軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百五話 ナディ・フォン・トレボル

片方は常温のフラスコ。もう一つはコポコポと煮立ったフラスコ。

どちらのフラスコも中身はドイル様からお預かりした虫と魔力も不純物も含まない真水で、一時間浸漬させてある。未加熱と加熱を用意したのは、薬の原料になる物の中には熱に弱い物もあるから。

どちらもいい感じに虫が纏っていた薬が溶媒に溶けだしており、魔力が液中に広がっているのが目視できるので、そろそろ実験を開始してよさそうかな。

「……もういいかな。レオーネ、濾過の準備を」

「できてるよ。ついでに乾燥の準備もしてある」

「ありがとう」

僕が頼むよりも早く答えたレオーネにお礼をいって、作業を続ける。

まず未加熱と加熱それぞれの水溶液を目の粗い網で漉して、虫の本体を取り除く。その後、それぞれの水溶液が混ざらないよう用意しておいた色違いの容器に、必要量の水溶液をわける。

余った水溶液はフラスコに入れたまま、魔力が霧散しないよう封をして保存する。

「それじゃ、未加熱と加熱二つずつ貰っていくね。それぞれ一つは濾過して濾紙に残った成分を調べて、もう一つは乾燥させてできた物の成分を調べとく。ナディは検査薬の方やるんでしょ?」

「うん。ありがとうレオーネ」

「いいよ、私もこの薬も気になるし。何より、これでドイル様がパトロンになってくださるなら、頑張らないとね!」

「うん」

そんな会話を最後に、僕達は互いの作業を開始する。

此処で成果をだせればドイル様がパトロンになってくれるかもしれないとあって、レオーネもやる気だ。僕も負けないように頑張らないと。

楽しそうな雰囲気で作業をするレオーネから視線を外し、僕も気合を入れて自分の実験に入る。

検査薬は二本ずつ用意してあるので、加熱した水溶液と未加熱の水溶液をそれぞれ数滴落とし、撹拌する。しばらく待って反応の有無を確認し、判明した原料を紙に書いていく。その繰り返し。簡単な作業だが、机の上に並べられた検査薬はまだまだある。手早くやらなければ日が暮れてしまう。

……ドイル様が戻ってくる前に、ある程度報告できる形にしておきたいな。

今頃は町の巡回をしているだろう、ドイル様の姿を思い浮べる。寄り道してくると仰っていたので、此処に帰ってくるのは日が暮れてからかな。

そんなことを考えながら、机の上に並べた実験器具に目を向ける。その間も休めることなく手を動かしているが、用意できる限りの検査薬を引っ張り出した所為で先は遠い。

でもここにある分は、ドイル様が戻るまでには終えてみせる。この件で結果をだせれば、僕とレオーネは生涯研究資金に困ることはないからね。

……まぁ、それだけではないけど。

約束された将来を思い浮べれば、確かに気分が高揚する。しかし今僕の胸を占めるのはレオーネが抱いているものとは違う、別の高揚感。

損得抜きにしてもドイル様の役に立ちたいと思った自分に、「ドイル様は人を動かすのがお上手だ」と独りごちる。同時に、僕はこの件を託された時のことを思い出した。

始まりは昼食前。

「ドイル様がお呼びです。少々お時間いただけますか?」というバラドさんの言葉から始まった。丁度、レオーネとは別行動しており、昼食まで暇だった僕は二つ返事で頷いたんだ。

そしてバラドさんに連れられ訪れた、宿舎の一室。人払いがされた静かな一室で僕を待っていたのは、とんでもないものだった。

「これは……」

「他の件を調べていたら王都郊外で発見した。見てわかるだろうが、その虫達は「魔力をおびた何か」をかけられて死んでいる。そのかけられた何かを調べてもらいたい」

落ち着いた声で説明して下さるドイル様の声に耳を傾けるが、その間も僕の視線はドイル様が出したモノに釘づけだ。

ドイル様が広げた袋の中身は、虫の死骸。虫自体はそれほど珍しい物ではなく、この時期になると王都でよく見かける種。魔獣の類ではなく、危険性もない唯の虫だ。

しかし、よく見ると虫達の体は溶けたのか崩れかかっている。その上、微量だが魔力の様なものを感じる。恐らく魔法薬か類似するものがかけられたのだと思う。

……なに、これ。

何かをかけられ異常死した大量の虫達からは、怪しさしか感じない。

こんな怪しいものが王都の郊外に大量にあったという事実にゾッとする。これは虫だからまだいい。でも虫達を死に至らしめた薬が、それ以外の生物に使われたら? 虫と人間は違う。虫に効果があるからといって、人間に対し同様の効果があると考えるのは無理がある。しかし、もしこの虫達が実験の過程の一部だったら?

