軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二九話 官渡の戦い

あぶみという武力アップアイテムがあったとはいえ、歴史を変えてみせるとは……。

フッ。張遼め、やりおる。

私の「官渡の戦いそっくりそのまま再現計画」には、ズレが生じたかもしれないが、ここはすなおに張遼を称えるべきでしょう。

まあ、張遼が文醜を討ちとって、曹操軍が勢いづくことはあっても、マイナスになることはない。……と思う。あわてない、あわてない。

それから数日のうちに、曹操陣営の武将たちから、ぞくぞくと手紙がとどいた。

どうしてこんなに手紙が送られてくるのか。

同時に送られてきた荀彧の手紙で、疑問は氷解した。

大功をたてた関羽と張遼が私に手紙を送っているのを見て、あやかろうとする動きがあるらしい。

ちょっとした 験担(げんかつ) ぎというか、私の手紙は武運長久のお守りになる、と武官たちのあいだで噂されているそうな。

というわけで、縁起物を製造すべく筆をとる私のもとに、今日も今日とて手紙がとどく。

于禁の手紙を読んでいると、司馬懿が主屋に入ってきた。

「先生、今日はどちらからの手紙でしょうか?」

「うむ。官渡からだ」

現在、曹操軍は官渡城に入って、袁紹軍と対峙している。

籠城中なわけだが、籠城しているといっても、包囲されているわけではない。

許都との道は確保しているので、手紙のやりとりだってできる。

だが、全体を見れば、やはり状況はきびしい。

官渡より北は、袁紹の手に落ちた。南に目をむければ、袁家の本貫地である汝南郡を中心に、各地で反乱が起こっている。袁紹が、「逆賊・曹操を討て!」と 檄文(げきぶん) を飛ばして、決起を呼びかけたのだ。

汝南郡は、許都がある潁川郡のお隣である。つまり、許都のすぐそばで、袁紹と呼応する勢力が蜂起しているのだった。

曹操領は、急速に縮小していた。

では、このまま負けそうなのかというと、それほど悲観的な雰囲気でもない。

官渡と許都には、合計六万近い曹操軍が集結している。袁紹軍ほどではないが、大軍勢である。将兵の士気だって、まだまだ 旺盛(おうせい) なようだ。

武将たちからとどく手紙のおかげで、そうした現地の状況をうかがい知れるようになったのは、私にとってもありがたいことだった。

手紙ひとつにふくまれる情報量は微量でも、数が集まればけっこうなことがわかるもんでして。

しかも、官渡からの手紙は、早ければ一日か二日で陸渾にとどく。リアルタイムとまではいかないけれど、かなり鮮度の高い情報といっていい。

いままで、軍事情報に関しては、司馬家の情報網に依存していたが、今回は私のほうが早かったり、くわしかったりする情報も少なくないのだ。

これからは名士コネクションとはちがう、独自の情報網を構築してみるのもありかもしれません。

そんなことを考えながら、私は司馬懿に戦況を語るのだった。

*****

顔良・文醜をつづけて討ちとられ、袁紹軍は出鼻をくじかれた。しかし、総兵力で圧倒していることに変わりはない。曹操領を袁家の旗で埋めながら、じりじりと、着実に前進していた。

ところが、その進軍はピタリととまった。

曹操が築きあげた官渡城が立ちはだかったのである。

堅牢な城壁の周囲では、連日、矢と石と怒号がとびかい、袁紹軍の兵士たちが 屍(しかばね) となっておりかさなっていった。

このまま力押しをしていては、被害は甚大になろう。袁紹は策を講じた。

早朝、官渡城の目と鼻の先に、数十基のやぐらがこつぜんと姿をあらわした。夜の闇にまぎれて、組みたてていたのである。

城壁よりも高く組まれたやぐらから、袁紹軍の弓兵が城内めがけて、雨あられと矢を射かけた。城壁の上の曹操軍は、あわてふためき応射するが、やぐらの上にいる弓兵まではとどかない。

袁紹軍が優勢になるかと見えた、そのときである。

人の頭よりも大きな石が、城内から飛来した。

上空に放物線をえがく投石は、発石車による射出であった。

石がやぐらの柱に命中すると、弓兵の悲鳴をのみこみ、落雷のような轟音をたてて、やぐらが崩れ落ちていった。

雲ひとつない青空を石が舞い、やぐらはつぎつぎと破砕されていく。最後の一基を破壊するまで、投石は間断なくつづいた。狙いをはずした石が、地上で逃げまどう袁紹軍の兵士を、ときに押しつぶしながら。

攻城の指揮をとっていたのは郭図である。彼は険しい顔をして、その場に立ちつくすことしかできなかった。

やぐらによる攻勢は発石車からの反撃を誘い、つかの間の優勢とひきかえに、数百から千にものぼろうという死傷者をもたらしたのであった。

「捕虜が話した。曹操軍の発石車は新型だそうだ」

城壁をにらみつける郭図の背に、声がかかった。

近寄ってきたのは、別作戦の指揮をとっている沮授であった。

「曹操は昨年から、この地に城を築いて防備をかためていたそうだ。この調子では、投石用の石もたんまり貯蔵しているだろうよ」

「……矢や油は、いうまでもありませんな」

と郭図は、眉間を親指でぐっとおさえた。

じつにいやな場所に、いやらしい城を築いたものだ。官渡は湿地帯に面しており、城のまわりには 濠(ほり) がめぐらされていた。この状況で使用できる攻城兵器はかぎられる。その攻城兵器に対しても、曹操軍の備えは万全のようである。

