作品タイトル不明
第六八話 風土病
建安十二年十月、冬の幽州は、そこに足を踏みいれた人間を拒絶するかのごとく、氷に閉ざされている。
柳城遠征の帰路についた曹操軍は、いままで経験したことのない酷寒に見舞われていた。
昼ですら、氷点下の空気が粒子となって、全身を打ちすえてくるのだ。夜間ともなれば、まつげが凍り落ちるほどであった。
「なんという寒さだ」
「 北狄(ほくてき) どもの気持ちがわかる気がする。これでは南方へ進出したくもなろう」
「柳城を発つときは、往路ほど苛酷な道のりにはならないだろうと思っていたが、まさかここまで冷えこむとは……」
本陣の天幕のなかは、将校たちの嘆きがこだましていた。
水害がおさまったため、曹操軍は当初通る予定だった海に近い低地を行軍している。これで峻険な山道を踏破せずにすむ、と彼らは楽観していたのだが、待ちかまえていたのは想像を絶する大寒波だった。
「これが人であれば制することもできようが……。天や地が相手ではどうにもならん」
胡床(こしょう) に座した曹操は、しかめっ面をして腕を組んだ。
袁譚・袁熙の首をとり、烏丸と公孫康を臣従させた。
遠征そのものは完璧といっていい結果だっただけに、あまりにも対照的に感じられる。位人臣をきわめようと、誰より強大な軍事力を持とうと、天下統一の道が平坦になることはない。困難は形を変えてあらわれるのだ。
曹操は 熱燗(あつかん) を一杯ひっかけて、身体に熱をたくわえた。
そのとき天幕の出入り口が揺れうごいた。凍てついた空気とともに、荀攸がすべるように入ってくる。
「……報告いたします。地面を掘ること三十余 丈(じょう) (七十メートル)、ようやく水が湧きだしました」
「おお、これで水不足も解消されるはずだ」
曹操はわずかに顔を輝かせた。
川が凍結しているため、曹操軍は深刻な水不足に陥っていたのである。それにしても三十余丈とは。通常の井戸より、はるかに深く掘り下げねばならぬ。水を得るだけでも一苦労であった。
荀攸は報告をつづける。
「陣中にはびこる風土病。おさまるきざしは見えませぬ……」
「そうか……。して、郭嘉の容態はどうなっている」
顔を曇らせ、声を低めて、曹操はおそるおそる問うた。
寒波に襲われると同時に、病に伏せる将兵が続出している。
そこには郭嘉もふくまれていたのである。
「……発熱がつづいているようです。職務に復帰するのは、当分先のことになるかと……」
「そうか……」
曹操は唇をかんで、机の上にひらかれた 青嚢(せいのう) 書をちらりと見やった。
医書はある。軍医もいる。十分な量とはいえないにしろ薬もある。
しかし、満足な治療ができる状況とはいいがたい。
郭嘉には軍医が煎じた薬湯を飲ませているものの、許都や鄴でうけられる治療とは比べるべくもなかった。
やけになったようにもう一杯、曹操は熱燗をぐいっとあおった。
黄酒の香が 鼻腔(びこう) に充満するが、酔える気はまったくしなかった。
体が熱い。関節が痛い。全身がだるくてしょうがない。
眠るのをあきらめて、郭嘉はゆっくりとまぶたをあけた。
「…………」
目に入ったのはいつもの天井とはちがう、放射状に 梁(はり) がひろがる天井だった。
北の異民族がもちいる円形状の天幕で、 穹廬(きゅうろ) という。
中央の柱によって全体が支えられ、地面は厚手の敷物でおおわれている。
その敷物の上におかれた寝台で、郭嘉は横になっていた。
背中に敷かれた 氈(けむしろ) と、上掛けとしてかさねられた 衾(ふすま) のおかげだろうか。
寒さはいっさい感じなかった。
むしろ暑い……。熱くてたまらない。
「うっ……」
熱を吐きだすように、郭嘉は小さくうめいた。
すると、天幕のなかにいたもうひとりの人物がピクリと反応した。
寝台と反対側に、兵士がひとり詰めている。
彼に声をかければ、すぐに軍医がとんでくるだろう。
いたれりつくせりといえるが、郭嘉は楽観できそうになかった。
自分の体のことはよくわかる。
たまに 寒邪(かんじゃ) で寝こむときよりも、ずいぶんと症状が重い。
聞けば、病に伏せる兵士も増えているという。かなり 性質(たち) が悪そうだった。
「こりゃあ、だめ……かもな……」
郭嘉は口のなかで弱音を吐いた。
戦場に出るのだ、人は死ぬ。死は常に身近にあった。
軽薄に見られる郭嘉だが、彼が戦を軽く見たことはない。
出征するたびに死後について準備を整え、そのときが来ることも覚悟していた。
けれど、いざ死に 瀕(ひん) してみれば、覚悟していたつもりでしかなかったのだろう。
発熱に理性が溶けて、本音がむきだしになる。
「ちくしょう……。やっぱ……死にたくねえ……」
自身の情けなさと病魔に 苛(さいな) まれながら、 稀代(きたい) の軍師は声にならぬ声をもらすのだった。
往路にも劣らない苛酷な行軍を強いられる曹操軍だったが、本来あったであろう歴史において、彼らの復路はより凄惨なものとなるはずであった。
補給が途絶え、糧食が尽き、数千頭の馬をつぶして糧としなければならなかった。