この薬の最終地点が魔獣ならば問題ない。むしろ素晴らしい研究だ。無力な人でも魔獣に対抗できるように、そういった類の魔法薬は我が家でも研究連でも研究が推奨されている。今は対象が虫であっても、ここまで効果が形になっていれば我が家でも研究連でも開発した製作者は快く迎えられると思う。

なのにそんな報告、僕は聞いてない。こういった類の薬を研究している薬師の噂も、聞いたことがない。レオーネも知らないだろう。知っていたら、きっと僕に教えてくれている。

ならば何故?

何処かに持ち込む為でもなく、国に無許可で、こんな危険な薬を研究する意味は?

この薬の最終地点はいった何処にある?

そんなもの、一つしかない。

瞬く間に広がった思考と思い至った可能性に背筋が凍る。

薬に親しみ深いトレボル家の出身だから、薬師を目指す身だからこそ思う。この薬は危険だ。

薬師というのは駄目だとわかっていても一度立てた理論を、現実にしたくなる人種なのだ。実験を重ねるうちに行き過ぎてしまうことなどよくあるし、治療薬をつくるつもりが効能を求めるあまり猛毒に、なんてこともよくある。またその逆もしかり。

「ドイル様。これは一体いつ回収したものですか?」

「ついさっきだな。存在を確認したのは今朝だが、偶然見つけたものだから何時からそこにあったのかは不明だ」

「そうですか」

ドイル様の言葉を聞き、もう一度机の上に目を向ける。

この虫達に使われた薬は、行き着く先を間違えれば猛毒になる。一刻も早く調べて対抗薬を作り、開発した者を捕えなければ。「たかが虫で」と人はいうかもしれないが、これは虫に使われているうちにこの世から屠らなければならない薬だ。決して完成させてはいけないもの。これを見れば、父上や兄達も僕と同じことを言うだろう。

「調べてもらえるか?」

そう僕に尋ねるドイル様の表情に焦りはない。

恐らく、不審物を見つけたから調べておこうといった感じなのだろう。薬師の性を知らないドイル様には、この薬がいかに危険な物かわからないのだ。

だから悠長に僕なんかに頼んでいる。

……欲をいえば僕が調べたいし、検体を実家に送りたいところだけど。

恐ろしい薬だが、興味深いのは確かだ。危険なものではあるが、方向性を誤らなければ有用な薬が生まれると思う。誤った場合が危険過ぎるので、最後は製法ごと破棄することになるだろうが、こんな事態でなければ心ゆくまで調べたい。

この薬を危険視している僕でもそう思うのだ。薬師なんて碌でもない人種ばかりだ。

湧き上がる欲望に心の中で自嘲しながら、けれど……と思う。僕は跡取りではないので薬師になるつもりだし、研究連を志望しているけど貴族の義務を忘れた訳じゃない。

ならばトレボル子爵家の者として、此処でドイル様に返す言葉は決まっている。

「――ドイル様。これは薬師を志す者からすれば大変興味深く、恐ろしいモノです。ドイル様が見つけ調べようと思ってくださってよかったと、僕は心から思います。人知れず土に還っていたらと考えると、背筋が凍る。これは危険です」

「そう思うのなら調べてくれないか」

「承知しました、とお答えしたいところですが、これは一刻も早く、正確に調べた方がいいと思います。できれば宮廷薬師を頼るべきです。もし何らかの事情があって僕に依頼されているのなら、僕でなくせめてレオパルド先輩に調べてもらってください。調べて対策を練ると同時に、一刻も早く製作者を捕えなければなりません」

僕は率直な意見をドイル様に申し上げる。

お忙しい方だが、これは後回しにされては困る。後回しにするなら我が家に任せてくださいといいたいが、子爵家がやれることなど限られている。薬について調べることは可能だが、それから先は調べるにしても捕まえるにしてもドイル様の方がいい。薬師としての未練はあるが、そんなこと言っている場合ではないと思うくらいの理性はある。

ドイル様は僕等なんかよりもずっと優秀な薬師を部下にお持ちだから。レオパルド先輩達ならば、成分や配分まで短時間で完璧に調べ上げるだろう。

僕の気持ち的にはもっと強くこれは危険な物だと主張したいが、これ以上は避けた方がいい。ドイル様に限ってないとは思うが「子爵風情が生意気な」と、気分を害されては困る。それに僕が危険だと言い募るよりも、信を置く先輩方から忠告を受けた方がドイル様も危機感を持ってくださるだろう。

