軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第四十五話 牧場主やってると金銭感覚おかしくなりそう

「いやあ、去年も良い馬はいたが、今年も良さそうなのがいるねぇ」

目の前にいるのは、時折来てくれる馬主さんだ。

去年も、一歳牝馬を一頭買っていってくれた。

隣で弥生ちゃんがお茶を出してくれている。

もうすっかりこの手の来客対応にも慣れたものだ。

頼もしすぎて、最近色んな面で頭が上がらないことがある。

「そう言ってもらえると本当に嬉しいです」

これは本音。

でも、この続きが既に読めて困るのも本音。

「特に、あの鹿毛の一歳馬。カスタードの子なんだってね。--------円でどうだい?」

横で弥生ちゃんが、湯呑みを置く手を一瞬だけ止めた。

そりゃそうだろうな。

でも。

「すみません」

俺は頭を下げた。

「あの子は、売るつもりないんです」

そんな感じで、結局別の子を買ってくれた馬主さんをお見送りした俺は、頭を抱えていた。

「……怖い」

金の話が。

「大丈夫ですか?」

弥生ちゃんが、苦笑しながら麦茶を差し出してくれる。

「ありがとう……いや、普通にビビるな」

「わかります」

「わかる?」

「だって、--------円って……」

「うん……」

二人でちょっとだけ遠い目になる。

そう、一歳になったルドルフはどうやらプロの目から見て、イイらしい。

骨格がいい。

歩様もいい。

走る姿も、なんか妙に堂々としてる。

素人の俺ですら、「あ、なんか違うな」と思う。

ましてや、プロが見ればそりゃもう色々と思うんだろう。

結果。

「この馬、もし出すなら早めに声を」

「今のうちに押さえておきたいですね」

「かなり面白いと思いますよ」

「馬主名義はもう決まってるんですか?」

となっている。

全部笑顔でかわしてはいるが、精神状態には良くない。

そりゃそうだろ、もー。

その時、ブロロロロロロ、と、明らかに“いい車です”という音がして、俺は思わず額を押さえた。

「……来た気がする」

「誰です?」

弥生ちゃんが聞いてくる。

「一番高値付けそうなやつ」

外に出てみると、予想どおりだった。

「やあやあ、小さい牧場主君!元気にしているかね!」

「やっぱり来たか」

金持である。

「ふん、君のところに“大物の匂いがする一歳牡馬がいる”と聞いてね」

「噂回るの早すぎるだろ」

「狭い世界だからね!」

それを得意げに言うな。

金持は、俺を押しのける勢いで放牧地の柵までずんずん歩いていき、そしてルドルフを見た。

ぴたりと止まる。

数秒。

「……ほう」

お。

これは本気の顔だ。

「どうだ」

俺が聞くと、金持は視線を外さないまま答えた。

「あれがカスタードの子だね?」

「わかるのか」

「当たり前だろ」

なるほど。

金持はしばらく無言でルドルフを見ていたが、やがて振り返って俺に言った。

「売ってくれたまえ」

「嫌だ」

「値段は相談に乗る。かなり本気で出す」

「売らない」

「即答かね!?」

「即答だよ」

金持は本気で悔しそうな顔をした。

「僕のところなら、環境も設備も最高だ。育成面では、君の牧場よりずっと上だ」

「そうかもな」

「認めるのかね!?」

「認めるけど、嫌だ」

俺だってわかる。

設備も、人も、情報も、全部向こうの方が上だ。

でも、それとこれとは話が別だ。

「あいつは、うちの馬だから」

それだけ言うと、金持は少しだけ黙った。

それから、困ったように頭をかいた。

「……そういう顔をされると、少しやりにくいね」

「知るかよ」

「いいだろう、今回は引いてやる」

「助かる」

こういうところ誠実だよなぁと思って、ふとルドルフを見ると……あ?

なんで、あいつ柵に向かって走って、あ。

とんだ。

あ!?

