作品タイトル不明
第2話
あれは今から五年ほど前のことである。
当時、ウェルトはまだクレアのお腹の中にいて、間近に迫った生誕の日を皆が首を長くして待っていた。
かくいう俺も、ソワソワしっぱなしで。
気が付くと、生まれてくる我が子のことで頭の中がいっぱいであった。
男の子だろうか、女の子だろうか。
俺とクレア、どちらに似るのだろう。もしかしたらグレイ様や父上や母上、御爺様に似るかもしれない。ああ、でも。きっと、誰に似ていたとしても可愛くてたまらないに違いない。
名前はどうしようか。
誰かに名付け親になってもらうという手もあるが……、初めての子だし、やっぱり自分で考えたい。それに人へ頼むとなったら、誰が名付け親になるかで洒落にならない面子が戦い始めそうだしな。難しくとも、やっぱりクレアと二人で考えよう。この悩ましさは、親の特権だ。
子供が生まれたら、なにをしてあげようか。
沢山遊んであげたいし、屋敷の外に出られるようになったら色々なところに連れて行ってやりたい。マジェスタの王城や町は勿論、深淵の森やエルフの里とかも見せてやりたいな。それに、会わせたい人も沢山いる。その時が来るのが、今から楽しみだ。
とはいえ、まずは元気に成長できるようにサポートしてやらねば。
赤子の世話に必要なものとは、なんだろうか。
掻巻やオムツ用の布は早めに用意しておいた方がいいのでは? オムツやよだれ拭きなどはいくらあっても困らない物だし、赤子の肌を傷つけない上質な布を沢山用意するとなると時間がかかるだろう。ルツェに頼んでおかねば。最近では山脈の向こう側まで仕入れに行っているヘンドラ商会ならば、人間の国々ではまだ出回ってない未知の生地なんかも知っているはずだ。素材の入手が困難だというのならば、シオンを通して【古の蛇】にでも依頼すればいい。
いや、待てよ。
可愛い我が子が使うのだから、父親である俺が用意してやるべきでは?
とまぁ、そんな感じで。我が子の誕生に浮かれるがあまり旅立とうとすることしばし。
同僚や部下の目がある職場ならばまだしも、家では急く心のままに、ついついやらかしてしまう。そうして度々レオ先輩達やリヒターさん達に制止され、それでも聞かぬ場合はマリスまで駆り出される事態になり。
終いにはバラドやメイド達から『細々とした準備は私達がいたしますので、ドイル様はクレア様のお側でお子様のお名前でも熟考なさってください』と言われて部屋に外から鍵をかけられる始末。
舞い上がりきって迷惑をかけたのは確かだが、うちの家人達ひどくないかとクレアに愚痴れば、彼女は『まぁ。それで、さきほどまで外が賑やかだったのですね』と優しく笑うばかりで。俺の話に適当な相槌を打ちながら赤子の靴下や手袋を編むその姿が、幼い俺の頭を撫でてくれた在りし日の母上の表情と重なった。
公爵夫人の名に相応しい貴婦人となったクレアが、今度は母になろうとしている。
そう思わせる情景と彼女が生み出す穏やかな空気に、『はしゃぎすぎたな。俺も父親になるのだから、もっと落ち着かないと』と反省したのは皆には内緒である。
結婚も親になるのも、前世から通算して初めての経験なので、この度の失態はどうか大目にみてほしい。
そうやって、子を授かった幸せと賑やかになるだろう未来への期待、時折胸を過る『ちゃんと親になれるのか』という不安に揺らぎ、その度に己の至らぬ点に気が付き反省する毎日は、目まぐるしくも溢れんばかりの愛しさと幸福で包まれていた。
そして、そんな心温まる日々の中。
マジェスタも大きな転機を迎える。
獣人の国々やフォルトレイスやハンデル、エルフの里、それから竜の国と多くの種族を巻き込み起こった一連の騒動が収束し、迎えた別れの日。
『またな! 我が友よ!』
『ああ! 近いうちにまた会おう!』
レオ先輩達と共にマジェスタへの帰路を歩んでいた俺は、見送りに来てくれたアストラの言葉に大きな声で応え、再会を約束した。
あの日から、かれこれ五年間。
一連の騒動を経て、奇しくも結ばれた竜達との縁は途絶えることなく続いている。
当初は俺とアストラの個人的なものでしなかった異種族交流は少しずつ広がっていき、別の縁とも繋がって、今ではマジェスタの王と竜の国の王が人間と亜人の代表として書面でやり取りするほど太く大きなものに育っていた。
