作品タイトル不明
第35話 こだわりの先に
「ではお義兄さん。くれぐれもお気をつけて」
「いや、そういう不安になること言うなよ」
この部屋にいたくないのか小声でそんなことを告げ、そそくさと出て行くフルナゼーノの背中にアレンが言葉を返す。明らかに聞こえているはずなのだが、フルナゼーノは一切反応することなくそのまま部屋の外へと出ていった。
そして部屋には黙々と机に向かい、紙にペンを走らせるトラエノールと周囲を見回して困惑した表情を浮かべるアレンが残された。
先ほど舞っていた書きかけの論文が部屋中に散らばる室内ではあるが、それ以外はとりたてて部屋が汚れているといったことはない。フルナゼーノや他の学生たちの反応からもっと壮絶な室内を想像していたアレンからすれば綺麗と言っても過言ではなかった。
その差異に首を傾げつつ、アレンが無造作に足を踏み出し床に落ちた紙を拾い上げようとしたその時だった。
「うわっ、なにしやがる!」
何かが飛んでくる気配に気づき、それをとっさに手で掴んだアレンがトラエノールを睨みながら声を上げる。しかし当のトラエノールは一度だけじろりとアレンへと視線を向けると、すぐに執筆に戻ってしまった。
なにか言ってくるものだと考えていたアレンは拍子抜けしてしまい、トラエノールから視線を外して飛んできた物を確認した。それはなにも書かれていない真っ白な紙だった。
掴んだ瞬間はもっと硬かったんだけどな、と少し疑問に思ったアレンだったが、ほどなくそれは自分が小石を飛ばす時にやっていることと同じだと気づいた。つまり魔力で紙を覆うことで強化しているのだと。
それに気づくと同時に、目の前のトラエノールが普通の先生などではないことをアレンは再認識した。そもそも見た目からして普通とは言いがたいのだが、先生という先入観のせいで正しく判断できていなかったのだ。
その大きな体を丸めて執筆を続けるトラエノールの姿を眺めながらアレンは考える。フルナゼーノを始めとした学生たちがあれほどアレンを歓迎したのは、先ほどのようにトラエノールから攻撃を受けたせいなのだろうと。
アレンは手で掴んだため特に被害はなかったが、気づかずに当たれば青あざができる程度の威力が投げられた紙にはあったのだ。紙を回収する間に何度もそれを受けるなどというのは学生にとっては悪夢としか言いようがない。
(こいつ頭おかしいんじゃあ……いや、研究者は変わった奴が多いからなぁ)
途中まで考え、ジーンやギデオンなどを思い出してアレンはそれを改める。そして2人のことを考えたことでふとある思いが浮かんだ。
ジーンとギデオンが傍目から見ておかしな行動をする時はなにかしら必ず理由があってのことだった。採取する薬草への異常すぎるほど細かい注文だったり、明らかに身分の違うとわかる者と本を取りあったあげく相手を言い負かして泣かせたりと、その人となりについて知らなければ理解できないものではあったが。
そんな姿をそばで見てきたからこそアレンの頭に浮かんだのは……
(これも研究者ゆえのこだわりってやつかね?)
そんなことを考えながらアレンがトラエノールをじっと眺め続ける。視線の先ではアレンを気にする様子もなくトラエノールがペンを走らせ続けていた。紙を投げてくる様子など一切見せない。
そんな姿を見ながらアレンは考える。トラエノールが執筆する時のこだわりは何かと。
(見るのは問題なさそうだな。動いたらどうだ?)
そう考え、アレンは慎重に一歩踏み出した。その足が床についた瞬間、ピクリとトラエノールの耳が少しだけ動く。しかしトラエノールがアレンの方を向くことはなかった。
(音はこだわりの範囲内っぽいな。さっきのは音が原因か)
先ほど紙を投げられた原因を推測したアレンは、音を立てないように慎重に移動し床にばら撒かれた紙を部屋の端から回収していく。トラエノールに紙を投げられることもなく順調に回収は進み、案外楽な仕事になりそうだとアレンが心を緩めたその時だった。
「うわっ、またかよ」
「……」
再び飛んできた紙を余裕で掴んだアレンが、非難するような目で見つめてくるトラエノールの姿を確認する。しかしアレンは先ほどから音は立てていない。つまり今、紙を投げられた原因は音ではなかった。
そのことにすぐに気づいたアレンは原因がなんなのか考え始める。先ほどまでと何が違うのかを頭の中で挙げていたアレンが、未だにトラエノールが自分を見ていることに気づく。
(んっ? あぁ、もしかして視界か)
その予想を確かめるべくアレンがその場から一歩退くと、トラエノールは満足したかのように再び机に向かった。
(うん、やっぱ視界っぽいか。気配って可能性も完全には否定できねえが、視線を向けられることには無頓着だったしな)
そんな予想を立てつつアレンはこれを回避するためにはどうするべきか考え始める。少し頬を緩ませながら。
実のところアレンは少し楽しくなり始めていた。なにか気に食わないなら口で言いやがれ、という気持ちがないわけではない。しかし研究に全てを捧げるかのようなトラエノールの姿は、どこか昔のジーンをアレンに思い起こさせたからだ。
