軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

31 しあわせは何でできている?(7)

のんびりとアップルジンジャーティーを楽しみ、コップを返したあとは、ぶらぶらとマーケット散策を始めた。

砂糖をトッピングしたり、生地にココアや紅茶を練り込んだりした揚げ菓子――ドーナツ、といったか? それをひとつずつ買って食べ歩きしたり、タレの焦げた香りが食欲をそそる肉汁たっぷりの串焼きを食べたり、動物を模した精巧な飴細工を『食べるのがもったいない』なんて言いつつ、結局頭からガリガリかじったり。

……工芸品や土産物ではなく、ついつい食べ物ばかりに惹かれているあたりが、実に花より団子な俺たちの性分を表しているものだと思うのだが。食べ歩きがマーケットの醍醐味だ、とヴィルが力説していた通り、どこの店の商品も本当に美味い。

マーケット価格なのか、普通に店で買って食べるよりちょっと割高らしいのが玉に瑕といった感じだが……ちょっとくらい別にいいか、とついつい財布のひもが緩んでしまうくらい、マーケットの雰囲気に飲まれている部分はある。

ほかの領地からマーケットを楽しみにわざわざ訪れる観光客がいる、という話にも頷けて、なるほど確かにこの空気感はクセになりそうだ。

「楽しい?」

「ああ。マーケットを祭りと表現するのは、厳密には違うのかもしれないが……こういった祭りに来るのも、自由に見て回れるのも初めてだから。とても楽しい」

わくわくする気持ちをなかなか抑えきれず、きょろきょろとあちこちに視線を向けて、ふと目に留まったのは一件の靴屋。

……そういえば、そろそろ靴を買い換えたいと思っていたんだった。

マーケットの屋台や露店は少し値段を釣り上げているが、普通の店舗ではむしろ少し割り引いて商品を売っていることの方が多いとヴィルも言っていたし、せっかくなら少し覗いてみてたい。

見たいものがあるから寄ってもいいか? と確認の声をかけると、なんとも言えない微妙な表情を浮かべていたヴィルはへらっといつもの笑顔を浮かべて、それじゃあ行こうかと乗ってくれる。

……興味がなければ別行動だっていいのに、こうして当たり前のように隣に並んでくれるのは、何度経っても慣れないしむず痒い気持ちになる。

お互いにこの人込みではぐれたくない、という気持ちはあるので、ヴィルの行動もそれが理由だろうとは思うのだが。だとしても、面倒臭がるでも鬱陶しがるでもなく、同じものを見て、下らないことを話して、楽しむことができるのは――同じ時間を共有して楽しんでくれる誰かがいるのは、ささやかだけど、とても幸せなことだと思う。

「知ってる? いい靴を履くと、その靴がいいところに連れて行ってくれるんだって」

「この国の言い伝えか?」

「ううん。私が昔、どこかで聞いた話」

店に並ぶ靴の中から冒険者向け、と書かれたコーナーに置いてある靴をひとつずつ見比べていると、不意にヴィルがそんなことを言い出した。

この国に伝わる言い伝えなのかと思ったが、本人は否定しているし、外を見て羨ましげに(あるいはどこか恨めしげに)店番をしていた男も不思議そうな顔をしてヴィルを見ているので、どうやら本当にただの 伝聞の話(ジンクス) らしい。

「まあ……まったくもってロマンのない、捻くれた解釈をするとさ。やっぱ、自分にとっての『いい靴』を履くと普通にテンション上がるじゃん? そうすると、どんどんいろんなところに出かけたい気持ちになって来て、積極的に行動に移すようになるから、結果的に『いいところ』に足を運ぶことができるってだけなんだろうけど」

「本当に身も蓋もないな?」

「だから最初に言ったじゃん、ロマンもへったくれもない解釈だって」

やれやれまったく仕方がない、とでも言うように、ヴィルは肩をすくめる。

……しかしまあ、捻くれた解釈などと彼女は言ってはいるが、捻くれているというよりただただ現実的に解釈しただけなんじゃないか?

