軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第七九話 張飛の手紙

帰宅すると、半月近く留守にしていたあいだに、張飛から手紙が届いていた。

以前にも思ったのだが、なかなかの達筆で感心させられる。

几帳面かつ繊細で、どこかおしとやかな印象すらにじみでる文字である。

大雑把というか、豪放なイメージとだいぶちがう。

劉備よりも、関羽よりも字がうまいなんて、どうなってんだろう?

張飛さんにはもう少し自分のイメージを大事にしていただきたいところである。

そんな私の身勝手な感想は、手紙の中身に目を通した瞬間、どこかへ吹っ飛んでいった。

「なにぃ!? 魏延(ぎえん) が……劉備に仕官しただと?」

魏延、字は 文長(ぶんちょう) 。三国志ファンおなじみ、五虎将軍亡きあとの蜀漢をささえることになる名将……名将? 猛将? ……ええと、そう、勇将であり、エースである。問題もある人物だが、優秀な武将であることはまちがいない。

ただ、彼が劉備に仕えるのは、まだ先のはずだった。

赤壁の戦いで敗れた曹操軍が撤退すると、劉備軍は荊南四郡を領有すべく侵攻を開始する。

その荊南四郡のひとつ、長沙郡を占領する際に、五虎将軍の一角となる老将・ 黄忠(こうちゅう) とともに劉備軍に加入するのが魏延である。

ところが張飛の手紙によると、その魏延がすでに劉備に仕えているらしい。

荊州刺史就任と同時に、劉備は大々的に募兵を開始し、その呼びかけに応じて、真っ先に馳せ参じたのが魏延だったそうだ。

しかも、彼は傭兵隊長のような仕事をしていたようで、五百人もの部下をひきつれてきたという。

この五百という人数、劉備軍にとっては軽視できない規模である。

劉備軍の兵力がどれほどか。正確なところはわからないが、ある程度推測は可能だ。

劉備・曹操両陣営からの手紙、商人から聞く噂話、そうした情報に照らすと、おそらく五千ぐらいだったはず。

そこへ、新人が自軍の一割にもおよぶ兵をつれてきたのだ。

軍事力増強を急ぐ劉備にしてみれば、心底うれしい出来事だったろう。

そのよろこびようは、張飛の手紙に魏延の名があがっていることからも、うかがい知れる。

……それにしても、どうしてこのタイミングで魏延が仕官したのだろう?

劉備が荊州刺史になったことが、魏延の行動に影響をあたえたのだろうか。

それとも、そもそも長沙で劉備軍に加わるという話自体が、三国志演義によるフィクションで、本当はこのタイミングで仕官していたのだろうか。

いずれにしても、私にとって愉快な情報ではなかった。

諸葛亮といい、魏延といい、劉備軍が着実に強化されているように感じる。

おのれ……許さん。許さんぞ、魏延ッ!!

……いや、魏延は全然悪くねーや。

ともあれ、なんだか後手に回ってしまったような、すっきりしない気分だった。

しっかりきっかり、借りは返しておきたい。

私は目を閉じて考えこんだ。

「劉備軍の伸長をおさえる方法。それも敵対することなく、さりげなく。……なにかを見落としているような」

ほんのちょっとしたことで、名案が見つかりそうな気がするのだが。

腕組みして、頭をひねって、しばらくして名案らしきものが浮かぶ。

先日許都で話しあったときに、荊州人士の心をいかにしてつかむかが議題になった。荊州を占領したら、まずは劉表の家臣だった人物を朝廷に招聘して、荊州出身者にも中央での出世の道がひらけたのだということを広く知らしめよう、という意見が出たのだが……。

私は筆と紙を引き出しから取り出して、荀彧宛の手紙をしたためる。

「重要なことをいいそびれていた。第一に招聘すべき人物は、龐統と黄忠である。若き賢才と戦歴の豊富な老将。老若文武を問わず、優秀な人材は引き立てるのだと知らしめるのに、彼らほど適した人物はいまい。荊州を占領して最初になすべきは、彼らを許都へ呼び寄せ、朝廷の官職をもって礼遇することである」

龐統と黄忠はごく短い期間ではあるが、曹操の命令を受ける立場にいたはずだ。

連環の計は後世の創作かもしれないが、その創作が成り立つのも、龐統が一時的に曹操に仕えていた事実があったからだろう。黄忠にいたっては、曹操領となった長沙の守備について、劉備軍と戦っている。