(さて研究を邪魔しない掃除方法を考えねえとな。報酬も出ることだし)
そんなことを思いながら執筆を続けるトラエノールを眺め、ふっ、とアレンは笑みを浮かべたのだった。
その日の夕方、トラエノールの研究室の前でフルナゼーノが心配そうな顔をしながら立っていた。しばらくして音もなくゆっくりとドアが開き始め、そこからアレンが姿を現した。
アレンの無事な姿にパッと顔を明るくし話しかけようとしたフルナゼーノに、アレンは指を一本立てて静かにと無言の内に伝え、そしてゆっくりとドアを閉じてから向き直って笑みを浮かべた。
「よっ、お疲れ」
「お義兄さん。大丈夫でしたか?」
「まあな。ぼちぼちやってるよ」
扉から離れるようにとアレンがフルナゼーノを促し、歩きながら2人が話し始める。フルナゼーノの心配をよそに、アレンは特に疲れた様子もなく平然と答えた。
そして手に持っていた回収した書類をアレンがフルナゼーノへと手渡す。
「とりあえず俺が読んで流れ的におかしくないように直したつもりだが、後で確認してくれ」
「あ、ありがとうございます」
「しかし、これって部屋にずっといるより、あの先生がいない時を見計らって回収した方がいいんじゃねえか?」
感謝を伝えるフルナゼーノにそう提案してみたアレンだったが、フルナゼーノは目を伏せ、首を左右に振った。
「ダメなんです。あまり長い時間放置してしまうとバラバラにされちゃいますから」
「あー、視界的にダメなのかもな」
発言の意味がわからず首を傾げるフルナゼーノにアレンが頬を緩める。今日一日の経験からしておそらく正しいとアレンは思っているが、まだ確証があるわけではなかったのでそれ以上は口にしなかった。
こほん、と咳払いしアレンがその場の空気を変える。
「じゃあ俺はそろそろジーンの夕食の準備してくるわ。そういやあの先生って食事はどうしてんだ?」
「よくわかりません。食事を食べている姿を見たことがないので」
「そっか。なんかろくなもん食べてないような気がするんだよな。ジーンも放っておくとろくに食べねえし。よし、後で差し入れでも持っていくか。迷惑そうなら止めればいいし」
そんなことを言いながら研究所を出て行くアレンと別れの言葉を交わし、フルナゼーノは玄関から研究所の奥へと戻っていった。そして廊下を進んだ最奥、トラエノールの部屋のドアをノックし、特に脅える様子もなく中に入っていく。
そこには相変わらず机に向かって執筆を続けるトラエノールの姿があった。
「先生、お義兄さんが帰りました」
「そうか」
フルナゼーノが告げた言葉が合図だったかのように、トラエノールのペンがピタリと動きを止め、そしてその顔を上げる。先ほどまでのアレンに見せていた表情が嘘であったかのようにトラエノールの顔は温和で優しげなものになっていた。
「どうでしたか?」
心配そうな声色で尋ねるフルナゼーノに、トラエノールが目を細めながら優しく微笑む。
「彼はとても興味深い存在だよ。本気ではないとはいえ僕の攻撃を軽々とさばくことができるほどの実力者なうえに、攻撃されても一切僕に敵意を向けてこなかった。さすがに困惑はしていたけどね」
「そんなことが?」
「ああ。それどころか私の攻撃基準のほとんどは既に見抜かれてしまってね、途中からはむしろ暇そうにしていたよ。ちなみに僕も快適だった」
「なにをやってるんですか」
はっはっはっ、と笑うトラエノールに、フルナゼーノが冷静にツッコミをいれる。それに対して謝るような仕草をしていたトラエノールだったが、しばらくしてその表情を真剣なものへと変える。
「エルフが人間と結婚するには、本人だけではなくその周辺の人間も調査対象だ。家族であるのならなおさら調べられる。過去の悲劇を繰り返さないためにも。それはわかっているね」
「はい」
「不意に、理不尽な状況に、そしてそれが続けば、人の本性というものは現れる。それを試すために必要なことなんだよ。あまり褒められたことではないけれどね」
殊勝な態度でうなずくフルナゼーノの姿にトラエノールがその表情を崩す。
「安心しなさい。彼はおそらく大丈夫だ。誰かはわからないが我が部族とも関わりがあるようだしね」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ。さて、そろそろいい時間だ。フーノ、気をつけて帰りなさい」
フルナゼーノの問いかけに対し、真似するような口調で笑いながらトラエノールが返す。「はい」と短く返事をしたフルナゼーノは頭を下げ、くるりと出口へと向かって歩いていった。
そしてドアを開け、部屋から出る直前にフルナゼーノが動きを止めて振り返る。
「そういえば、お義兄さんが後で食事の差し入れを持ってくるそうです」
「……本当に変わっているな」
「ですね。私も一度いただきました。美味しかったですから安心してくださいね。では、先生。また明日」
そう言い残してフルナゼーノがその姿を消す。トラエノールは閉じられた扉を眺め
「フーノの美味しかったほど信用できないものはないと僕は思うけどね」
そんなことを言いながら苦笑いを浮かべたのだった。