本棚の回廊を抜けた先に──古い木の扉。鍵穴が手のひらの形をしている。

「この奥が、師匠の私室だ。手形認証。──本人の魔力パターンで開くのだ」カレンが言った。

「ほう……本人がいなければ開かないと。だ、そうだが、どうするトワ?」とゼクス。

「普通は厳しいだろうな。それでも、俺たちにはやりようがある」

トワが見聞録で鍵穴を解析した。手のひらの形だけでなく、魔力パターンを認証している。

「カレン……お前は師匠の弟子だった。修行で、何度も魔力に触れてきたはずだ」

「ああ、千年前は毎日のようにな」

「なら──記憶干渉の第三段階で、お前の身体に刻まれた師匠の魔力パターンを引き出す。それを鍵穴に流し込む」

「できるのか?」

「やったことはない」

「毎回それだな」

「旅人はいつもそうだ」

「名言っぽく聞こえるが──要するにぶっつけ本番か」

「そうだ、ただのギャンブルだ」

トワがカレンの手に触れた。記憶干渉──第三段階。千年前の記憶が浮かぶ。師匠の手が、弟子の手を取り、魔力の流し方を教えている。

そこに──魔力パターンがあった。千年経っても、消えていない。

「あった。──手を出せ」

カレンが扉に手をかざした。

【認証──承認】

扉が、開いた。

小さな部屋。机、椅子、本棚。カレンの書斎に似ている。

「師弟は部屋の趣味まで似るんですね」タマキが見回した。

「いや、私が師匠の真似をしたんだ」

机の上に一冊の手記。革表紙。

【手記を発見しました】

トワが開いた。最初のページ。

【「わたしは旅人だ。世界の全てを歩いた。──だが、まだ足りない。世界には、もう一つの底がある」】

次のページ。

【「深淵は『世界が分かれる前の残骸』だ。三つの層は、元々一つだった。分離しきれなかった部分が──深淵として残った」】

オーレン、もとい親友の蓮が手記を覗き込んだ。いつの間にか、彼も到着していた。

「蓮、いつ来たんだ?」

「一時間前、裏口から入った」

「裏口があったのか?」

「へへっ。考古学者は、裏口を見つけるのが仕事だからな」

「お前は大学二年生だろ」

「おう、歴史に詳しい大学生だ」

「じゃあ……まあいい。この記録を、読んでみろ」

蓮が手記の地図ページに目を走らせた。三層構造の透視図。三つの層が一点で交わっている。

「この交点──始まりの町だ。リベルタの直下」

「始まりの町の下に、【深淵】への入口が──?」

手記の最後のページ。字が乱れている。

【「深淵に触れた。意識が変わるまで、およそ一時間。それを超えると戻れなくなる」】

そして最後の一行。署名。

【「──この手記を読んでいるなら、わたしを止めてくれ。まだ間に合うならな。──アルヴァ」】

アルヴァ。──手記の署名に、名前があった。

カレンが手記を見つめたまま、固まっていた。

「アルヴァ……【堕ちた旅人】……いや、師匠の名前だ」

部屋の壁に、黒い染みが走った。名前に闇が反応した。すぐに消えたが──全員がそれを見た。

「【闇】が反応した。名前を呼ぶと【闇】が応える──ノクスが名前を消した理由はこれだ」

ゼクスが壁を睨み付けた。

「だが、手記に書いてあった以上、消しようがない。この名前は──もう、わたしたちが知っている」

カレンが手記を閉じた。手が震えている。

「師匠は──研究者だった。自分が変わっていくのを、最後まで記録し続けた。そして──助けを求めていた。『止めてくれ』と」

「かつて、お前が聞くべきだった言葉だ」

「ああ……後悔はしている。それでも、今ようやく聞けたのだ」

トワは手記を、アイテムストレージに入れた。

「入口の場所がわかった。制限時間もわかった。条件も、名前も。──あとは、行くだけだ」

「すぐに行くのか?」

「いや……まだ早い。制限時間は一時間。【深淵】の中でアルヴァを見つけて、【闇】を祓って、連れ戻す。一時間で全てをやる……準備が足りない」

