軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

書籍版1巻発売記念SS 『いか焼き以外の好きなもの』

アリア・フランベールはいか焼きを愛している。

お屋敷の料理長に作ってもらったものを常に持ち歩いているし、一日に平均して十本以上のいか焼きを食べている。

「他に好きな食べ物はないの?」

ヴィクトリカの言葉に、アリアは宇宙的真理を垣間見た猫のような顔で中空を見つめた。

そんな可能性を考えたことが一度もなかったのだ。

アリアの内面世界において、いか焼きは絶対的な存在だった。

世界のすべてはいか焼きを中心にできていたし、疑うという発想自体存在しなかった。

未知の可能性に、アリアは脳内の処理能力が追いつかず、思考がオーバーヒートした状態で激しくふるえていた。

「ど、どうしたのアリア」

慌てるヴィクトリカの隣でリオンが言った。

「落ち着け。こういうときはいか焼きを食べさせれば落ち着く」

「いか焼きを?」

困惑した顔をしてから、アリアを見つめる。

「たしかに、アリアなら落ち着きそうな感じもするけど」

リオンがアリアのポケットからいか焼きを取り出そうと近づく。

ヴィクトリカはリオンを待った。

しかし、リオンはポケットまであと少しのところで動かなくなった。

「食べさせないの?」

「待て。少し心の準備が」

「心の準備?」

ヴィクトリカは首をかしげてから。

「なるほど。そういうこと」

口角を上げて言った。

「誰かさんをすごく意識してるリオンくんは、ポケットからいか焼きを取って食べさせるのにも準備がいる、と」

「別に意識なんてしてないが」

「じゃあ、やってみなさいよ」

「…………」

硬直するリオンに勝ち誇ったような笑みを浮かべてから、ヴィクトリカはアリアに歩み寄る。

アリアの服のポケットを探り、いか焼きを小袋から取り出してアリアの口に近づけた。

「ほら、アリア。これを食べるの」

いか焼きの香りに目を見開いたアリアは、ひな鳥のように口を開けた。

口に含んで、小さな歯でもぐもぐと咀嚼する。

魔法式が閃く。

氷文字が浮かぶ。

〖美味しい。これは素晴らしい、いか焼き〗

「ゆっくり味わって食べるのよ。色気づいてる意気地無し王子よりも私の方が信頼できる友達なの」

〖いか焼きを食べさせてくれるということは、間違いなく信頼できる友達〗

目を閉じて氷文字を浮かべるアリア。

「ぐ……おのれヴィクトリカ……!」

リオンは苦々しげに歯噛みする。

ヴィクトリカは満足げに目を細めてから言った。

「落ち着いた?」

〖うん。もう大丈夫〗

「それで、いか焼き以外の食べ物についてなんだけど」

〖いか焼き以外……?〗

アリアは虚を突かれたような顔で静止した。

再び通常通り思考できるアリアに戻すために、ヴィクトリカはまた親鳥のようにいか焼きを食べさせた。

「大丈夫? 嫌なら無理に話さなくてもいいけど」

〖大丈夫。ただ一度も考えたことがない可能性だっただけ〗

「一度も考えたことがないの?」

〖いか焼きは絶対的な存在だから。でも、考えてみると面白い問いかけかもしれない〗

アリアはじっと考える。

〖いか焼き以外にも、美味しい食べ物はたしかにある。甘辛く煮込んだタコのお料理も、バターの香りがする焼き貝も、エイヒレの炙りも美味しい〗

「なかなか渋めなラインナップね」

〖精神年齢が大人だから〗

「大人な料理が好きだからって精神年齢が大人になれるわけじゃないわよ」

〖精神年齢が大人だから〗

アリアは真っ直ぐな目で氷文字を掲げた。

「たしか魚の干物も好きだったよな」

〖好き! 甘塩っぱい風味が至高!〗

目を輝かせるアリア。

リオンは満足げに首を振る。

「やはり、俺の方がアリアを知っているな。重ねた時間が違うというべきか」

「……別に、食べ物の好みくらいこれから知っていけるし」

「ああ、思いだすな。アリアと過ごしたあの昼下がり。本を読みながら並んで食べた干物。どこかの誰かにはこういう思い出がないからなぁ」

勝ち誇った顔で言うリオンにアリアは首をかしげる。

〖そんなことあったっけ?〗

「……覚えてないのか?」

〖あまり〗

「…………そうか」

リオンは切なげな顔をした。

「いいんだ。俺の中にありさえすればいい。移り変わる季節の中で、たしかにあったあのかけがえのない瞬間」

小声で言うリオンの声を、アリアはうまく聞き取ることができずに不思議そうに見ていた。

