軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

47 無明の大空洞

『魔法が使えないのにどうやって?』

アリアは氷文字を浮かべようとした。

しかし、何も起きなかった。

魔法が使えなくなっている。

「【 無祈竜(アスフェリオス) 】の力は時間の延長なんだ。魔法の起動を何万倍も遅らせ、現実的に使用不可能にする。だから、その分の時間を加速させれば【 無祈竜(アスフェリオス) 】の能力範囲内でも魔法を使うことができる」

ローレンスさんは静かに言った。

「僕は時間操作の魔法を使うことができるんだ。今は時間を停止させている。僕に触れている人は僕と同じように停止した時間の中で行動することができる」

ローレンスさんの左手がアリアの右肩に添えられている。

「エヴァレット家の子を動かすよ。君は僕の背中に手を添えてて」

ローレンスさんはヴィクトリカとリオンくんを攻撃の当たらない場所まで移動させる。

時間の静止した世界には黒と白以外の色がなかった。

灰色の空。

一切の風も振動も感じない。

そこにはがらんとした廃墟のような静けさがある。

「時間を動かすよ」

言葉と同時に世界が色づく。

止まっていた時間が動きだす。

竜の腕が岩盤を裂く。

攻撃対象が消えたことに驚く竜。

ローレンスさんは黄金の魔法式を起動する。

《時環の法》

破砕した岩盤が元に戻っていく。

初めて出会ったときに見せてくれた魔法。

物体の持つ固有時間を巻き戻すことによる修繕。

竜の身体が修復された岩盤に縫い止められる。

驚く竜の尻尾に、ローレンスさんはそっと手を当てた。

「万象の時。永劫の円環。一は無限であり、無限は一。春に芽吹いて秋に散る。一切は胡蝶の夢。時はすべての者に平等である」

歌うような詠唱。

そこにはどこか切なげな響きが感じられる。

《時葬の法》

艶やかな鱗が急速に色合いを変えていく。

色素が薄くなり、色あせ、干からびたように乾いていく。

竜は抵抗しようとするが岩盤に縫い止められて動けない。

見開かれた目が一切の水分を失い、そのまま静止する。

それで終わりだった。

ローレンスさんが手を離したとき、そこにあったのはかつて竜だったものの痕跡だった。

巨大な体躯は風化し、吹き抜ける風がその表面を薄皮のように剥ぎ取っていく。

「固有時間を加速させる魔法。一秒に満たない間に竜の身体は数十万年の時間を経験した」

一切の魔法を無効化する竜の力が失われる。

アリアの無詠唱魔法が起動して、氷文字が浮かぶ。

〖リオンくんとヴィクトリカを助けてください!〗

「大丈夫。任せて」

黄金の魔法式が起動する。

固有時間を巻き戻すことによる回復魔法。

傷ついた身体が、曲がった腕が元の形に戻っていく。

丁寧で繊細な魔力制御にアリアは目を奪われている。

友達が心配なのは本当で。

だけど、こんな状況なのに美しいなんて思ってしまう自分は少しおかしいのかもしれない。

ローレンスさんがリオンくんとヴィクトリカ、ベルナルドさんを治療する。

「肉体は修復したけど、意識が戻るまで一時間くらいかかると思う。安全なところに寝かせておこう」

〖助手の方は?〗

ローレンスさんは目を伏せた。

「彼の呼吸は既に止まっていた」

〖呼吸が止まっていると治療できないんですか?〗

「死んだ人を蘇らせることはできないんだ。不可逆性の原理を超越した時間操作の魔法でも、その一線だけはどうしても超えられなかった」

〖何か方法はないんですか?〗

「ないんだよ。どれだけ探してもなかったんだ」

ローレンスさんの言葉には、切なげな奥行きがあった。

王国最高の修繕魔法使いが治せないもの。

叶えられない願い。

『欠けているものへの願いを込めるのが、出力の高い魔法を使うコツなんだよ』

初めて会ったときに聞いた、ローレンスさんの言葉が心の中で反響する。

なんとなく、ローレンスさんが時間を操作する魔法が使える理由がわかった気がした。

治療した三人を安全な大空洞の入り口に寝かせる。

「ここなら大丈夫。大空洞の奥から出る魔素濃度の影響で、魔物たちもここまでは入ってこれないから」

ローレンスさんは【無明の大空洞】の構造を、よく知っているように感じられた。

〖ここに来たことあるんですか?〗

一瞬息を止めてから、ローレンスさんは言った。

「うん。何回かね」

大空洞の奥を見つめて続ける。

「先に進もうか」

〖わたしとローレンスさんだけで大丈夫ですか?〗

「この先は魔物もいない。危険なところはないから大丈夫だよ」

ローレンスさんは、アリアに視線を向けずに言った。

生まれつき声が出せなかったことで身につけた、人を観察する癖。

根拠は無いけれど、ローレンスさんは何かを隠しているような気がした。

後ろめたい何かがそこにはあるように感じられた。

(ついていっていいのかな)