勿論、交流を開始した当初は異種族、それもその中には蟲の王やアラクネのように人間の国々へ多大なる被害をもたらした魔獣や亜人も暮らしている山脈の向こう側と繋がることに反対する声が多かった。
しかし、元々亜人と人間が共存していたフォルトレイスとエルフの里を擁するハンデル王家が公の場で亜人との交流について語り、深淵の森と隣接しており魔獣や魔王の被害を受ける可能性が高いマジェスタが『山脈の向こう側にいる亜人達とは対話可能である』と断言したことで、人々の認識に変化が生じたようでポツポツと異種族への興味を口にする者達が現れる。
それからしばらくして、スムバ殿と【古の蛇】が伝手を使い、亜人達の生活を正しく描かれた書籍を出版。
亜人達が人間とさして変わらぬ生活をしていることが世間一般に知れ渡ることになり、やがて『対面したら戦うしかない魔王のような化け物と違い、獣人や山脈の向こう側に居る亜人とは話し合うことができるのかもしれない』といった意見がちらほら聞こえるようになった。
そんな中、大神殿のとある神官の側には立派な茶色の翼を持つ神殿騎士が控えていると話題になり、各国に激震が走る。
その噂が駆け巡ったのは、あの戦から三年後のことで。シオンから届いた情報によると、俺へ届け物をする旅の途中でレオ先輩達が治療して助けたヴァルクと言う鳥人が、先輩達と一緒に必死になって助けようとしてくれた神官に感謝して、彼を守るべく鳥人の国ラプタの軍人から神殿騎士へと転職したらしい。
本来ならば、魔王の襲来や戦があったわけでもないのに、大神殿が国々へ干渉することはない。というか、今回も実際に大神殿が何か働きかけたわけじゃないからな。大神殿は、異種族交流の是非を各国の要人から問われても『神の思し召しのままに』としか答えなかった。
しかし、大神殿が鳥人を神殿騎士として受け入れたという事実は、人々の価値観を揺さぶるには十分だったようで。神殿のその行動が、異種族交流を進める流れを作る結果になったことは間違いなかった。
まぁ、昔から神殿はどこかで争いが起これば、神官を派遣して国も人間も獣人も関係なく癒してきたので、今更なに言っているのだといった感じなのかもしれない。
セレオス大神官やアーバー上級神官や母上を思い出すかぎり、彼らは皆『この世に生きとし生きるすべての命には、等しく価値がある』という教えを心の底から信じ、疑ったこともなさそうな方々だしな。異種族交流が始まったところで、それほど気に留めることではないのだろう。
これは俺の想像だが、大神殿に住まう方々は『実現したら賑やかになって楽しそう』、『活気がでて神々も喜ばれるだろう』くらいの気持ちで各国の試みを聞いていそうだ。俺がシオンと交わした約束を聞いた母上の感想が、そんな感じだったからな。きっと当たらずとも遠からずだろう。
これ以上は内容が逸れて戻ってこられなくなるので、浮世離れした方々の話は一先ず終えるとして、大事なのは、意図せず大神殿が行った行動が俺達の動きを後押ししてくれた、という点である。
人々の中にある大神殿への信頼感は、それほどまでに大きい。また、年配者や、意外だが要職についている人間は信心深い方が多いので、彼らが率先して異種族交流に関わることはなくても、声高に反対しなくなったのが大きかった。
それだけで、山脈の向こう側との橋渡しが随分と楽なったからな。本当に。具体的に言えば、公的に書簡を送ろうと思ったら十五近い手続きが必要だったのが、書類五枚分に減った。アストラや向こう側に居るムスケ殿達と仕事の話をするのが、すごく楽になってグレイ様と共に感激したのは記憶に新しい。
そして若者は得てして好奇心が強く、新しいものを好む傾向にある。
厳しかった世論が緩んだ瞬間だった。
次いで、さらなる追い風が吹く。
ここが稼ぎ時! とばかりに動き出したヘンドラ商会のヴェルコ&ルツェ親子とハンデルのプラタ王&ピネス前王親子が大変いい仕事をしてくれたおかげで、山脈の向こう側にある便利な道具や未知の素材で作られた様々な商品が、一世を風靡することとなったのだ。
彼らの選定眼と時流を読むセンスは確かなもので、人魚産のどんな水でも秘境で湧き出る清水のように浄水してくれる魔道具とか、アラクネ産のシルクを凌駕する手触りのシーツとか、羊人産の真冬でも一枚着込めば温かい上に恐ろしいほどの防御力を誇るローブとか、エルフ産の天然素材だけで作られた美容液など、彼らが売り出す期を窺い温めていた商品の数々は、みごとに人々の心を鷲掴んだのだ。
