作品タイトル不明
第11話 兄妹の久々の団らん
ライラックの街の中心部にある領主の館の周囲の区画は爵位もちの貴族たちの住居が集まったいわゆる貴族街となっている。
そういった区画にすることで不審者が入ってくればすぐにわかるようになるため警備の手間が省けるし、有事の際にはすぐに連絡がつくように、など様々なことを考慮したうえでの区割りだ。
明確に区画を分けることで、平民と貴族がトラブルを起こすことを極力回避するためという理由も少なくはないが。
そんな貴族街ではあるが中心部にある領主の館に近いほど爵位が高く、その屋敷も広くなっており、外に近づくにしたがって爵位も下がり、その屋敷の広さも小さくなっていく。
つまり貴族街の外周部にあるのは騎士爵の者の館であり、その大きさも一般の家庭よりははるかに大きいものの、大商人のそれに比べれば明らかに劣るものだった。
その外周部の一角、最近整備されたばかりなのか造りは新しくないものの周囲の館に比べて比較的綺麗な館に2人の男女の姿があった。
さして広くない庭で刃の部分がまるで太い棍棒のようになった剣を握り、非常にゆっくりとした動作で訓練をしているのは先日、騎士爵を得たばかりのアレンの弟であるエリックだ。
今は爵位を得た事でエリック・ゼム・ファルクスとなっている。
さして激しい動きではないが、その全身からは汗が滴り落ち、ぺっとりと体にくっついた服がその鍛え上げられた筋肉を強調する。
その様子からして見た目には反して非常にきつい訓練であるのは明らかなのだが、エリックは休むような様子を全く見せなかった。
そのエリックの訓練をときおり眺め、そして優しげに見守っているのはエリックの妻であるジュリアだった。
元男爵家の令嬢であり、優しげな青い瞳にゆるくウェーブのかかったそのダークブロンドの髪、そして膝元に置かれた本のページをめくる白く細い指など、一見すると深窓の令嬢という言葉に相応しい姿をしている。
しかしその実はまだ平民で一介の兵士だったエリックに一目ぼれし、周囲の反対を押し切り貴族籍を捨ててまでエリックへ嫁いだという意志の強い女性であった。
しばらくしてエリックが動きを止め、そしてそれに気づいたジュリアが本を置いてエリックのもとへと近づいていく。
「お疲れ様でした」
「ああ」
天使のような微笑みを浮かべてジュリアが差し出したタオルを、エリックが受け取る。タオルで顔から流れ落ちる汗を軽くぬぐうと、エリックはジュリアに柔らかく微笑み返した。
「ありがとう。さっぱりしたよ。しかしいつも思うんだが、訓練を見ていて楽しいのか?」
「ええ、とっても」
「……それなら良いんだ。でも家も広くなったし、家事も大変だろう。そろそろ使用人を雇った方が良いと思うんだが」
「エリックは私と2人でいるのが嫌?」
そう言って困ったように眉根を寄せて見上げてくるジュリアの姿に、エリックは慌ててぶんぶんと首を横に振る。
「いや、俺は元平民だし、使用人がいるってのもちょっと違和感があるんだが、君に苦労をかけているんじゃないかと心配で」
「あなたのためにすることなら苦労なんて思わないわ。むしろ苦労をかけてしまったのは私だもの」
「苦労なんてかかっていない。君を愛すると決めたのは俺自身だ」
「エリック」
「ジュリア」
甘い雰囲気の中で2人は見つめあい、そしてエリックがその身をかがめて目を閉じたジュリアへとその顔を近づけていく。
そしてあとほんの数センチで唇が重なる、といったところでコンコンという玄関のノッカーの音が聞こえてきた。
思わず渋い顔をして動きを止めたエリックの眼前で、ジュリアがそのまぶたを開いた。
「あらっ、お客様みたい。残念」
ぺろっと舌を出し、無邪気にジュリアが笑う。そしてその顔を少しだけエリックに近づけて唇の距離を0にすると、いたずらっ子のような微笑を残してすぐに玄関に向かって歩いていった。
エリックはしばらくの間、その唇に残る柔らかな感触を覚えたまま動かなかったが、玄関の方から聞こえてきたどこかで聞いたような声に意識を取り戻すと、嫌な予感を覚えつつ着替えるために屋敷の中へと入っていったのだった。
体を清め、そして着替えたエリックがこの館に唯一用意された応接室へと向かうと、そこには予想通りの人物がジュリアと談笑している姿があった。
「あっ、エリ 兄(にい) 、久しぶり。騎士爵得たんだってね、おめでとう」
椅子に座りながら、世間話でもするかのような気楽さでそんなことを言ったのは末の妹であるレベッカだった。
向けられる純真そうなレベッカの笑顔に、内心嫌な予感が増していくのを感じつつ、エリックがその対面に座る。
「レベッカさんからお祝いのワインをいただいたんです。泊まる場所もまだ決まってないとの事でしたから今日は家に泊まっていただこうかと」
「ああ、そうだな」
心のうちで、最初から泊まる気だっただろ、と考えながら視線を送ったエリックだったが、それを受けたレベッカは何も気づいていないかのように首を傾げて返した。