「さしずめ難攻不落の官渡 城砦(じょうさい) 、といったところか。白馬城のようなやわらかい城とはちがう。そうは思わぬか、郭図どの」

沮授は唇の端を皮肉げにつりあげ、あてこすった。その白馬城を二か月かけて、郭図は落とせなかったのだ。

「城攻めは下策といいますからな。それがしのほうが手詰まりとなると、沮授どのがうけもつ作業に期待したいところですが……。そちらの進捗はどうなっておりますかな?」

いやみを意に介さず、表情を変えずに郭図は訊いた。その反応がおもしろくなかったのか、沮授は鼻白んだような目つきをした。

「……作業そのものは順調だ。どちらに賭けるかと問われれば、失敗するほうに賭けるがな」

沮授が担当しているのは、地下道を掘って城内に侵入するという作戦である。

これは公孫瓚が籠城した要害・ 易京(エキケイ) 城を落とした、袁紹軍お得意の作戦なのだが、指揮を任される前から一貫して、沮授は懐疑的なようだった。

やぐらの崩落に意気消沈する兵士たちのなかを、一騎の伝令が駆けよってきた。

伝令は、馬からとびおりるほんの一瞬、けげんな顔を見せた。

冀州閥をまとめる沮授と、よそ者をまとめる郭図。

対立しているはずの人物が並んでいるのを、不思議に思ったのだろう。

その対立は、立ち位置のちがいから生じる対立であって、戦地での行動までしばるようなものではない。そう思うのは、郭図の勝手でしかなかった。いままでのおこないを振り返れば、伝令の反応はもっともである。

自分は、よほど 頑(かたく) なな人物に見えるにちがいない。郭図は苦笑が浮かびそうになる口元を、いかめしくひきしめた。

「郭図さま。袁紹さまが本営にお呼びです」

郭図が了解すると、伝令は勢いをつけて馬にとびのり、本陣にもどっていく。

そのうしろ姿を見て、沮授が思い出したようにいう。

「曹操軍の将校と曹操直轄の騎兵部隊が、足をかける馬具を使っていただろう。あの『あぶみ』という馬具は、 陸渾(リクコン) の胡昭が発明したものだそうだ」

「孔明どのが……」

郭図は、のどの奥でうなった。

曹操軍の騎兵は強い。

袁家の二枚看板、顔良と文醜が討たれたのは、まぐれではなかった。

先日、袁紹は曹操軍の 輜重隊(しちょうたい) を狙った。

許都から官渡への補給路を遮断して、官渡城を孤立させようとしたのだ。

敵地深くに侵入しての任務であるから、機動力にすぐれた軽騎兵の出番である。

しかし、曹操はこの動きを予想していたのだろう。ゆうに万をこえる軍勢が、輜重隊の護衛についていた。

不利を悟った袁紹軍の騎兵部隊は、なんの収穫もないまま、すごすごと北に引き返そうとした。そこにあらわれたのが、官渡から出撃した曹操軍の騎兵部隊であった。

騎兵同士の戦闘がはじまった。

兵科は同じ、兵力もほぼ同数だったこの戦いで、袁紹軍は敗北を喫していた。

任務に失敗したばかりで、士気は低かった。敵地への侵入で疲労もあった。そうした条件を考慮に入れても、手ひどい目にあわされた。

さらに悪いことに、曹操軍の騎兵部隊は、同じように袁紹軍の輜重隊を襲撃して、物資の収奪に成功しているのだ。

官渡を包囲すれば、包囲の外から、許都の兵が攻めよせるだろう。

許都まで攻めこめば、袁紹軍の兵站を、官渡の兵が 脅(おびや) かすだろう。

どちらにしろ、曹操軍は自由に動きまわり、袁紹軍はうしろをとられてしまう。

官渡と許都、片方が攻められたなら、もう片方が動いて、これを助ける。

兵力で劣る曹操軍が、この 掎角(きかく) の 勢(せい) をなりたたせているのは、騎兵部隊の充実ぶりに要因がある。こと騎兵に限定すれば、曹操軍の戦力は、袁紹軍を上まわっていた。

「われわれは白馬義従を 擁(よう) する公孫瓚と戦ってきた。騎馬民族である 烏丸(ウガン) を味方にしてきた。精強な騎馬軍団は、見慣れたつもりだったのだがな……」

沮授がいまいましげに舌打ちし、郭図は無言でうなずいた。

曹操に仕えてこそいないものの、孔明の発明はまちがいなく、戦局に大きな影響をあたえていた。

旅立つ孔明を見送るとき、たしかに郭図はいったのだ。

孔明が袁紹に仕えれば、天下はとったも同然である、と。

その言葉は正しかった。

現状があまりに不本意すぎて、人物鑑定眼を誇るわけにはいかないが……。

あのとき、孔明が冀州を脱出して故郷にむかい、荀彧と郭嘉があとを追いかけた。

あの三人が袁紹に仕えていたならば、曹操に苦戦することなどなかったであろう。

……いまさら考えても、 詮(せん) ないことであった。

未練と雑念を振りはらうように頭を振ると、郭図は馬にまたがり、大きくあくびをした。急に眠気がおそってきたのである。むりもない。夜を徹して、指揮していたのだから。だが、ひと眠りする前に、おそらくは作戦の失敗を知って苛立っているであろう袁紹から、叱責をもらわねばなるまい。

郭図は小さなあくびにため息をひそめると、主君の待つ本営へと馬を走らせた。

数日後、沮授が陣頭指揮をとった作戦も失敗に終わった。地下を掘りすすめ、ようやく城内に達しようかというときに、水が流れこんできたのであった。どうやら城の外だけでなく、内部にまで濠が掘られているようだった。

官渡城を攻略する糸口は見えないまま、時は過ぎ、季節はうつっていった。