ちなみに、競合する商会が少ない今のうちに最大手の座を確立してしまおうと考えたらしく、両親子は滅茶苦茶働いた。
その働きぶりは、ヘンドラ商会の納税予定額を記した書類を渡されたグレイ様が財務部門にいるリュートを呼び出し、本当にこの金額で合っているのか二度も聞き返したのち、ドン引きした顔を隠そうとしないほどに荒稼ぎしていた、とだけ言っておこう。
余談だが、商品の住みわけができるように話し合いも済んでいます、と輝く笑顔で衝撃の事実を告げたルツェが俺にはすっかり遠い人に思えた。だって、それって、山脈の向こう側との交易の利益を、可能な限りハンデル王家の傘下にいる業者とヘンドラ商会で独占して分配するための密約をプラタ王達との間で交わしたってことだろう? あの親子は一体どこに向かって進んでいるのか。すでに小国一つ位なら買い上げられる資産を持ってそうで、怖いんだが……。
まぁ、詐欺などの犯罪行為を行っているわけではなく、真っ当な方法で商売して稼いでいるだけなので、俺が口出すことではないだろう。彼らのお蔭で、獣人や向こう側で暮らす数々の種族の印象が良くなったのは確かだからな。色々知るのが怖いのでルツェやプラタ王達に関しては、この先も放置させていただこうと思う。
とまぁ、そんなこんなで。
山脈の向こう側に対する人々の意識が変わり、異種族との交易を望む声が各国からちらほらと聞こえるようになった。また変化は役人や貴族だけに留まらず、ついに、民間から異種族と会ってみたいという声が上がる時が訪れる。
それは、俺がシオンと未来図を語り、アストラと再会を約束したあの日から、四年近く経った頃のことだった。
この機会を捉え損ねてなるものかと、シオンやアストラやグレイ様と奮闘することおおよそ一年。
晴れて、マジェスタの王太子殿下の竜の国訪問が実現する運びとなったのである。
***
使節団の長であるグレイ様と、俺と同じく護衛の責任者に就いたジン、そしてお供にレオ先輩達を連れてマジェスタを離れてフォルトレイスや獣人の国々を見て回ること、はや一ヶ月。俺やレオ先輩達が五年前に行った功績もあり、多くの国で歓待を受けた使節団の旅路は順調の一言であり、ここまでさしたる問題もなく計画されていた旅の工程を消化してきた。
そして現在、俺達は大陸を隔てる大きな山脈を越えて竜の国へと向かっているところである。
――ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。
グレイ様を守るように俺とジンで両脇を固め、後方からはお供としてアギニス家から連れてきたレオ先輩やリェチ先輩やサナ先輩、それから近衛騎士達が一糸乱れぬ歩みで続く。
竜の国との交流を深めるべくマジェスタを出発した王太子殿下が率いる使節団を案内するは、シオンを筆頭にした【古の蛇】傭兵団の面々だ。
竜の国と人間と獣人の連合軍との戦いの後処理を終えたあと、彼らは異種族の間を取り持つべく人間の国々にあった拠点の一部を竜やドワーフといった亜人達が住まう山脈の向こう側へと移した。
目的は、山脈を挟んだ両側に住まう種族の橋渡しだ。
此度の戦は竜と獣人とエルフと人間、それぞれが互いを知らず、また知ろうとしなかったことも大きな要因であった。故に今後、同様のことが起こらないように種族間の壁を取り払い、交流を促し、各国の情報を交換させようと考えたらしい。
亜人達の土地で暮らしたことがあるムスケ殿とスコラ殿が率いる【古の蛇】傭兵団は、シオンやペイル殿のような人間だけでなく、タボル殿のような竜人や獣人も抱えており、異種族が共に過ごすことに慣れている。その上、ムスケ殿とスコラ殿は山脈の両側で生活した経験があるため双方の状態を大体把握しているし、傭兵団だけあって腕っぷしが強い面々が揃っているため亜人の国を歩いても問題なく対処できる。
そう。
【古の蛇】傭兵団は、異種族間の橋渡しの役目を担うにはもってこいの集団であった。
現在彼らは着々とその活動範囲を広げているらしく、傭兵団の面々も亜人達の暮らしに詳しくなっている。中には、とある種族と恋に落ちてこちら側に所帯を持った人間もいるそうで、その適応力と柔軟さは言わずもがなである。
そのため、此度の竜の国の訪問及び周辺にある亜人の国々への視察へ同行してもらうことになったというわけだ。