「せっかくの良いワインですし、おもてなしもしたいからちょっと出かけてきますね」
「そこまでお気遣いいただくと恐縮してしまいます」
「いえ、一番大切な人の家族ですから。私にとっても義理の妹になりますし、なにより私がしたいのです」
「ではお言葉に甘えさせていただきます。お礼として後でこっそりエリ兄の昔の話教えますね」
「おい!」
わざと聞こえるようにそう言ったレベッカに向けて、エリックが思わず声をあげる。しかし全く気にしていないレベッカの姿と、そして嬉しそうな表情をしながら部屋を出ていったジュリアの様子にそれが決まりきった未来だと自身で理解してしまっていた。
はぁー、と大きくため息をつくエリックをよそに、しばし耳を済ませてジュリアが外へと出ていく音を拾っていたレベッカだったが、出かけた事を確信して貼り付けていた笑顔を消す。
「エリ兄、座って」
「いや座ってるだろ」
「椅子じゃなくて、床!」
有無を言わせぬその言葉の強さに、エリックが即座に椅子から床へと座りなおす。
本来であれば貴族に対してそんな事を言うなどおかしな事だし、それを聞くエリックもおかしいのだが、長年家族として過ごした習慣はなかなか変えられるものではなかった。
その大きな体を縮こませるように座るエリックをじとっとした視線でレベッカが椅子に座ったまま見下げる。
「ねえ、エリ兄。私との約束覚えてるよね」
「はい」
「私が街を出ていくか迷っていた時、レン兄が幸せになれるように、変なことに巻き込まれないように俺が陰ながら見守るから安心しろって大見得きったのはエリ兄だよね」
「おっしゃるとおりです」
レベッカの言葉に頭を垂れ、ますます体を小さくするエリックに向けて、はぁー、とレベッカが大きくため息を吐く。
「エリ兄が大変だったのは知ってるよ。レン兄からの手紙にも書いてあったし、仕方ない面もあったと思う。話してみてジュリアさんも良い人だってわかったし、あんな人に猛烈にアタックかけられたらエリ兄が落ちちゃうのも当然だと思う」
フォローするかのようなその言葉に、少しだけ救われたような気持ちになったエリックが顔を上げる。
そんなエリックの面前にビシッとレベッカが指を突きつける。
「でも、それとこれとは話が別! せっかくレン兄がギルド職員になったって知ったからお祝いに来たのに、なんで辞めてるの。せっかく私たちから解放されて幸せになる第一歩だったのに……エリ兄のせいで!」
「いや、スタンピードは俺のせいじゃ……」
そこまで言ってエリックは言葉を止めた。レベッカの瞳からぽたぽたと涙が流れ落ちている事に気づいたからだ。
そしてスタンピードがエリックのせいなどではないと聡いレベッカであれば当然わかっているはずなのに、そんないちゃもんのような事をしてきたその心中を察したのだ。
エリックが立ち上がり、そして涙を流し続けるレベッカをぎゅっと抱きしめる。
「なんで、なんでレン兄ばっかり苦労するの? レン兄、十分に頑張ってきたよ。悪い事なんて全然してないよ。なのに、なんで!」
胸の中で嗚咽を漏らすレベッカの頭を撫でながら、エリックは考える。
確かにアレンは人生のほとんどを自分たちのために使い、そしてそれから解放されてやっと手に入れた安定したギルド職員という職も失ってしまった。
もし自分たちがいなければアレンはもっと楽に生活が出来ただろうし、もしエリックが兵士でスタンピードを止めるという任務についていなければ、アレンがギルド職員をやめることもなかっただろう。
そこまで考え、しかし、とエリックは考える。
「なあ、レベッカ。お前のことだから兄貴にはもう会ってきたんだろう?」
「うん」
「不幸せに見えたか?」
「ううん」
自分の問いかけに胸の内でレベッカが首を横に振るのを感じ、エリックが表情を柔らかくする。
「兄貴は最近ちょっと変わったんだ。だからギルド職員をやめたとしても、不幸なんかじゃないんだと思う」
「変わった?」
「ああ。どう変わったかは自分で確かめてみてくれ」
アレンがネラであることを確信しているエリックだったが、そのせいでアレンが変わったという事を口に出す事はなかった。たとえそれが大切な家族であったとしても。
しばらくしてレベッカの体の震えがとまり、エリックの服に顔をくっつけて左右に振ってからレベッカが離れる。
エリックの服で拭われているためその顔に涙は残っていなかったが、その少しだけ赤くなった瞳はしばらく直りそうになかった。
エリックを真剣な表情をしながらそんな瞳で見つめ、そして全く動じていないエリックの姿に、レベッカはふっと力を抜く。
「もし嘘だったらジュリアさんに、エリ兄が昔、お話のお化けがこわくておねしょしたこと話すからね」
「それはやめろ!」
「大丈夫。ジュリアさんならきっとそれでも愛してくれるから」
「そういう問題じゃない」
まるで先ほどまでの深刻な雰囲気が嘘だったかのように、じゃれあう2人のもとへと買い物を終えたジュリアが帰ってくるのは、もうしばらく後のことだった。