軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第八十二話 とある一日

ルドルフが引退して数か月が経った。

世間は相変わらず勝手で、騒ぐのも早いし、飽きるのも早い。

でも、飽ききることはないらしくて――今でも「見学できますか?」の電話は鳴るし、遠くから車が来る。

うちは、もう「小さな牧場」ではなくなっていた。

いや、頭数や土地の広さは劇的には変わってない。

それでも雇っている人の数も増えていし、現在進行形で工事はしている。

「おはよー!」

「さくー!ごはーん!」

「きょうはなにー!」

「おやつー!」

「おきたくなーい」

あ、当歳のうるささは変わらなかったな。

その奥では、一歳馬たちがやや醒めた顔でこっちを見ていた。

「今年の当歳、なんか例年よりバカじゃない?」

「毎年言ってる」

「でも今年のは“ごはん”と“ねむい”で世界が回ってる感じがすごい」

「わかる」

一歳になると、一気にそういう“上から目線”を覚えるから面白い。

お前らだって去年までは似たようなもんだったぞ、と言いたくなる。

この光景も変わらない。

その時、母屋の方からぱたぱたと足音が近づいてきた。

「朔さん」

弥生ちゃんだった。

「天山さんと金持さん、そろそろ着くそうです」

「あ、ほんと?」

「はい。梅さんが今、入口の門を開けてくれてます。それと今日は見学全部断ってます」

……なんか、最近俺より弥生ちゃんの方が牧場主っぽい気がする。

「弥生ちゃん」

「はい?」

「いてくれて、ありがとね」

「…………なんですか、急に」

そう言いながら、弥生ちゃんが少しだけ笑う。

「急に思ったから」

「じゃあ、思う度に言ってください」

うん、強い。

外へ向かうと、牧場の入口から上品な車と、馬運車が入ってきた。

まず降りてきたのは、天山さんだった。

相変わらず隙のない格好で、こんな初夏の牧場の土道に立っていても妙に存在感がある。

「やあ、朔くん」

「どうも、天山さん。無理を叶えていただいてありがとうございます」

「いやいや。たまにはこういうのも悪くない」

そのあとから、運ばれてきた芦毛が、静かに、でもいかにも俺賢いですみたいな顔で周囲を見回した。

「……久しぶりだな」

「おう、久しぶり」

テンザンサクラだ。

うちで生まれて、セリで売れて、GⅠを勝って、種牡馬になった芦毛。

そして、その後ろからは、ほわっとした声が飛んできた。

「おにーさーん、来たよー」

ゴールデンウイングは相変わらず、昼下がりの縁側みたいな声をしていた。

GⅠをいくつも勝った名馬だという情報と、本人の空気感が今でも噛み合わない。

こういう馬が一番ずるい気がする。

「久しぶりだな、ゴールデンウイング」

「ひさしぶりー」

その隣には、金持がいる。

今日もいつもの金持だった。

高そうな服、高そうな靴。うるさい声。

「まずは僕にあいさつし給えよ!」

「お前は放っておいてもいいかなって」

「なぜだね!?」

でも、こうやって金持が来ると、なんか場が明るくなる。

うるさいのはうるさいけど。

「馬たちの方は、君たちに任せて私は線香を上げに行ってもよいかね?」

俺たちのやり取りを見て、天山さんが視線を母屋に向ける。

「あ、であれば母屋の中の案内を……」

「君の許可さえもらえれば案内は不要だよ」

……俺の知る限り、天山さんを母屋の奥に入れたことないんだが。

まあ、きっとそういうことなんだろう。

「わかりました、いくらでもどうぞ」

「うん、ありがとう」

そう言って天山さんは母屋に向かって行った。

一方で、馬たちの方はというと。

「ウイングー!!」

「クラウンくーん!」

クラウンとゴールデンウイングは、ほんとうに再会を喜んでいた。

テンザンサクラは「うるさいな……」みたいな顔をしつつ、でも明らかに少し嬉しそうだ。

「サクラくーん、久しぶりー」

「おう」

「クラウンくん、元気そうでよかったー」

「当然だ!! 俺は元気しか取り柄がないからな!!」

「それは知ってるー」

ウイングの返しが容赦ない。

「クラウンは、乗馬施設で仕事してるんだって?」

「してるぞ!!子ども受け抜群だ!!」

「ふーん」

「その『ふーん』は何だ!!もっと敬え!!」

テンザンサクラが、わずかに口元を緩めた。

「敬う理由が見当たらない」

「お前、相変わらず言うなぁ!!」

でも、そのやり取りがすごく自然で、俺は少しだけ笑った。

「あ、ルドルフくーん」

ウイングがルドルフに気付いて呼ぶ。

「ん?私ですか?」

……ルドルフ、他牧場の馬には外面続ける気なのか。

「あのねー、ビールくんからー、伝言があるよー」

「ほう、聞きましょう」

一気にルドルフはやる気が出たらしい。

「そのまま言うねー、ゴホン『ざまぁねぇな、ルドルフ!!坊ちゃんが言ってたが、今年は俺の方が種付け数多かったらしいぜ!!』だってさ」

あ、ルドルフがぷるぷるしてる。

アレは怒ってるな……。

「……ありがとうございます。ウイングさん、すみませんが、ビールに返事を伝えてもらっても?」

「うん、いいよー」

「『質で勝負だ、バカビール』と」

