作品タイトル不明
第二十六話 決着の時! ついに心、重なる! ……重なる?
始まりの合図がなんであったのかは、わからない。
けれど、二頭の馬は、ほぼ同時に速度を増した。
荒れた地面を蹴り上げ、泥を散らしながら走る夕兎と荒嵐。
夕兎のお尻にピシパシとムチを入れるルヴィと、両腕をピシパシと手綱に叩かれるミーア。
「いけえええ、夕兎。もっと速く、速く!」
ルヴィの気合の声が空に響けば、
――ひぃいいいいいいっ! おっ、落ちる! 落ちちゃいますわっ!
ミーアの情けない声がミーアの心の中に響く。
ぐらん、ぐらん、揺れる体。足は鐙から外れかけ、本気で落ちそうになったことが幾度もあった。
何度もブレーキをかけようとしたミーアだったが、それでも、速度は決して緩まなかった。
涙目になり、鼻をスンスン鳴らしつつも、ミーアは歯を食いしばる。
懸命に、自らに言い聞かせる。
もしも、ここで速度を緩めてしまったら、どうなるか?
そうしたら、きっと、例の皇女伝に書かれていた未来も、変わらないに違いない。
こんな状況で、なお、逃げ切らんとする意志を持ち続けられたなら、きっと、これから先、どんな状況にあっても、決して逃げることを諦めることはないだろうと……。
――そうですわ……、わたくしは、この戦いに勝って、それで、また一つ成長するんですわ。だから、この速度は決して緩めてはいけな……あっ、やっぱり無理ですわ。止めて、止めてぇ!
……ただ単に「止まれ」の指示に、荒嵐が従ってくれなかっただけだった。
自分を何とか納得させて励まそうとしたミーアだったが、無理だった……。
すでに限界を超えつつあり、目の前が涙でぐんにょり歪んでいた。
ゴールまでは、あと直線の半分を残すのみ。一進一退の攻防は、わずかながら、荒嵐の方がリードしていた。けれど……、
「ああ……もう、本気で無理かも、しれませんわ……うっぷ」
その馬上で、ミーアは小さくつぶやいた。口の中いっぱいに、酸っぱい何かがたまっていて、なんだか、目の前がグルングルン、回っていた。
その弱々しい声に、ピクリ、と荒嵐の耳が動いた。
わずかな一瞬、荒嵐はチラリ、と顔を横に向けた。
それは、まるで「本当に無理なら止まるけど、どうする?」と、ミーアを気遣うために、振り返ったかのようだった。少なくとも、ミーアにはそう見えた。
必死の勝負の最中、乗り手である自分を気遣ってくれる荒嵐。
それなのに、自分が頑張らなくていいのか?
ミーアは、静かに瞳を閉じる。
刹那、まぶたの裏に甦るのは、これまでの荒嵐との日々だ。
幾度も、このコースを共に駆け回り、息が合わずに何度もお尻を打ってしまったこと。
撫でようと思ったらくしゃみを吹っかけられたり、なんだか知らないけど、くしゃみを吹っかけられたり、吹っかけられたり、吹っかけ……。
そんな温かな練習風景が、目の前にありありと甦ってきた。
なんだか、馬鹿にされてるような気がしたことは何度もあったけれど、それでも、きっと荒嵐は気遣ってくれていたのだろう。
なぜなら、今日までミーアが大ケガをしたことはない。本気の荒嵐の前では、何度落ちたとしても不思議はなかったのに……。
――わたくしが気付かなかっただけで、きちんと気にしてくれていたのに違いありませんわ。
そう考えると、今日までの鍛練の日々が、なんだか、すごく楽しい時間に思えてしまって……。
一つ一つの思い出のシーンがキラキラ輝いて見えて……。
…………それは、人が一生を終える寸前に見てしまう例のアレにも似ていたが……、まぁ、それはともかく。
そんな日々の、一つの結実は今日なのだとしたら、ここで立ち止まることなどできるはずもなくって。
だから!
「最後のひと頑張りですわよ! 荒嵐!」
ミーアは、やせ我慢の一言を絞り出す。
「絶対に……、絶対に負けるんじゃ、ありませんわよっ!」
ミーアが声をかけた刹那、どこかで小さな馬のいななきが聞こえた。
それを合図にしたのかどうなのか……、荒嵐はそこからさらに加速する。
――絶対に勝ちますわよ! 荒嵐!
ミーアは、荒嵐と一緒になって走っているような、そんな一体感を覚えていた。
人と馬との心が重なるというのは、こういうことなのか……と感動すら覚えるミーアである。
すぐ後ろ、夕兎の荒々しい吐息を感じる。その足音は決して離れず、ただひたすらについてきていた。
いつもであれば、そのプレッシャーに吐きそうになるであろうミーアであったが、今はまるで不安はない。
「負けませんわよ。荒嵐は、あなたなどには絶対に負けませんわ! そうですわよね? 荒嵐!」
その声に、応えるかのように、再度のいななき!
行ける、行ける、どこまでだって!
