軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第五四話 とらわれの孔明

「孔明先生。私たちは、いったいどうなってしまうのでしょう……」

壮年の県吏が不安そうに身を縮めて、周囲の様子をうかがった。

「…………」

そんなこと聞かれても、私だって答えはもちあわせておりません。

家族、 家人(けにん) 、門下生……私の日常を構成する人たち。

そこにいま、異物が混入している。

庁舎から私の屋敷に逃げこんできた県の役人が、一名、二名、三名……計六名。

そして、屋敷の敷地内にいる黒山賊一味は、たぶん三十人近い。

主屋の入口にも見張りが三人立って、私たちを監視している。

夜中に突然、ジャーン、ジャーンと危険をしらせる銅鑼が鳴りひびいて、何事かと思っていたら、陸渾は賊に占拠されていた。

どうやら、陸渾の住民に黒山賊がまぎれこんでいた、という話である。くわえて、城が手狭になっていたので、城壁の拡張工事をおこなっていたのもわざわいした。城内で騒ぎが起こると同時に、そこから黒山賊がわらわら侵入してきて、いまでは陸渾は、すっかり賊将・張白騎の支配下にあった。

「なんとかならないでしょうか、孔明先生……」

県吏は額の汗をふきながら、こびるような声を出した。

こびる、へつらうに 一家言(いっかげん) ある私には、彼の気持ちがよくわかる。

私が口八丁で反乱をしずめてくれるのではないか、と期待しているのだ。

それがどだい無理な話であることは彼もわかっているだろうが、ほかにすがれる相手もいない状況だった。

「それでも孔明先生なら……。孔明先生ならきっとなんとかしてくれる……」

そんな期待がひしひしと伝わってくる。

だが、ことわるッ!!

お話の最中に相手の機嫌をそこねたら、私が殺されちゃうでしょうがッ!!

賊の親玉と討論なんて、死んでもごめんである。

いや、死にたくないからだけど。

生きたくて悪いか。私は生きる!

けれど、

「いやだー、死にたくないー、張白騎なんかに近づきたくないー!」

と、本音をさらけだすわけにもいきません。

ここはうまいことごまかさなければ。

どうしたものかと悩んでいたとき、

「――――!」

私の目にとまったのは、陳羣からもらった宝刀だった。

いつ切った張ったになるかわからないので、私は一番切れ味のよい刀を脇に置いていたのだが、これは使えそうだ。

私は宝刀をひざの前に置きなおして、おごそかにいった。

「この刀を抜いてみなさい」

「は、はい……」

県吏がおそるおそる宝刀を手にとり鞘から抜くと、冷ややかな光をはなつ黒い刀身があらわれる。曇りのない、鏡のようなその片面に、文字が彫刻されていた。

「これは……、『文は世の範たり、行いは士の則たり』とありますが……」

「うむ。その刀は、とある名匠がいまは亡き 陳寔(チンショク) どのの徳行を 偲(しの) んで打ち、潁川陳氏に献上したものだそうだ」

陳寔、 諡(おくりな) は 文範(ブンハン) 先生。陳羣の祖父にあたる。

党錮の禁の影響で栄達こそしなかったが、名士のなかの名士ともいうべき人である。潁川陳氏が名門になったのは彼のおかげだといっても過言ではない。

個人的にも、やさしいおじいちゃんだったと思う。遊びにいくとお菓子くれたし。

「民が賊徒に身をやつしているのを見ると、私は陳寔どのの逸話を思い出さずにはいられないのだ……」

お菓子を思い出してる場合じゃない。私はしかつめらしい表情をつくって語り出した。

ある夜、陳寔の家に泥棒が入り、 梁(はり) の上に身を隠していた。

その存在に気づいた陳寔は、子どもや孫たちを集めて教えさとした。

「そもそも、人は努力をしなければならない。悪人は必ずしも生まれついての悪人とはかぎらない。習慣から悪人になってしまうのだ。だから、しっかり勉強しないと、梁の上に身をひそめている泥棒のようになってしまうよ」

