軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ジャネット:音は感情を、詩は記憶を繋ぐ

竪琴(ハープ) の音は、妖精の色。

優美なる楽器を 森精(エルフ) や 海精(マーメイド) が好んで弾き、その透明感溢れる音色は人々を魅了する——という謂れがある。

この細い弦が何故これほど豊かな中音域を膨らませるのか。魔法でなければそれこそ妖精の祝福でもかかっているのか、若しくは人間を魅了して止まない音を究め続けた人間の叡智の結晶なのか——。

(——いい、音色だ)

僕は今、ハープの弦を一つ一つ弾きながら、かつて鳴らした音叉の甲高くも涼やかな音色と相違ない 音程(ピッチ) を確認する。

七弦一セット。六つ置きに赤く塗られた弦が、同音一オクターブ正確に調整されている。黒は四度(一番目から数えて三つ上、四つ目の音)の位置、即ち下属。

かつて読んだ本の知識が正しければ、赤い弦から一つずつ弾き始めれば優しき陽光の長調に、平行調なら二つ下、六度の弦から弾き始めれば暗き森の短調になる。

驚いたのが、このハープの複雑な仕組みだ。

短調は長調に比べ、半音階の扱いが複雑になる。旋律が上昇する時は六度と七度を半音上げ、下降する時は上げない。和音では七度だけ上げる。

その複雑な楽曲の仕組みに、このハープは対応しているのだ。

弦を張った上側にある金属のレバーを操作すると、弦を少し強く引っ張る。それにより、正確に半音階分上がる。

この高精度なレバーが、ハープに張られた二十五弦全てにある姿は、壮観だ。

店で試奏した楽器も安物ではなかったはずだが、これはあの楽器の比ではない。

「……とんでもない高級品、もらっちゃったな」

この楽器がどれ程凄まじい技術と入念な確認調整の果てに店頭に並んだのか、分からないわけがない。

高いのも当然だ、ハモンドの酒場で小さなハープを弾いていた奏者のものより圧倒的に高機能だろう。

全く、こんな僕にシビラさんは期待しすぎだよ。

いきなりこんなもの渡されて、演奏できるようになると思っているのかな。思っているんだろうなあ。

でも、その期待、悪い気はしないね。

「本当に、いい音色だ」

中心の方に触れた方が、丸い音が出る。特に弦の中心丁度を弾いた時の、まるで別の楽器に変わったかのような音は筆舌に尽くしがたい美しさだ。

いつまでも弾いていられる……。

……おっと、シビラさんから任されたことも、ちゃんとこなしていかないとね。

人が増えれば、賑やかになる。

それはハモンドに足を踏み入れた時に覚えた最初の感想。

増して、それが元気な子供ともなると……。

「歓楽街の中心地みたいに賑やかだね……」

僕はその部屋の隅に腰掛けながら、ハープを爪で弾く。

さすがに子供の声には負けるとはいえ、近くにいた子からは十分に聞こえる音量。

まあそもそも、このハープの見た目そのものがかなり目立つのだけどね。

「なにそれ、すごいすごい!」

一人が興味を持てば、日々の変化に乏しい子供達には直ぐに好奇心の火が広がる。

気がつけば、周りには目を輝かせた子供達が僕を囲んでいた。

「前の子は触れないようにね。高価なものだから」

「えーっ、ちょっとぐらいいいじゃん」

一人二人ならいいけど、全員となるときっと取り合いになるだろう。

すぐに飽きる可能性も高いけど、その間に楽器が無事であるかはどうしてもね。

それに……。

「……この楽器は、いただいたものなんだ。僕の判断ミスで壊してしまうと、買ってくれた人が悲しむ」

「誰に買ってもらったの?」

「シビラさんだよ」

子供達は、その名前を出すと互いの顔を見て「そうなんだ」と小さく呟き、一歩引いて座った。

さすがというか何というか、すっかり気に入られているようだね。

シビラさんが落ち込む姿は、子供達にとってもあまりいい気がしないもののようだ。

僕だってそうだ、明るい人が沈んでいるのを見ると、一緒に気分が沈んでしまう。

……つい先日まで幼馴染みを巻き込んで沈んでいた僕が言える立場じゃなかったね。

大人しくなりつつも、しっかり僕に注目している子供達に向けて、軽く覚えている曲を演奏する。

長調の、シンプルな曲だ。伴奏は凝ったものはできないけど、この曲なら左手三音だけで済む。

……実際の曲は吟遊詩人の歌があるのだけれど、男の歌なので音程的に自信がない。

絶対音感は、移調して歌うことが困難なのが欠点だ。

「……〜♪」

そう思っていると、どこからともなく温かなハミングが聞こえてきた。

間違いなく、この曲の歌だ。

驚き手を止め、声のした方を向く。

「……あっ、すみません。驚かせてしまいましたね」

「いえ、お構いなく。マーカスさんはこの歌をご存じなのですね」

僕のハープに歌を重ねたのは、セントゴダート孤児院の神父であるマーカスさんだ。

フレデリカさんの同僚でもある、壮年の男性である。

目つきの鋭い人で、普段から指導には厳しいのか何人か子供達が後ろに移動した。

「ええ。昔行きつけの食堂に、好んで弾き語る男がいましてね。オーツウォールのものだったと思うのですが」

「もしかして、麦の絵が描かれた白いリュートを持った、赤い髪の男ですか? ハモンドの酒場にいましたが」

「なんと、ご存じですか。ええ、ええ。大層な酒飲みでしたから、その人で間違いありません。そうか、彼はハモンドに行ったのか……」

僕にこの曲を覚えさせた人が、マーカスさんに覚えさせた人と同じだった。

面白い繋がりだと思うし、こうして民謡は知らず知らずのうちに口伝されていくのだろう。

「もしよろしければ、歌っても?」

「拙い伴奏で宜しければ」

「こちらこそ、素人の歌声でよろしければ」

マーカスさんはそう返すと、一人分空けて僕の方を見ないように座った。

こういうところの線の引き方は、さすが女神教の神父だなと思う。

弦を弾き、前奏の和音展開を四小節。

最後に弱起のリズムを正確に感じ取り、マーカスさんは朗々と歌い出した。

——オーツウォールは、【戦士】の職業を持った青年がその力で毎日大地を耕し、固い土の大地を一面の農作地に変えた場所だ。

謳(うた) われる伝説は戦士の功績でありつつも、 謡(うた) われる民謡は力強さより優しさを感じさせるもの。

その理由は、この 詩(うた) のもう半分が『大地の女神』と、同時に『太陽の女神』を讃えるものであるからだろう。

植物は、栄養があるだけでは育たない。太陽の光を緑の葉が受け取らなければ、栄養にならない。

大地の女神にとっても、やはり太陽の女神は大きな存在なのだ。

太陽と、大地と、最後に海を含めた三人の女神は、人々を優しく包み込む『恵み』の象徴とされて人気がある。

マーカスさんの詩には、壮年の男性ならではの肉体を楽器として響かせているような豊かさがあり、同時に気持ちが歌に入っているように感じる。

あの吟遊詩人が純粋に楽曲の譜面へ入れ込んでいるとしたら、マーカスさんはその女神を祝福する詩に入れ込んでいるのだろうか。

そんな想像をしてしまうような、内面の現れた歌声だった。

日脚が屋内に伸びる、悠揚な時間。

どんな店でも聴けない、ここだけの特別な演奏会が始まった。