視界の端でヴィクトリカが顔を俯けたのはそのときだった。

彼女の表情に、アリアはなんだか少しだけいつもと違う何かを感じている。

ほんのわずかな違いを、声が出せないがゆえに磨き上げられた観察眼は捉えていた。

〖どうかした?〗

「私? いえ、何にも」

〖少しだけいつもと違ったように見えたけど〗

「…………こういうときだけ聡いんだから」

深く息を吐いてからヴィクトリカは言う。

「ちょっとだけ寂しくなっちゃったの。私にはそういう思い出がないなって比べちゃって。小さい頃からずっと勉強漬けで、友達を作るのもよくないことだって言われてたから」

〖友達を作るのもダメだったの?〗

「惰弱な子と付き合ってたら、本物にはなれないからってお母様が」

〖なかなか思想が強いお母様だね〗

「貴方には言われたくないと思うわよ」

〖わたしは思想が強いわけじゃない。いか焼きが世界で最も優れた神のごとき食べ物であることは事実だから〗

「私が見てきた人の中で一番思想が強いわ」

やれやれ、と肩をすくめるヴィクトリカ。

アリアは少しの間考えてから、氷文字を浮かべる。

〖ちゃんと言いつけを守ってがんばってきたところ、すごいなって思う〗

言葉を形にするのは少しだけ恥ずかしくて。

だけど、伝えたいことはちゃんと形にしたいと思っている。

〖今までできなかったことを忘れちゃうくらい、これからたくさん思い出を作ろうよ。友達が少ないのはわたしも同じだけど。でも、だからこそ大切にしたいって思うんだ。もしヴィクトリカがしたいことをできなくて、嫌だなって思ったらいつでも言ってね。わたしが力になるから〗

「力になってくれるの?」

〖うん。氷文字をたくさん作って抗議運動する。『ヴィクトリカを解放しろ! 友達と遊ぶ権利と夜更かしする権利と嫌いな野菜を食べない権利を認めろ!』って〗

「なかなかわがままな抗議内容ね」

〖大人からの搾取にわたしたちは抵抗しないといけない。二度寝をする権利とおやつを好きなだけ食べる権利としたくない勉強をしない権利を勝ち取らないと〗

氷文字を掲げて抗議運動するアリアに、ヴィクトリカはくすりと笑う。

笑ってくれたのがうれしくて。

アリアはもっと大きく氷文字を掲げる。

その後で、リオンくんが寂しい気持ちになってたらいけないから、と氷文字を作る。

〖リオンくんも同じだよ。たくさん思い出を作りたいし、いつでも力になる〗

「抗議運動してくれるのか?」

〖任せて。どんなことをしても絶対に、おやつを好きなだけ食べる権利を勝ち取ってみせる〗

「お前が一番欲しい権利だよなそれ」

〖そういうところがあるのはたしかに事実〗

「親に抗議運動してるのか?」

〖してる。お母様もお父様もよく笑ってくれる〗

「権利は勝ち取れそうか?」

〖本当に価値あるものを手にするために時間がかかるのは仕方の無いこと。わたしはわたしの生涯をかけて、この権利を勝ち取るべく活動していこうと思っている〗

「大人になる前に勝ち取れるといいな」

〖力を貸してね〗

前にお父様に会いに来ていた活動家の商人さんの所作を真似して、アリアはリオンの手を握る。

何の前触れもなく行われたその接触に、リオンは石になったかのように硬直した。

『あれ?』と異変に気づいたアリアがつんつんしてもまるで動かない。

不思議そうに見つめるアリアの肩に、ヴィクトリカが手を添えた。

「そっとしておいてあげましょう。温室育ちの王子様には刺激が強かったみたいだから」

「誰が温室育ちだ」

我に返ったリオンが唇を尖らせる。

そのまま言い合いをするリオンとヴィクトリカを見ながら、アリアの胸に去来したのは不思議な感覚だった。

同世代の子と過ごす機会なんて、少し前までほとんどなかったのに。

今は当たり前みたいに一緒にいる。

魔法が好きで、一人でいるのもすごく好きだけど。

でも、誰かと一緒にいるのもこんなに心地良いなんて。

ただ一緒にいるからじゃない。

二人といるから、こんな風に感じるのだと思う。

〖他に好きなもの見つけたよ〗

不意に閃いて、アリアは氷文字を作った。

〖リオンくんとヴィクトリカ〗

二人は口論をやめて、一瞬息を止める。

浮かんだ氷文字を見つめる。

こみ上げる何かを隠すような顔をしてから言った。

「俺は食べ物じゃないからな」

「恥ずかしい言葉禁止」

そっと逸らされた目。

赤く染まった耳。

二人といられるこの時間が、少しでも長く続いてくれたらいいなと願っている。