作品タイトル不明
第3話
獣人の国々を越え、森を抜けて山脈に入ること一週間。世界を隔てる天然の壁を登り切れば、様々な種の亜人が暮らす未知の土地が俺達の視界いっぱいに広がった。
常人よりも優れた視力を持つ俺の目に映るのは、空を飛び交う竜や有翼種族の姿に、人間が住う地では見ることのない木々からなる森や風変わりな色をした湖に、各種属の特性を感じさせる個性豊かな国々。
その中でも一際目を引くのは、シオンが示した巨大な山だ。
遠方まで緩やかに広がる麓。
どっしりした胴回りの中腹。
雲を突き抜けて伸びる頂。
一つ二つ国を挟んでも姿を見ることが出来る、とびきり巨大な山全域、それがアストラ達が住まう『竜の国』である。
山頂にある噴火口は火山熱で温められた湯がたまっており、竜達の憩いの場となっている。黒い岩で覆われた山肌に点々と空いている横穴は竜達の住居だ。家の形式は様々で、複数の穴をつなげて家族全員で暮らしていたり、番と同居したり、一人暮らししたり、竜体で過ごしたり、人型で過ごしたりと、皆、自由気ままに暮らしている。
そんな竜の国は遠くから見ても圧巻の一言であり、思わずと言った様子でグレイ様やジンの口から感嘆の声が漏れた。
「……あれが竜の国か。あそこまで行くと、大きい、という感想しか出てこないな。あのように高い山は初めて見る」
「なんだか眺めていると背筋がゾクゾクしますね!」
人間の国々ではお目にかかれない規模の山に目を丸くするグレイ様はともかく、強者ひしめく気配を感じ取ったのか目を輝かせるジンの反応はいかがなものか。こっそり武者震いするくらいならまだしも、瞳孔が開いていて興奮しているのが丸わかりである。
図太いと言うかなんというか……。
脳筋ここに極まれり、である。強者に対する本能的な恐怖よりも戦闘欲が勝るその姿に呆れつつ、傭兵を見やれば、案の定「えっ、竜と戦いたいのかコイツ。本気で?」と言わんばかりの正気を疑うような目でジンを見ており、思わず俺の口からため息が零れた。
この場にいるのは一応仲間と呼べるシオン達とマジェスタの兵達だからいいが、聖槍の後継者は戦闘狂であるらしいなんて噂が出回ろうものなら、ものすごく外聞が悪いので、他所で脳筋な面を曝け出すのはやめてほしい。
それに、そもそも今はグレイ様の護衛中だ。御身を守る俺達は、一瞬たりともグレイ様を意識の外にやることなど許されない。
――だというのに、こいつはなにしてるんだ。
相変わらずなジンの脳筋具合に、僅かな苛立ちを覚える。この件に関して、ジンに非があるのは明らかだ。故に俺は込み上げた感情の赴くままに浮足立っている愚か者を正気に戻すべく、人目に触れない死角から氷の礫で脇腹を突いて「落ち着け」と視線を送る。
すると、ジンは俺の言いたいことに気が付いたのか、恥ずかし気に目を伏せた。
どうやら、数秒とは言え与えられた任務を忘れて強者との戦いに想いを馳せた自覚があるらしい。なにが悪かったのか即座に思い至れるのならば、初めから気を付けろよ、と思ってしまった俺は悪くないはずだ。
強者の気配を感じて完全に浮足立つなんて……。
まったく。何故こいつは、このような戦闘民族に育ってしまったのか。
嘆かわしく思う一方で、ここまで来るといっそ感心してしまう。雲を突き破るほど巨大な山と漂い始めた竜の魔力を感じ取って不安になったのか、グレイ様の前だというのに騒めいてしまっている兵達に分けてやってほしいくらいの剛胆さだ。
そう、シオンも思ったのだろう。
グレイ様や騒めく兵達の様子を観察していたシオンが、ワクワク感を抑えきれないジンを見て破顔した。
「ハハッ! さすがは若様の好敵手。竜の懐に入るのに余裕だな」
「! いえ、そんなことは! すみませんっ」
完全に面白がっているシオンの様子に、俺やグレイ様から緊張感がないと怒られるとでも思ったのか、ジンがサッと顔色を変える。明らかに、「やってしまった」と顔に書いてあるジンに堪えきれなくなったのか、シオンや他の傭兵からさらなる笑い声が上がった。
お前、そういうところだぞ……。
いちいち動揺を顔に出すなとあれほど言っているのに、なぜ直らないのか。シオン達のように好意的に受け止めてくれればいいが、その脇の甘さに付け入ってくる者もいるのだぞ。
学生時代に比べたら控えめになったものの、目ざとい人間には相変わらず感情が筒抜けになってしまうジンへの小言を心の中でつらつらと考えていると、そんな俺の胸中を感じとったのかシオンが可笑しそうにクッと息を漏らす。