靴に限らず新しいものを身につけるとテンションが上がるのは、確かに俺にもおぼえがある感情だ。

誰が言ったか知らないが、その気持ちをああも詩的に表現できるとは……どんな風にものを見て、感じて生きてきたら、そんな言い回しができるのだろう。

少なくとも、俺とはきっとかけ離れた生まれと育ちをしてきた人間なんだろうな。

「でもま、願掛けとして信じるぶんには良い言葉だよね」

「そうか?」

「そうだよ。だって『いいところ』に連れて行ってくれるんなら、悪いところ――もっと言うなら、戻りたくない嫌な場所には行かせないでくれるってことの裏返しでしょ」

「……屁理屈じゃないか? それ」

「屁理屈でもなんでもいいよ。信じるだけなら自由だし。それにほら、よく言うでしょ? 信じる者は救われるってさ」

うーん、話してるうちに私も新しい靴が欲しくなってきたかも。でもなぁ、今のブーツも私にとっては大切な『いい靴』だからなぁ……なんて言いながら、ヴィルもふらふらと店内を物色し始めた。どうやら話はこれで終わり、ということらしい。

それから俺は十分ほど悩んで商品を見繕い、値段は少しお高めだが丈夫で履き心地のよい靴を選んで会計に持ち込んだ。

いつもであれば『靴なんて履ければいい』ともっと割安のものを選ぶところなので、完全にマーケットの空気とヴィルの話に感化された結果である。

上手く手のひらで転がされているな、と心の中で苦笑し――いやでも本人にその意図はなさそうだったな? と棚に並ぶブーツを前にうんうん悩むヴィルの姿を見てすぐ思い直した。

彼女はたぶん、あくまでも靴屋に来て思い出したからあの話をしただけで、本当にただの世間話のつもりだったに違いない。

靴を買い替える必要はないと考えているようなのに、それでもああして真剣に悩んでいるのが何よりの証拠だ。

「……? 値札と値段、違わないか?」

「いーんすよ。面白い話を聞かせていただいたんで、そのお礼です」

選んだ靴を会計に持ち込むと、値札よりも安い値段を提示されて首を傾げた。

これがマーケット特価と言うことか? と一瞬考えたものの、どうやらそうではなく、ヴィルの雑談が店番の男にウケたから特別にまけてくれるだけらしい。

話をしたのはヴィル出会って別に俺は関係ないはずだが……まあ、この男が『良い』というなら良いのだろう。安くまけてくれると言うのなら、ありがたく言葉に甘えさせてもらうことにする。

「彼女さん、面白い人っすね」

「……まあ」

「お兄さんたち、きっとマーケット観光で王都に来たクチでしょ? もう少し考えてから決めるって彼女さんはおっしゃってましたけど、ウチに来てくれたら少しまけられるんで。良ければ滞在中、また来てください」

「伝えておくが、期待はするなよ」

「うっす!」

店番の男と話をしながら財布を取り出し、代金分の硬貨を取り出していると、耳元で小さくチャリッと高い音が聞こえた。

財布の中で硬貨がこすれる音にしてはやけに近いし、音も軽いような気がする。

何の音だろう、と考えているうちにまた二度、三度同じ音が聞こえて……左耳の耳たぶがクッと引かれるような感覚が。

「!」

その時ようやく、俺は今日ヴィルに借りたイヤリングをつけていることを思い出し、ハッとして背後に振り返る。

俺が会計をすることを伝えた時、ヴィルはそれなら店の外で待っている、と言っていた。

どうせすぐに会計は終わるからと特に気にすることなく俺も応じたが……今、このカウンターからまっすぐ繋がる店の出入り口付近に彼女の姿は確認できない。

そして、先ほどから耳元でしきりに音を立てているイヤリングの様子からして――

(やられた!)

「? どうしました?」

「急用ができた。会計はこれで済ませておいてくれ」

「えっ」

「靴はあとで取りに来る」

「ちょ、お兄さん!?」

財布を投げつけるようにして店番の男に渡し、急いで靴屋を飛び出す。

――しかし案の定、既に外の雑踏にヴィルの姿はなく。

考えられる最悪の事態が起きたことを理解した俺は、舌打ちを鳴らして奥歯を噛みしめた。