また、郭嘉もこのとき 罹患(りかん) した風土病から回復することなく、死去する運命にあった。
それが、柳城遠征の 顛末(てんまつ) であるはずだった。
だがしかし、歴史という大河の本流と孔明が干渉した現状とで、大きく異なる点がふたつある。
ひとつは 輜重(しちょう) を重視していたため、兵站が途切れていなかったこと。
稷(きび) 、 粟(あわ) 、小麦といった穀物。油や、獣の皮を使った防寒具。
物資が尽きていなかったおかげで、風土病の発生こそふせげなかったが、その規模と症状はある程度抑えられていたのである。
そして、もうひとつは。いや、もうひとりは――。
氷雪のなかを行軍する曹操軍に、雪の化身のような真っ白なひげの老人が紛れこんだのは、翌日の昼頃であった。かなりの高齢に見えるが、足どりはおどろくほどしっかりしている。背後には従者がふたりつきしたがっていた。そのふたりの手には合わせて三本の手綱があり、それぞれ背中に 行李(こうり) をくくりつけた 荷駄馬(にだうま) につながっていた。
民間人が紛れこむのはめずらしいことではないが、老人の姿は人目をひいた。危険な人物には見えないにせよ、さすがに無視するわけにはいかなかったのだろう。ほどなく七、八人の兵士が近寄ってきた。
「そこの老人! なんの用だ! 名を名乗れッ!」
一番えらそうにしている兵士が、語気も強く、 誰何(すいか) の声を投げつけた。
か弱い老人にむける態度としてはずいぶんと 居丈高(いたけだか) であったように思われたが、老人はおびえの色もなく返答する。
「元 典医(てんい) の華佗がまいった。曹司空にそう伝えてくだされ」
「か、華佗ッ!? あの華佗どのでありますか!? これは失礼いたした」
華佗の名を知っていたらしく、えらそうな兵士はころりと態度を改める。
あわてて非礼を詫びると、報告のため、その集団をつれて走り去っていった。
「ふん、失礼なやつだ」
兵士の態度が腹にすえかねたのか、従者のひとりが毒づいた。
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉ。 呉普(ゴフ) よ。私たちは曹操軍を治療するために来たのだぞ。あの兵士も患者なのだ。腹を立てるより、よく観察せねばならん」
当の華佗は気にせず、ほがらかに笑った。
「はあ……。だからといって、いまの兵士はあまりに無礼だったのではないでしょうか。 樊阿(ハンア) だってそう思うだろう?」
呉普はもうひとりの従者に同意をもとめた。
呉普と樊阿。
彼らは華佗の弟子のなかでもとくに優秀で、競いあうように腕を磨いてきた間柄である。
「無礼というか……。苛立っていたように見えたな」
樊阿は首をかしげて見解を述べた。
師の教えを実践しようとしている樊阿に負けじと、呉普も周囲の様子に目を配る。
しんしんと降りしきる雪のなかを、将兵たちは黙々と歩いている。沈んだ表情ばかりだった。烏丸に大勝したわりには、凱旋とはほど遠い、 陰鬱(いんうつ) な空気に支配されている。
「これではまるで……敗残兵みたいだ……」
呉普にしてみれば反発する気も失せるようなありさまである。
華佗はうなずいて、
「風土病は、健康な者の心にまで影を落としておるようだ。……それにつけても、すさまじいのは胡昭どのよ。こうなることを半年も前に見越していたとは……」
「その孔明先生に頼まれたのです。われわれも気合いを入れて治療にあたるといたしましょう」
と樊阿は、馬にくくりつけた行李に手をおいた。
行李には薬がたんまり詰めこまれている。
できるかぎりの用意はしてきたつもりであった。
華佗の来訪は、曹操にとって渡りに舟そのものだった。
治療の許可を得ると、華佗たちは精力的に動きだした。
症状を見さだめ、薬の分量を見きわめ、 生薬(しょうやく) を 薬研(やげん) でひいて、穀物を原料とする酒に混ぜて処方する。
当代一と 謳(うた) われる華佗はいうまでもなく、弟子の呉普と樊阿も後世に名を残す名医である。
彼らの尽力はめざましく、曹操軍が幽州と冀州の州境を越えるころには、病に伏せていた将兵たちのほとんどは快癒していた。
十一月、鄴に帰還した曹操は華佗を呼びだした。
華佗にも人生最大の仕事をやり遂げたという自負がある。
ひるんでたまるか。彼は胸を張って謁見に望んだ。
広間では文武百官が左右に列をなしていた。
一介の医師を待っていたとは信じられぬほどの厚遇である。
郭嘉もすっかり回復して、元気になった姿を見せている。
「華佗よ。こたびの遠征では、おぬしのおかげで多くの将兵が救われた。よくやってくれた。この曹操、感謝の念にたえぬ」
曹操も高座をおりて歓迎する。
その声にも顔にも、惜しみない賞賛があふれていた。
曹操だけではない。
この場の誰もが、感謝と敬意をまなざしで伝えている。
「どのような褒美もとらそう。なんでももうすがよい」
曹操の口が紡ぎだしたのは、老医が心の底から渇望していた言葉だった。
そう、その言葉だ……。
その言葉が聞きたかった!
華佗の脳天からつまさきまでを、歓喜の衝撃がつらぬいた。