人が苦労しているのを見て笑うとはなにごとか。笑いを噛み殺せてないぞ、と非難の目を送れば「悪い」とでも言うかのようにシオンは軽く手を上げる。次いで、上機嫌な声でジンへと話しかけた。
まったく反省してないじゃないか。あとで覚えていろよ、シオン。
「別に謝るこたぁねぇよ。変に怯えるより頼もしくてずっといい。なぁ? 若様」
まぁ、確かに。シオンの言葉にも一理ある。
傭兵団という外部の目もあるし、竜の国に向かうということを実感して動揺している兵達が背後にいるのだから、彼らを率いる立場にあるジンはこのくらい余裕がある方がいいと言えばいい。
グレイ様から完全に意識を逸らしたことは許しがたいが、共に護衛の任を与えられたとはいえ、普段は騎士団にいるジンと近衛騎士団にいる俺では騎士としての意味合いが若干違う。ジンの脳筋化が進んでいたとしても仕方ないと言えば、仕方ない。これが魔獣の討伐任務であるなら、ジンの態度が正解だしな。
それに、かなり悔しいが。
――強敵を前に怯むどころか闘志を燃やすジンの姿は、何処かお爺様を思い出させる。
聖槍を借り受けるようになってからは、特にそう感じる瞬間が多くなったように思う。
そんなことを考えながら、返事を待っているシオン達に「ああ」と答えて頷けば、ジンがホッと息を吐いた。
目の前の誰かさんのように胸中を顔に出したりはしないが、俺の言葉一つで安堵を露わにするジンに複雑な感情が込み上げてくる。父上から聖槍をお預かりするくらい信を置かれているのだから、どうせならば周りから何を言われても気にしないくらいの心持ちで堂々としていれば、対人系の対処が甘かろうがもっと様になると言うのに、何故ここで俺の顔色を窺ってしまうのか。最近、ジンのこういった姿を見る度にそう、強く思う。
こんな風に反省してほしいと感じる一方で、もったいないなと考えるようになったのは、俺が此奴の実力を認めているからだ。
実際、ここ数年のジンの活躍は凄まじく、魔獣狩りに関しては他と一線を画する働きをみせている。そして、その実力を認められているからこそ、こういった大事な任務では聖槍を預けられ、誰もそのことについて異を唱えない。
俺も、グレイ様もな。
だからたまに見せる隙が許せず、お前ならもっと完璧に熟せるだろと思ってしまうのだ。それが、聖槍を握れなかった俺に対する気遣いから来るものだとわかっていても。
…………いや、違うな。
恐らく俺は、ジンに遠慮されていることが、気に食わないのだ。
聖槍に未練が完全にない、と言えば嘘になる。
しかし、継承者はジンだと心から思っている。
その想いに嘘偽りはなく。
全幅の信頼を置く相棒とまではいかないが、肩を並べて戦える好敵手兼同僚だと思うくらいには、ジンのことを認めている。気恥ずかしいから、口にはしないけどな。
今の俺には【氷刀の勇者】という、【炎槍の勇者】や【雷槍の勇者】に勝るとも劣らない二つ名もある。ジンに気遣われることなど、何一つない。むしろ、俺がいまだ過去に囚われているとでも思っているのか、馬鹿にするなと言ってやりたい気分だ。
まぁ、ジンにそんな気が無いのも、無意識なのもわかってはいるんだけどな。だからこそ俺も引け目を感じているらしい彼奴に対してどう対応するか悩ましく、どこか歪な関係性を解決することなく今日を迎えてしまった。ただ。
――俺は、今の己を恥じる気はない。
それだけは確かだ。誰になんと言われようとも、俺は二度と俯いたりはしない。
だからジンも、いつまでも俺の顔色を窺ってないで、自信を持って「聖槍の後継者は俺だ!」と言ってしまえばいい。そうすれば、互いに色々とスッキリするだろう。
まぁ、悔しいから俺がそんな風に思っていることをわざわざ教えてやる気はないけどな! 俺が握りたくとも叶わなかった聖槍を手にしてるんだから、そのくらいのことは自力で悟り、己が意志と覚悟を以って自ら宣言すべきことである。
ただ、認めているからこそ、歯痒く思うのも事実。
俺への遠慮などさっさと捨ててシャンとしろよ、などと考えながらジンを眺めていると、シオンが「それよりも」と呟いてグレイ様へと目をやった。
「俺は殿下の反応の薄さの方が驚きだぜ。こっち側は人間の国々があるところよりも魔力が濃いし、この辺りまでくると竜の影響か、気配に鈍い連中でも後ろの兵士さん達みたいにソワソワしだすのに、殿下は全然平気そうだもんな」
シオンの台詞に水を向けられたグレイ様は、己に集まる視線もなんのそのといった様子で、余裕たっぷりに笑う。
