軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

200

薄暗い空間だった。

深い、深い水の中をゆっくりと揺蕩っている。薄く目を開き、重たく指に絡む水を掻いた。ちっとも体が進まない。

俺はゴブリンマザーに食われたはず。ここはどこだ……?

知らない場所だというのに、ちっとも好奇心や冒険心が湧き上がらなかった。地元のような、原風景と呼ぶべき懐かしさが込み上げてくる。

なんでだ。妙に落ち着く。こんな場所、全く心覚えがないのに。

「ようこそ。新たなる小鬼の王よ」

声が聞こえた。低く落ち着いた女の声だ。

場所も、遠近感すらも掴めない。耳元で語りかけられているようでもあり、遠くから呼びかけられたようでもある。

「誰だよ。ゴブリンマザーか?」

「いいえ。私は彼女の胎を借りているだけ。妖精と精霊の狭間。進化の入り口に立ち、壊れた門を見守る者。あえて名乗るのであれば……ティターニア、と」

「敵か」

目が覚めた。全身の血管が一気に冷える。

「いいえ。オベロンとは関係がない。強いて言うのであれば、遙か昔には歩みを共にしたことがある。私は、ここに留まりたかった。彼は肉体を得て、より高みを目指したかった」

ティターニアと言えば、オベロンの妻みたいなイメージだったが、どうやら戯曲とは違うらしい。

薄らと感じる気配に敵意はなかった。少しだけ警戒を解く。

「そうか。俺は永野弘だ。まぁナガと呼んでくれ。あんたの姿が見えない……というか居場所が全く分からねえのは、精霊みたいに肉体を持っていないからなのか?」

「はい。私には実体がない。故に、何者にもならず、そして消えることもない。意思と感情、そして力だけを持つ」

「妖精の女王というよりも、精霊の親分って感じだな。なんでそんな存在が、ゴブリンマザーの腹にいるんだよ」

「人間らしい言い方をすれば、ゴブリンは生きた化石。個体ごとに適応するが故、種として進化が起こりづらい。精霊に近い原始的な妖精故に、親和性が高く、馴染みやすい」

なるほど。

進化の歴史は淘汰の歴史だ。適応力に特化したゴブリンはどこでも生き延びられるからこそ、逆に進化に取り残されたのか。

「それにしても、人間が彼らに認められるとは。王権を喰らった者は過去にも在れど、彼らに信を置かれた者はいない。それもそのはずだ。ゴブリンに知恵と意思の存在を認め、彼らに有り様を尋ね、なにかを任せる者などいなかったのだから」

「まぁ、頭悪そうな顔してるもんな」

「その通り。愚かそうな外見をしている」

「……どっちがだ?」

ゴブリンか? 俺か?

微妙な言い方だったぞ、おい。

ゴブリンと関係を結べたのは、戦という場で出会ったからこその関係かもしれねえ。

薩摩クランが血に塗れた戦いをしてきた歴史があり、オドアという強者がいたからこそ、俺もゴブリンに何をしたいか訊ねられたような気がする。

これまでは顔面一蹴りだったし。

「礼をしよう、ナガ。そして、新たな王の誕生に祝福を与えよう。忌み嫌われ、虐げられ、使役される愚かな小鬼達の王に――」

急に視界が明るくなった。

ふわりと肉体の所在が曖昧になる。目の前に広がったのは、深層にあるジャングルの風景。

巨木の陰に身を隠している、全裸の男がいた。口と鼻を手で覆い、緊張した面持ちで周囲の様子を伺っている。あれは……俺だ。ダンジョンに閉じ込められていた頃の俺の姿だ。

通り過ぎる地竜の背後を、手斧を振り上げながら忍び足で追いかけ始めた。

懐かしいな。地獄の日々の1ページだ。

風景が切り替わる。

崩壊した砦のような遺跡で、虹色に輝くオーブを叩き割っていた。疲れ果て煤けた顔で天に昇る光を眺めたあと、落ち葉や虫の浮かぶ水を啜っていた。

風景が切り替わる。

樹皮を剥がし、出てきた芋虫をつまんで口に運んでいる。茫洋とした表情で、土に指で文字を書いていた。支離滅裂な言葉の破片。ひらがなの「ぬ」を書けず、何度も書いては消してを繰り返している。

頭を掻きむしり、「俺は人間だ」と呟いていた。

あんまり記憶にねえなぁ……。

――これは、俺の経験を追体験しているのか。

風景が切り替わる。

エルフを焼いて食う。アラクネを焼いて食う。オークを焼いて食う。

風景が切り替わる。

狼と取っ組み合いながら、地面を転げ回り、噛みつき合い、殴り合う姿。

見えてもいないスイを信じて巴投げをした。

これまでの冒険が目の前で再現されていく。

「――適応の力を。失ってばかりなのに戦い続け、無数の傷を受けながら多くの者と手を繋いできた。その経験に見合った力を与えよう。ここが、精霊に認められた者……王としての始まりの地だ。新たな生を歩むといい」

世界樹を殴り倒したところを最後に、世界がぐるりと渦巻いて暗闇に収束した。

急速に肉体の感覚が戻ってくる。どん、と背中に衝撃を感じた。狭いところに閉じ込められているらしい。

丸められた体を無理矢理伸ばすと、べりっと膜が破れる感触。顔に空気の冷たさを感じた。粘液にまみれた顔を手で拭う。

オドアが産み直されたときのように、爬虫類みたいな柔らかい殻の卵に包まれていたようだ。

ぐっと力を入れて立ち上がり、殻を脱ぎ捨てた。

上裸で、下半身は戦闘服を着ている。食われたときそのままの格好。だが、傷は全てなくなっている。

全員の視線が俺に注がれていた。