そう考えた末の陳述であった。

しかしそんな僕の陳述など元から必要なく。ドイル様は僕なんかよりも、ずっと広い視野をお持ちだった。

「……勿論レオ先輩にも頼んであるが、今先輩達がいるのは砦だからな。頼むのも結果がわかるのも時間がかかる。薬以外の線も考えてセルリー様にも送ってあるが、あの方では興味を持ってもらえなかった場合、調べた結果を知るのに相応の対価がいる。宮廷薬師も考えたが、彼等に頼むにはグレイ様を通さねばならん。グレイ様のことだ、こんな怪しい物の話をしたらご自分で調べると仰るだろう。そうなっては困るから、ナディ達に頼んでいるんだ。二人の実家も頼りになるしな。ルツェにもヘンドラ商家が最近売った薬草と売却先を頼んである。照らし合わせれば何かわかるかもしれん。ある程度で構わないから、何が使われているのかを早く知りたいんだ」

……それを先に言って欲しかったです、ドイル様。

ドイル様の言葉に肩の力が抜ける。なんだよもう、と椅子の背に体を預けそうになって、慌てて姿勢を正した。

どうやら、僕の抱いた危機感も不安も焦燥もすべて取り越し苦労だったようだ。

僕が色々考えなくとも、ドイル様はこの異常な死骸を危険視していらっしゃるし、調べる算段もつけている。その上で、時間を無駄にしない為に此処で僕等に調べてくれと仰っていたのだ。

何が「薬師の性を知らないドイル様にはこの薬の危険性がわからない」だ。この人はわからないから焦らないのではない。すでに打てる手は打ち終え、焦る意味がないだけだ。

――次元が違う。

こんな状況でも平時とかわらないドイル様を眺め、心からそう思う。

報告を聞いたのが今朝で、実物を手に入れたのがついさっきだというのに、この人はその間に何手打っているのだろう? 雑務も巡回も手を抜くことなくこなし、ワルドとも何か調べているようなのにこの行動の早さ。グレイ殿下の動きまで考慮するこの人は、何手先まで読んで行動しているのか。

これが王家も認める公爵家継嗣。

僕などとは初めから見えているものが違う。

「頼めるか?」

「――そういうことでしたら、レオーネ達と共に全力を尽くさせていただきます」

「ありがとう。助かる」

ドイル様の言葉に今度は力強く頷き、精一杯の敬意を込めて敬礼する。

よく父上が「この国はいい国だ。上のいうことを聞いておけばまず間違いない。こんな国、滅多にないんだぞ? 普通上にいくほど汚職にまみれた役立たずが増える。お前達は幸せだな」と仰っていたが、そのとおり。

上に立つ人間がこれほどしっかりしているなら、僕等下級貴族は従うだけでいい。ただそれだけで国が回る。案ずることなど何もない。

感動にも近い感情を抱きながら、虫達を包み直すドイル様を眺める。

虫を包み終えたドイル様はそんな俺の視線に気が付いたのか、こちらをみて何か逡巡されると、悪戯な表情を浮かべた。

「――ナディ」

「なんでしょう?」

「今だから言うが、俺は馬術指導を請負った時、レオ先輩に将来有望そうな者を紹介してくれと頼んだんだ。お近づきになろうと思ってな。その結果、紹介されたのがお前とレオーネだ」

「え」

告げられた内容に思わず固まれば、ドイル様は表情を変えず僕の次の反応を待つ。

一方の僕は一瞬意味が解らず硬直するも、徐々に回りだした頭が言葉の意味を噛み砕く。そして、ドイル様が伝えようとした真意に思い至ったところで目を合わせれば、彼の人は笑みを深め僕に告げる。

「レオ先輩が見込んだ腕だ。さっきはある程度でいいといったが、実は期待している。もしかしたら、レオ先輩達に頼んだ分は無駄になるかもしれないってな」

ドイル様はそう僕に告げると「そろそろ時間だ」といって、バラドさんに退出の準備をさせる。

その姿を眺めながら、僕は沸々と腹の底から湧き上がる感情に「反則だ」と心の中で呟いた。

薬学界の麒麟児と名高いレオパルド先輩が、ドイル様の求めを受けて僕達を紹介した。それはレオパルド先輩が僕達を「将来有望だ」と思っているということだ。

その上で、馬術指導に引き続き僕等と行動を共にし、こうやって頼るということは、ドイル様から見ても僕等は求めていた人材として不足ないということ。またそれを直接口にするということは、僕等を取り立てる気がドイル様にあるという意思表示に他ならない。