「かの有名な【古の蛇】の方々に案内してもらっている上に、側には【氷刀の勇者】と【炎槍の勇者】や【雷槍の勇者】に認められ聖槍を借り受けた【槍の勇者の後継者】がおり、連れているのは我が国選りすぐりの兵達。長旅故にアギニス家自慢の治療師と薬師も参加している。そして向かうは、これから友好を深めて行こうとしている竜の国。この状況で、一体何を恐れろと言うのだ」
自信満々に言い切ったグレイ様を囃し立てるような口笛が傭兵団の面々から聞こえてくるが、当の本人はなんのその。「小うるさい貴族達や頭の固い重臣達もおらず、うんざりするような書類の山もないしな」なんて言って、ご機嫌である。
一方の兵達はどんな顔をしているかと言うと、敬愛すべき主君からそんな風に全幅の信頼を置かれてしまっては、竜の気配ごときで動揺してなどいられなかったようで。皆、気合を入れ直してスッと表情を引き締めた。
その様子を眺めていたシオンは思わず、といった様子で感嘆の息を零す。
わかるぞ、その気持ち。グレイ様の人心掌握術はふとした瞬間にすごく自然な形で始まって、ものの見事にやられた側の心を奪っていくから、端から見ている人間は『流石』としか言いようがないんだよな。
ちなみに、今のは俺もかなりグッと来たので、思わず握りこぶしに力を入れてしまった。悔しいことに、かなり嬉しい……。
「……さすが若様の主君というか、なんというか。ここぞという時を外さなねぇな」
「俺がいつまでたっても敵わないと思う方だからな」
グレイ様の言葉で胸を張り、再び一糸乱れぬ歩みへ戻った兵達から視線を外しそう返せば、シオンも「確かにこれならな」と言いたげな表情で深々と頷く。
そうそう、グレイ様は俺が膝をつくほどすごい人なんだよ。前世の記憶があっても、胸張って勝てると言えるのは戦闘力だけだからな。ついでに言うと、グレイ様の情報網は【氷刀の勇者】の名を得て、竜の国やエルフの里に伝手がある俺であっても背筋に冷たいものを感じるくらいには迅速かつ詳細だから、あまり気を抜かない方がいいぞ。
……まぁ、この件に関してわざわざ忠告したりはしないけどな。
グレイ様がシオン達を手玉に取る分には、俺もマジェスタも一向に困らないからな。存分に手の平で転がされて、働くといい。さりげなく、宰相の後釜に座らされようとしているリュートのようにな。
平民から貴族となり、念願だったセレジェイラとの婚姻が実現したこともあってあいつ、グレイ様に頭が上がらないんだよなぁ。お蔭で、この旅の費用を捻出するための資金繰りや各部署への予算調整の報告とか、色々と押し付けられていたからな……。
今頃、城で老獪な臣下達の相手をしているだろうリュートへ、心の中でそっと手を合わせる。
まぁ、グレイ様から与えられた任を上手いことさばき続けられれば、その先にあるのは宰相という確固たる地位である。そこまで辿り着くことが出来れば、待っているのは誰にも文句など言われないセレジェイラ殿とのバラ色の日々だから、挫けず頑張ってくれ。
何年かかるかわからないし、いざとなったら俺もジンも自重しないのでその都度、火消しに駆り出されることになるだろうが、当の本人は敷かれたレールに気が付いてないから大丈夫だろ。あいつは努力家だし、グレイ様や王家の方々、それから四英傑の方々を尊敬しているからな。期待に応えるべく奮闘しているうちに、自ずと宰相の椅子に座っているに違いない。
何も知らずに素直に感心している傭兵の面々や苦労人一直線な同期の今後に思いを馳せている間に、グレイ様やジンへの印象をまとめ終わったのか、シオンが顔を上げる。そして、この話題は終わりだと言うかのように、少しだけ声を大きくして俺達へ今後の予定を告げたのだった。
「まぁ、気持ちに余裕があっても魔力の濃さに体が追い付かないかもしれねぇから、もう少し進んだら今日の行程はお終いだ。あと半刻くらいで野営用に均してある場所に出る」
「そうか」
「着いたら俺達は一先ず食料を取りに行ってくるから、手が空いている人間がいたら何人か貸してくれ」
「わかった。五、六人は貸し出せるようにしよう」
「助かる。食料用の狩りだからできれば、燃やしたり薙ぎ払って一掃系の奴じゃなくて、剣や弓で一撃必殺系のスキル持っていると嬉しい」
「ああ。その辺りも配慮して人選しておこう」
シオンと会話しながら、今までの訓練や手合わせを脳裏に思い描いて条件に合いそうなスキルを持った者を探す。とりあえず、やる気に満ち溢れているジンは張り切りすぎて獲物をあとなく消し飛ばしそうなので、却下だな。
そんな風にグレイ様へ気を配りつつ、野営地での行動について思案していたが故に。俺は迂闊にも、スッと目を細めたシオンの姿を見落としてしまっていたのだった――。