ルドルフが柵を飛び越えた。

「ルドルフーーーーーーーーー!!!!」

弥生ちゃんが、めちゃくちゃ怒って走って行ってる。

ルドルフが、明らかにビクッとした顔で慌てて助走を取り直して……あ、バカ。

もう一回飛んで、牧場の内側に戻った。

……弥生ちゃんがあんなに怒るなんて珍しいから、逃げようとしたんだろうな。

でも、もう一回飛んだから倍怒られるぞ、あいつ。

「……今の跳躍見たかね?」

「見てない」

「見てただろ!?」

「見てない」

俺は精神衛生上悪いものは見ない。

金持は、わざとらしくため息をついてから言った。

「たしかに、あの馬は君の牧場で走らせた方が面白いことになりそうだ」

「面白いって理由でいいのか」

「いいに決まってるだろう、競馬だぞ?」

金持がニヤッと笑う。

たしかに。

それはそうかもしれない。

ルドルフを怒るのは弥生ちゃんに任せて、仕事をしていると、

「やあ」

天山さんが現れた。

「どうも……」

みんな、アポイントメントって概念ないの?

天山さんは、面白そうに目を細めた。

「見せてもらっても?」

「……どうぞ」

もうどうにでもなれ。

天山さんは、放牧地の外からしばらくルドルフを見ていた。

「ふむ」

その一言だけで、なんか値段が五倍くらい上がりそうで嫌だな。

「売る気は?」

「ありません」

「即答だね」

「はい」

「なるほど」

天山さんは頷いた。

「では、なぜ残すのか聞いても?」

「……他の人と馬には秘密にしてもらってもいいですか?」

「もちろん。君と私だけの秘密にすると約束しよう」

「見たいからです」

「何を?」

「こいつが、うちでどこまで行くか」

天山さんは少しだけ笑った。

「気持ちはわかる」

本当にわかってる顔で言うのが怖いんだよな、この人。

「金を積まれたら揺れますけど」

「正直だ」

だってそうだろ。

揺れはするよ。

でも、それで売るかは別だ。

天山さんは、しばらく考えてから言った。

「いいと思うよ」

「え?」

「君がそう決めたなら、それでいい」

意外だった。

もっとこう、「うちで見てやろう」とか、「私のところなら」みたいな話になるかと思ったのに。

でも天山さんは、少しだけ笑っていた。

それから、ぽつりと言った。

「その仔がどこまで行くかはわからない」

「はい」

「だが、“売らない”と決めるべき馬は、たしかにいる」

その一言だけ残して、天山さんは去っていった。

なんだ今の。

すごく格好いいこと言って帰ったな。

全部終わった夕方。

俺は厩舎の前に座り込み、深く息を吐いていた。

「疲れた……」

精神的に。

その時、問題児がのこのこ近づいてきた。

「朔、弥生にめっちゃ怒られた。すっごい怖かった」

ルドルフだ。当たり前だ。

「お前、なんで柵飛び越えたんだよ」

「売られるかと思ったから逃走ルート確保しようと思って」

「売らないよ」

「ほんと?」

「ほんと」

ルドルフは、それを聞いて、妙に満足そうに頷いた。

「じゃあいい」

そして、そのまま当然みたいな顔で俺の肩に鼻先を押しつけてきた。

甘え方が雑。

弥生ちゃんが、横で少しだけ笑う。

「ほんと、わがままですね」

「な」

「でも、ちゃんとわかってるんでしょうね」

「『弥生ちゃん怖かった』って言ってる」

「当たり前です!」

弥生ちゃんが「ふんす!」としているが、

ルドルフは、俺たちの会話など気にせず、むにむにと俺の肩を押している。

「朔」

「何」

「りんご」

「今日はやらない」

「けち」

「けちで結構」

柵を飛び越えたことは、まあ俺は怒らないでおいてやろう。

もっかいやったら怒るけど。