荒嵐ならば、地の果てにだって、自分を連れて行ってくれるかもしれない……。そんなことさえ思ってしまって……。でも、
「あっ…………」
そんな楽しい時間は、長くは続かなかった。
ミーアは、唐突に気づいた。
ゴールラインは、すでに、自分たちの後ろに過ぎ去っていることに……。
「あっ……」
次の瞬間、遠のいていた音が一気に戻ってきた。
歓声、歓声、大歓声!
ミーアの勝利を讃える声が、ミーア応援団の面々の声が、ミーアの耳に届いて……。
「……わっ、わたくし、勝ちましたの?」
辺りをきょろきょろと見まわしたミーアは、自分の仲間たちが笑顔で手を振っているのを見つけて……。
「ああ……勝ちましたのね! やりましたわっ!」
思わずといった様子で、ミーアは両手を上げた! そのまま、ブンブンと応援してくれた仲間たちに手を振る。
ブンブン、ブンブンと……。
そして、当然のことながら……その手は、手綱を握ってはいなかった!
「…………あら?」
刹那、奇妙な浮遊感がミーアを襲った。
そう、ミーアは忘れていたのだ。
つい先ほどまで、荒嵐の滅茶苦茶なスピードに慣らされてしまっていたから、ついつい、止まっているんじゃないかしら? などと騙されてしまったのだ。
ゴール直後のミーアも、それはそれは結構な速度で進んでいて……、だから……、
「あら? あら?」
ぐるん、ぐるん、視界が回る。その場で立ち止まる荒嵐の姿がゆっくりと遠のいていって……。
そして……ミーアは……飛んだ!
「…………はぇ?」
ぽかーんと口を開けたまま、すっ飛ばされていくミーア。
その前に風のように駆けつける影があった。
「っと、気をつけろよ、嬢ちゃん」
それは、ゴール付近にて待機していた林馬龍だった。
ぽーんっと綺麗な放物線を描いて飛んできたミーアを、馬龍は乗っていた馬を操って、見事にキャッチ。そのまま小脇に抱えて、コースを軽く流す。
「馬に乗ってる時はよそ見をしたり、手綱を放したらだめだぞ、嬢ちゃん。馬術部では何を教えてるんだ、ってことになっちまうからな」
お説教されたミーアは……、しょんぼり肩を落としてしまう。
「うう、面目次第もございませんわ……」
怒られた子犬のような顔をするミーア。
ちょっぴりしまらないヴィクトリーランを披露してしまうミーアであったが、それでも、健闘を称える声が小さくなることはなかった。
コースを一周した後、大地に降り立ったミーアは……、
「くぅっ……、とっとと、とんだ恥をかいてしまいましたわ」
つぶやきつつも、自らの愛馬の姿を探す。
「それにしても、やっぱり楽しかったですわね。最後の瞬間は、きちんとわたくしの想いをくみ取って加速してくれましたし、こう、荒嵐と心が一つになったような気がいたしましたわ。褒めてあげなければいけませんわね」
そうして、ミーアは荒嵐の姿を探す。と……、
「あら……?」
ゴール付近で、仲睦まじく過ごす三頭の馬の姿が目に入った。
それは、レースを見に来ていた荒嵐のボス、花陽と、その子どもの馬で……。
その二頭に実に馴れ馴れしく、体を摺り寄せる荒嵐の姿があって……。
その姿は、まるで……仲の良い家族のように見えて……。
「おお、荒嵐、息子と奥さんにいいとこ見せられて良かったなぁ」
仲睦まじい三頭の姿を見て、馬龍が言った。
「……はぇ?」
ぽかん、と口を開けるミーア。その目の前で、荒嵐が、ぶふふん、っと上機嫌に尻尾を振っていた。
――あ、ああ、なるほど……。言われてみれば、あの仔馬、荒嵐に似てましたわね。
なんとなく納得してしまうミーアである。が……、
「あら……? そう言えば先ほど荒嵐が加速したのって……、そう言えば花陽たちがいた場所だったような……? それに、あの時、顔を横に向けたのも、もしかして、そちらを見つめていたから……? 最後、頑張ったのは、もしかして奥さんや子どもにいいところを見せたかったからなんじゃ……?」
一瞬、心に思い浮かんだ想像を、ミーアは即座に否定する。
「そっ、そんなわけないですわよね。あれは、わたくしと荒嵐の心が一つになったから。その結果の勝利ですわ。うん……」
これ以上、このことを考えても決して幸せになれないような気がしたミーアは、その想像を丸めて、思考の彼方に放り投げた。
記憶の彼方と同様に、思考の彼方も、とても近くにあるミーアなのであった。
――それにしても、花陽……あなた、将来のわたくしだと思っておりましたけれど、男を見る目はなかったみたいですわね。
ちょっぴり、憐みのこもった目を向けるミーア。それを見て、不思議そうに首を傾げる花陽。そして……。
「あら?」
ミーアは、ふと、首筋に涼しい風を感じる。
それは、以前も感じた感触で……。
「まっ、まさか……」
振り向いたミーアの目の前、鼻をひくひくさせる荒嵐の姿が……。
「ひっ、ひぃいいいいいっ!」
…………まぁ、そんな感じで、速駆け部門の勝者となったミーアなのであった。
よかった……ね?