ならば、曹操の旗下にいるあいだに異動を命じてしまえばいい。

かつて龐統は中央への出仕を拒んだ際に、荊州をはなれる意思がないと理由を述べていたが、荊州が曹操領となれば、状況は変わる。いったん朝廷で実績を積んで、出世してから故郷の襄陽にもどるという道を用意してあげれば、問題は解消されるように思える。

もちろん、赤壁で曹操が勝つのならそれでよし。けれどこれで、歴史どおりに負けたとしても、許都にいる龐統・黄忠が劉備軍に加わることはない。

保険みたいな案だが、なかなかの妙案ではなかろうか。

題して、「諸葛亮と魏延がとられたなら、龐統と黄忠を確保すればいいじゃない作戦」であるッ!

こうして私が水面下でいろいろ画策しているうちに、曹操が三公の座を廃して、丞相に就任した。

あわせて丞相府がひらかれ、司馬懿が丞相 掾(えん) となった。

曹操直属の部署に異動するのだから、栄転と見ていいはずなのだが、私の屋敷にやってきた司馬懿は不本意そうな顔をしていた。

「鄴に行かねばならなくなりました。しばらく、先生にお会いする機会がなくなることを残念に思います」

司馬懿の弟子入りから十年、ついにこのときがきたようである。

彼はいまだに私を敬ってくれる。

私は……私は、師の威厳を保つことに成功したのであった!

「なに、鄴には天下の賢才が集まっていよう。研鑽を積むのに、これほど適した場所はあるまい」

基本的に曹操がいる場所が丞相府だ。司馬懿は鄴ではたらくことになる。

許都にも府の機能は一部置かれるようだが、支店のようなものと見ていいだろう。

「天下の賢才が鄴に集まる。まさにそこに問題があるように思えるのです」

「ふむ?」

「私は権力のねじれを懸念しております。三公制を廃止して丞相に就いた。実権のみならず名目上においても、今や曹操に比肩する者は皆無です。彼が命じるままに、人材は鄴に集まるでしょう」

「……なるほど、許都から鄴へと人材が流れる、か。朝廷はますます形骸化するであろうな」

「はい。曹操が許都へもどりさえすれば、ねじれは緩和されますが……。おそらく、もどらないでしょう」

平定したばかりの河北を安定させなければならない。

北方の異民族をおさえなければならない。

曹操が鄴にとどまる積極的な理由はそんなところだが、じつは消極的な理由も存在する。

許都へ帰りたくないのである。

かつて、曹操は宮中で危険にさらされたことがあった。

あれはたしか、張繍と戦っていたころの話だったと思う。

古いしきたりに、出征する三公は天子に謁見し、その際、天子は 虎賁(こほん) という近衛兵を左右にならばせる、というものがある。朝廷側が突然そのしきたりを復活させたために、曹操は戟にはさまれながら謁見することになった。天子の命令ひとつで、いつでも誅せられる状態である。屈辱だったろうし、肝も冷やしただろう。それ以来、曹操は二度と参内しなくなったそうだ。

それでも威圧ですんだから、曹操は助かった。

もし、暗殺が目的だったなら……。

実権を失っていようと、朝廷は朝廷である。

長い伝統と歴史のなかで育まれた蟲毒は、絶対的な権力者をも死に至らしめる。

大将軍何進、 太師(たいし) 董卓だって宮中で暗殺されたのだ。

曹操だけが無事でいられる保証はない。

私が曹操の立場にいたとしたら、やはり宮中には足を踏み入れたくない。

優秀な人材を自分のもとに集めることもふくめて、しごく当然の判断を曹操はしていると思う。

その当然の判断をくりかえした先に、漢朝は滅びる。

結局、曹操どうこうではなく、漢朝の天運が尽きたのだ。

「優秀な人材が朝廷から遠ざかり、政務の実態が鄴にうつり、朝廷の勢力が衰退していく。名門官僚族や儒者のなかには、曹操のやりかたに反発する者も増えるでしょう」

司馬懿はなんの感情も見せずに、まるで報告書を読みあげるような声でいった。

ふと私は思った。

司馬懿自身はどう感じているのだろうか。

そして、彼はどこまで先を見通しているのだろうか。