「あはは、仲良しだねー」

「違います」

そう言い捨てて奥の方にルドルフは走って行ってしまった。

……面白いからほっとこう。

馬たちが遊んでいるのを眺めながら、金持と少し歩く。

天山さんと金持が並ぶと、画面が強い。

「しかし、ずいぶん賑やかになったね」

金持が牧場を見回しながら言う。

「まあな、人も増えたし、施設も少しずつ増やしてる」

「いい傾向だ。まあ、うちのゴールドファームには未だ遠く及ばないがね!!」

「そりゃそうだ」

ルドルフ一頭の稼ぎでそれは無理。

金持は、工事中の柵や、少し新しくなった厩舎の一角を見て、満足そうに頷く。

「うむ。前より“未来のある牧場”って感じがするね!」

「前はなかったみたいな言い方だな」

「いや、前は“今をどうにか回してる牧場”だった!」

「否定できない」

実際、そうだった。

俺が戻ってきた頃なんて、本当に毎日をどうにか回すだけで精一杯だった。

その頃を思うと、こうやって“少し先”のための工事ができてるのは、だいぶ大きい。

その時だった。

「朔ー!」

クラウンが、妙に真剣な顔をしていた。

あ、これロクでもないやつだ。

「俺も一回くらい種付けしてみたーい!!」

「ぇぇ……」

あまりにも唐突で、素で引いてしまった。

「だって!」

クラウンは、ぐいっと一歩前へ出た。

「ウイングもテンザンサクラも自慢するんだもん!!」

「そんな理由かよ!!」

思わず即ツッコミだった。

クラウンの言い分に、テンザンサクラが呆れたように言う。

「いや、自慢っていうか、普通にそういう話をしてただけだろ」

「でもなんか!“次に繋がる仕事”感あってカッコよかった!」

「雑な憧れ方だな」

「俺だって!!乗馬施設で人気者だし!脚も壊してないし!性格も明るいし!」

「最後だけ怪しいな」

ゴールデンウイングが悪びれずに頷く。

「種付けもけっこうたのしいよー」

「ほら!?」

「ほら、じゃないんだよ」

クラウンは、ちょっとだけ拗ねたように耳を伏せた。

「俺だって、ちゃんと働いたし……」

その言い方が、妙にしょんぼりしていて。

しかもクラウンの場合、それを言われるとちょっと困る。

こいつは本当に、頑張った。

華やかな勲章はなくても、壊れず、へこたれず、ずっと走って、稼いで、牧場を支えてくれた。

そこは、ちゃんと本当なのだ。

「……はぁ」

俺は、小さく息を吐いた。

「わかったよ。金持に相談してみる」

「ほんとか!?」

クラウンの顔が、ぱっと明るくなる。

「相談するだけだからな」

「十分だ!!」

テンザンサクラが呆れた声で言う。

「どっちでもいいけど、種付けってのは“自慢”のためにやるもんじゃないぞ」

相変わらず正論。

横で金持が、妙に複雑な顔をしていた。

「……僕は今から何を相談されるのか、少し怖いのだが」

「大丈夫、夢とロマンの話だ」

「ならば聞いてやろう!!」

馬の世界は、走って終わりじゃない。

子どもに繋がる世界でもある。

そういう当たり前を、今さら少しずつ実感している自分がいた。

金持に相談内容を話し、クラウンの血統表を見せると、

妙に真剣な顔で「少し電話をさせてくれ給え」と車に戻っていってしまった。

なので、一人で工事の音や馬たちの声を聞くでもなく聞きながら、ぼんやりと放牧地を眺める。

ふと、気付くと、ストーンがこちらを見ていた。

その目はいつもどおり少し偉そうで、でも、今日は何故か少しだけやわらかく見えた。

「坊主」

「ん?」

「大分まともな顔つきになったじゃないか」

「そうか?」

「少なくとも、働く先無くなって帰ってきた時の情けない面よりマシだよ」

思わず、はは、と笑いが漏れた。

「懐かしいな、お前らの声聞こえて驚いてたあの時な」

就職先がなくなって。

どうしていいかわからないまま、部屋でゲームを買って仮想牧場主になろうとしてた。

でも、爺さんに呼ばれて帰って来て。

まさかのリアル牧場主になったら。

馬の声が聞こえて。

――遠い昔に感じる。

「……継いでよかったんじゃないかい?」

ストーンのその言葉に、すぐには返事ができなかった。

風が吹いて、草が揺れる。

視線の先には、放牧地がある。

クラウンがまだ懲りずに「俺の種牡馬計画」みたいなことを語っている。

テンザンサクラとゴールデンウイングがそれを聞いて笑っている。

ルドルフが「我関せず」みたいな顔をしながら、寝そべっていて。

騒がしい当歳と生意気な一歳を繁殖牝馬たちがいつもどおり眺めている。

弥生ちゃんの声がどこかから聞こえる。

工事の音と松さんたちの笑い声も少し混ざる。

その全部が、今の桜井牧場だった。

ここには、今の俺の全部がある。

「……そうかもな」

そう答えると、ストーンは、それ以上何も言わなかった。

ただ、ふん、と小さく鼻を鳴らしただけだった。

その時だった。

「さくー、暇ならおやつちょーだーい!」

当歳の一頭が、空気を読まない声で叫ぶ。

「はいはい」

歩き出す。

長靴の底に、少し湿った土の感触が返ってくる。

……とりあえず。

今日も長靴を履いて、昨日を想って明日を見る。

俺が、桜井牧場の牧場主なんだから。