作品タイトル不明
第一八三話 門出
年末年始の大騒ぎ、諸行無常のひびきあり。
今年も十二月になった。大宴会シーズンの到来間近である。
鶏舎(けいしゃ) から出て、中庭をうろついている鶏の群れを眺めながら思う。
このなかに食肉とならずに宴会を生きのびることができる鶏は、はたして何羽くらいいるのだろうか。
暇を持てあましている知識人なら、これが人間の業の深さか、などと思索にふけっていられるのかもしれないが、私にそんな時間はなかった。
私には責任がある。
盛大な宴会を 催(もよお) すという責任が!
この大宴会に参加するのは、今年弟子になった 姜維(きょうい) にとってははじめての、去年弟子になった 馬鈞(ばきん) にとっては二度目の経験となる。
そして、 鄧艾(とうがい) と 石苞(せきほう) にとっては、おそらく最後となるだろう。
そう、年をあければ、鄧艾と石苞は二十歳になる。
新年早々というわけでもないが、しばらくすれば 陸渾(りくこん) をはなれ、出仕する予定である。
彼らを送りだすことに関しては、なんの不安もない。
名家の子弟にも負けないだけの教育はしたつもりだし、おえらいさんとのコネもつくった。
残す過程はあとひとつ。
郭嘉(かくか) の遺書の内容を伝えておかなければならない。
そもそも、スローライフ志向だった私が、いろいろ動きまわるはめになったのは、 五胡十六国(ごこじゅうろっこく) 時代を回避するためなわけでして。
鄧艾と石苞にも異民族の脅威を伝え、ゆくゆくは 司馬懿(しばい) とともに、防衛力の強化に取り組んでもらわなければならない。
とはいえ、おいそれと話せることではなかった。
ようは国力と軍事力を優先させようというのだから、力を失った漢朝が滅びるのを前提として話を進めることになる。
最近では、漢朝を見かぎる人も増えてきたと思うが、「先生はいつから漢が滅びると考えておられたのですか?」なんて質問が飛んできたら、どう答えればよいのやら。
私が予想できる範囲内の質問ですら、返答に 窮(きゅう) してしまうのだ。
想定外の質問が飛んでくるかもしれないし、ここは誰かに同席してもらって助力を請いたいところ。
そうなると、頼るべきは、なんといっても我が心の友、 荀彧(じゅんいく) である。
漢の実情に一番くわしい人物だ。
漢が滅びるというセリフに、これほど説得力のある人物はほかにいまい。
質問するなら私ではなく荀彧にしたまえ、荀彧に。
というわけで、年越しにむけて本格的に忙しくなる前に、私は鄧艾と石苞をともない、 許都(きょと) にむかうのであった。
荀彧の屋敷を訪れた私たちは、一室に通され、当主の登場を待っていた。
部屋に染みついているのだろう、かすかに香の匂いがする。
仕事人間の荀彧にとって、香はマナーであり、数少ない趣味でもある。
かくいう私も、高級な香には興味ないが、よもぎ、 朮(おけら) といった安価な香ならよく使用している。虫よけの基本だからね。
「ああ、孔明。よく来たね」
しばらくして荀彧がやってきた。平服を、めずらしくゆるめに着ている。
リラックスしているように見えなくもないが、その割には気だるそうだ。先週の疲れが取れないまま、日曜の夜になってしまったサラリーマンのような雰囲気である。
「どうやら、お疲れのようだが?」
「例の件がらみで、後始末に追われていてね。まあ、ちょうどよかった。君にも 仔細(しさい) を伝えねばならないと思っていたところだ」
右手で首筋を揉みほぐしながら、荀彧は答えた。
例の件とは、流罪となっていたふたりの皇子と許都の反曹操派による反乱のことだ。表立ってはいえないが、私も立案段階で関わっているので、まったくの無関係ではなかった。
とはいえ、実務上はまったく関与していないので、現時点では、私のもとに入ってくる情報はかぎられている。
部外秘の話もあるだろうから、鄧艾と石苞にはここに控えていてもらい、私と荀彧は、荀彧の書堂に移動する。
歩きながら、荀彧は問いかけてくる。
「で、どこまで知っている?」
「北の乱を鎮圧すべく、 曹彰(そうしょう) 軍が鄴を出陣したこと。許都では、 吉本(きつほん) たちが反乱をくわだてたとして処刑されたこと。そんなところだな」
荀彧はうなずいて、
「まず許都の乱について話すとしよう」
書堂に入ると、荀彧は棚から竹簡を二巻、取りだした。
牀(しょう) に腰をおろした私は、それを受けとって、
「これは?」
「許都の乱に関与して、罰せられた者の名簿だ」
荀彧はそう答えて、私のとなりに座った。
「簡数が少ないほうは実行犯として処刑された者の名簿。多いほうは吉本の誘いに途中までは乗ったものの、乱には参加せずに減刑された者の名簿だ」
「ふむ……」