隠れていたつもりの泥棒はビックリ仰天、梁からとびおりて、土下座する。

陳寔は泥棒を捕まえようとも、とがめようともしなかった。

そればかりか、

「君は生まれついての悪人ではないのだろう。貧困が罪にはしらせたのだ。これをもっていきなさい」

と絹をあたえたのだ。

泥棒は罪をわびて改心した。そしてこの話が広まると、陳寔のいる県では窃盗事件が起こらなくなった――。

私は重々しい口調で、トンデモ話を語り終えた。

うむ。トンデモ話である。そんなことで窃盗がなくなったら苦労しない。

が、教訓にツッコむのも 野暮(やぼ) だろう。

「陸渾がうけいれた流民のなかに、黒山賊あがりの者がいたそうだ。もし、私に陳寔どののような徳があれば、彼らを改心させることもできたであろうに……。私は自分の不徳が恥ずかしい」

ここで私、 忸怩(じくじ) たる思いをフルオープン。さも無念そうに眉根を寄せてみせる。

ホントはこれっぽっちも恥ずかしいだなんて思っちゃいないが、いちおう民間人の私が責任を表明しているのだ。当然、公僕たる役人はもっと責任を感じなきゃいけない。ってか感じろ。

「…………」

県吏はだまりこくった。

よーし、いい反応だ。

ふふふ、これで、

「みんな、もう安心だッ! 孔明先生が張白騎を論破して改心させてくれるぞッ!」

なんて、私ひとりが危ない橋を渡るような展開にはならないでしょう。

犯罪には寛容をもって応じるべし、という方向性になるはず。

それが正しいとは思わないが、この際、私の安全が第一である。

あとは、どうやって現状を打開するかだが……。

この反乱には奇妙な点があった。それは、

「城内で虐殺などが 起こっていない(・・・・・・・) のは、不幸中の幸いというべきであろう。いまは黒山賊を刺激せず、様子を見ようではないか。じきに官軍がくる」

私の提案は、誰にも過度な負担がかからない、うけいれやすいものだったと思う。

「そ、そうですね。まったく、そのとおりです」

県吏はコクコクうなずいた。

そう、いまのところ虐殺はおろか、略奪や窃盗の報告例すら数件にとどまっている。

ありがたいことだが、これはおかしい。

そもそも、食い詰めた民衆が徒党を組んで賊になるのは、略奪をするためだ。

お行儀のいい賊なんて、本来ありえない。

略奪を目的としない、ある意味秩序だったといえる反乱もあるにはある。反乱の指導者が為政者としての自覚・識見・立場をもちあわせていた場合、民衆は略奪の対象ではなくなり、ときに保護の対象にすらなりうるだろう。

けれど、張白騎は賊の頭目にすぎない。

元の名は 張晟(チョウセイ) というそうだが、彼が為政者側にいたとは聞いたことがない。

では、なぜ、黒山賊はおとなしくしているのだろう?