疑念が浮かぶ。

今日のローレンスさんは、いつもと何かが違う気がする。

それでも、今まで優しく見守ってくれた魔法の先生を拒絶することがアリアにはできなかった。

一切の光を通さない大空洞。

伸ばした手の先も見えない深い闇の中を進むために、ローレンスさんは小型のランタンを持ってきていた。

慣れた様子で先に進んでいく。

何度か来たことがあると言うのは事実なのだろう。

天井から垂れ下がるつららのような石。

滴る雫と水たまり。

青白い光を放つ鉱石を指さして、ローレンスさんは言った。

「この青白い石には絶対に触れないように」

アリアはじっと石を見つめる。

ゆらめく液体が流れているかのような模様。

ランタンの光を反射して、表面が遠い夜空の星のように明滅する。

アリアはその石の名前を知っていた。

〖これ、追憶石ですよね〗

『大魔導祭』の展示で見た、旧魔王領にあるという不思議な石。

「……知ってたか」

少しの間押し黙ってからローレンスさんは言う。

「触れないように気をつけて。記憶干渉を受ける可能性があるから」

〖そんなに危ないものではないって展示の説明には書いてましたけど〗

「それはあくまで記述した者の経験に基づいて書かれたものだ。危険性は状況によって変化する」

ローレンスさんはアリアに視線を向けずに言った。

何かを隠そうとしているような、そんな感じがした。

(追憶石は近くを通った人の記憶を吸収する。そして、吸収した記憶を触れた人に追体験させる不思議な力がある)

アリアは展示で読んだ追憶石についての記述を頭に浮かべる。

(特に、知っている人の記憶は追体験しやすいって書いてた。過去にここに来たときに吸収された記憶を、わたしに知られたくないってことかな)

推測は、あながち間違ってはいないように感じられた。

やっぱりローレンスさんは何かを隠している。

そんな感じがする。

奥へ進むほど、空気はさらにひんやりとしたものになった。

「ここ、滑らないように気をつけて」

表面が濡れてつるつると滑る石。

足下に気をつけつつ、慎重に一歩ずつ降りていく。

真っ暗な洞窟の先に、ほのかに淡い紫の光が見えた。

闇に慣れた目にもやさしいささやかな光。

そこにあったのは地底湖だった。

湖の中心には、一切の光を通さない黒曜石の建造物が建てられている。

神殿のような石造りの柱。蝋燭台で紫色の炎が燃えている。

中心に置かれた漆黒の玉座。

その玉座に光の杖が突き刺さっていた。

杖には、草冠を模した彫刻があしらわれ、白い宝珠が先端で光を放っている。

他の場所とは違う澄んだ空気。

岩肌に残る戦いの跡。

魔王が封印されている場所であることが感覚的にわかった。

杖の傍らには、黒ずんだ何かが横たわっていた。

古びたぼろ切れのようなそれを見て、少し前を歩くローレンスさんの身体がびくりと跳ねる。

ランタンに照らされた横顔。

目元に刻まれた皺。

筋張った顔の筋肉。

怒っているように見えた。

絶対に許せない何かを見つめているように見えた。

わからなかった。

どうして聖女が魔王を封印した跡をそんな表情で見つめているのだろう。

アリアはローレンスさんを怖いと思った。

頭をよぎるひとつの可能性。

他の三人を眠らせたまま、二人だけでここまで来た。

追憶石に触れないようにという注意。

ローレンスさんが隠している秘密。

もしも、ローレンスさんが悪い人だったら――

湧き上がる疑念。

ローレンスが湖の中心にある玉座に向けて、飛び石の上を進もうとしたそのときだった。

ローレンスの身体に三本の剣が刺さっていた。

細い刃が胸元を貫通している。

ローレンスが崩れ落ちる。

口元から赤い液体が噴き出す。

仕立ての良いローブの襟元が染まる。

ランタンが地面を転がる。

頭が真っ白になった。

アリアは慌てて駆け寄る。

横たわる身体を持ち上げる。

「らしくないですね。隙だらけでしたよ」

そこにいたのは、ベルナルドさんの助手だった男性だった。

(どうして、貴方が……)

言葉を失うアリアに、助手の男性は言う。

「死人でも見たかのような顔ですね。心外だな。たしかに人間なら助からなかったでしょう。しかし、私は貴方たちのような脆弱な生き物ではない」

〖魔人〗

「そういうことです」

助手の男性は言った。