簡数が少ないほうの竹簡を、私はひもといた。
吉本を筆頭に、えーと、十五人くらい? まあ、そんなところである。
とくに親しくしている人物の名もなかったので、私は安堵して、つぎの竹簡をひもといた。
「むっ……、 郭玄信(かくげんしん) が 罷免(ひめん) されているのか……」
三十人から四十人くらいの名簿のなかに、郭玄信の名があった。
悪事に加担しそうな人物には見えなかったが、曹操を悪と見なせば、彼らこそ正義の使徒だったわけで。う~む。
荀彧は嘆息して、
「罷免ですんだと思うしかあるまい。彼はまだ若い。 官途(かんと) に復帰できる目も残されているだろう」
荀彧は直前まで、吉本一派を切り崩そうとしていたのだという。
もちろん、動いていたのは荀彧ひとりではなかった。彼の命を受け、吉本一派の引き抜きを試みる者もいれば、間者として潜りこむ者もいたそうだ。
「とくに 士燮(ししょう) どののはたらきは際立っていた。吉本たちが兵を起こしたその瞬間を取り押さえることができたのも、彼らの動きを士燮どのが 逐一(ちくいち) 報せてくれたおかげだ。彼らが実行に移す前に取り押さえることになっていたら、そこに名が載っている者も、全員処刑しなければならなかった」
荀彧は視線で私の手元を指し示した。私が持っているのは、郭玄信たちの名が載っている大きいほうの竹簡である。
ふむ……、士燮は郭玄信の命の恩人といえるのかもしれない。
士燮といえば、前世では交州を長く統治していた人物である。その交州は、劉備軍によって奪われてしまっているから、歴史の変化によって割を食った人物ともいえる。
荀彧はつづけて、
「功労者というのなら、 黄忠(こうちゅう) どのの名も挙げておかねばなるまい」
「ほう!」
私がよろこぶのも当然で、なにを隠そう、黄忠を許都へ呼び寄せるよう、荀彧に推薦したのは私である!
「ふふふ。君の推薦があったと伝えたら、黄忠どのもよろこんでいた。まだ直接の面識はないのだろう? あとで会っていくといい」
会いますとも!
黄忠といえば、三国志ファンおなじみ、 蜀(しょく) の五虎将のひとりである。その最大の戦功は、なんといっても 漢中(かんちゅう) 争奪戦、 定軍山(ていぐんざん) の戦いで 夏侯淵(かこうえん) を討ち取ったことである。
ただし、黄忠が現在所属しているのは曹操軍である。
つまり、夏侯淵に生存フラグが立っている可能性もなきにしもあらず?
ともあれ、黄忠とは会っておいて損はない。
鄧艾や石苞がお世話になるかもしれないし。
荀彧は表情をひきしめると、
「さて、話を進めよう。北の乱についてだ。すでに乱はおさまっている。曹彰さまはすみやかに皇子の軍と 烏丸(うがん) 軍を撃破なさった」
「おお、たいしたものだ。で、皇子たちはどうなったのだ?」
「……戦死あそばされた。 金旋(きんせん) 、 金禕(きんい) 、 吉邈(きつばく) といった者たちも、ことごとく討ち死にした」
「こちらの思惑どおりに踊ってしまったか」
「うむ……」
策が成功したというのに、荀彧は浮かぬ顔をしている。
辺境に追放した皇子たちの監視をゆるめ、烏丸と連絡を取りあえるようにはからう。曹操がわざと隙を見せれば、皇子たちと許都の反曹操派は、これが漢朝再興の最後の機会と判断し、乱を起こすであろう。そこを一網打尽にしてしまえば、反曹操派は大ダメージを受け、異民族を引き入れた漢朝の権威も失墜する。
荀彧が曹操に献策したとおりになったのだが、じつは、荀彧はみずからの思惑を、包み隠さず曹操に進言したわけではなかった。
「実質的な意思決定権は、金旋たちにあったのだろうが……」
荀彧はため息をついた。
処刑されるはずだった皇子たちを助命し、辺境への流罪にとどめる。彼らの身を守るために、許都の反曹操派は同志を同行させなければならない。ただでさえ人材不足の反曹操派にしてみれば、貴重な人材を辺境に 割(さ) かなければならなくなる。
それだけでも、荀彧はかまわなかったのだ。
曹操の軍師が抱く感情としては褒められたものではないが、皇子たちが反乱を起こそうとせずに辺境で生きのびてくれるのであれば、それでもかまわなかったのである。
結果的に、金旋たちは策に乗せられ、反乱に踏みきった。彼らにもうすこし客観的な判断力があれば、皇子たちは勝ち目のない反乱など起こさずにすんだのであろうが……。
「私は反乱を誘発させた側だ。金旋たちを責める資格などあるはずもないがね」
自嘲の笑みを浮かべながら、荀彧は肩をすくめた。
「おぬしが気に病むことはあるまい。反乱をするもしないも、選択権はむこうにあったのだ。なるようになった。……いや、なるようにしかならなかったのであろうよ」
私はなぐさめの言葉をかけた。
前世の皇子たちはどうなったのだろう?