私はさりげなく、主屋の入口にたたずんでいる黒山賊三人組を観察した。

視線が合うと、気まずそうに目をそらしたり、ぎこちなく愛想笑いを浮かべたり、ぺこりと会釈したりと、彼らの反応はバラバラだった。

なんともしまらない。

城を攻め落とした手際が見事だったから、余計にそう感じてしまう。

なんだかこの反乱、全体的にちぐはぐだった。

そこに打開策を見いだせるかもしれない。

……見いだせたらいいなあ。

*****

陸渾県令の席に座した張白騎は、部下とともに祝杯をあげていた。

彼が賊の 頭(かしら) になったのは黄巾の乱のころだから、もう二十年にもなる。その長い年月をふりかえっても、これほどまでに華麗な軍事的成功は初めての経験だった。

「張白騎さまについてきてよかった!」

「張白騎さまは天才だ!」

と口々に褒めそやされれば、悪い気になろうはずもない。

張白騎は大きく口をあけて笑った。

「そうだろう、そうだろう。各地で反乱が起きているらしいが、こんなあざやかに城を攻め落としたのは、俺たちだけだろうぜェ」

城壁に不備があろうと、陸渾は山に囲まれた天険の地にある。街道が敷かれた北東と北からならばともかく、それ以外の方角から攻めこむのは不可能に近い。

だが、張白騎は不可能をなしとげた。

自分たちにしか利用できない道を発見したのである。

陸渾は伊水のほとりにあり、張白騎の根城はその上流に流れこむ支流に面していた。伊水をながめていたときに、彼はひらめいたのだ。

船だ。水路を使えば、無防備な陸渾に西からでも攻めこめる。

いにしえの名将にも比する名案であるように思われた。とんでもないことを思いついてしまった、と張白騎は心をふるわせた。

このすばらしい作戦は、なんとしても成功させねばならない。

張白騎は、陸渾内部に協力者をもとめた。さいわい、陸渾は流民を多くうけいれており、元黒山賊の仲間も少なからず暮らしていた。

張白騎一党は、ともに泥水をすすり、悪事に手を染めて生きてきた。山野の夜に肩を組み、罪の意識を忘れるように、歌って騒いで、ともに生きてきたのだ。外から見れば賊でしかないが、賊にも賊なりの固い絆があった。

とはいえ、せっかく得た安住の地を襲撃しようというのだから、誰もが加担するわけではなかろう。

計画がばれては元も子もない。

張白騎たちは、見込みがありそうな者を選んで、話をもちかけた。

乗り気でない者には陸渾攻略はあきらめたと話しながらも、着実に味方を増やしていく。結局、元黒山賊のうち二割弱しか助力は得られなかったが、いたしかたない。

手練れの精鋭とともに宿に泊まった張白騎は、城内で暮らす協力者たちと合流して、夜半すぎに行動を開始した。

県令の身柄をおさえ、武器庫をおさえるまで、あっという間だった。同時に、船から上陸していた別働隊が城内に侵入し、人数においても陸渾の守備兵を圧倒したのだった。

まさに 雷霆(らいてい) のごとき軍事行動である。

張白騎は完璧な勝利に酔いしれた。

また陸渾はうわさにたがわず、豊かな地だった。豊富な食材と洗練された調理技法、趣向をこらした 饗膳(きょうぜん) は、彼の舌をよろこばせ、なめらかにさせた。

「へッ、これが俺の実力だァッ! 見たか 張燕(チョウエン) ッ! 見たか曹操ッ!」

張燕という男は、張白騎と同じ黒山賊の頭目、いや、その上に立つ 首魁(しゅかい) である。

巨大な黒山賊の頂点に立つ、といえば聞こえはいいが、そこまで立派なものではなかろう。もともと黒山賊は賊の寄り合い所帯であって、ひとつの組織ではないのだから。

少なくとも張白騎は、張燕の下についたおぼえはなかった。

おとなしく命令に従うつもりならば、黒山賊の本拠地がある河内郡東部から冀州のあたりに、張白騎一党はとどまっていただろう。その気がないから、遠くはなれた弘農郡に移動して、独自に活動をしていたのだ。

だが、張白騎は後悔していた。

彼は本拠地に残るべきであったのかもしれない。

あるいは、張燕の首を狙うべきであったのか。

張燕は、鄴を落とした曹操に、あっさり降伏してしまったのだ。

後悔は 憤(いきどお) りであり、怒りであった。

だからこそ、この勝利は、うっぷんを晴らす会心の勝利であったのだ。

「見たか、臆病者の張燕ッ! 逃げまわってばっかのてめえにゃ、百年かかってもこんな城攻めはできねえだろうがよォ!」

「張燕さまは世渡りがうまい人でしたからねぇ」

との部下の声に、張白騎は鼻息も荒く、

「おォ、曹操に降伏するってェ選択は、まちがっちゃいねえのかもしれねェ。それはわかっちゃァいるんだッ。だがッ、だがなァ――。あんなのが平北将軍だとォッ! ふっざけんなァッッ!」