山脈間を行き来することで逞しさを増したシオンの背を眺めながら思い出すのは、終戦後の処理もほぼ片付き、竜の国を襲った死病も収束した頃に行われた宴での会話。
大きな竜の口に酒を注いでやる鳥人や貿易交渉する羊のような獣人の王と人間、その傍らでは様々な魔法を駆使した芸を見せ合う精霊とエルフに、華やかなその光景を肴に飲み比べる者達と思い思いに宴を楽しむ皆の顔には、総じて笑みが浮かんでいる。
そんな中、平和を象徴するようなその風景を見つめていたシオンはアイスブルーの瞳を強く煌めかせながら俺に告げた。
『どれほどの時間がかかるかわからねぇけど、こんな宴が世界中で当たり前に見られる世になればいいと思ってる』
静かに、しかし熱い想いを込められたその宣言に俺も負けじと言い返す。
『そうだな。俺もマジェスタがこうなるよう勤しむ所存だ』
『なら、どっちが早いか競争だな』
『ああ。まぁ、負けないがな』
そう言ってニィッと笑ったシオンに、俺も好戦的な笑みで応えたのだった――。
――今回の旅路は、あの日交わした約束を叶えるための大きな一歩となるだろう。
というか、そうであってくれなければ俺もグレイ様も困る。
なにしろ、人間の王族が正式に山脈を越えて各国を訪問するのはグレイ様が初めてなのだ。ここでグレイ様の身に危険が及ぶような事故が発生したり、なんの成果も得られず手ぶらで帰るようなことがあれば、他の人間の国々が二の足を踏んでしまう。
手土産や交通費、護衛への給料といった旅費はかなりの額が必要だし、月単位で時間を確保する必要があるからな。興味本位で実行するには高くつきすぎるし、周囲への影響が大きすぎる。
【古の蛇】やあの戦に関わった竜の国に獣人の国々、エルフの里、フォルトレイス、アグリクルトの大神殿やハンデルの面々の努力と協力の甲斐あって、山脈を越える人間や亜人の数は少しずつ増えているとは言え、まだまだ問題も多い。戦争しないために国同士で密な情報を交換するに至るにはほど遠く、今のところは物好きな者や好奇心の強い種族が旅行感覚で行き交う程度である。
商魂逞しいハンデルの民のお蔭で、プラタ王やヘンドラ商会以外にも、個人的に貿易している者達がポツポツと出てきているそうだが、同盟関係を結ぶといった国単位での交流はいまだ実現していない。
まぁ、人間がこちら側に来るには【古の蛇】傭兵団クラスの腕っぷしが必要なのでグレイ様のように十分な護衛を用意できる地位にいないと難しく、されど高貴な身分の方が赴くには遠い上に未知な部分も多い、危険すぎる土地だ。大きな利が確実に得られる保証でもなければ、人間の国々が腰を上げることはないだろう。
一方の亜人達は種族至上主義なところがあり、他種族に興味を示さない者も多い。また種族によっては他種族に隷属させられていた歴史もあるらしく、外との交流に慎重にならざるをえない者達もいるそうで、仕方がないと言えば仕方ないことだった。
今の状態を簡単にまとめると、どの国も様子見中というのがピッタリである。
――未知なるものを恐れるのは、当然の心理だ。
俺だって終戦処理のため竜人やエルフや獣人と同じ場所で寝泊まりし始めた当初は、彼らの作法が何一つわからず『あれは、何をしているんだ?』と何度も首を傾げたし、どんな行動は良くてなにが駄目なのかわからなかったため兎に角緊張して、食事や風呂をする度に周囲の顔色を窺った覚えがある。
だから誰かが確かめ、大丈夫だと示してやらなければならない。
――俺達は、そのためにここに居る。
山脈の両側を繋ぎ、交流に支障をきたすような問題が起こらないよう調整・監視してくれるのが【古の蛇】傭兵団であるならば、様子見している各国に実際どうなるかを示す役目を担うことになったのが俺達マジェスタと竜の国だ。
故に、今回の竜の国訪問は是が非でも成功させねばならない。
この交流が成功すれば様子見している各国も徐々に動き出し、様々な情報や物資が行き交うようになり、より生活が豊かになって行くことだろう。
――クレアや生まれてくる我が子のためにも、頑張らなくては。
そんなことを考えていると、シオンの声が辺りに響く。
「――見えたぞ、殿下。あの山が竜の国だ」
頭だけ振り返ったシオンが指差す方向を見れば、雲を突き破り天へと伸びる大きな山。
五年ぶりに見る風景に少しばかり懐かしさを覚えて目を細めれば、グレイ様やジンの口から感嘆の声が零れ落ちた。