母の 伏皇后(ふくこうごう) と同時に、やはり殺害されていたのだろうか。
だとすれば、生きのびる選択肢があった分、前世よりは恵まれていたのだ。
その幸運の糸を、皇子たちは自分の手でつかまなければならなかったのである。
彼らには酷な話だったかもしれないが……。
「結局、許都の乱も、北の乱も、こちらの計算どおりになったのであろう?」
そう私は 訊(たず) ねた。
「ひとつ、計算ちがいが生じた」
すっきりしない表情で、荀彧は答えた。
「烏丸・皇子軍を撃破したあと、曹彰さまの軍に、 鮮卑(せんぴ) 軍が接触してきた」
「なに……?」
弱体化した烏丸とちがい、鮮卑は強勢だ。
だから私たちは、皇子たちの同盟相手に烏丸を選んだ。
監視をゆるめていたといっても、鮮卑とは連絡が取れないように、曹操はしていたはずだ。
その監視の目をかいくぐり、金旋たちは鮮卑の協力を取りつけていたのだろうか。
「鮮卑軍が 代郡(だいぐん) にあらわれたのは想定外だった。さいわいなことに戦にはならなかったが、曹彰さまの軍勢が五千であったのに対し、鮮卑軍は二万だったという。戦になれば負けていた」
「戦にならなかった、ということは、鮮卑軍は皇子たちと協調していたのではなかったのか?」
私は疑問をぶつけた。
「これは推測だが、反乱が起こったのを知って、好機と判断したのだろうよ」
「どさくさまぎれの、漁夫の利を狙っての動きか」
「おそらくはね。鮮卑軍を率いていたのは、 軻比能(かひのう) という男だ。君は面識があるのだろう?」
「うむ、旅の途中でな……」
私は旅路を振り返る。
北方の覇者、鮮卑族。
その鮮卑族のなかでも、軻比能の部族はとくに繫栄していた。
「軻比能は、曹彰さまの戦いぶりに感心し、漢朝ではなく、曹操さまに朝貢したいと申し出てきた。結果だけ見れば、なにも問題はないが……」
荀彧は言葉を濁した。
いいたいことはわかる。
まさか、軻比能が本心から従属したがっているはずもない。
だが、彼は曹彰軍を相手に勝てる戦をしようとしなかった。
それが、かえって気味が悪い。
ただ戦をさけたいだけであれば、そもそも二万もの軍勢をさしむけてこないだろう。
なんというか、こちらの戦力や対応を、冷静に観察されているように感じられる。
「 文若(ぶんじゃく) 。私たちからすれば、異民族を警戒するのはいまさらではないか」
「それはそうだ」
荀彧は苦笑した。
「じつは、今日おぬしに会いにきたのも、異民族がらみの話でな」
私は事情を説明する。
鄧艾と石苞に異民族の脅威を、郭嘉の遺書の内容を教えること。
私ひとりで伝えるのも大変なので、荀彧にも同席してほしいこと。
「なるほど。いよいよ鄧艾と石苞にも伝えるときか」
荀彧が快諾してくれたので、私たちは、鄧艾と石苞が待っている部屋に移動する。室内に足を踏み入れ、靴を脱ぎ、私と荀彧は、鄧艾と石苞の対面に座った。
「 士載(しさい) 、 仲容(ちゅうよう) 、おぬしたちに話しておかねばならぬことがある」
私のしかつめらしい表情を見て、弟子たちも心持ち顎を引き、姿勢を正した。
鄧艾と石苞の真剣なまなざしを見つめ返しながら、私は思う。
室内の空気が緊張感で張りつめている。
思っていた以上にピリッとした空気になってしまった。
しかし、私が口をひらかなければ、なにもはじまらないのである。
おのれ。発声練習くらいしとけばよかった。
とりあえず、私はできるだけおごそかな声をつくった。
「漢は滅びる」