そう。ドイル様は今、僕に「お前達を部下に取り立てる予定だから、どの程度の実力があるかみせてくれ」と仰っているのだ。

……将来、研究連と宮廷薬師に伝手が欲しいということなんだろうけど。

それでも嬉しい、と思う僕が可笑しい訳ではないだろう。

たった今、次元が違うと思った人からのお誘いだ。

王家さえも一目置く方に、側に来ないかと言われたんだ。

僕だって男だもの。立身出世を夢見る野心くらいある。

ならばこれを喜ばずして、何を喜ぶのか。

公爵家の人間に才を見込まれるなんて、子爵家の三男坊には望外の喜び。

この期待に応えてみせたい、と思って何が悪い。

「任せてください!」

じわじわと湧き上がる高揚感にまかせ叫んだ僕に、ドイル様は満足そうに笑うと「任せた」と告げてバラドさんと退出していった。

……あの言い方は狡いよなぁ。麒麟児と名高いレオパルド先輩を引き合いに出して、あっちが無駄になるかもなんて、薬師としての意識がある人間なら喜ぶよ。

国を脅かす一大事かもしれないのに、ついくだらないことを考えてしまう僕はとても利己的な人間だ。

レオパルド先輩の出す結果が僕やレオーネと大差ないかも、なんて言葉は嘘に決まっている。知識も技術も経験もあっちがずっと上。あれは仕事を頼む相手への飴だ。

しかし嘘とわかっていても、レオパルド先輩を部下に持つドイル様にいわれれば、嬉しい。薬師としての自尊心がくすぐられ、自己顕示欲が満たされる。煽てられているだけだと、先輩が不在故の言葉だとわかりきっているのに、沸々と湧く優越感は何よりも甘美だ。

研究ができれば地位も名誉もいらないなんて言う薬師はいないだろう。いや、口先だけならそういう研究者は研究連に行けば幾らでもいる。しかし皆心の中では認めて欲しいのだ。己が創りだした薬の効果を、その腕を。

でなければもっと人の役に立たない、もしくは個人的な薬ばかり作っている。たんこぶ専用なんていう、極々限られた場面でしか用途のない薬ばかり開発しているテラペイア先輩達のようにね。

誰かに己の腕を認めて欲しいから、多くの薬師達は世の為人の為だと言って万人に喜ばれる薬の開発に心血そそぐ。かくいう僕もその一人。

だからドイル様の言葉一つでこんなにも気分が高揚するのだ。

……これが公爵家……いや、英雄の血か。人の心を掴むのが上手い。

ドイル様が意図してああいったのか、無意識なのかはわからない。いや、どうでもいいんだ。嘘でもなんでも、実際言われた僕はこんなにも気分が高揚しているから。

「ナディ?」

「何?」

「いや、にやけてたから、どうしたのかなって」

「そんなに表情にでてた?」

「うん。気持ち悪いくらい」

ドイル様は的確に人が欲している言葉をくれて、満たしてくれる人だから熱狂的な部下が集まるのかなと思ったところで、レオーネに表情を指摘され頬を抑える。

危ない、危ない。

「で、どうしたの?」

「英雄の人心掌握術について考えてた」

「ふーん。どうでもいいけど、手止まってるよ」

「ごめん」

聞いておきながらあっさり流したレオーネに軽く謝って、作業を再開する。

彼女は癒し系等と男友達の間でいわれているが、中身は中々現実的だ。「収入が不安定な研究連よりも、給料制の宮廷薬師の方がいい」というくらいには。まぁ僕もよく無害そうといわれるが、意外と利己的なのでそんなものかな。薬学科を見ればわかるとおり、薬師を志望するような人間は一癖も二癖もある人間ばっかりだし。

その中でも特に灰汁の強いレオパルド先輩達を抱え込んでいるばかりか、忠誠を誓わせているのだからドイル様はやはり別格だ。

――こうやって、英雄の部下は生まれるのかな。

よく英雄譚などで英雄の元には無二の親友や部下が登場し、共に命がけで戦い、時には身を挺して英雄を守り散りゆくが、こういうことなのかもしれないと不意に思う。

思い出すのは、ドイル様がフェニーチェの卵を持って研究室を去った後のレオパルド先輩達の姿だ。裏切りを見咎められ、叱られ、許され、最後は庇われた先輩達。あの時彼等の目に浮かんだ後悔と決意は、生涯覆らないだろうと僕は思っている。

そしてたった一言で高揚し、役立ちたいとまで考えてしまった僕。

こうやって過去の人々も英雄に魅せられ、喜んで死地へと踏み込んだのではなかろうか。その胸に、高揚感と喜びを抱いて。

……なんてね。

役に立ちたいとは思ったけど、流石にドイル様の為には死ねないなぁと思いながら手を動かす。バラドさん辺りなら真顔で肯定しそうだけど、僕には無理だ。いつかそう思う日がくるかもしれないが、今はそこまで思えない。

でも、せめて期待には応えたい。ここでドイル様を釣れれば、一生好きな研究し放題だしね。

援助が貰えたら、何の研究から始めようかなぁ。

国の安全の為、ドイル様の為、僕の将来の為。

せっせと検査を繰り返しながら、僕は実家に眠る未だ理論でしかない研究達を思い浮べた。