曹操に降伏した張燕は、将軍位を 賜(たまわ) った。

黒山賊は、張白騎たちは、張燕の出世の踏み台にされたのだ。

それを知った張白騎も、あわてて曹操に打診した。

将軍位をもらえるなら、自分も降伏する、と。

曹操の返答はにべもなかった。

「そんなものはない」

思い出しただけで、張白騎のはらわたは煮えくりかえる。

勝利の酔いはさめ、激情が彼の顔を紅潮せしめた。

「曹操も曹操だッ。バカにしやがってェ、なァにが実力主義だッ! ろくに人を見る目もねェくせにッ!」

張燕とそこまで差をつけられて、我慢できる張白騎ではなかった。

まったく同格とまでは主張しない。

立場にいくばくかの差があるのは認めよう。

黒山賊の頭目で一番手に名があがるのは張燕であり、彼はすでに雑号とはいえ中郎将の官位を得ていた。とはいえ、それも黒山賊の力ありきで得たものではないか。

「ハッ、陸渾が陥落したんだ。いまごろ曹操も後悔してるだろうがなァ。いい気味だぜッ!」

いつか張燕と曹操を見返してやろうと考えていた張白騎にとって、劉備や高幹からの反乱の誘いは渡りに船だった。

もっとも、彼らの掲げる「奸臣曹操を討つ」との大義に、張白騎はさして興味はない。

張白騎の打算は別のところにある。

曹操を倒せるならそれでよし。倒せなくとも、この反乱で己の武名を天下にとどろかせてみせる。そうなれば、曹操とて彼に一目置かざるをえまい。

天下をくつがえそうとしている劉備たちと比べれば、張白騎の狙いはよほど現実的といえる。

そうした意味においても、陸渾攻略は申し分のない戦果であり、快挙であった。

……のだが、陸渾を占領したことによって、張白騎はきわめて特殊な問題を抱えることになった。

「なァ、おめえら。孔明先生を……どうすりゃいいと思う?」

彼は腕を組んで、部下に問いかけた。

部下たちは談笑や食事の手をとめ、それぞれに視線を交わした。

「孔明先生に高く評価してもらえりゃ、張白騎さまの将軍位もより確実になるんじゃないですかね。孔明先生といえば、人物鑑定の大家として有名な人ですぜ」

そう発言した男の顔を、張白騎はあきれたように見やって、

「高く評価だァ? してくれるわけねーだろォが。俺たちゃ、賊なんだぜ」

「そこらへんは、こう、ちょいと刃物をちらつかせて、おどしてみるとか――」

「いやいや、それはまずいと思いますよ。張白騎さま」

と別の男があわてた様子で、

「だって、高潔で知られる、あの孔明先生ですよ。おどされたからって、意見を変えるような御仁ではないでしょう。かえって軽蔑されるだけですって」

孔明は、曹操の 辟召(へきしょう) をも面とむかって拒絶したという。

権力にひざを折らない人物は、暴力にも屈しないであろう。

「ムムム……」

張白騎はうなった。

陸渾攻略によってそれなりの武名を得た、と彼は自負している。

だが、せっかくの武名も、孔明に手ひどい評価をくだされたなら、その瞬間に消えうせてしまうだろう。そうなれば、将軍位も二度と望めなくなる。

張白騎にとって、孔明は 諸刃(もろは) の 剣(つるぎ) であった。

うまく利用できれば立身出世はぐんと近づくが、ひとつまちがえれば、その先には破滅が待っている。細心の注意をはらわなければならなかった。

部下にはできるかぎり孔明の機嫌をそこねないよう命じてあり、陸渾での略奪も禁じてはいるのだが……。張白騎にとって、名士の心情は想像の 埒外(らちがい) にある。

「なんにせよ、孔明先生といえば名士のなかの名士です」

「孔明先生を殺しちまった日にゃ、あっしら天下の大罪人ですぜ」

「絞首刑、斬首刑、 腰斬(ようざん) 刑に、車裂きの刑……」

「どうしやしょう?」

ろくな意見が出てこない。賊徒たちの顔には、一様に当惑が浮かんでいる。それは張白騎も例外ではなかった。

ようするに、彼らは孔明の身柄をもてあましているのだった。