「何が足りないんだ」ゼクスが聞いた。

「情報だ。【深淵】の内部がどうなっているか、手記にもほとんど書かれていない。手探りで六十分は、あまりにも短い。それに──」

トワが付け加えた。

「そもそも、入口が開くかどうかもわからない。アルヴァの手記には条件が書いてあるが、今のBCOのシステムにその条件が実装されているかは、別の話だ」

「未実装、ということか……?」ゼクスが聞いた。

「裏世界もそうだった。ソルシアはサービス開始二年目で発見された。元からあったのか、アップデートで追加されたのか──プレイヤーには区別がつかない。【深淵】も同じだ。手記に書いてあるからといって、今すぐ行けるとは限らない」

ゼクスが腕を組んだ。

「確かに、ゲームには実装タイミングがある。運営がまだ【深淵】を開放していない可能性も」

「ああ──焦っても仕方がない。やれることをやって、歩ける場所を歩いて──条件が揃うのを待つ」

一同が沈黙する中――

全プレイヤーの視界に、システムメッセージが表示された。

赤ではない。──金色の枠。BCOの運営からの公式告知。

【──BCO大型アップデートのお知らせ──】

【ver3.0「新大陸・星渡りの海の彼方」実装決定】

【新たな大陸が発見されました。表の世界の海の向こうに──未知の大地が広がっています】

【新エリア、新モンスター、新NPC、新クエスト、新素材──冒険の全てが、ここにあります】

【実装日:来週月曜日】

「このタイミングで、大型アップデート──!?」タマキが声を上げた。

「新大陸──!?」ハルも思わず声に出した。

この時、全員が見ることのできる『全体チャット』では、凄まじい勢いでログが流れていた。

──「新大陸きたああああ!!」

──「ver3.0!! 大型アプデ!!」

──「星渡りの海の彼方──名前がかっこいい」

──「表の世界の海の向こう!? 今まで、海の先に何もなかったのに!」

──「新エリア! 新モンスター! 新NPC!!」

──「【深淵】の前に新大陸か。運営、わかってるな」

──「トワが行く前に新コンテンツを用意するスタイル」

トワは、金色のシステムメッセージを見つめていた。

新大陸。未知の大地。まだ誰も歩いていない場所。

「トワ──行くのか?」カレンが聞いた。

「【深淵】の準備に、新大陸の情報が役立つかもしれない。世界にはまだ、俺の知らないことがある」

「旅人らしい答えだな」

「ああ……セレス、新しい場所だ」

「あたらしいばしょ! ──モンスター、いる?」

「いるだろうな」

「おやつ、ある?」

「知らない。行ってみないとわからない」

「いく! ──おやつがあるかもしれないなら、いく!」

「動機がそれか」

「セレスのどーきは、いつもおやつ」

ルーナが影の中から言った。

「わたしも……新しい場所、行きたい。──影の中からだけど」

「新大陸なら、夜がある国かもしれないぞ。ルーナが外に出られる場所が」

「……本当?」

「行ってみないとわからない。──だから、行こう」

ゼクスが短剣を弄びながら言った。

「【深淵】の前の寄り道か。──悪くない。新大陸の暗殺者ギルドがあれば覗いてみたいしな」

「アストレアは?」

「新しい聖騎士の歴史があるかもしれません。──行きます」

「タマキはどうする」

「理由がなくても、もちろん行きます!」

「カレン」

「行かない理由がない……と言いたいところだが、私はこの国を出ることはできない。トワたちの旅を、聖王国から見守っているよ」

やはり付き添いの精霊ではなくNPCのカレンでは、ゲーム上の誓約があるのだろう。

しかし、彼がいなくとも約束は変わらない。

トワたちはカレンと握手を交わし、墓所を出て行った。

もうすぐ、大型アップデートがくる。

【深淵】は逃げない。アルヴァも、千年待ったのだから──もう少しだけ待ってくれるだろう。